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環濠集落・平野を歩く

2010年05月05日 08:00

環濠集落の痕跡を探そう


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「摂州平野大絵図(1763)」より
平野の町は、周囲を濠(ごう)と呼ばれる堀と、その内側を土塁(どるい)と呼ばれる土盛りで囲まれていて、碁盤目状の町割りになっていました。出入口には惣門(そうもん)が13カ所あって、そこには地蔵尊が祀られていました。このような環濠(かんごう)集落になったのは、16世紀末頃の戦国時代だと言われています。

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明治19年測量の地図を見ると周りの堀がかなり埋め立てられているのが確認できます。

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現在の地図と重ねて見ました。今でも杭全(くまた)神社と赤留比売命(あかるひめのみこと)神社周辺に環濠の名残が残っています。

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ちなみに赤い印は地蔵尊がある場所。


より大きな地図で 平野郷 を表示

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杭全神社の東側です。

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ええ感じで環濠が残っています。

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自然も残ってる。亀とかコイとか…

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ここには亀がいっぱい♪
(※ この亀、ミシシッピアカミミガメだそうです。俗称ミドリガメ。特定外来生物にも指定されているようですね。確かに僕も子供の頃飼ってたよな…)


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境内には土塁も残っていて、「平野環濠跡」の石碑がありました。

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ここは杭全公園、ここもかつては広い池のような場所でした。
今は橋だけが名残で残されています。

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公園の西側には池が残っています。これも環濠の名残です。



さて、次は赤留比売命神社がある平野公園へ。

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「平野区誌」より
この写真は大正時代の松山池。現在の平野公園です。
右の土塁の向こう側に赤留比売命(あかるひめのみこと)神社があります。

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「東住吉区史」より
これも松山池。橋の向こうに見えるのが赤留比売命神社です。

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「平野区誌」より
これも松山池です。ボート遊びができたようです。松山池が埋め立てられたのは昭和44年頃だそうですが、その頃の写真でしょうか。

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公園の入り口に松山小橋という橋が残されています。

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公園内には水はありませんでした。こんな橋があるだけ。

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右奥に見えるのが土塁の名残です。土塁の向こうに神社があります。

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中央が土塁、左が松山池があった場所、右側が赤留比売命神社です。

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土塁の上を歩いてるところ。

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赤留比売命(あかるひめのみこと)って珍しい名前ですが、新羅から来た女神で天之日矛(あめのひぼこ)の妻と伝えられています。

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この地を開発した渡来氏族の氏神として、平安時代には創建されていた古い神社です。

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杭全神社の摂社でもあるのですが、昔は住吉大社の末社だったそうです。

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奥の土塁は石垣になっています。

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それが結構面白い。

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いろんな石が再利用されています。

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石臼とか

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石臼とか… 石臼とか…^^;

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その土塁の上に親柱が2つ。
樋之尻橋(ひのじりばし)?

調べるてみると、近くを流れる平野川に架かっている橋の名前でした。
なぜこんなところに…


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コメント

  1. | |

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  2. kotaro | URL | 8nGiSIKA

    おはようございます

    阪急ビルとこの記事を読むと時間の流れに目眩がしそうです。
    昭和4年の家の中に、今年も遅れて春が入ってきました。

    さて私の住む池田も帰化人の痕跡がありますが、平野もそうなのかなあ。環濠集落を最初に造ったのがそうだとしたら、中国でも南方系、例えば蘇州などを思い浮かべてみたくなりますね。

    ちょっと昔を想像すると、埋めてしまった池や掘り割りって、元に戻せないのかしら。前例がない、と思い込んでるだけで、案外良い街になって、資産価値が上がらないだろうか?
    (連休は姫路の飾磨・妻鹿に行ってきました)

  3. 新之介 | URL | sDz630us

    kotaroさん

    赤留比売命神社の由緒には渡来氏族の氏神とありますし、
    このあたりも渡来人が多く住みついた地域だと思います。
    旧大和川から奈良の都へ行く途中でもありますし
    古代から交通の要衝であったようです。

    埋めてしまった堀を掘り返すのは面白いですね。
    話題性もあるし、観光地としても
    さらに注目されるかも ^^

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