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龍造寺町と安堂寺町

2010年02月11日 08:00

残された昭和、龍造寺町と安堂寺町

P1220477_2.jpg

龍造寺町と安堂寺町ってご存知でしょうか?
谷町六丁目から少し北に行った所にあるのですが、戦災を逃れた地域のようで
古い建物が点在して残っています。
リクエストをいただいていたのでちょこっと歩いてきました。

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普通の長屋のようですが、間に通路がありますね。

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トンネル通路です。

P1220316_2.jpg
奥は長そう。

P1220341_2.jpg
こっちにも路地がある。

P1220344_2.jpg
石畳がちょこっと残ってるなぁ。

P1220350_2.jpg
この階段もいい感じ。

P1220357_2.jpg
こっちはさっきとは違うトンネルです。

P1220365_2.jpg
この一角は迷路みたいな場所だ。

P1220441_2.jpg
この地域って結構高低差があります。いつの間にか下の方に来てしまった。

P1220338_2.jpg
この看板いいですね。ニッカ ウ井スキー

さて、
P1220416_2.jpg
ちょっと横道に入ってみたら古い長屋がありました。六軒長屋ですね。

P1220423_2.jpg
2階の窓が、1、2、3、4、5、6軒ある。

P1220438_2.jpg
この日はコンパクトカメラだったので画像がイマイチ。
デジイチでもう一度撮りに来たい場所です。

P1220326_2.jpg
こちらは宝泉寺。

P1220327_2.jpg
今回、地名の由来を調べていないのですが、
龍造寺町安堂寺町ってどこから来た名前なんでしょうね。
この地域で寺はここだけ。
昔にそういう名の寺があったのでしょうか。
ちょっと宿題!


より大きな地図で 龍造寺町と安堂寺町 を表示


ところで、
P1220311_2.jpg
こうして見ると、もっこりしてますよね。
この高低差、好きです。坂には人を引きつける何かがある。

P1220404_2.jpg
またアースダイビングしてみたくなってきた…。

P1220447_2.jpg
裏手にまた路地がありました。

P1220450_2.jpg
右の石垣がすごいでしょ。

P1220408_2.jpg
普通の民家なのですが、この石垣は何か怪しい。
昔、大きな屋敷があった名残なのかな?

P1220451_1.jpg
これも宿題だ。

P1220406_2.jpg
大阪平野って真っ平らなイメージがあるんだけど
上町台地に来ると「ああ大阪には坂があるだ」と改めて実感します。
坂ってどこか懐かしい大阪の風景なのかもしれないなぁ。


(おまけ)
P1220456_2.jpg
近くの角にええ感じの銭湯がありました。
いろは湯さん。まだ営業してるのかな。



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bahiru_wink3.gif
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コメント

  1. ゼク | URL | q1cvaNjE

    こんな素晴らしい場所があったのですね!!
    この高低差は川の跡と言うことはないでしょうか?
    それにしても昭和初期のかほりがプンプンしてきますね!

  2. チュウヘイ | URL | -

    龍造寺町と安堂寺町

    失われつつある風景ですが、
    やっぱり、長屋や路地(大阪弁でロオジ)は良いですね。

    数年前、本家・中沢新一氏も大阪をアースダイビングしてましたが
    発表されてるんでしょうか?

  3. ファジー | URL | UXr/yv2Y

    安堂寺町は、熊野街道の一部にもなっていましたので、先日訪問しましたが、竜造寺町は区画も小さく見落としてました。
    古い家並みが残っていますが、安堂寺のとおりは、訪れるたびに旧屋が取り壊され、マンションにその姿を変えていて、その様子を見るにつけ、ほんと悲しくなります。

  4. 奈良人 | URL | mQop/nM.

    初めまして。今までも閲覧させていただいていましたが、初めてコメントさせていただきます。

    趣があって素敵な一角ですね。空堀の辺りは歩いたことがありますが、龍造寺町付近はまだ行ったことがないので、初めて見ました。大阪市内でまだ「うだつ」が残っている家があることにびっくりしました。

    龍造寺町の由来は、豊臣政権下、肥前の竜造寺氏の屋敷がこの辺りにあったからと聞いたことがあります。

  5. Econ | URL | fsi09bqQ

    調べる楽しみを奪うようで申し訳ないですが……

    龍造寺町に関してですが、豊臣時代に肥前大名龍造寺政家の屋敷があったため付けられたようです。が、資料に乏しく本当かどうかは定かではないようです。
    鍋島直茂が龍造寺を実質的に支配するようになった頃もそのまま存続していたかは不明ですが、後の佐賀藩は玉造と天満に屋敷を持っていたため、存続していなかった可能性が高いと思われます。

  6. こぶたもち | URL | k5fca2wY

    龍造寺町

    かなりむかし、この町なかにあった
    デザイン事務所から仕事もらって、
    打ち合わせに行った記憶が。

    小さい印刷所とか、家内工業的な
    お家や会社が木造家屋で営業なさってた
    と思います。写真からみると、やはり
    マンションが増えてますね~。

    江戸時代の木造が残ってるのって、
    このあたりだったでしょうか??

    20年前、このあたりから谷町6丁目付近、
    大型ごみの日はけっこう骨董マニアには
    たまらない魅力あるエリアでした(笑)
    会社の先輩が時代物の木製あんかを拾ってきて
    喜んでたなあ==(遠い目)

  7. taKAKAku | URL | -

    (^Q^)/^

    ホーロー看板いいですね………;

  8. 新之介 | URL | sDz630us

    ゼクさん
    この高低差は、上町台地の高低差です。
    古代は坂の下は海だったようですよ。
    今の大阪城の当たりに大坂御坊があったそうですが、
    まさに坂のてっぺんのような場所でした。
    大坂の地名の由来はこの辺りの坂のようですよ。

    チュウヘイさん
    大阪のアースダイビングは結構難しいです。
    東京の地形と比べると変化が少なすぎるんです。
    本にしにくいのではないでしょうか。
    って、勝手な事言ってますが…^^;

    ファジーさん
    坂の写真は熊野街道ですね。
    おっしゃるようにあちこちで建築が行われていました。
    少し離れた場所ではかなり広い範囲で家が潰され、
    町内会ごと無くなってました。
    かなりショッキング!

