2010年04月19日 08:00
戸ノ内とモスリン大橋と
十三のねえちゃんと

庄本から旧猪名川を渡って戸ノ内に向かいます。

橋のたもとに古そうな石灯籠が。

金比羅大権現常夜燈といって弘化4年(1847)の年号が刻まれています。

詳細はこちらを。

橋を渡れば尼崎市戸ノ内。
昔は橋の西側を椋橋西荘(くらはしにしのしょう)、
東側を椋橋東荘と呼んでいたようです。

高野山真言宗 治田寺(じでんじ)。
椋橋荘総氏寺とあるだけに由緒ある寺です。

創建が天平十二年開基と刻まれた石碑が残っているので
740年といことは1200年以上前にさかのぼります。

境内には古そうなものがいろいろありそうです。

治田寺の横の道を入って行くと神社が見えてきます。

素盞嗚神社。由緒が書かれた板が掛かっていたのですが
文字が薄くなってほとんど読めませんでした。

戸ノ内の北端に大きな楠があったので、誘われるように歩いて行くと

こんな蔵が残っていた。

左の土手は旧堤防跡かな?っと思ったのですが、
旧地図を見るとこの北側に広大な田園が広がっていました。
現在は猪名川か開削されてまったく変わってしまいましたが…

現在の戸ノ内は猪名川と旧猪名川に挟まれた場所。

この猪名川の下流対岸に旧神崎村があります。

平安時代の神崎や対岸の蟹島(加島)、江口は水上交通の要所であったので、
歓楽街として賑わったと言われています。
旧神崎村の外れに遊女塚が残っています。
さて、

昭和4年の地図です。戸ノ内の南側に毛斯倫工場が見えます。

現在、工場はなくゴルフ場になっています。
実は毛斯綸紡織という会社は昭和4年には倒産(合同毛織として)しており、
その後、いろんな会社の工場としてこの場所が使われていました。

ということもあり当時の遺構らしき物は皆無です。
この古そうな壁はいつの時代のものなのでしょうか?

唯一、ここにモスリン(毛斯綸)大橋という名前の橋が残ったわけです。
元々毛斯綸紡織の私設の橋だったのです。
先日お亡くなりになった藤田まことさんの大ヒット曲、
「十三の夜」の歌詞にもモスリン橋は出てきます。作詞作曲もご本人です。
♪
園田離れて 神崎過ぎりゃ
恋の花咲く 十三よ
やがていつかは結ばれる
娘(ねえ)ちゃん 娘ちゃん
十三の娘ちゃん もすりん橋を
今日は二人で 渡ろうよ
♪
ちょっと切ない昭和な曲ですね。

橋のたもとにモスリン橋という名の交番が。

ちょっとええ感じ。

モスリン大橋を渡ると高野山真言宗 富光寺(ふっこうじ)があります。

ちなみにウチの家は富光寺さんの檀家です ^^
より大きな地図で 洲到止~庄本 を表示
(関連記事)
『加島とクスノキ』←昔のモスリン橋の写真があります。
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十三のねえちゃんと

