このエントリーをはてなブックマークに追加

庄本・椋橋総社

2010年04月08日 08:00

住民が守った鎮守の森 
庄本・椋橋総社


IMG_3930_2.jpg
豊中・庄本町にある庄内西小学校の横の緑地で
桜がきれいに咲いていました。

IMG_3933_2.jpg
ふと見ると、何やら石碑が。
ここは庄本南水門跡。昔はここに洗い場や船だまりがあって、
庄本村にとってとても重要な場所だったようです。

IMG_3939_2.jpg
庄本も神崎川と深く関わっていた地域だったようですね。

さて、
IMG_3998_2.jpg
庄本の中心にやってきました。
椋橋総社の大鳥居からまっすぐ広い参道がのびています。

IMG_4092_2.jpg
途中に光國寺があります。

IMG_4019_2.jpg
中をのぞくと何やら石碑が。

IMG_4018_2.jpg
萱野三平の文字が見えますね。
萱野三平の姉が光國寺に嫁いだ縁があるからだとか…。
新福寺に萱野三平のお墓がありましたね。

IMG_4004_2.jpg
向こうにこんもり大きな森が見えます。

IMG_4024_2.jpg
鎮守の森って感じ♪ 椋橋総社です。

IMG_4028_2.jpg
椋橋総社は「くらはしそうしゃ」と読みます。
最初「むくはし」だと思った ^^;

IMG_4078_2.jpg
由緒は読みやすいように大きくアップしています。

IMG_2411_2.jpg
この日はお宮参りの方がいた♪

IMG_2416_2_20100407010848.jpg
境内の入り口に鯉の池があります。

IMG_2410_2.jpg
この地域では昔から鯉は氏神の使いと考えられていて、
いっさい食べなかったそうです。

IMG_4057_2.jpg
境内に鯉塚があります。

IMG_4054_2.jpg
池の鯉が死んだら昔からここに埋められたようです。

IMG_4053_2.jpg
もうひとつ、気になる石碑があります。「神前松原遺跡」の碑。

IMG_4051_2.jpg
神功皇后(じんぐうこうごう)が新羅を討つためにご加護を祈った場所だとか…
話が古すぎてよう分からんけどね ^^;

shomoto_03.jpg
昭和4年の地図です。

shomoto_02.jpg
現在の地図と重ねると

shomoto_01.jpg
こんな感じ。


より大きな地図で 旧洲到止村~庄本 を表示

IMG_4060_2.jpg
椋橋総社は大きな樹に囲まれた、
とても静かでええ感じの神社です。
まさに鎮守の森。

でも、この神社の敷地を削って、
前に大きな幹線道路が通る計画がありました。


IMG_2423_2_20100407010434.jpg
実はこの神社の間際まで大きな幹線道路が完成しています。
「山幹通り」です。「山手幹線」とか「ヤマカン」とか呼ばれていますね。

IMG_3868_2.jpg
この道路は国道176号線まで繋がる予定だったのでしょう。
完成すると神戸方面から豊中まで一本で繋がるわけです。
しかし、反対運動が起こって地主達は土地の買収に応じなかった。
住民の結束が昔ながらの庄本の風景を守った訳です。
ちなみに左の森が椋橋総社です。

IMG_2427_2.jpg
僕はこれって凄いと思った。
大阪市内ではまだまだ新しい道路が作られており、
道路と道路がどんどん繋がってる。
それってすごく便利なんだけど、
その代償に昔ながらの町が削られているわけです。

賛否両論あるかもしれないけど、
僕は庄本の町に幹線道路が出来なかった事を知って
少しだけ嬉しく思いました。


(関連記事)
住民が守った鎮守の森、庄本・椋橋総社2010.04.08
庄本・椋橋総社のふとん太鼓2012.10.15


ポチッと、応援よろしく♪
bahiru_wink3.gif
スポンサーサイト





コメント

  1. Mijanpona | URL | -

    庄本椋橋神社

    2度目のコメントです。
    庄本から洲到止、大島町、楽しく拝見しました。こういう古地図と合わせて歩く企画が好きです。これからもお願いします。
    私は、海老江生まれで庄内在住です。震災までは能勢街道に面したところに住んでいました。今も用事で岡町や十三に行ったときは、電車に乗らずに旧能勢街道を歩いて帰ることがあります。
    昔、1970年代に郵便配達のアルバイトをしたとき、庄本を担当しました。郵便物の多い家の名字と位置は記憶していましたが、さすがもうほとんど忘れました。でも比屋根という珍しい名の家が2軒あったことと大体の位置は覚えています。椋橋神社にも庄内西小学校にも配達しました。庄内西小学校の南に千原牧場というところがあり、牛の匂いがしました。
    道路に関するご意見はまったく同感です。椋橋神社の前に広い道路ができなくてほっとしています。生まれ故郷の海老江は、道路拡張と高速道路で古い長屋街が破壊されて、町が分断され人口が減って、さびれた感じがします。淡路もどうなるか心配です。

  2. なおき | URL | -

    新之介さん ご無沙汰です。
    ところで、昨日の夜のテレビで特集してた 阪急新線計画 観ました?(笑)
    十三ー新大阪ー淡路間や新大阪ー神崎川間の計画は知ってましたが、曽根ー神崎川間の構想は知りませんでした。曽根駅南側の構造には(線路か建造物か何かはわかりません)が、神崎川まで線路をのばす予兆?があるみたいです(笑)

  3. 新之介 | URL | sDz630us

    Mijanponaさん

    庄内西小学校の南に牧場があったのですか。
    牧場の場所とは違うと思いますが
    小学校の南側に旧道跡が残っています。
    その旧道沿いを水路も流れていたようで
    旧地図を見ながら楽しんでいます。
    ちなみにこの場所。
    http://blog-imgs-42.fc2.com/a/t/a/atamatote/IMG_3923_2.jpg
    右のフェンス沿いが道だったのではないかな…

