2010年02月22日 08:00
大阪府指定文化財
野里住吉神社 一夜官女祭

2月20日、野里住吉神社で一夜官女(いちやかんじょ)祭が行われました。
これは、全国的にもたいへん珍しい人身御供(ひとみごくう)の神事で、
大阪府指定文化財に登録されています。区分は民俗文化財の行事になります。

簡単に解説しますとその昔、風水害と悪疫に苦しんだ村人は毎年定めの日に白矢の打ち込まれた家の娘を唐櫃(からびつ)に入れ深夜神社境内に放置しました。これが人身御供です。要は人間を神の生け贄にしたわけです。
7年目の準備をしている時、ひとりの武士がこの村を訪れ、自分が身代わりになるといい、コイ、フナ、ナマズ、餅、酒、小豆、干し柿、豆腐、大根、菜種菜と共に、神社に放置されました。
翌日、唐櫃は壊れ周囲が血に染まり、血の点々と続く跡をたどると、武士は中津川の下流、申(さる)村(此花区伝法)で絶命していました。その後村には風水害と悪疫が無くなり、村人は感謝の気持ちを込めて、そのことを神事として現在まで伝えているのです。

「西淀川今昔写真集」より
これは大正15年の一夜官女祭の写真です。貴重ですね。

場所はJR塚本駅の西側です。槲(かしわ)の橋というのは、旧中津川に架かっていた橋で、小さな石碑が残っています。

明治18年測量の地図を重ねると、こうなります。

中津川はよく氾濫していたので、人身御供の伝説も真実みがあります。
さて、

ここは姫里にある一夜官女祭當矢。
ここに7人の官女が待機していて、神主さん達が迎えに来られます。

當矢で儀式が行われ、そのあと神社まで行列が進んで行きます。

桶を担いでいるのが見えますが、この中にコイやフナ、ナマズ等の神饌(しんせん)が入っています。

官女達はご両親と共に歩いて行くわけですね。

先頭の方は笙(しょう)を鳴らしています。おごそかな雰囲気の行列です。

野里住吉神社に到着。

そのまま本殿に向かいます。

今年は休日と重なったので見物の方も結構多かった。

この担いでいるのが唐櫃なのかな。

本殿へは一般の人は入れませんので、外から覗き見。

神前に官女たちがちょこんと座ってました。

こちらで、厳かに神事が行われる訳ですが、

私は前からこの祭りのことは知っていましたが、見るのは今回が初めて。
祭という名前が付いていますが、どちらかというと神事が粛々と厳かに執り行われてといった感じでしょうか。

本殿では神事が行われていますが境内には人がなくなってしまった。

本殿の裏に、一夜官女の乙女塚があります。
ここには昔「龍の池」があって、そこに娘達が運ばれました。
とても悲しいお話ですが、そのことを今の時代まで語り継がれている
この一夜官女祭はとても心に残る祭りになりました。
より大きな地図で 一夜官女祭 を表示
一番下にある印が旧申村。昔は中津川の最下流域の村でした。
(関連記事)
『結構おもろい伝法』記事の内容は違いますが、広域地図を見ていただくと、野里村と申村の位置関係がわかります。
(追記)
西宮市の岡太神社でも同じような神事があるようです。一時上臈(いっときじょうろう)というそうで、西宮市指定重要無形文化財に指定されています。野里でも一時上臈と呼ばれていた時期があったようですし、地理的にも近いので、何らかの関係があったのかもしれませんね。
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野里住吉神社 一夜官女祭

2月20日、野里住吉神社で一夜官女(いちやかんじょ)祭が行われました。
これは、全国的にもたいへん珍しい人身御供(ひとみごくう)の神事で、
大阪府指定文化財に登録されています。区分は民俗文化財の行事になります。