庄本から旧猪名川を渡って戸ノ内に向かいます。

橋のたもとに古そうな石灯籠が。

金比羅大権現常夜燈といって弘化4年(1847)の年号が刻まれています。

詳細はこちらを。

橋を渡れば尼崎市戸ノ内。
昔は橋の西側を椋橋西荘(くらはしにしのしょう)、
東側を椋橋東荘と呼んでいたようです。

高野山真言宗 治田寺(じでんじ)。
椋橋荘総氏寺とあるだけに由緒ある寺です。

創建が天平十二年開基と刻まれた石碑が残っているので
740年といことは1200年以上前にさかのぼります。

境内には古そうなものがいろいろありそうです。

治田寺の横の道を入って行くと神社が見えてきます。

素盞嗚神社。由緒が書かれた板が掛かっていたのですが
文字が薄くなってほとんど読めませんでした。

戸ノ内の北端に大きな楠があったので、誘われるように歩いて行くと

こんな蔵が残っていた。

左の土手は旧堤防跡かな?っと思ったのですが、
旧地図を見るとこの北側に広大な田園が広がっていました。
現在は猪名川か開削されてまったく変わってしまいましたが…

現在の戸ノ内は猪名川と旧猪名川に挟まれた場所。

この猪名川の下流対岸に旧神崎村があります。

平安時代の神崎や対岸の蟹島(加島)、江口は水上交通の要所であったので、
歓楽街として賑わったと言われています。
旧神崎村の外れに遊女塚が残っています。
さて、

昭和4年の地図です。戸ノ内の南側に毛斯倫工場が見えます。

現在、工場はなくゴルフ場になっています。
実は毛斯綸紡織という会社は昭和4年には倒産(合同毛織として)しており、
その後、いろんな会社の工場としてこの場所が使われていました。

ということもあり当時の遺構らしき物は皆無です。
この古そうな壁はいつの時代のものなのでしょうか?

唯一、ここにモスリン(毛斯綸)大橋という名前の橋が残ったわけです。
元々毛斯綸紡織の私設の橋だったのです。
先日お亡くなりになった藤田まことさんの大ヒット曲、
「十三の夜」の歌詞にもモスリン橋は出てきます。作詞作曲もご本人です。
♪
園田離れて 神崎過ぎりゃ
恋の花咲く 十三よ
やがていつかは結ばれる
娘(ねえ)ちゃん 娘ちゃん
十三の娘ちゃん もすりん橋を
今日は二人で 渡ろうよ
♪
ちょっと切ない昭和な曲ですね。