    海老江は個人的には好きな町。
    特に祭りの日は好きでよく行ってます。
    いい町ですね。





  4. 新之介 | URL | sDz630us

    なおきさん

    ビーバップ!ハイヒールですね。
    たまたま見てました ^^

    「阪急大環状線計画」にはたまげた!
    でもあり得るのかな?
    出来たら面白いけど…^^

  5. kotaro | URL | 8nGiSIKA

    桜吹雪

    昨日、あのあたりを通ったら、川沿いでは見事な桜吹雪が舞っていました。
    自動車だったのですが、モスリン工場の跡はゴルフ練習場のようですね。
    モスリン橋は、渡り損ねたのですが、先日亡くなった藤田まことさんが
    歌う「十三のねえちゃん」の歌詞の中に出てくるって最近知りました。
    この歌も僕が大学生だった30年前には、学友と阪急で帰る時に、
    「夜来香(イエライシャン)」だのこの歌を面白がって歌うほど、
    十三はコアな夜の観光地だった思い出があります。

    全く話は変わって、椋をムクと読まずにクラと読むのは、小椋(おぐら)
    姓が代表的ですね。
    ここでピンと来ていただければ幸いですが、木地師、山の民について、
    ご存知なければ、是非、柳田国男を読まれてください。
    くらはしの由来に付いて、何らか関係があるなら、それはまた興味深い
    ことですね。

  6. jack77betty | URL | -

    曽根→神崎川

    >曽根ー神崎川間の構想は知りませんでした。曽根駅南側の構造には(線路か建造物か何かはわかりません)が、神崎川まで線路をのばす予兆?があるみたいです(笑)(なおきさん)
     横RES失礼します。
     銭後まもなくにこの路線は一度計画されています。 
     「実質的には宝塚線の複々線化といえる計画で、神崎川~曽根間の新線建設とあわせて神戸線十三~神崎川間と宝塚線曽根~豊中間を複々線化し、宝塚線十三~豊中間の急行線とすることが考えられていた」(未来鉄道データベース)
     曽根駅を出てすぐの大阪へ向かうカーブがきつすぎて無理やり曲げたという感じです。
     地図を見れば一目瞭然ですが、普通に岡町から直進していればその延長上が神崎川です。
     カーブはスピードの大敵ですので、こちらを急行線にと考えたのは頷ける所です。

  7. 新之介 | URL | sDz630us

    kotaroさん

    モスリン工場があった戸の内は次回くらいに記事にする予定です。柳田国男氏の本はたぶんいつかどこかで読むと思っています。ただまだ余裕がありません ^^。でもたぶん、読むと思います。とても関心があります。


    jack77bettyさん

    なるほど。
    いつもの明治18年の測量地図でも確認しましたが
    曽根駅から神崎川駅の延長線上には旧村もなく
    おそらく土地の買収も可能だったかもしれませんね。
    ただ、この路線には村がない ^^。旧穂積村があるくらいです。
    そういう意味では、曽根駅から旧カーブで服部、庄内を抜けた方が
    はるかに人口が多い。能勢街道ですもんね。
    スピードよりも経営を考えての作らなかったのかもしれませんね。

  8. めぐみ | URL | cRSUyBrY

    わぁ庄本が紹介されている。私は庄本生まれ庄本育ちで現在も実家が鳥居と椋橋総社の間にあります。庄本は田舎だなんて言われますがこうして記事にしていただけると嬉しいものですね。
    私は庄本は治安もよく豊中南のわりには品がありすきなのです。

    私が確か小学生の頃かな!? 幹線道路の完成に向け阪急庄本駅を作るなんていう計画もあったようです。それも地主さん達の大反対で無くなったようですが、幼い私は都会に住むことに憧れていたので駅ができたらいいのになぁなんておもっていました(笑)
    庄本は今の時代じゃ珍しく、若い子も近所づきあいを大事にする街です。

    みんな一年に一度の秋祭りが大好きで、住人であることを誇りに思っています。
    毎年10月13日・14日に大きなお神輿が出ますので是非見に来てください。年々担ぎ手が減っていますがかなりの迫力ですよ。



  9. jack77betty | URL | -

    re:曽根→神崎川

    超の付く亀RESですが、トピックがたまたま上に出ていましたので書いてみます。
    >ただ、この路線には村がない ^^。旧穂積村があるくらいです。
    そういう意味では、曽根駅から旧カーブで服部、庄内を抜けた方が
    はるかに人口が多い。能勢街道ですもんね。
    スピードよりも経営を考えての作らなかったのかもしれませんね。(新之介さん)

    開業の路線の設定の理由はおっしゃるとおりだと思いますが、その後
    >宝塚線十三~豊中間の急行線とすることが考えられていた」(jack77betty)
    追い抜きのための急行線を追加で計画ということですから、逆に(駅を作る必要のない)あまり人家のないところを通るのが好都合だったと思います。ご存知のように計画は実現せずに、宝塚線の輻輳は、後の複々線化によって避ける方法に変更されたようですが。

  10. 新之介 | URL | sDz630us

    めぐみさん
    庄本はとても素敵な町だと思っています。
    昔ながらのいいモノが残っているいる。
    人の心も昔と変わらず残っているのでしょうね。
    祭りは機会があれば見てみたいです。

    jack77bettyさん
    なるほど。そういう計画があったのですね。

コメントの投稿

(コメント編集・削除に必要)
(管理者にだけ表示を許可する)

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://atamatote.blog119.fc2.com/tb.php/411-e96d42f4
この記事へのトラックバック