2010年04月25日 08:00
知ってるつもり?!
縄文時代の大阪
先日の4月16日、ナカノシマ大学4月講座で
「大阪アースダイバーへの道」の講座が行われました。
中沢新一氏と釈徹宗氏のお話はとても面白く
あっという間の2時間でした。
で、その時にスクリーンに映し出された縄文時代の大阪の地形図、
大阪の歴史書ではよく出てくるイラストなのですが、
とてもわかりやすいので、大阪アースダイバーの基本資料としてご紹介します。
「平野区誌」より

縄文時代早期(約9400年前)
縄文時代、温暖化によって海水が一気に上昇し始めます。

縄文時代早期(約8000年前)
その縄文海進(かいしん)によって海水が内陸部に入って行きます。
ピーク時の海水面は今より3~5メートル高かったとも言われています。

縄文時代前期の後半(約5500年前)
ただ、上町台地だけは沈まず細長い半島として残りました。
この時に、河内湾が誕生したのです。

縄文時代中期の初頭(約4500年前)
その後、川から流れてくる土砂が堆積していき、半島の先端部には砂州が伸びていきます。徐々に河内湾は塞がれた状態になっていきます。

弥生時代中期(約2000年前)
それにより、河内湾は淡水化が進み河内湖に姿を変え、
その後、少しずつ陸地化していくことになります。
このイラストでは、河内湖と大阪湾が中心部で繋がっています。
現在の大川に当たる場所だと思われますが、
大川の開通には諸説あるようです。
日本書紀には人間の力で開削した事が書かれています。
難波の堀江といわれるものです。
ただ、自然の力で切断された説などもあるようなので、
このイラストはもしかするとそちらの説の図なのかなぁ。
どちらにしろ、「ほぼこんな感じ違うかなぁ」というニュアンスです。たぶん。
どこにもそんなこと書いていませんが…^^;
最後に大阪平野の変貌をアニメーションにしてみました。

【 上町台地の高低差を歩くシリーズ 】
上町台地高低差マップ一覧(Facebook)
1. 上町台地高低差マップ 2012.12.3
2. 住吉大社周辺を歩く 2012.12.4
3. 帝塚山古墳周辺を歩く 2012.12.6
4. 阿部野神社周辺を歩く 2012.12.8
5. 聖天山正圓寺・阿倍野墓地周辺を歩く 2012.12.11
6. 阿倍野周辺を歩く 2012.12.13
7. 天王寺公園周辺を歩く 2012.12.16
8. 安居神社・清水寺周辺を歩く 2012.12.19
9. 四天王寺周辺を歩く 2012.12.23
10. 愛染堂・大江神社周辺を歩く 2012.12.29
11. 生国魂神社周辺を歩く 2013.01.11
12. 空堀商店街周辺を歩く 2013.01.18
13. 松屋町筋・龍造寺町周辺を歩く 2013.01.22
14. 鶴橋・上本町周辺を歩く 2013.02.04
15. 真田山周辺を歩く 2013.02.11
16. 三光神社・旧真田山陸軍墓地周辺を歩く 2013.02.18
17. 玉造・森之宮周辺を歩く 2013.02.24
18. 大阪城周辺を歩く 2013.03.02
19. 八軒家浜周辺を歩く 2013.03.11
20. 難波宮跡周辺を歩く 2013.03.24
21. 天王寺〜桃谷周辺を歩く 2013.04.15
番外編:ノバク・野漠の窪地
番外編:空堀を探せ
【 大阪アースダイバーを歩くシリーズ 】
1. 宇宙船イワフネ号と磐船神社 2012.11.20
2. 太陽の女神と上町台地 2012.11.25
(関連記事)
『大阪アースダイバー出版・ようこそ中沢新一さん』 2012.10.13
『大阪アースダイバーへの道』 2010.04.25
『アースダイビング in 上町台地』 2010.04.11
『アースダイビング in 大阪城』 2010.04.30
『アースダイビング in 生國魂神社』 2009.04.16
『アースダイバー in 大阪』 2009.04.12
ポチッと、応援よろしく♪
縄文時代の大阪
先日の4月16日、ナカノシマ大学4月講座で
「大阪アースダイバーへの道」の講座が行われました。
中沢新一氏と釈徹宗氏のお話はとても面白く
あっという間の2時間でした。
で、その時にスクリーンに映し出された縄文時代の大阪の地形図、
大阪の歴史書ではよく出てくるイラストなのですが、
とてもわかりやすいので、大阪アースダイバーの基本資料としてご紹介します。
「平野区誌」より