橋のたもとにモスリン橋という名の交番が。

ちょっとええ感じ。

モスリン大橋を渡ると高野山真言宗 富光寺(ふっこうじ)があります。

ちなみにウチの家は富光寺さんの檀家です ^^
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コメント
pinboke_planet | URL | nJ6t.gCE
1950年の2学期から尼崎市立園和小学校に転校してきました。
当時は戸の内地区も校区でしたのでモスリン橋から飛び込んで泳いだとか・・よくその変わった橋の名前を聞きましたが、布のモスリンが由来とはこのブログではじめて知りました。
( 2010年04月19日 10:02 [Edit] )
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( 2010年04月19日 11:57 )
新之介 | URL | sDz630us
pinboke_planetさん
園田時代は園和小学校でしたか。
この辺りの川の流れも気になってます。
旧河川の残像が今でも残っていますね。
ムズムズ…
( 2010年04月20日 16:12 [Edit] )
まさる | URL | dvUYBDnY
モスリン橋
藤田まことさんの「十三の夜」は大好きな曲で
大阪を歌った名曲やと思います。
モスリン橋も気になっていました。
これがそうなんですね、見れてうれしいです。
( 2010年04月21日 07:17 [Edit] )
びんみん | URL | j549y3BY
モスリン橋
って最初に地図で見たときから行ってみたくなるような橋の名前でした。
ご紹介いただいてありがとうございます。
大きな楠と蔵のある風景、むっちゃいいですね。
( 2010年04月21日 23:31 [Edit] )
pinboke_planet | URL | nJ6t.gCE
十三の娘ちゃん
十三の娘ちゃんって、たくさんあったアルサロ(いまならさしずめキャバクラ?)のネ~チャン(チャンにアクセント)かと思っていました。
もとナポレオンの帽子で有名?なキャバレー経営者の娘さんの居宅を買って、現在妹一家が住んでいます。
( 2010年04月22日 12:16 [Edit] )
kotaro | URL | 8nGiSIKA
ええ記事になりましたな
前回、わたしがつけたコメントが良い記事になり、喜んでおります。
「十三の夜」も久しぶりというか、3番までちゃんと聴いたのは初めてかも知れません。
実は私もこんな風に日記空間で書いていたのです。
http://www.kanshin.com/diary/2133613
参照記事の3、「大先生」のブログはそう、
新之介さんがリンクした記事中にあるトピに出てくる
コラムの筆者に違いないと思います。
藤田さんが今年亡くなって、その日だけの追悼記事は
新聞に出たでしょうが、こんな風にあちこちのブログで
偲んであげられる、これはいいことです。
しばらく風化しないから。
藤田さんは豊中の北桜塚に住んでいたこともあり、阪急
宝塚線で「十三通い」していたのかな? 大スターは
お迎えの車でしょうけど。
その頃、亜細亜製薬の「ベルベ」のCMに出ていて、この
会社が豊中にあったということも、最近気付きました。
さすがに「ベルベ、ちゅちゅちゅ」は知らないでしょうね。(笑)
( 2010年04月24日 07:48 [Edit] )
新之介 | URL | sDz630us
まさるさん
モスリン橋って十三からも離れてるし
へんぴな場所にある橋です。
藤田まことさんがなぜ歌詞にこの橋の名前をつけたのか?
十三の娘ちゃんは実話なのかも…^^
びんみんさん
この蔵のある風景はいいでしょ。
戸の内の中心地はほとんど家が建替えられていて
古い町並みがあまりなかったのですが、
ここに残っていました。ちょっとうれしい。
pinboke_planetさん
十三の娘ちゃんはキャバレーのホステスさんじゃないのかな~と
漠然とおもっています。といっても
僕はアルサロもキャバレーも行った事がないので
違いのニュアンスは微妙ですが…^^;
妹さんのお話はびっくりです ^^
kotaroさん
「ベルベ、ちゅちゅちゅ」は知りません ^^
藤田まことさんは十三という街を愛してくださった方ですね。
亡くなられた後、十三栄町商店街の中に簡易祭壇がもうけてられてた。
十三のテンキッちゃんが記録を残してくださっています。
http://blog.goo.ne.jp/tenkichi781224/e/07fcd9781ece932a0d875e4be6dc50f5
( 2010年04月25日 12:14 [Edit] )
pinboke_planet | URL | nJ6t.gCE
戸ノ内の醤油醸造元のお嬢さん
戸ノ内と言えばやはり今でも時々思い出します。
園和小学校へ転校したとき、二人連結の机の隣の席の女の子が戸ノ内の醤油醸造元のお嬢さんでボクの姉と同じ名前でした(苗字は上田さん)。
