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吹田街道をゆく・小曽根

2010年01月26日 08:00

吹田街道をゆく(6)
旧小曽根村と北条村を歩く

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明治18年測量の地図です。
吹田街道は榎坂村から高川を越えて堤防沿いを南下し小曽根村(おぞねむら)に入ります。

kosonemap.jpg
新旧の地図を重ねるとこうなります。(部分拡大)

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吹田街道です。向こうは旧榎坂村方面。

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後ろを振り返ると高川の堤防です。この道、現在は行き止まりなので、平行して走る府道を歩きます。

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高川は道路の上を流れています。

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それを越えて堤防に上がり、

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すこし南下すると

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下におりる道があります。それを降りると

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旧小曽根村に入ります。

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向こうが高川、そしてこの地蔵尊を南下します。

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この吹田街道は旧小曽根村の真ん中を通っています。


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街道沿いに浄土真宗本願寺派の寺が3軒並んでいます。こちらは西福寺。

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境内に立派な松がありました。

IMG_2120_2.jpg
寺の参道で面白いものを見つけました。

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「京」の文字が見えますね。道標のようです。

IMG_2152_2.jpg
2軒目のお寺は

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養照寺。こちらも立派な山門ですね。

IMG_2156_2.jpg
養照寺の本殿です。

IMG_2160_2.jpg
こちらは常光寺。

IMG_2162_2.jpg
常光寺の本殿です。
ところで3軒ともよく似てると思いませんか。
同じ浄土真宗本願寺派なので当たり前なのかもしれませんが、
なぜ同じ宗派の寺が三軒もあるんだろう?

私の素朴な疑問です。

さて、
IMG_2181_2.jpg
この角を左に行くと旧濱村方面です。


ところで、
古地図を見ると、小曽根村の北部に北條村(きたじょうむら)という集落があります。
ちょっと気になったので寄り道してみました。

IMG_2289_2.jpg
ここ、ご存知の方も多いのではないでしょうか。
176号線と平行して走る府道です。

IMG_2283_2.jpg
服部霊園へ墓参りに行く時によく通る道です。
実はこの地域、ずっと前から気になっていたんです。

IMG_2260_2.jpg
旧道を歩いてみます。

IMG_2265_2.jpg
おっ、道沿いにこんな祠を見つけました。

IMG_2266_2.jpg
愛宕大権現を祀っているようです。

IMG_2272_2.jpg
愛宕山や北條から考えて、京都と縁のある地域だったのかなと思ってしまいますね。

IMG_2270_2.jpg
調べてみたんだけど、それについての資料は見つけれませんでした ^^;

それにしても、この数十年でこの地域も激変したのではないでしょうか。
旧村地域は建替えが進んでいて、古い住宅はポツポツと残るだけです。
昔の町並みはどんどんなくなっていますね。

ちょっと寂しい。



より大きな地図で 吹田街道 を表示


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コメント

  1. kotaro | URL | 8nGiSIKA

    引き続きご苦労様です。

    楽しく読ませてもらっています。
    地名は古いことを調べるのに参考になります。
    天竺川の氾濫の歴史は長く、長興寺の住吉神社でも戦後すぐまでは大雨が降る度に水田が泥まみれになったと聞きました。
    浜の他に曽根、小曽根も水際の地名です。また蔵人は役人のことから役所があったのではないでしょうか。
    今西家の昔の地図の記載を見るに、他の集落とは寄り添わず孤立した存在を感じます。古代からの支配者だったのか、あくまで歴史の想像にすぎません。

    それから天神講というのをご存知でしょうか。
    最近知ったのですが、福井などに見られる風習です。
    http://www.aijido.co.jp/michizane04.html
    こじつけみたいですがあのあたりは真宗が強いですね。
    それと「講」についてですが、能勢の妙見社にいくと夥しい数の講の奉納額が飾られています。
    講は組織です。教育などにも関連するので天神講があるようです。
    さてこの先は、天竺川の濫觴といわれる千里・上新田地区に行かれるか、能勢の妙見山に上がられるか、道標を辿って行くようなことに?

