このエントリーをはてなブックマークに追加

消えた中島大水道3

2007年10月28日 07:00

消えた中島大水道 3

中島大水道の名残が残っていないか歩いてみましたが、ほとんど残っていません。十三バイパスの辺りに数ヶ所堤防の石段がかろうじて残っているくらいです。

続きを読む前に <人気ブログランキング> をクリックお願いします。

中島大水道は十三バイパスから外れ西へほぼ直角にカーブします。その辺りの道は、くねくねと蛇行しており、川の名残といえば名残かもしれません。道路はくねくね蛇行しながら、ダイヘンを超え、元今里墓地の横を通り、田川を抜けて、JRの高架下をくぐり、大野川遊歩道へとつながって行きます。
十三バイパスの下にひっそりと「身かわり地蔵」が祀られています。昔からずっと川のたもとで町の移り変わりを見守っていたのでしょうね。

中島01
堤防の階段跡

中島02
階段を上がった所。ここを川がまっすぐ流れていたのでしょう。

中島00
商店街近くの路地にも階段が残っていました。

中島03
十三バイパスから直角に曲がったところ。

中島04
くねくね蛇行する道路。先にダイヘンがあります。この辺りの電柱看板は全部ダイヘンです。

中島05
元今里墓地の横をくねくね。

身がわり
十三バイパス下に身かわり地蔵がありました。由来は不明です。

ブログランキング・にほんブログ村へ  ←ここにも参加しています。クリックお願いします。



(関連ブログ)
『消えた中島大水道 1』
『消えた中島大水道 2』
スポンサーサイト


コメント

  1. ゆきひろ | URL | XoxlQHfE

    いつも拝見させて頂いております。
    三津屋で27歳まで過ごし、それから20年、木川東に住んでおりますが、
    私も旧中津川の流路跡を始め、街中に残る”昔”を求めて徒歩や自転車で
    よく散歩に出かけます。
    今日の1枚目と2枚目の近く、10月6日の武田の記事の中にある絵地図に
    記載のある散髪屋さんが今もありますね。

  2. 新之介 | URL | -

    散髪屋さん

    ゆきひろ様
    コメントありがとうございます。
    散髪屋さん、たしかにいまでもありますね。
    私が子供の頃行っていた散髪屋さんは散髪の後、グリコのキャラメルがもらえました。それがうれしくて…
    戦前の十三周辺を描いたイラストマップに描かれているお店で今でも残っているお店はいくつかあります。そのお店を追ってみるのも面白いでしょうね。三津屋も昔のいいところが残っている町だと思います。今後、三津屋の町も紹介していきたいと思っています。これからもよろしくお願いします。

  3. 新之介 | URL | -

    ゆきひろ様へ

    ゆきひろ様
    ひとつお聞きしたいことがあります。
    また、このページをのぞいてくれていたらいいのですが…

    旧中津川の流路跡の散歩と書かれていますが、何か跡が残っていたりするのですか?残っているのならかなり興味があります。教えてください。

  4. ゆきひろ | URL | XoxlQHfE

    もう残っていないようです

    新之介様

    有名ですが、西淀川区野里にある住吉神社境内の堤防跡が唯一、旧中津川の遺構として残るのみらしいですね。
    淀川区内では街区割ではっきりと流路跡が読み取れるだけで、実際に何かここに、というものは無いようです。
    ただ、木川西1丁目の能勢街道の付近で地盤が高くなっている地域がありますが、新淀川と中津川を重ねた地図を見ると、ちょうどこの辺りで若干中津川が新淀川より北に膨らんでいる様子が伺えます。
    無意味に地盤を高くする地域を作るということは考えられませんので、ひょっとしたら堤防など以前の地形の名残なのかな、と勝手に考えています。

    ただ、遺構は何も無くとも、昔、川が流れていてそのほとりに立っている、一面の田んぼの中ぽつんぽつんと集落が見え、遠くには生駒・北摂・六甲の山々が望める、そんな広大な風景を想像して楽しんでいます。

  5. 新之介 | URL | -

    中津川跡

    ひろゆき様

    木川西1丁目辺りは、たしかに旧中津川が「へ」の字に膨らんだてっぺんの辺りですね。面白いですね。遺構よりもそのいう地形の変化のある所の方がイメージが広がります。散歩がてら行ってみます。ありがとうございました。

  6. ととやん | URL | -

    もうひとつの水路

    新之助さまに触発されて、あれこれ資料を読み漁っています。

    既出かもしれませんが、中島大水道がらみでもう一つ水路(運河)が八丁大橋から神崎川左岸にあったのはご存じですか?「阪北水路」というそうです。

    本を読んでいると、何か所かでその名称を目にする事があったのですが、先日「みんなの大野川緑陰道路」という冊子を図書館で見つけて、水路のルートと架かっていた橋名のマップを見つけました。(竹島に自分が疑問に思っていた「舟入」の名称のついた橋もありました!)

    現在は水路の上に阪神高速があるので、面影はあまりないのですが、何か残ってないかな?と通勤途中に眺めていたら、高架下にある駐車場の名称が「阪北(はんぼく)駐車場」でした。ちょっとうれしかったです。八丁温泉の駐車場もここにあるので、看板を一度は目にした事があるのではないでしょうか。いつか時間のある時に、この水路の後をたどってみたいと思います。

    香蓑小学校の昔の記念集を読むと、大正時代に卒業された方が語っていた子供の頃の思い出話が中々興味深いです。昭和50年台以降の御幣島しかしらない私にとっては想像できないのどかな田舎の風景で、田んぼに水を回す大小の水路があり、舟が生活にかかせない足だったようです。

    御幣島、竹島のあたりにバスが通るような街道があまり発達しなかったのも、今に通じる所があるような気がしました。

コメントの投稿

(コメント編集・削除に必要)
(管理者にだけ表示を許可する)

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://atamatote.blog119.fc2.com/tb.php/47-0f4575ad
この記事へのトラックバック