小学校卒業後彼女は本町の相愛中学校へ入学したので、わずか二学期間でしたが、とても慕ってくれた懐かしい思い出があります。
何十年も経って古いアルバムを見たとき、遠足や修学旅行の集合写真のボクの真後ろにいつも彼女が写っていることに気づきました。
卒業後何ヶ月かして家の外の路上で自転車の掃除をしているとき、何十メートルか先の戸ノ内方面へ曲がる路上で立ち止まってこちらを見ている女子中学生に気づきました。
少し大きめの制服で、カバンを重そうに両手で提げた彼女でしたが、なんとなく恥ずかしくて気づかない振りをして既に終わっていた自転車の掃除を続けていました。
なぜあの時振り向いて、せめて手を上げて挨拶だけでもしなかったのかと・・いまでも時々胸が痛みます。
園田中学で一番親しくなった友人のお兄さんが、その醤油さんへ勤めていることを知って驚きましたが、友人にはなにも話しませんでした。
( 2010年04月29日 21:47 [Edit] )
新之介 | URL | sDz630us
pinboke_planetさん
戸ノ内に醤油の醸造元があったとはビックリ!
ほとんど知られていないのではないでしょうか。
調べてみたくなる。
( 2010年05月02日 02:33 [Edit] )
pinboke_planet | URL | nJ6t.gCE
>>妹さんのお話はびっくりです ^^
書き漏らしていましたがもちろん十三です。
ヒントは「かに道楽」近くの3階建て・・・
( 2010年05月02日 11:29 [Edit] )
Empizzo | URL | X/aoCwEI
醤油工場
ありました。
お示しの地図の青字「猪名川」の上にある工場記号、
そこが醤油工場でした。
子供の頃、その前を集落側からも嗅ぎ、
猪名川(旧猪名川)の土手からも嗅ぎ、
その黒い塀になにか近づきがたいものを感じておりました。
戸の内は私の幼いころの育ちの場でした。
かえすがえすもディテールに感じ入ります。
アップを感謝申し上げます。
( 2010年07月16日 21:46 [Edit] )
Empizzo | URL | X/aoCwEI
モスリン橋交番東に立っていた給水塔記号が地図でわかります
昭和4年の地図で見ますと、青字で「毛斯綸工場」という表記があって、
その下に工場の建物が、そのすぐ下に「給水塔」の地図記号が見られます。
私が子供の頃の記憶でも昭和30年代後半までは少なくとも
建っていた記憶があります。その後の団地などに設置されたデザインに通じるコンクリート製の円筒でした。高さは25mくらいあったのではないでしょうか。
ご紹介の「モスリン橋交番」の向かって右の道のさらに右のスペースです。
交番の裏には池があり、そこで遊んでいて、胸まではまった、苦い記憶もあります。
( 2010年07月17日 12:01 [Edit] )
Empizzo | URL | X/aoCwEI
塀の思い出と塀の中の空間
〉この古そうな壁はいつの時代のものなのでしょうか?
昭和4年の地図で毛斯綸工場の東北辺縁を囲むように塀のラインが見えます。
まさにこのお写真はその北端の塀ですね。
東西に100m弱ありますね。
私はこの塀に登って、幅30cm程の塀上を歩いたりして遊びました。
写ってはいませんが、このお写真の背後のクランクになっている、
工場側にはお稲荷さんが建っていました。
そのお稲荷さんは工場のまさに北東端に鎮座し、
工場の発展を祈るために建立されたと思います。
まさに毛斯綸工場はある種の神社のような構成をなしていたのだと思います。
塀の上から降りてはお稲荷さん、当時はもう廃墟化していましたが、
そこで遊びました。
毛斯綸工場の土地はゴルフ場になる前は完全な更地でした。
セイタカアワダチソウが繁茂する不思議な空間でした。
子供の私はゴルフ場ではなく、この空き地ににこそ
戸ノ内小学校を設置すべきであろうと、子供ながらに思ったものでした。
いかんせん、園田東小学校(昭和37年開校)が戸ノ内の子供たちを
全員受け入れていましたから、無理だったのですが。
それと、この土地の真ん前にはかの神崎新地が煌々たる繁栄を見せていたのですから、
当然教育施設の設置は難しかったろうと思います。
たいへんなつかしく、止めどなく思い出が蘇ります。
( 2010年07月17日 22:48 [Edit] )
新之介 | URL | sDz630us
Empizzoさん
とても貴重なコメントありがとうございます。
醤油工場の場所もわかりました。
工場の敷地内のお稲荷さん、とても興味深いです。
給水塔があった場所は行った当時は更地になっていました。
橋のたもとに地蔵尊があったので写真を撮っています。
http://blog-imgs-42.fc2.com/a/t/a/atamatote/IMG_2468_2.jpg
戸ノ内は新地があったこともあるのですが、
行ってみてイメージがまったく変わってしまいました。
とても歴史のある、由緒ある地域だという事を再認識しました。