縄文時代早期(約9400年前)
縄文時代、温暖化によって海水が一気に上昇し始めます。

縄文時代早期(約8000年前)
その縄文海進(かいしん)によって海水が内陸部に入って行きます。
ピーク時の海水面は今より3~5メートル高かったとも言われています。

縄文時代前期の後半(約5500年前)
ただ、上町台地だけは沈まず細長い半島として残りました。
この時に、河内湾が誕生したのです。

縄文時代中期の初頭(約4500年前)
その後、川から流れてくる土砂が堆積していき、半島の先端部には砂州が伸びていきます。徐々に河内湾は塞がれた状態になっていきます。

弥生時代中期(約2000年前)
それにより、河内湾は淡水化が進み河内湖に姿を変え、
その後、少しずつ陸地化していくことになります。
このイラストでは、河内湖と大阪湾が中心部で繋がっています。
現在の大川に当たる場所だと思われますが、
大川の開通には諸説あるようです。
日本書紀には人間の力で開削した事が書かれています。
難波の堀江といわれるものです。
ただ、自然の力で切断された説などもあるようなので、
このイラストはもしかするとそちらの説の図なのかなぁ。
どちらにしろ、「ほぼこんな感じ違うかなぁ」というニュアンスです。たぶん。
どこにもそんなこと書いていませんが…^^;
最後に大阪平野の変貌をアニメーションにしてみました。

