2010年02月08日 10:20
吹田街道をゆく(8)
旧穂積村を歩く
吹田の渡しから吹田街道沿いの旧村を歩きまわるシリーズの最終回です。
実際は2日間で歩いたのですが、7回分も記事にしてしまった…。
まったく歩いたことがない土地ばかりだったので発見も多く面白かった。

(明治18年測量の地図)

(明治18年測量の地図)
で、最後に歩いたのが旧穂積地区、
古代の氏族、穂積氏が居住した土地です。

穂積の由来を調べると、豊中市史には「…穂積の地名が穂積臣とその部民たる穂積部の居住に発端していることを明らかにしている。…」とかいてある。

地理的にも特徴があって、北側と西側に水路があり、まるで外堀のよう。おそらく条里制の名残と思われますが、何か意味がありそうな…。
より大きな地図で 吹田街道 を表示

右の道路は国道176号線。左のくねくね道は能勢街道です。

能勢街道は右に曲がりますが、まっすぐ行くと旧穂積村です。

阪急の踏み切りを渡ると、旧穂積村地域。

中に入って行くと古い家並みが残っています。

あっ、これ唐臼ですね。

焼き板の壁も結構見かけます。
さて、この地域にはお寺3軒あります。

こちらは徳用寺。

忍法寺。珍しい名前ですね。力石が置いてありました。

常楽寺。穂積幼稚園とありますが。住所はなぜか服部寿町です。

常楽寺の裏に立派な祠がありました。愛宕大権現が祀られています。

地蔵尊もいくつか見かけました。

どれも立派な祠です。

家と一体となった祠もいくつか見かけました。

なんかいい感じ。
さて、

旧村地域を歩いていると、立派な旧家が残っています。

で、歩いていて疑問に思った事がありました。

この地域の住所は穂積ではなく、服部西町と服部寿町になっているのです。

穂積は旧村地域から離れた南側にポツンと残っているのですが、
なぜ、そんなことになっているのでしょうか?
とても由緒ある地名なのに…
もっと地名を大事にしてほしいな。
(関連記事)
『 1. 吹田街道をゆく 吹田の渡し 』 2009.12.30
『 2. 吹田街道をゆく 垂水町 』 2010.01.04
『 3. 吹田街道をゆく 江坂 』 2010.01.08
『 4. 榎坂郷と荘園と今西家 』 2010.01.20
『 5. 消えた地名、蔵人 』 2010.01.23
『 6. 吹田街道をゆく 小曽根 』 2010.01.26
『 7. 足の神様・服部天神宮 』 2010.02.01
『 8. 旧穂積村を歩く 』 2010.02.08
『 1. 旧吹田村を歩こう・吹田駅と高浜神社 』 2009.12.10
『 2. 旧吹田村を歩こう・重要文化財・旧西尾家住宅 』 2009.12.11
『 3. 旧吹田村を歩こう・古い町並みと大の木 』 2009.12.15
『 住吉神社と豊国神社 』 2009.01.18
ポチッと、応援よろしく♪
旧穂積村を歩く
吹田の渡しから吹田街道沿いの旧村を歩きまわるシリーズの最終回です。
実際は2日間で歩いたのですが、7回分も記事にしてしまった…。
まったく歩いたことがない土地ばかりだったので発見も多く面白かった。

(明治18年測量の地図)

(明治18年測量の地図)
で、最後に歩いたのが旧穂積地区、
古代の氏族、穂積氏が居住した土地です。

穂積の由来を調べると、豊中市史には「…穂積の地名が穂積臣とその部民たる穂積部の居住に発端していることを明らかにしている。…」とかいてある。

地理的にも特徴があって、北側と西側に水路があり、まるで外堀のよう。おそらく条里制の名残と思われますが、何か意味がありそうな…。
より大きな地図で 吹田街道 を表示

