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長柄(中津)運河跡を歩く3

2010年06月21日 08:00

豊崎~毛馬閘門まで

今回が「長柄(中津)運河跡を歩く」の最終回です。

長柄(中津)運河跡を歩く2
長柄(中津)運河跡を歩く1

nagara_007.jpg
昭和4年測量地図。


より大きな地図で 長柄(中津)運河跡を歩く を表示

Jの場所。
IMG_2967_2.jpg
豊崎二之橋。

IMG_2972_2.jpg
ここは新御堂筋と

IMG_2973_2.jpg
JR線の間。あれは新大阪駅に繋がる東海道線です。

IMG_2974_2.jpg
こっち側にはこれといった目印がありません。
豊崎神社がこの先にあります。

IMG_2987_2.jpg
ここは新淀川が開削される前、中津川の南詰めで
本庄村の渡し船があった場所でもあります。

IMG_2977_2.jpg
旧長柄運河に架かる歩道橋は昔からある主要な道に設置されていたようですね。
今では堤防に行くためだけの橋になってしまいました。

Kの場所。
IMG_2988_2.jpg
JR線の下にトンネルがあります。

IMG_2993_2.jpg
奥に行くと丸いトンネル。

IMG_2998_2.jpg
レンガ造りの構造物が残っています。

IMG_2999_2_20100619231719.jpg
ここは旧中津川に架かる鉄橋があった場所の少し手前。
下十三川橋梁の上流部なので上十三川橋梁になるのでしょうか?

IMG_3004_2.jpg
かなり古そう…。
明治9年に大阪駅と向日町駅間が開業しましたが、
その時からあるトンネルなのでしょうか?

IMG_3011_2.jpg
反対側です。

IMG_3014_2.jpg
樋口架道橋。

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トンネルの入口は外側も含めてしっかり補強されている感じです。
ええトンネルです。

IMG_3024_2.jpg
JR線の上淀川橋梁です。

IMG_3037_2.jpg
この橋梁が作られたのは昭和29年。
明治18年測量地図を見ると、この先のルートがまったく異なっている。

IMG_3026_2.jpg
またいつか新旧の地図で位置を検証してみますが、
明治9年に開業した鉄道のルートはここから北東方面へカーブしていきます。

IMG_3033_2.jpg
現在の阪急京都線と千里線の一部のルートがそれになります。
阪急「崇禅寺」駅~「淡路」~「下新庄」~阪急「吹田」駅の手前までのルートは
旧東海道線の廃線跡なのですね。


Lの場所。
IMG_3043_2.jpg
ここの立派な楠が残っています。地図にも樹の記号がある。

IMG_3044_2.jpg
ご神木のようです。ここは旧本庄村があった場所。
淀川が開削されるずっと前からこの場所で見守ってくれています。

IMG_3047_2.jpg
淀川が出来る前もこの場所は中津川の南岸でした。
本庄村にはこの樹を中心に川上と川下に渡し船がありました。
きっと昔から目印になっていた樹だと思います。


Mの場所。
IMG_3049_2.jpg
これが一番上流にある歩道橋です。

IMG_3052_2.jpg
豊崎一之橋。

IMG_3054_2.jpg
楠が向こうに見えますね。

IMG_3056_2.jpg
あっちは長柄橋。

IMG_3061_2.jpg
ここも中津川があった頃に渡し船があった場所です。

IMG_3062_2.jpg
対岸には水道記念館のレンガ造りの建物が見えます。


Nの場所。
IMG_3073_2.jpg
最後は眼鏡橋です。長柄運河の始まりの橋です。

IMG_3069_2_20100620133831.jpg
「…長柄運河は新淀川をつくるために出る土砂を海老江まで運ぶために
1902(明治35)年に完成したもので…」

IMG_3070_2.jpg
長柄運河跡は埋め立てられたけど、大阪の歴史を学ぶ上でとても重要な運河でした。もしかするとそう遠くない将来、この運河跡は高速道路に変貌してしまうかもしれません。