    奈良人さん
    一枚目の写真はええ感じのうだつですよね。
    なるほど、肥前の竜造寺氏の屋敷ですか。
    寺ではなかったんだ。
    なんかすっきりしました!

    Econさん
    肥前大名龍造寺政家の屋敷。
    やはりそうなんですね。
    宿題といいながらどこから調べよかと思っていたので
    とても助かりました。
    古地図(1691)を見てみたのですが残念ながら見つけれなかった。
    もっと古いのを見ないとだめですね。

    こぶたもちさん
    確かに家内工業的な家が多かったような気がします。
    そういえば大ゴミの日が無くなりましたね。
    結構面白かったのに^^
    終戦後の航空写真です
    http://archive.gsi.go.jp/airphoto/ViewPhotoServlet?workname=USA&courseno=R500&photono=31
    この地域より南にかけて
    空襲を間逃れたようですね。
    探せばまだ残っている地域がありかも。


    taKAKAkuさん
    って、昨日あったばっかりやん!
    コメントサンキュー! ^^
    看板はホーローじゃないかもよ…^^;

  9. こぶたもち | URL | k5fca2wY

    航空写真

    お写真ありがとうございます

    私が思ってた以上に、案外焼け残って
    いるんですね・・・。というか
    米軍の攻撃ポイントが一部分だったのか???

    ながめていてぞっとしたのですが、
    大阪城の東側、南側付近一帯に点在する
    穴・・・これってうやはり爆弾の落ちた
    跡なんでしょうか。

  10. 新之介 | URL | sDz630us

    大阪大空襲

    そうです。
    この辺りは大阪砲兵工廠がありましたから
    集中砲火です。穴はおそらく1トン爆弾。
    終戦の前日(8月14日)に大空襲がありました。
    この時、京橋駅にも爆弾が落ち、大きな被害がでました。
    今でも駅の裏に慰霊碑があります。

  11. びんみん | URL | j549y3BY

    味のあるいい町ですね。
    高低差もいいですし、うねる路地も。
    行きそうで行かない場所で、ご紹介ありがとうございました。

    私も坂のある町が好きです。
    谷町が谷町であって岡町ではないのは、谷の方が印象的だったのかななどと思いました。

  12. 新之介 | URL | sDz630us

    びんみんさん

    このあたり、まだまだいろいろありそうな…
    びんみんさんの視点で見ればどうなるのかな ^^

  13. 龍造寺靖明 | URL | jACBjAeo

    こんにちは

    ふと辿り着きました。龍造寺の裔です。
    先日、念願叶って龍造寺町、訪ねることができました。豊臣政権の初め頃、龍造寺家は秀吉から黒印状をもらって、佐賀35万石を安堵されていますが、程なく実権は家老であり、親族でもあった鍋島家に移ってしまい、伏見では龍造寺屋敷ではなく、鍋島屋敷として地図が残っています。
    大坂の龍造寺町は、その短い間の龍造寺屋敷の跡かなあ、と推測しています。お城にもほど近いですし。
    写真を殆ど撮らなかったので、嬉しく拝見しました。ありがとうございます。

  14. | |

    管理人のみ閲覧できます

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  15. 新之介 | URL | sDz630us

    龍造寺靖明さん

    私はこの地域を深く調べたことはないのですが
    石積みはかなり気になっています。
    昔の屋敷跡の遺構かも…
    私もそんなことをイメージしながら楽しんでいます^^

  16. 利右衛門 | URL | tYpijtg6

    こんにちは

    私は竜蔵寺の子孫ですが 代々伝えられている まだ世間に知られていない事実が沢山あります。1つだけお話しするとすれば 秀吉に取り入った鍋島に家督を奪われた時 鍋島に竜蔵寺という名前を使うことは禁じられてしまいました。これがどういうことを意味するか お分かりになる人はとても察しが良い方だと存じます。 

  17. 谷町の利 | URL | UQJLlf5I

    この町近くに住んでいました。

    同級生も沢山いました。竜造寺の西、十二軒丁にも石垣が残っています。まだその西に。大きく西に落ちる石垣(上町断層?)があります。竜造寺が大名の名称とは知りませんでした。ここから東へ少し上ると、上町台地の背骨に当たり、昔、市電が走っていた上本町2丁目辺りになり、利用していました。当時使っていた定期、切符残っています。
    上町台地でありながら、地下水も豊富で、昔、我が家の中に井戸がありました。戦後の写真は米軍が撮ったものですね。被害を示した地図もありますよ。

  18. 車えび食堂 | URL | aYDccP8M

    懐かしの町並み

    はじめて拝見します。約30年前安堂寺町を少し南に下ったところにある高校に行ってました。今は他県で生活しているので懐かしくその当時を思い出します。ゆるい坂道や路地、石垣やゆがんだ石の階段も懐かしいです。京都と違う古き良き昔の大阪にタイムスリップしたようで今も大好きです。大阪に帰ったらのんびり散策したくなりました。ところで安堂寺町は『直木賞』で知られる”直木三十五”先生の生家があったところです。少し行けば”近松門左衛門の碑”があったりと文化的なところでもあります。そんな町並みを後世まで残していただきたいものです。

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