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長柄(中津)運河跡を歩く1

2010年06月14日 08:00

海老江~旧浦江まで

明治31年、淀川大改修工事は長柄運河の開削工事から着工されました。
長柄運河は昭和42年頃に埋め立てられましたが、
今でも当時の遺構がいたるところに残っています。
下流の阪神電鉄「淀川」駅から毛馬閘門まで歩いてみました。

IMG_2684_2.jpg
阪神電鉄「淀川」駅を降りた所。
この橋はいつ頃の橋だろう。

nagara_001.jpg
昭和4年測量の地図です。

IMG_2696_2.jpg
ここはAの場所。

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長柄運河はここから旧中津川の下流域と繋がっていました。
そこから伝法川、正蓮寺川に分かれてゆきます。

nagara_003.jpg
「大阪市の100年」より
A地点の少し下流からの写真です。時代は大正前期。
鉄橋は阪神電車、右端に長柄運河がカーブしているのが見えます。

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昭和4年測量の地図です。カメラ位置はおそらくこの辺り。


Bの場所。
IMG_2709_2.jpg
淀川小橋です。

IMG_2711_2.jpg
この下が運河でした。向こうに阪神電車と阪神高速が見える。

IMG_2725_2.jpg
淀川小橋の竣工は大正15年。
当然かもしれないけど新淀川に架かる淀川大橋の竣工も大正15年です。

nagara_004.jpg
「大阪市の100年」より。昭和初期の淀川小橋です。

IMG_2729_2.jpg
今と比べてもほぼ同じですね。
ただトンネルの高さがちょっと変わってしまってます…


Cの場所。
IMG_2735_2.jpg
長柄運河でよく見かける歩道橋。

IMG_2740_2.jpg
海老江にある歩道橋です。

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明治42年の地図を見ると
ここより少し下流に運河に架かる橋がありました。

IMG_2745_2.jpg
なので、これはそれ以降にできた橋だと思います。

IMG_2760_2.jpg
海老江の人が河川敷に行き来するのに重要な歩道橋です。

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運河が埋め立てられた今でも現役。

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ここに電話ボックスがあるのもおそらく昔からではないでしょうか。

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全然関係ないですが、海老江の夜店は1のつく日です。


最後はDの場所。
IMG_2770_2.jpg
JRの線路を越えた場所。

IMG_2772_2.jpg
旧浦江地区です。

IMG_2775_2.jpg
新淀川が出来た後も、しばらく渡し船が残っていた場所です。

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明治42年の地図には渡し船の航路が残っています。

IMG_2789_2.jpg
おっ!プレートが残ってた。
大正14年10月架設。

IMG_2798_2.jpg
「鷺州一之橋」という立派な名前があったのですね。

IMG_2796_2.jpg
NIPPON BRIDGE Co OSAKA …だそうです。

IMG_2782_2.jpg
渡し船は戦後も残っていたと聞いています。

IMG_2794_2.jpg
渡し船が行き来していた対岸は我が地元、塚本です。
東淀川区史には昭和19年まで渡し船があったと書かれています。

tsukawatashi.jpg
戦後再び復活したであろう渡し船の記録がないのは、
なぜでしょう?

P1070477_2.jpg
しかしそれも昭和30年代にはなくなったようです。
今でも塚本側にはこんな場所が残っています。



より大きな地図で 長柄(中津)運河跡を歩く を表示


(追記)
記事の最初の写真は阪神電鉄の本線です。
昭和42年に嵩上げをしたそうですが、
それより海側を走る阪神なんば線はまだ嵩上げが行われていません。たぶん…
IMG_2646_2.jpg
だって、堤防の防波壁(赤色の壁)が閉まると電車が通れなくなるんです。

IMG_2652_2.jpg
台風の後の増水と満潮が重なったらかなりヤバいと思う。
ギリギリの水位はまだ見た事ないですが…



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コメント

  1. muk. | URL | MBk8KdtQ

    昭和50年当時の思い出が湧き出てきてワクワクです!
    子供の頃、海老江側の河川敷には大きな池のような水たまりがありました。ザリガニ取りのスポットになっていて、ちくわやスルメをタコ糸に括りつけてザリガニを釣ってました。

  2. いっこう | URL | dpfO0YDI

    歩道橋

    海老江の辺りの河川敷を車で通る時
    気になってました。運河跡に架かってた
    歩道橋なのですね。納得です。

  3. kotaro | URL | 8nGiSIKA

    阪神の鉄橋

    嵩上げするまでは、満潮時はプレートの下近くまで水がきていたと思います。
    戦後ですが、そういう写真も見た記憶があります。
    調べてみると改良工事は昭和42年のようですね。

  4. 今津っ子 | URL | 4nygY/.M

    おもしろい企画を始められましたね。
    続きが楽しみです。

    淀川駅の北側の歩道橋は、運河が埋め立てられたのと同じ昭和42年に阪神電車が高架化された際に不用となった旧橋梁を利用して新たに架橋されたものです。
    他の歩道橋が、運河を航行する船舶の支障にならないように淀川堤防の高さに設置されているのに対して、この歩道橋が地平面にあるのは、運河埋め立て後に架橋されたものであるためです。