IMG_3075_2.jpg
毛馬(けま)の旧第一閘門(こうもん)と

IMG_3079_2.jpg
毛馬洗堰(あらいぜき)の影に隠れて忘れ去られようとしている長柄運河跡。

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沖野忠雄先生、これも時代の流れですかねぇ…。


沖野「 たぶんね… 」



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コメント

  1. ころたん | URL | -

    ずっと見てて歴史の重みを感じるなと思い
    拝見してましたが
    大阪は神戸ほどではないにしても
    15年前の阪神大震災を乗り越え構造物が残ってるというのはすごいことだと思います
    昔の構造物は意外に頑丈に出来てるんだと改めて思いました

  2. ゼク | URL | q1cvaNjE

    僕もNの場所は昨年行きました。
    http://eos1d3.exblog.jp/11972436/
    なんとも言えない歴史的な場所ですね。

    それにしてもレンガのトンネルは萌え萌えですね。
    おそらく明治のものであるのは間違いありませんね。

  3. 今津っ子 | URL | 4nygY/.M

    完結ご苦労さまです。

    新之介さんも指摘されているように、歩道橋は旧街道が渡し船で旧中津川を渡る箇所に設置されています。

    あえて省略されたのかも知れませんが、本庄村の2つの渡しには、江戸時代以来、一貫して使われていた名前がありますので、付け加えさせていただきます。
     J地点---本庄の渡し
     M地点---横関の渡し
    本庄村内には横関という地名は無く、なぜ横関の渡しと呼ばれるかは不明です。

    これらの渡しを通る街道は、明治時代には大阪府がそれぞれ本庄街道、横関街道と呼んでいました。
    たまたまこの2つの街道のルートを示した地図をアップしたところですので、よろしければご覧下さい。
    http://d.hatena.ne.jp/imazukko/20100410

  4. TOSSY | URL | mXJ0wlpU

    レンガのトンネル

    レンガのトンネルいいですねぇ
    私の近くにも古いトンネルがありましたが 補強のためレンガ部分は見えなくなりました

    かがまないと通れない小さなマンボウはレンガの丸いトンネルです

    めがね橋もいいですねぇ


  5. 新之介 | URL | sDz630us

    ころたんさん

    確かにこれらの古い歩道橋等は戦火も逃れ自然災害でも壊れずよく残っていますね。
    たいした物です。
    もう少し注目してあげてもいいのかも…


    ゼクさん

    ゼクさんが行かれた時の記事は覚えています。
    淀川改修紀功碑の存在感が圧倒的。
    こんなかっこよかったっけ…と思いましたよ。


    今津っ子さん

    いつも詳しい解説ありがとうございます。
    リンク先の記事はとてもわかりやすい!
    あんな所に道標があったなんて驚きです。
    別の記事ですが宮原にも道標があるのですね。
    とても面白い。
    こんど寄ってみます。


    TOSSYさん

    いいトンネルですよね。
    マンボウのトンネルもとても興味深い。
    いつか行こうと思っています。
    検索するとたくさんの記事が出てきますね。
    みんなに愛されてるトンネルなんですね。

  6. こじやん | URL | -

    地点M附近に住んでるものです。楽しませてもらいました。
    長柄運河現役時代に釣りをしていた写真があるのですが、記憶には残っていません。
    運河跡ですが、毛馬からリバーサイド中津附近まで舗装されている部分があったと思います。あれはリバーサイド中津横にある変電所の工事の際に工事用車両が利用していたものだったと思います。あのあたりはJR貨物線に囲まれて大型車が進入しにくい場所ですから。

  7. 新之介 | URL | sDz630us

    こじやんさん

    なるほど、Googleマップでみると舗装道路が
    変電所まで来ているのがよくわかりますね。

    変電所で思い出しましたが、敷地内に古い灯籠があります。
    昔の地図を見ると鳥居の記号があります。
    あそこは神社があったようですね。
    いちど調べてみようと思っています。

  8. むぅ | URL | -

    初めまして。長柄東、眼鏡橋の近くにあった丸山パンはどうなったのでしょうか?
    子供の頃工場見学にいってパンをもらいました。
    もしかしてコロンバンになってしまったのかな?

  9. 新之介 | URL | sDz630us

    むぅさん

    私はわからないのですが、

    丸山パンについて
    どなたかご存知でしたらコメントお願いいたしま~す!

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