【 上町台地の高低差を歩くシリーズ 】
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2. 住吉大社周辺を歩く 2012.12.4
3. 帝塚山古墳周辺を歩く 2012.12.6
4. 阿部野神社周辺を歩く 2012.12.8
5. 聖天山正圓寺・阿倍野墓地周辺を歩く 2012.12.11
6. 阿倍野周辺を歩く 2012.12.13
7. 天王寺公園周辺を歩く 2012.12.16
8. 安居神社・清水寺周辺を歩く 2012.12.19
9. 四天王寺周辺を歩く 2012.12.23
10. 愛染堂・大江神社周辺を歩く 2012.12.29
11. 生国魂神社周辺を歩く 2013.01.11
12. 空堀商店街周辺を歩く 2013.01.18
13. 松屋町筋・龍造寺町周辺を歩く 2013.01.22
14. 鶴橋・上本町周辺を歩く 2013.02.04
15. 真田山周辺を歩く 2013.02.11
16. 三光神社・旧真田山陸軍墓地周辺を歩く 2013.02.18
17. 玉造・森之宮周辺を歩く 2013.02.24
18. 大阪城周辺を歩く 2013.03.02
19. 八軒家浜周辺を歩く 2013.03.11
20. 難波宮跡周辺を歩く 2013.03.24
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番外編:ノバク・野漠の窪地
番外編:空堀を探せ
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2. 太陽の女神と上町台地 2012.11.25
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コメント
TOSSY | URL | mXJ0wlpU
みんな海の中
今の大阪市内はほとんど海の中ですね
昔 私はお魚だった・・・
( 2010年04月25日 13:12 [Edit] )
コイチロ | URL | uaIRrcRw
これはおもしろい
勉強になりました!
( 2010年04月25日 15:18 [Edit] )
びんみん | URL | j549y3BY
面白い講座でしたね
新之介さん、こんばんは。
こうやってまとめていただけると非常に分かりやすくなります。
先日、高井田のあたりに行ってきました。
弥生時代中期には最先端だったのですね。
考えてみれば、淀川本流、大和川本流は真っ先に土砂が堆積していくわけですから、淀川筋、大和川筋に岬が伸びていき、そこは河川交通の京都・奈良への玄関口という意味で最先端。その最先端が土砂の堆積につれて移動していく、というイメージが浮かびました。淀川筋、大和川筋には時代ごとの最先端が連なっていると思うと楽しくなります。
( 2010年04月25日 20:31 [Edit] )
ゼク | URL | q1cvaNjE
僕は建築の仕事をしていたのでなんとなく分かります。
吉志部神社のあった場所から北に行けば基礎工事の時に出る
土は上質のマサ土ばかりです。これは元々の山だったことが
わかります!しかしJR吹田駅より南で掘れば砂しか出てきません。
もちろん東淀川区も淀川区もほとんどが砂です。
元々の山か、川が砂を運んできたか一目瞭然でした!
( 2010年04月25日 23:26 [Edit] )
ばんぼう | URL | t/Klp7tQ
エキサイティングな話ですね。
みなさんの考察もすごい。
淀川区は砂だったのかぁ。。
私は4月から名古屋に転勤しました。
こういった話を聞くと大阪が恋しくなります^^
先日訪問した60代のお客さんは蛍池に住んでおられたとのことで、当時は山だらけとの事。
なるほど絵を見ると大昔から陸地です。
太古の関西は、今では能勢の山深いような場所が、集落として安心して暮らせたかもしれませんね^^
( 2010年04月27日 01:22 [Edit] )
| |
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
( 2010年04月27日 15:41 )
新之介 | URL | sDz630us
TOSSYさん
僕はたぶんクラゲだった… ^^
コイチロさん
ありがとう ^^
びんみんさん
おっしゃる通りかもしれませんね。
最近は特に大和川に興味を持ち出しました。
「アースダイバーへの道」の影響かも ^^
ゼクさん
なるほど、さすが地面の下に詳しいですね^^
吉志部神社って行った事ないです。
あの辺りを散策してみたい。
今度行きますか ^^
ばんぼうさん
名古屋の転勤ですか。
大阪の情報はこれからもガンガン発信していきますよ。
体にお気をつけて頑張ってください!
( 2010年05月02日 02:26 [Edit] )
ゼク | URL | q1cvaNjE
吉志部神社は残念ながら2年位前に全焼しました・・・。
場所は吹田のジャパンの近くですが・・・。
僕も燃える前に見たかったです!
( 2010年05月05日 01:27 [Edit] )
ぷにょ | URL | uKGckxQo
こんにちは
お久しぶりです。
私もあとからこの講座のことを人に聞きました。
あぁ行きたかったな。こういう話大好き。
そしてさくっとアニメーションにしたりできるのはすごいですねぇ。
( 2010年05月07日 02:43 [Edit] )
新之介 | URL | sDz630us
ゼクさん
そうか!
火事のニュースは覚えています。
そうか、それが吉志部神社だったのか。
いま繋がりました。
残念です。もったいない。
ぷにょさん
めっちゃ面白かったですよ^^
週刊現代でも大阪アースダイバーの連載が
夏頃から始まるそうなのでお楽しみに。
ぷにょさんの記事もいつも楽しみに見てますよ~
「どこまで行ってるんですか!」って突っ込みながら ^^
http://blog.goo.ne.jp/punyor
( 2010年05月07日 16:10 [Edit] )
おしとわかゆ | URL | -
「難波の堀江」自然説?
いつも大阪アースダイバーシリーズ、ワクワクしながら楽しく拝見しております。
「弥生時代中期(約2000年前)のイラストの解説で難波の堀江が自然の力で切断された説の図か」と有りますが、縄文後期~弥生中期までは河内潟の時代なので河内湖(潟)と大阪湾とは繋がっていました。従ってイラストは「自然の力で切断された説」でもなんでもないと愚考します。もう少し時代が下がり河内湖に仁徳天皇が難波の堀江が開削されたと思います。このほうがロマンがあります。それから「平野区誌」にはもう一時代古い2万3千~2万年前までの大阪湾が干上がっているイラストも掲載されていたと思います。そのイラストもアップされて、そんな時代もあったことをアピールしてください。
今後も楽しい記事宜しくお願いいたします。
( 2010年09月14日 12:55 )
新之介 | URL | sDz630us
おしとわかゆさん
なるほど。
おしとわかゆさんの解説の方がロマンがありますね。
おっしゃるように一番古いイラストは省略しています。
機会があれば追記しておきます。
( 2010年09月20日 20:07 [Edit] )
jumgon | URL | QeQ6CiJU
縄文時代前期の後半(約5500年前)の地図
はじめまして。私、南河内・奈良を中心に古代史ブログを書いているものです。
6月20日の朝日の夕刊に「知遊自在 地図を歩く」という記事に縄文時代の大阪の地図が載っていました。
白黒でわかりにくく、どこかにこれと同じ地図がないかと探していたらこらにたどり着きました。
本当に勝手で申し訳ないのですが、苦労の結晶のオリジナル地図もお借りして記事を書かせて頂きました。
( 2011年06月21日 23:36 [Edit] )
新之介 | URL | sDz630us
jumgonさん
私の著作物の地図ではありませんので
ご自由にお使いくださいといいきれないないところをお察しくださいませ… ^ ^
( 2011年06月28日 01:36 [Edit] )
のだどおり | URL | j6kuDoQ.
地図画像
はじめて書き込みをします。変遷が分かってたいへん参考になりました。私は弥生代から古墳時代の地図画像を探していました。
ここにUPされた画像ですが、「大阪の歴史書ではよく出てくるイラスト」と書かれていますが、具体的な書名を教えていただけると助かります。
( 2014年05月02日 09:23 [Edit] )
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