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足の神様・服部天神宮

2010年02月01日 08:00

吹田街道をゆく(7)
歩き疲れたので、
足の神様・服部天神宮へ。


明治18年測量の地図です。
esaka_1200600_2.jpg
吹田街道は時代によってルートが変わったようで、
濱村から天竺川を渡って、北と南にルートが二手に分かれたようです。
私が歩いたのは南ルート。
住吉神社の鳥居の前を通り過ぎ、まっすぐ行くと能勢街道にぶつかります。

※住吉神社に関しては以前の記事を参照ください。
住吉神社と豊国神社

IMG_2322_2.jpg
この道は能勢街道。まっすぐ行くと旧穂積村です。
穂積村は次回にするとして、前の角を右に曲がり能勢街道を歩いていきます。

IMG_2323_2.jpg
これを歩いて行くと岡町、池田方面です。

IMG_2412_2.jpg
この能勢街道沿いに

IMG_2417_2.jpg
服部天神宮があります。

IMG_2416_2.jpg
この神社、足の神様としても有名ですが、十日戎でもたいへん賑わいます。


足の守護・服部天神宮の由緒
(ここ飛ばしてもいいですよ… ^^)
IMG_2421_2.jpg
昔、朝鮮を経由して吾が国へ渡って来た秦の人々は、機織(はたおり)の技術を吾が国に伝え、この地域にも住んでいました。彼らは医薬の祖神・少彦名命(すくなひこなのみこと)を崇拝しており、小さな祠を建てて、まつっていました。

IMG_2422_2.jpg
それから数百年後の延喜元年(901)、菅原道真公は無実の罪をきせられ、九州太宰府へ左遷される途中、この地で足がむくみ歩けなくなります。村人達は、少彦名命をまつる祠で祈願されるようにすすめました。

IMG_2423_2.jpg
村人は少彦名命がいかにすばらしい神様であるかを話し、菅公もその言葉にうながされ、天神祠に向かいます。

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菅公がお参りされた時、五輪塔が目にとまりました。これは同じく太宰府へ左遷される途中、この地で亡くなった藤原魚名公の墓であることを知ります。

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菅公は天神祠で足病平癒を祈願し、魚名公の霊をとむらうと、不思議な事に間もなく足の痛みがなくなり、再び太宰府へ旅立たれました。

IMG_2426_2.jpg
菅公が太宰府で亡くったあと、菅公を神とする天神信仰が全国に広がり、当社も菅公の霊を合祀、江戸中期から末期にかけては、おおいに賑わいました。

書かれている事をさらに短くしましたが、そういう神社です…^^。
詳しくは「服部天神社御祭神由緒」へ。


さて、
IMG_2419_2.jpg
私が歩いたのは昨年の12月末、新春の準備をしてる最中でした。
こっちって裏側なのかな…。

IMG_2433_2.jpg
こちらが拝殿です。

IMG_2482_2.jpg
ここは手水舎。

IMG_2434_2.jpg
菅原道真公の像がこちらに。

IMG_2485_2.jpg
奥にガラスで覆われた場所があるのですが、

IMG_2441_2.jpg
草履堂といって、病が治った方々が奉納した草履が祀られています。

IMG_2446_2.jpg
こちらは由緒の中にも出てきた川辺左大臣藤原魚名公の墓です。
ここに服部の地名の由来も書かれていました。
この地は、川辺郡機織(はたおり)郷と言われていたようで、
そこから服部の地名が生まれたそうです。

はたおり…
はったおり…
はっとり。
服部!
バンザーイ!バンザーイ!


あっ、漢字にの字が当てられているのはそういうことか!


ところで、
IMG_2475_2.jpg
境内に木の板があったのですが何かわかりますか?
これ「たたき板」というものです。

IMG_2477_2.jpg
えべっさんの裏にあって、最初は正面からお詣り、
そのあと裏から「たたき板」を下駄でたたいて、
「えべっさんたのんまっせ」と願うのだそうです。
今は下駄がないので木槌です。

IMG_2525_2.jpg
国道176号線から見た参道です。こっちが正面だと思いますが
現在でも裏からの参拝客の方が多いいんじゃないかな。
阪急「服部」駅も裏側だし。
たたき板も、みんな裏から帰るから
そんな風習ができのかも。