もっと昔の事を知りたくなる地域だと思います。
( 2010年07月19日 00:27 [Edit] )
Empizzo | URL | X/aoCwEI
神崎新地は子供から見ても綺麗な場所でしたが「夜」の世界なんですよね
新之介さん
ご紹介のお写真の、パワーショベルの止まっているあたりが
給水塔の位置ではないかと。
ただ、解体撤去されたのはもう40年くらい前かと思います。
神崎新地は私が幼い頃、新地のど真ん中にある銭湯へ行く時、
だいたい午後6時ころでしょうか、
子供ながらにも美しいきらびやかなパープルやライトブルー、
ピンクのイルミネーションに照らし出されていました。
一つ一つの「家」の間口には打ち水・盛り塩・・。
その前の椅子には年配の女性が割烹着を着てご案内係をされていたのでしょう。
奥のかまちのところには、化粧をヘビーにされた女性たちがたくさんおられました。
子供ながらに、大人たちが遣う女性たちの俗称をなにか良くない呼び方と思いつつ、
女性たちや光の変化を見ておりました。
独特な新地の建物は今も工場とかにそのまま使われていますので、
2階部分の欄干や特殊な窓の形状を見ることは可能と思います。
( 2010年07月19日 08:20 [Edit] )
新之介 | URL | sDz630us
Empizzoさん
なるほど、当時の描写がとても興味深いです。
僕はあえて新地の事には触れなかったのですが、
実際に近くに住まわれてたEmpizzoさんのコメント、
とても貴重な記録だと思いました。
写真は撮らなかったですが、街を歩いていて
当時の面影を残す建物はいくつか見つけました。
これも歴史の1ページですね。
( 2010年07月22日 23:33 [Edit] )
kotaro | URL | 8nGiSIKA
北摂つながりということで リクエスト
戸の内の記事、まだまだ証言が出て来そうですね。
ところで最近、池田から川西に足を延ばしています。
まずは能勢電の最初の駅の、絹延橋。これがこのひと月で
架け替えが終わり、昭和の初期に架かった橋がもうすぐ
解体されそうです。
それから市内に入って行くと、古い洋館の残る火打2丁目。
ここにあるハナレという大きな民家を改造したスポットに
「月刊ビル」を買いに行きました。
ビルマニアの人たちは今週末に「味園」でビヤガーデンを
やりますよ。
来られませんか?
http://bldg-mania.blogspot.com/
実は火打は川西で歴史の古い場所だとにらんでいます。
背後の山に神社と古墳があり、池田の伊居太神社との
共通性に、帰化人の影響があるのではと、ひとり
松本清張ばりに歴史推理しているところです。
天神祭で祭り疲れの今週かもしれませんが、味園の
話題は、ちょっと面白いかも(笑)
( 2010年07月27日 02:27 [Edit] )
新之介 | URL | sDz630us
kotaroさん
川西方面、特に能勢電は関心があります。
機会があればいくかも…
「味園」でビヤガーデンは残念ながら行けませんでした。
ブログ仲間達はみんな集まって行ってました。
kotaroさんとも一度どこかでお会いしたいですね ^^
( 2010年07月31日 22:41 [Edit] )
kotaro | URL | 8nGiSIKA
宝塚線100年記念シンポジウム
7月31日に宝塚ホテルで開催されました。
沿線住人+阪急ファンの老若男女500名の前に
社長以下、幹部らがずらり。もちろん壇上にいるのは
学識者や自治体首長らですが、これは結構面白かった。
一言で言うと、「もう一つの株主総会」。
質疑も切り込みもありました。
鉄ピク筆者として、私も興味がありました。
株主優先の企業会計は、米国流の模倣ですが
こっちの方が、本音の総会です。
大体、一鉄道企業の、100年記念イベントに、500人にも
のぼる沿線住民が、足を運ぶなんて、他にありますか。
未だに強い小林一三の人気と、沿線文化意識の高さは
日本一だと思います。
十三人さんも来られてるかなと思ったのですが。
( 2010年08月03日 23:51 [Edit] )
新之介 | URL | sDz630us
kotaroさん
まったく知りませんでした。
とても興味深いです。
たしかに阪急沿線の方々は阪急が好きですよね。
他の私鉄と較べたわけではないですが
とてもそれを感じる。
「阪急」が持つブランド力ですね。
( 2010年08月07日 17:55 [Edit] )
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このコメントは管理人のみ閲覧できます
( 2011年11月13日 20:16 )
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( 2012年02月14日 13:28 )
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