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消えた中島大水道1

2007年10月24日 00:52

消えた中島大水道 1

江戸時代より、中島大水道(大野川)は十三の町を「W」の字のように横切って流れていました。戦前までは舟運水路としても利用されていましたが、戦後、下流域での地下水のくみ上げによる地盤沈下などで河川機能が著しく低下し、水質が悪化、悪臭とごみの川になってしまいました.

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中島大水道は高度成長の発展とともに消えていった河川ともいえます。昭和39年に開業した新大阪駅、昭和41年に完成した十三バイパスはまさに中島大水道の上に作られた構造物です。現在、中島大水道の石碑はいくつか存在しますが、河川があった名残はほぼ皆無です。少し寂しいですね。

十三東付近昭和25年
昭和25年頃の十三東付近の水路。まだ水がきれいだった時代ですね。

大水道模型
東淀川区役所にある中島大水道の模型(江戸時代の十三の辺り)

水路明治19
明治42年頃の地図、模型とほぼ同じトリミングです。ほとんどが水田でした。

水路昭和12
昭和12年頃の地図。わかりにくいですが、多くの水路がまだ残っています。

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(関連ブログ)
『消えた中島大水道 2』
『消えた中島大水道 3』


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コメント

  1. Empizzo | URL | X/aoCwEI

    中島大水道の思いは大きいですが、
    地図などで見ていて読みましたのがハブ性です。
    中国街道と能勢街道が分岐する「要」が(ハブが)
    十三であったことが分かります。
    今で言う伊丹線と176号線ですね。
    アケミ幼稚園の東のあの道が大水道をクリアして
    池田方面に抜けていく「十三の離れ」あたりだったのですね。
    一方、田川の現JRの貨物線を超える跨線橋のあたりが
    同じく中国街道における「離れ」。
    ともに十三を発っていくときの気持ちの切り替えポイントだったかもしれません。
    もちろん現在、阪急電車の十三駅は3複線のハブとして顕著な形になっています。
    十三は交通のポイント地点であることが古典的地図でもよく分かります。

  2. 新之介 | URL | sDz630us

    十三という地名について

    Empizzoさん

    ハブ性。確かに昭和以降はそうかもしれません。
    でも、この地は元々十三ではなかった…

    明治42年の地図は実は面白いんです。
    この地図は箕面有馬電気軌道が開通する前年。
    十三駅が堤防の場所にまだできていません。
    元の十三は河川敷の下。
    この時代、地図上から「十三」が消えているのです。
    今の十三はこの時代十三ではありません。
    地図上に十三の地名が新たに生まれたのは
    大正14年なのです。

  3. 名無し | URL | -

    中島大水道というと

    やはり中島大水道といえば切腹事件ですね。確か前に人形劇でやってたようなきがします...

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