さてさて、
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旧服部村も歩いてみたのですが、

IMG_2508_2.jpg
古い建物はほとんど見かけませんでした。残念。

でも、ちょっと面白いものが…
IMG_2512_2.jpg
阪急「服部」駅ですが、

IMG_2510_2.jpg
ホームに大きな木があるんですね。
こういう駅、大好きです ^^
開業時からあったのかな?
この駅も今年が百周年ですよね。



より大きな地図で 吹田街道 を表示



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コメント

  1. jack77betty | URL | -

    服部戎

    >私が歩いたのは昨年の12月末、新春の準備をしてる最中でした。(新之介さん)
     偶然ですね。私も昨年末に御参りしました。アルバイトの学生さんでしょうか、迎春の準備をしておられました。そのあと以前このブログにかいた「のせや本店」を見に行きました。時間が早かった(10時ごろ)ので食事はパスしましたが・・・
    >十日戎でもたいへん賑わいます。(新之介さん)
     名前は天神さまですが、個人的には「服部戎」のほうが馴染みが深いですね。阪急宝塚線沿線の人は、えべっさんと言えばまずは今宮戎、ついで堀川戎、そして近場で済ますなら服部戎と言った感じではないでしょうか。
    >そのあと裏から「たたき板」を下駄でたたいて、
    >「えべっさんたのんまっせ」と願うのだそうです。
    >今は下駄がないので木槌です。(新之介さん)
     えびすさまは昔から少し耳が遠いと言われているので、大きな音を立ててお願いするのが慣わしです。
     今宮戎も昔はみなさん裏へまわって「えべっさん○○○○」と大声でいいながら拳骨で羽目板を叩いていました。あまりに乱暴なので羽目板が壊れそうでしたね。今は服部とおなじく少し上品になって叩き鐘を吊るすようにしているのではないでしょうか。

  2. ファジー | URL | UXr/yv2Y

    服部天神の恵比寿様も今宮戎が銅鑼をたたくのと同様に裏に回って木槌で念押しのお願いをするようですね。
    なんとも表現しづらいのですが、蛭子をもって地域に繁栄を与える福の神とする共通の伝統を感じます。

  3. TOSSY | URL | mXJ0wlpU

    どつき板

    知り合いでえベッさんは服部の戎さんにおまいりするのを恒例の行事にしている人がいます
    MIXIの日記にも写真入で書いていましたが ここにおまいりする理由は この板があるからなのだそうで・・・
    その人は どつき板といっていました
    そのほうが大阪弁で面白いですね
    西宮の戎さんは 裏には回れないです
    私は戎さんの本殿の裏には 行ったことはないですね

    服部→はっとり 面白いですよね

    高校で 中国の呉(ご)から渡来したといわれる職工集団。くれはとりべ(呉服部)がこのあたりにいたからと習いました
    部というのは 大化前代において朝廷や皇族・豪族に隷属する人民の集団で
    はとりは はたおりです
    くれはとりは呉織と書くようですね
    呉服神社も有りますね
    呉服(くれは)小学校もありますね
    呉春も池田ですね

  4. 新之介 | URL | sDz630us

    jack77betty

    >えびすさまは昔から少し耳が遠いと言われているので、大きな音を立ててお願いするのが慣わしです。

    なるほど!!
    すっごく納得しました!^^


    ファジーさん

    >今宮戎が銅鑼をたたくのと同様に…

    えべっさんは耳が大きいのに耳が遠いんですね。
    面白い風習です。


    TOSSYさん

    どつき板ですか^^
    面白いですね。

    豊中・池田地域の古代史は興味深いです。
    渡来文化が根付いている地域ですね。
    深入りすると邪馬台国とかに行ってしまいそう…
    まだそこに行かないでおこうと思います… ^^;

  5. 今津っ子 | URL | 4nygY/.M

    服部の天神さんにも戎さんがあることは、豊中の街道歩きをするようになって初めて知りました。
    実は、どの地域の人は、どこの戎さんに行く習慣になっているのかは、街道歩きや道標調べに際してとても重要な問題です。
    例えば、尼崎市内でも北部の地域からは西宮戎に行くことが多かったようで、JR神戸線の北に平行して走り、西宮に通じる旧い街道(旧県道今津伊丹線あるいは西宮塚口線)は、富松地域では「えびす道」とも呼ばれていました。

    かつてテレビでは、戎さんと言えば大阪の今宮戎ばかりが取り上げられ、本家の西宮戎としては忸怩たる思いでしたが、最近は福男レースが毎年全国ネットで放送されるようになり、喜ばしい限りです。
    昨年は、たまたま当日早く目が覚めたので、見に行ってきました。
    開門と同時にダッシュする数十人に続き、数百人の一般参拝客は整然と歩いて門をくぐります。
    私は、列が途切れてからのんびりと本殿に向かいましたが、鏡開きには間に合いました。
    三人の福男が柄杓でお酒をついでくれるのですが、縁起物と言うことで、押すな押すなの大混乱です。
    ようやく2番福の福男からついでもらいましたが、早朝から酔っぱらい、結局帰宅してまた寝てしまいました。

    ところで、豊中市南部の街道の変遷について地図を作成しました。
    まだ解説は書けていませんが、参考になればと思います。
    http://imazukko.fau.jp/kaidou/toyonaka/toyonaka.html

  6. jack77betty | URL | -

    「ど」

    >どつき板ですか
     「ど」、大阪では良く使いますね。先に書きました「えべっさん、○○○○」の伏字もお分かりかと思いますが「ど○○○」です。しかしながら、人(この場合はもっと上位の神様ですが)に物事をお願いするのに、この罵り言葉とは!初めて聞いたときには大阪人の私でもびっくりしました。
     話は戻りますが、かっては羽目板を直接拳骨で叩いていたのに、銅鑼に代わったのは(ご関係の方に確かめた訳ではありませんが、笑)やはり建物の痛みが激しくて修理代が馬鹿にならぬということなもかもしれません。しかしこの事によって予期せぬ効果がうまれたのではと個人的には考えています。
     かってのように拳骨でどんどん羽目板を叩きながらですと、それに合わせて今までの「えべっさん、○○○○」の罵り言葉が調子よく出やすい。しかしながら銅鑼を「ボーン」と鳴らしてからでは何やら間延びして、せいぜい「えべっさん、たのんまっせ(新之介さん)」ぐらいしか言えなくなるという訳です。
     勿論罵り言葉が聞かれなくなったのは、差別用語の禁止が社会に浸透してきた事がもっとも大きな原因であることに間違いありませんが。