簡単に解説しますとその昔、風水害と悪疫に苦しんだ村人は毎年定めの日に白矢の打ち込まれた家の娘を唐櫃(からびつ)に入れ深夜神社境内に放置しました。これが人身御供です。要は人間を神の生け贄にしたわけです。
7年目の準備をしている時、ひとりの武士がこの村を訪れ、自分が身代わりになるといい、コイ、フナ、ナマズ、餅、酒、小豆、干し柿、豆腐、大根、菜種菜と共に、神社に放置されました。
翌日、唐櫃は壊れ周囲が血に染まり、血の点々と続く跡をたどると、武士は中津川の下流、申(さる)村(此花区伝法)で絶命していました。その後村には風水害と悪疫が無くなり、村人は感謝の気持ちを込めて、そのことを神事として現在まで伝えているのです。

「西淀川今昔写真集」より
これは大正15年の一夜官女祭の写真です。貴重ですね。

場所はJR塚本駅の西側です。槲(かしわ)の橋というのは、旧中津川に架かっていた橋で、小さな石碑が残っています。

明治18年測量の地図を重ねると、こうなります。

中津川はよく氾濫していたので、人身御供の伝説も真実みがあります。
さて、

ここは姫里にある一夜官女祭當矢。
ここに7人の官女が待機していて、神主さん達が迎えに来られます。

當矢で儀式が行われ、そのあと神社まで行列が進んで行きます。

桶を担いでいるのが見えますが、この中にコイやフナ、ナマズ等の神饌(しんせん)が入っています。

官女達はご両親と共に歩いて行くわけですね。

先頭の方は笙(しょう)を鳴らしています。おごそかな雰囲気の行列です。

野里住吉神社に到着。

そのまま本殿に向かいます。

今年は休日と重なったので見物の方も結構多かった。

この担いでいるのが唐櫃なのかな。

本殿へは一般の人は入れませんので、外から覗き見。

神前に官女たちがちょこんと座ってました。

こちらで、厳かに神事が行われる訳ですが、

私は前からこの祭りのことは知っていましたが、見るのは今回が初めて。
祭という名前が付いていますが、どちらかというと神事が粛々と厳かに執り行われてといった感じでしょうか。