  5. おかん | URL | bo60dCGI

    ラサもありました。

    生まれた時はまだ淀川駅も無く、ラサのスケートリンクによく通ったものです。海抜ゼロM地帯と言われましたが、その頃は意味も解らず、怪獣映画のタイトルかなと思っていました。
    いつも、懐かしい写真をありがとうございます。

  6. 新之介 | URL | sDz630us

    muk.さん

    ほ~ 海老江の河川敷でザリガニ取りですか。
    それは初めて聞いた。
    昔の河川敷ではいろんな生き物を捕まえたけど
    いまでもよく覚えてるのが蛇。
    石垣の隙間で蛇を見つけた。
    昔はいたんですよね。普通に。


    いっこうさん

    この歩道橋って意外と気になりながら
    通り過ぎてる構造物ですよね。
    でも、阪神高速の計画があるので
    近い将来無くなってしまうかもしれません。


    kotaroさん

    阪神電車の嵩上げ問題は現在も残っていると思います。
    阪神なんば線。おそらく増水時はかなりヤバいんじゃないでしょうか。
    だって堤防の防波壁を閉めたら電車が通れなくなるから…^^;
    写真を追記しておきます。


    今津っ子さん

    なるほどなるほど!
    めっちゃよくわかりました。
    いつもありがとうございます!!


    おかんさん

    ラサ!ありましたね。
    僕はスケートをしなかったけど、
    同級生とかはよくラサに行ってました。
    とても懐かしい響きです ^^

  7. Empizzo | URL | X/aoCwEI

    こちらのページでは初めて書かせていただきます。
    伝法大橋からいつもなんば線の橋梁を見やるのですが、
    通常の満潮でも「低い鉄橋だ。」と思ってしまいます。
    旧「西大阪線」が阪神の中でも比較的低く見られてきていて、
    閉められたら閉められた時のことと思っているのではないかなと想像しています。
    そのあたりのリスクは近鉄にも一応確認は取っていると想像します。
    それにしても、この鉄橋が洗われるくらいになると、
    土手のどこかあたりが決壊しそうな気もします。
    恐ろしく低い土地が周辺に広がりますから、
    暴れ川「旧中津川」によって周囲が洪水に見まわれたように。
    阪神本線あたりはまだ河川敷から汽水域的な川の感じを味わうことができますが、
    伝法大橋くらいまで来るともうむしろ海に近い感じが強いですね。
    大橋の上から見事な鯛を釣っている方がおられます。

  8. 新之介 | URL | sDz630us

    Empizzoさん

    伝法の辺りは僕の中でもほとんど海です ^^

    それにしても、あのマイナーだった西大阪線に
    近鉄電車の車両が走っているのを見るといまだに違和感を感じます。
    業績もいいようですね。京阪の中之島線と違って…

  9. Empizzo | URL | X/aoCwEI

    伝法・・ 「でんぽう」というひびき好きです

    新之介さん
    たしかに違和感、さらには積年の悲願達成ゆえの非日常性ゆえでしょうか。
    地図的に見る路線形態でよく似ているのは西からきた阪神本線が
    野田で地下鉄千日前線に乗換ですがつながるライン形状。
    なんば線こそレールが繋がって近鉄大阪線にトレースしていく、
    あのライン形状。西から少し南へ取ってそしてまた千日前や上本町4につながるライン
    相似といってはなんですが、よく似ています。
    野田で高架の阪神から地下深い千日前線に移動する為に必要な
    階段数を強烈に電車に押し付けたのが
    西九条から九条に向かって安治川から一気に地下にもぐる傾斜ですね。

  10. シマちゃん | URL | -

    私たちは「中津運河」と呼んでいました。

    懐かしい記事と写真、楽しく拝見しました。私が中学に入った40年余り前には、すでに運河としての役目は終わっていたようで、木造の廃船があちこちに沈んでいました。埋め立てる際にコンクリートでトンネルのようなものを作っていたので、今でも地下は水が流れているのかもしれません。
    レンガ造りの旧閘門は、今思えば長柄側にあったのに何故「毛馬の閘門」と呼ばれていたのでしょう?悪ガキ仲間と捨ててあった伝馬船を穴が開いているのも知らずに漕ぎ出して、閘門の真ん中あたりでどんどん水が入ってきて、半分沈みながら必死で漕いだことが思い出されます。
    別記事の長柄八幡のダンジリ囃子も興奮しながら何度も拝見しました。これからも目頭が熱くなるような記事をよろしくお願いいたします。

  11. 新之介 | URL | sDz630us

    シマちゃんさん

    当時の様子が目に浮かびます。
    廃船があちこちにあったというのはリアリティがあります。
    船が沈むのを必死にこいでいる姿も…^^

    >長柄側にあったのに何故「毛馬の閘門」と…
    たしかに、そういわれるとなぜなのでしょう?
    淀川改修工事で旧毛馬村のほとんどが沈んでしまいました。
    村が無くなってしまうことも考慮して
    「毛馬の閘門」としたのでしょうか?

    真相を調べてみたくなりますね ^^

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