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官営鉄道と阪急千里線

2010年06月28日 08:00

官営鉄道の遺構を探す

明治維新後の明治7年、大阪~神戸間に官営鉄道が開通、
明治9年には大阪~向日町間、明治10年には神戸~京都間が開通しました。
大阪~吹田間はその後ルート変更があり、その廃線になった路線を利用して
大正10年、北大阪電鉄が十三~豊津間を開業させています。


(※ 今回の地図画像は縦長でデカイです。ご了承ください)
senri_0003.jpg
明治18年測量地図です。
くねくねしてるのが官営鉄道。地図上部に吹田停車場の文字が見える。
それ以外に駅が見当たらないので、大阪駅の次は吹田駅だったのでしょう。
Aは神崎川、Bは上十三川橋梁があった場所です。

senri_0004.jpg
現在の地図と重ねると、東淀川駅を通るルートに変わっているのがわかる。
元あったルートには阪急千里線が通っています。
Bの地点からルートが変更されているのがわかりますか。

IMG_2992_2.jpg
以前紹介した樋口架道橋B地点です。

明治18年測量地図
senri_004.jpg
トンネルは小さい○の場所。
大きい○は上十三川橋梁。現在は淀川橋梁が架かっています。

senri_003.jpg
新旧の地図を重ねるとこのトンネルはルートが変わっても
昔と同じ場所にあることがわかる。

IMG_3012_2.jpg
ということは、やっぱりこのトンネルは
官営鉄道の頃のものなのかもしれませんね。

IMG_3016_2.jpg
奥は継ぎ足されたトンネルです。


Aの場所です。
senri_002.jpg
明治18年測量地図。神崎川と下新庄村の間に歩道があります。

senri_001.jpg
その場所にレンガ造りの橋台がありました。

IMG_1548_2_20100626223205.jpg
上を走るのは阪急千里線。
この橋台っていつ頃のものだろう…。

IMG_1553_2.jpg
煉瓦橋台でよく見かける半円のこれっていったい何なんでしょう?

IMG_1572_2.jpg
阪急千里線の神崎川に架かる鉄橋です。

IMG_1634_2_20100626223329.jpg
よく見ると橋脚の形がバラバラですよね。

IMG_1588_2.jpg
円柱の橋脚は明治9年に開通した官営鉄道の遺構だそうです。
ここにはトラス橋が架かっていたそうです。

IMG_1630_2.jpg
それにしても積み木みたいだ。

IMG_1582_2.jpg
明治時代にはここを蒸気機関車が通ってたんでしょうね。

最後に、
IMG_1591_2_20100626223247.jpg
こんなのを見つけた。
線路の下を水路が通っていました。

IMG_1592_2.jpg
かなり古そう。これも官営鉄道時代の遺構でしょうか。

IMG_1620_2.jpg
線路の裏側にもレンガ造りの構造物が。
草に埋もれて顔をのぞかせていました。


より大きな地図で 官営鉄道の遺構 を表示


(おまけ)

より大きな地図で 官営鉄道の遺構 を表示
この細い緑地帯は旧官営鉄道跡。
旧官営鉄道はゆるやかにカーブをしていたけど、
現在の阪急千里線はこの辺りから無理矢理曲がっていきます。



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bahiru_wink3.gif
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コメント

  1. ゼク | URL | q1cvaNjE

    しかし明治9年とか明治7年とかいうとすでに130年前の話に
    なるので「遥か昔の話」になるのですが、こうやって線路がまだ
    使われていること自体が凄いですね。

    明治9年と言えば神埼川(M11.2-M11.7)の付け替えがまだ終わってないので
    川も二股になってなかったかもしれませんね。


    どちらにしても今の阪急京都線よりは圧倒的に旧いので周りを
    探してみればまだまだ面白いものが見つかるかもしれませんね!

    やはり歩こう会をやってみないといけませんね!