本殿では神事が行われていますが境内には人がなくなってしまった。

本殿の裏に、一夜官女の乙女塚があります。
ここには昔「龍の池」があって、そこに娘達が運ばれました。
とても悲しいお話ですが、そのことを今の時代まで語り継がれている
この一夜官女祭はとても心に残る祭りになりました。
より大きな地図で 一夜官女祭 を表示
一番下にある印が旧申村。昔は中津川の最下流域の村でした。
(関連記事)
『結構おもろい伝法』記事の内容は違いますが、広域地図を見ていただくと、野里村と申村の位置関係がわかります。
(追記)
西宮市の岡太神社でも同じような神事があるようです。一時上臈(いっときじょうろう)というそうで、西宮市指定重要無形文化財に指定されています。野里でも一時上臈と呼ばれていた時期があったようですし、地理的にも近いので、何らかの関係があったのかもしれませんね。
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コメント
鉄朗 | URL | mQop/nM.
リクエスト
リクエストに答えて頂きありがとうございました。
私も当日、阪神姫島駅から見に行ったのですが、
少し遅れたので、ちょうど2号線の商店街の出口で行列と遭遇しました。
行列につくか、神社に行くか迷ったのですが、神社に行き、
そして周辺の中津川の名残を見て回り、そのまま十三方面に帰ってしまいました。
私が見たときは幼女の官女はいなかったように記憶しております。最後尾に女子高校生は何人か着いていたのはみました。見落としたのかな。
でも、こちらのブログで詳しく紹介されましたのでよくわかり
感激しまいた。ありがとうございました。
( 2010年02月22日 17:22 [Edit] )
| |
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
( 2010年02月23日 07:22 )
ファジー | URL | UXr/yv2Y
私も、牧村史陽さんの「大阪ことば辞典」を読んで、このお祭りのことは存じていましたが、現在の様子を見るのは初めてです。非常に興味深く拝見しました。ありがとうござました。
( 2010年02月23日 22:11 [Edit] )
新之介 | URL | sDz630us
鉄朗さん
官女たちは行列の真ん中あたりにいましたが
みんなちっちゃいので隠れていたのかもしれませんね^^
昨年は平日で行けなかったのですが
今回は休日と重なってよかったです。
歴史を感じる神事ですね。
ファジーさん
地味な神事なのですが、とても奥が深いというか
貴重なものを見た感じがしました。
野里の歴史を感じます。
( 2010年02月24日 23:05 [Edit] )
鉄朗 | URL | mQop/nM.
詳しいレポート
ありがとうございました。
私が、官女を見ていなかったのは、官女たちを申村まで迎えに行く途中だったからですね。新之介さんのレポートで祭りの流れがよくわかりました。
司馬遼太郎さんの小説でも一夜官女という作品があり、少し変わった視点から侍、石見重太郎が描かれています。
申村でなくなっていたのは身代わりになった侍ではなく、
ヒヒか、別の侍という解釈ですね。
小説といえば、築山桂の大坂時代小説もおもしろいですよ。
( 2010年02月25日 14:40 [Edit] )
新之介 | URL | sDz630us
鉄朗さん
補足しますと、官女たちを迎えに行ったのは、申村でなく、姫里会館になります。たぶん書き間違いだと思うのですがごめんなさい。
さて、司馬遼太郎さんの小説は読んでいないのですが、
一夜官女の起こりは岩見重太郎の大蛇退治だという伝説があるようです。官女を生け贄にした「竜ヶ池」に大蛇が棲んでいてそれが村人達を苦しめていたとか。ある説では、大蛇ではなくヒヒだったとも。ただ、肝心の岩見重太郎は架空の人物のようです。
結局良くわからないのが、この話の面白い所でしょうか。それほど古くから伝わる話なのかも知れません…^^
( 2010年02月26日 00:03 [Edit] )
TOSSY | URL | mXJ0wlpU
歴史
歴史のあるお祭りですね
塚本って本当にいい町ですね
よく似た名前の神事が 鳴尾の小松の岡太神社にもあります
「一時上臈(いっときじょうろう)」といいます
http://www.nishi.or.jp/~gakkou/kyoiku/kenkyu/kataribe/naruo/pop17.html
やはり岩見重太郎が出てきます
あちらこちらに同じような祭があるのですね
コメントを入れておこうと思いながら 遅れて今書いていたら追記で岡太神社のこと書かれていますね
失礼しました
岡太神社には狛犬ではなく 狛猪がいます
平氏の小松大納言重盛の荘園だったという話です
( 2010年02月27日 14:58 [Edit] )
新之介 | URL | sDz630us
TOSSYさん
岡太神社の一時上臈とほとんど同じなんですよね。
とても面白いです。
余談ですが、TOSSYさんに以前柏里小学校の写真を借りましたが
地図を見るとちょうど槲の橋の所なんですね。
改めて、槲の橋ってどんな橋だったんだろうと
興味を持ち出しました。
とても大きな橋です。
( 2010年02月28日 23:09 [Edit] )
メロンパン | URL | -
なつかしい花川と野里
貴重な写真やたのしい記事、拝見しました。
10年近く前に、仕事の関係でこの写真をとられたあたりに住んでいましたが、
その後仕事で海外生活となりました。
以前このあたりに住んでいたのはたった3年の間なのに、妙になつかしく、自分の生まれた町よりも頻繁に、ふと「帰りたい」と思い出すところです。
今回、昔の写真と今の地図を重ねた図を見せて頂いて、初めて
中津川のことを知りました。
近隣の古い道路がみな斜めに流れるようについているのは、川の土手の線のなごりだったのですね。
大変なつかしく、とっても「納得」した1ページでした。ありがとうございました!
( 2011年02月01日 18:20 )
新之介 | URL | sDz630us
メロンパンさん
ありがとうございます♪
野里、花川は僕も好きな地域です。
機会があればまたこの地域の記事を書いてみたい。
最近地元ネタをほとんど書いていませんが…^^;
( 2011年02月02日 21:57 [Edit] )
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