右の道路は国道176号線。左のくねくね道は能勢街道です。

能勢街道は右に曲がりますが、まっすぐ行くと旧穂積村です。

阪急の踏み切りを渡ると、旧穂積村地域。

中に入って行くと古い家並みが残っています。

あっ、これ唐臼ですね。

焼き板の壁も結構見かけます。
さて、この地域にはお寺3軒あります。

こちらは徳用寺。

忍法寺。珍しい名前ですね。力石が置いてありました。

常楽寺。穂積幼稚園とありますが。住所はなぜか服部寿町です。

常楽寺の裏に立派な祠がありました。愛宕大権現が祀られています。

地蔵尊もいくつか見かけました。

どれも立派な祠です。

家と一体となった祠もいくつか見かけました。

なんかいい感じ。
さて、

旧村地域を歩いていると、立派な旧家が残っています。

で、歩いていて疑問に思った事がありました。

この地域の住所は穂積ではなく、服部西町と服部寿町になっているのです。

穂積は旧村地域から離れた南側にポツンと残っているのですが、
なぜ、そんなことになっているのでしょうか?
とても由緒ある地名なのに…
もっと地名を大事にしてほしいな。
(関連記事)
『 1. 吹田街道をゆく 吹田の渡し 』 2009.12.30
『 2. 吹田街道をゆく 垂水町 』 2010.01.04
『 3. 吹田街道をゆく 江坂 』 2010.01.08
『 4. 榎坂郷と荘園と今西家 』 2010.01.20
『 5. 消えた地名、蔵人 』 2010.01.23
『 6. 吹田街道をゆく 小曽根 』 2010.01.26
『 7. 足の神様・服部天神宮 』 2010.02.01
『 8. 旧穂積村を歩く 』 2010.02.08
『 1. 旧吹田村を歩こう・吹田駅と高浜神社 』 2009.12.10
『 2. 旧吹田村を歩こう・重要文化財・旧西尾家住宅 』 2009.12.11
『 3. 旧吹田村を歩こう・古い町並みと大の木 』 2009.12.15
『 住吉神社と豊国神社 』 2009.01.18
ポチッと、応援よろしく♪

スポンサーサイト
コメント
びんみん | URL | j549y3BY
気になります
こんばんは。
私もこの穂積の囲まれたところは何なのだろうと気になっていました。
この堤の北西角のあたりに「穂積百日堰跡の碑」というのがあって、何が百日なのか説明されていないので(百日で作った?)、それも気になっています。
みな低くても石垣を積んであっていい町並みですね。
( 2010年02月08日 23:12 [Edit] )
TOSSY | URL | mXJ0wlpU
板塀
板塀 板壁の残っている町並み いいですね
歩いてみたいです
お地蔵さんの祠 立派ですね
大事にされているのが分かりますね
( 2010年02月09日 00:58 [Edit] )
新之介 | URL | sDz630us
びんみんさん
「穂積百日堰跡の碑」は知りませんでした。
ネットでみると堤が出来たのは江戸時代だと書かれていました。
古代からあった水路ではないようですね。
古代の遺構だと思ったんだけど…^^
TOSSYさん
こういう祠がたくさん残っている地域は大好き。
この地域は数こそ少ないですが、どれもしっかり出来ています。
昔は豊かな村だったんだろうなぁと想像できますね。
( 2010年02月10日 01:38 [Edit] )
kotaro | URL | 8nGiSIKA
長い距離を歩かれ、お疲れさまです。
今の穂積の地名は名神に接する辺りにしか残っていません。
私は名神が出来た昭和39年の大阪地図帳を持っていますが、明治18年の東海道線が出来た直後の地図と比べて、その間のが見てみたいと思いました。
名神というのも最早産業遺産に近い歴史を重ねています。
そして明治20年代というと日本が一気に近代化する時代ですが、本格的な都市化は大正の終わりから昭和にかけてです。
私鉄が開通する前の交通機関が歩きや舟だった頃の街道を訪ねる今回の企画は実に興味深いものでした。
交通や団地開設といったインノベーションが終わった平成日本。これからの都市のありようを含め、地層のような町の歴史をどう掘り起こし、住民の未来に繋げて行くのか。大変面白く読ませていただき感謝しています。
( 2010年02月11日 00:38 [Edit] )
新之介 | URL | sDz630us
kotaroさん
なんかいっぱいほめてもらったような気がして照れくさい…^^;
なぜかわからないけど集落というものにとても関心があります。
村には神社と寺と墓地と地蔵尊があってそれらで形成されている。
そして、神社では祭りが行われて村がひとつになる日がある。
大きな祭りより、地元の小さな祭りが好きなのもそこから来てます。
次はちょっと面白い場所を歩こうと思っています。
お楽しみに ^^
( 2010年02月12日 23:30 [Edit] )
点と点 | URL | xfWPEvlw
常楽寺の道標
点と点です。
よく探索されてますね!
豊中のこともたくさん取り上げられています。
有難うございます。
常楽寺の墓地(常楽寺角の祠の裏)には
「常楽寺 是より2丁西」という道標があります。
その道標の横には役行者象(墓)があります。
この寺は 役行者に縁があります。
その他の祠 まだ、未確認です。
( 2010年03月05日 02:07 [Edit] )
新之介 | URL | sDz630us
点と点さん
常楽寺の塀の中に道標があるのか…
それにしても、点と点さんの
ページはすごいです!
http://www.eonet.ne.jp/~pc007/miti_toyonaka.html
道標の奥の深さが伝わってくる。
道標って面白いですね。
( 2010年03月06日 19:56 [Edit] )
穂積 | URL | -
面白いですね
こういう道をみると落ち着くのはやはり僕が日本人だからでしょうか
これぞ本当の大阪といった感じでしょうか
以前、岐阜にも穂積町(今は合併してみづほ市)があったりといろいろ興味深いです
以上そんな穂積氏の生き残り(笑)が思ったことをコメントしてみました
これからもがんばってください
( 2010年06月10日 10:32 )
新之介 | URL | sDz630us
穂積さん
そうですか、もしかしたら穂積さんのルーツが
この町にあるかもしれませんね。
機会があれば歩いてみるのはいかがでしょう。
僕には感じない物を感じるかもしれませんよ ^^
( 2010年06月12日 10:55 [Edit] )
| |
承認待ちコメント
このコメントは管理者の承認待ちです
( 2018年06月20日 15:35 )
コメントの投稿