  2. ファジー | URL | UXr/yv2Y

    興味深く拝見しました。
    阪急千里線の神崎川橋梁・・・明治の鉄道揺籃期と現在とでは、上を通過する車輌の重量が桁ちがいに異なりますので、桁数が増えているのがわかって面白いですね。

  3. ゼク | URL | q1cvaNjE

    しかしこうやってみると淡路駅自体が旧官営鉄道の跡ってことですよね?
    僕は淡路~下新庄の少しの部分だけが旧官営鉄道の一部と思っていましたが崇禅寺~淡路のほとんどもそうだったんですね!

    この辺り歩いてみると何か見つかるかもしれませんね!

  4. とんま | URL | -

    こんなにいろんな遺跡(?)があるのに、
    淡路駅高架化工事に伴って、千里線も下新庄以北、
    神崎川を越えてかなり北までが高架化されるため
    残念ながらこのほとんどが取り壊されると思います。

    今のうちに見納めしとかないといけませんね。

  5. きりん | URL | oeLWy8lc

     その近辺の事情は、NPO法人模型と画像で歴史を語る研究会の方が詳しいです。
     そちらで四年前に聞いた話ですが、吹田のJRと阪急千里線が交差してる南西側の宅地の中に、官営鉄道の路盤の土盛りが残っているそうです。

  6. 新之介 | URL | sDz630us

    ゼクさん

    おっしゃるように、崇禅寺~淡路駅も官営鉄道の跡なんですよね。
    何度も歩いていますが、遺構らしき物はまだ発見できていません。
    ありそうで、なかなか見つからない…
    でも何かありそうですよね ^^


    ファジーさん

    なるほど!重量が全然違うのですね。
    それにしてもなぜあんなにバラバラなのでしょう?
    コンクリートとレンガの橋脚。
    円柱の上のやつも形が違う。
    北大阪電鉄の開業予算があまりなかったのかな… ^^;


    とんまさん

    そうですよね。
    高架になるとこの辺りの風景は一変するでしょうね。
    さびしい限りです。


    きりんさん

    ほ~~っ!
    そんな土盛りが残っているのですか!
    すごい!
    「模型と画像で歴史を語る研究会」という方々に興味があるな。
    一度、講演会を聞いてみたい。

  7. kotaro | URL | 8nGiSIKA

    水の流れと鉄道と

    昭和40年代から鉄道雑誌に取り上げられていた話題です。
    反対に僕はこの40年の市民の意識と社会環境の変化の方も
    面白く読ませていただきました。
    英国などでは鉄道施設の土台は150年級はざらだし、日本も
    阪急、京阪、山陽がみな百年入りしてやっと鉄道はセンチュリーな
    文化に私鉄も含めなってきました。
    鉄道はアルゼンチンやトルコの方が歴史は長いです。

    日本の私鉄がなぜ発達したか、これも興味深い。
    また官設鉄道、正しくは用語はこうです、が明治初期に作られた
    ものは、京都の逢坂山、浜大津と対岸の長浜含め路線変更が多い。

    それはなぜ?土木技術の発達と国家政策まで、思いを寄せることが
    できればまた、興味や関心は広がることだと思います。

  8. 新之介 | URL | sDz630us

    kotaroさん

    ちょうどNHKで関西特集・映像歴史バラエティー
    「鉄道がつくった関西」という番組をみました。
    関西は全国有数の「私鉄王国」。
    JRのほか阪急・阪神・京阪・近鉄・南海の5大私鉄がある。
    野球の球団も京阪以外は全て持っていたって、
    改めて考えると凄いですね。

    各鉄道会社の歴史も時間があれば読んでみたいと思いました。

  9. 点と点 | URL | 1.bfey3U

    北千里線で見つけた国鉄名残の水路 

    再度調べたら新之介のこのページに掲載されていました。
    よく調べてあります。最近淡路に行くことが多いので私も淡路を攻めています。

     さた、先日の絵図これだと思います。

    それから 何時もかってなお願いですが
    B地点の現在の地図と明治19年の地図の重ねた地図の使用を
    きょかしてもらえませんか!
    何時もお願いばかりです、

  10. 新之介 | URL | sDz630us

    点と点さん
    どうぞお使い下さいませ。
    点と点さんのブログもちょこちょこ
    見せていただいていますよ~ ^^

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