  7. 新之介 | URL | sDz630us

    今津っ子さん

    服部天神社のえべっさんがいつから始まったのかは調べれていませんが、そんなに古くはないのではないかと勝手に想像します。由緒にも出てきませんので近代からではないでしょうか。
    十三の神津神社の十日戎も戦後に始まったものですし、結構儲かったりするので、各地の神社で行うようになったのではないでしょうか。間違えていたらごめんなさい ^^;

    街道の変遷はとてもわかりやすいです。街道は時代によってルートが変わって行くのがよくわかりました。今後の参考にさせていただきます。


    jack77bettyさん

    僕は「えべっさん、○○○○」をまったく知らなかったし、これを読んでいて、○○○○がわからない方が多いのではないかと思います。いろいろ調べてなんとなくわかりましたが、でもこれは差別用語ではあるけれども、大阪文化の言葉のひとつでもありますね。どこかで記録として残しておくことが大切だと思いました。

  8. jack77betty | URL | -

    エビスビジネス

    >服部天神社のえべっさんがいつから始まったのかは調べれていませんが、そんなに古くはないのではないかと勝手に想像します。由緒にも出てきませんので近代からではないでしょうか。
    十三の神津神社の十日戎も戦後に始まったものですし、結構儲かったりするので、各地の神社で行うようになったのではないでしょうか。(新之介さん)
     
     服部えびす(豊中えびす神社)は、昭和25年に同じ沿線の花屋敷にありました繁盛稲荷の社殿を譲り受けて移転、その翌年に西宮神社からえびす神を勘請したのがはじまりだそうです。(天神社のH/Pより)
     服部や十三だけでなく大阪近郊では新之介さんも書かれていますように、西宮や今宮えびすの賑わいを見てわが社、わが街もあやかりたいと言う所が沢山あったようですね。
     記憶があいまいなので名前は伏せておきますが、もう20年ほど前になりますでしょうか、我が家の近所にあります神社の名前で「十日えびすはじめました。」という折込広告が入っていたような気がします。まるで洋菓子屋さんが「今度ティラミスはじめました。」というみたいですね。
     話は飛躍しますが、こうした場合はやはりコンビニと同じように、加盟料(権利金)や、或はそれに加えて経常の年会費(上納金)が必要になるのではないかと傍目ながら思うのですが、一体相場はどのくらいするものなんでしょうね。

  9. 新之介 | URL | sDz630us

    えべっさん!

    jack77bettyさん

    調べていただいて感謝です! ^^
    昭和25年ですか。戦後すぐに始まったのですね。

    えべっさんに加盟料(権利金)みたいなものはあるんでしょうか?
    まったくわかりませんが、もし払うとしたら
    大阪府神社庁などに納めるのでしょうか。

    またええかげんな事かいちゃった…^^;

  10. jack77betty | URL | -

    福笹

    >僕は「えべっさん、○○○○」をまったく知らなかったし、これを読んでいて、○○○○がわからない方が多いのではないかと思います。いろいろ調べてなんとなくわかりましたが、でもこれは差別用語ではあるけれども、大阪文化の言葉のひとつでもありますね。どこかで記録として残しておくことが大切だと思いました。(新之介さん)
     私と同年輩の方には、子供の頃大人の話を上の空で聞いていて、その指示通りしなかったとき、「ちゃんと聞いてなかったんか、このど○○○。」と怒鳴られた経験を御持ちの方は少なくないと思います。かっては良く使われていましたね。
     話変わって、今年の十日戎は西宮神社に御参りしました。そこで目をひいたのが福笹の笹が合成樹脂製だった事、そのいかにも造りものめいた黄緑色に違和感を強く感じました。
     何時からこれが採用になったのかわかりませんが、どこの戎さんも今ではそうなのかも知れぬと思いながらの帰り道、なんばを通りますと、吉兆をつけた本物の笹を抱えた人に沢山出くわしました。恐らく今宮戎帰り、こちらはまだ昔ながらの伝統を守っているようで少し安心しました。
     余談ですが、開通1年の阪神なんば線、はからずも西宮、今宮の二大戎を直結する事になりましたので、独断ですが「戎線」のニックネームを贈呈したいと思います(笑)。

  11. 新之介 | URL | sDz630us

    jack77bettyさん

    合成樹脂製の福笹はいただけない…
    値段で差がついているのでしょうか…

    阪神なんば線の「戎線」。いいかも。
    たとえばその時期だけ「戎線」っていう名前にするくらいの
    ユーモアがあってもいいですよね ^^

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