  2. TOSSY | URL | mXJ0wlpU

    小曾根村

    西宮にも小曾根があります 鳴尾村の字でした こそねと読んでいます
    現在も小曽根町の住所表示です
    旧鳴尾村も面白い地域ですよ

    小曾根という地名は 他にもあるようですね
    西宮は 曽根は無くて小曾根だけです
    豊中は曽根がありますね

  3. | |

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  4. | |

    管理人のみ閲覧できます

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  5. 新之介 | URL | sDz630us

    kotaroさん

    曽根、小曽根も水際の地名なんですか。面白い。
    蔵人については他にも問い合わせが何件かあったので、
    由来をどこかで簡単に紹介する予定です。

    天神講というと、どうしても大阪の天神祭の天神講を思ってしまいますが
    地域が変われば全然違う天神講が存在しているんですね。
    これもまた興味深いです。

    さて、この先どこへ行きましょうか ^^
    とりあえず、穂積と服部天神宮を紹介してから考えます^^;


    TOSSYさん

    西宮にも小曾根があるんですね。
    垂水もあるし、何かこの地域と関係がありそうですね。
    旧鳴尾村は近くに住んでいたこともあって
    ちょっと気になってます。
    「イチゴ」の関連で調べると面白ろそう。

  6. alcoholicdrunken | URL | -

    TOSSY さん の説、非常に興味深いです。

    「曽根」の地名で想起するのは、
    ・吹田市の南東部、大阪市東淀川区や摂津市との市境付近(府道大阪高槻京都線沿線、旧 三島郡岸部村)に「大曽根」のバス停あり。
    ・兵庫県高砂市の海岸部に「曽根町」(昔は 印南郡曽根村 だったらしい)あり。

    ブログ記事にも、
    http://blogs.yahoo.co.jp/kmr_tds/50465056.html
    (滋賀県東近江市=旧 愛知郡愛東町 域=の「曽根町」で例示。)
    がありました。

    豊中市でも、「旧 豊能郡小曽根村」の「浜」が大昔の海岸だったとしますと、「小曽根」も、「旧 豊能郡中豊島村」の「曽根」(現在の阪急電鉄曽根駅周辺。「中豊島」の村名は小学校に継承)も、大昔の海岸だったのかも知れず、興味を惹かれます。

  7. 新之介 | URL | sDz630us

    alcoholicdrunkenさん

    豊中吹田地域は大阪市内と違って、古代より人が住んでいた地域ですよね。そういう意味でも現存する地名のルーツを探って行くととても面白いかもしれません。まさに地名が遺跡と同じくらい意味を持つ地域だと思います。僕は深入りしないようにしようと思っていますが…^^;

  8. jack77betty | URL | -

    奇想の画家「伊藤若冲」

     「西福寺」には伊藤若冲の「群鶏図」六面の襖絵があります。残念ながら不定期公開で何時いっても見れるということではないようです。
     「彼が丸山応挙ほど有名だったらこの寺も応挙寺の異名で呼ばれる但馬の大乗寺のようになったかもしれない。」と熊野喜一さんが30年以上前「歴史散歩」に書いておられますが、なんのなんの、時代は移り、御存知のとおりいま若冲は非常な人気です。若い人には或は応挙より有名かもしれません。

  9. jack77betty | URL | -

    ↑訂正、お詫び

    「丸山」→「円山」
    「熊野喜一」さん→「熊野紀一」さん
     でした。 
     人名を二度も変換ミスしてしまいお恥ずかしい限りです。たいへん失礼しました。

  10. 新之介 | URL | sDz630us

    jack77bettyさん

    伊藤若冲はここ数年人気急上昇ですよね。
    僕も大好きですし、ぜひ原物を見てみたい。
    重要文化財に指定されているようですね。

  11. 点と点 | URL | xfWPEvlw

    気になる街道

    小曽根の派出所の交差点から東へすぐ北への道
    そこには空き地になっていて、大きな家があり、気になります。
     愛宕権現 は講の人が昭和になり勧請されたそうです。
     右の祠の地蔵その他は、この村の北側にある、池に入っていた物と言われています。
     
    切手にも採用された「伊藤若冲」の屏風絵
     年に一度秋に公開されます。
     

  12. 新之介 | URL | sDz630us

    点と点さん

    「伊藤若冲」の屏風絵が
    年に一度公開されているのですか。
    秋が近づいてきたらチェックしておきます。
    見てみたい。

  13. | |

    管理人のみ閲覧できます

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  14. takokuro | URL | -

    2010年、小曽根の古い集落を散策したとき、豊田織機跡から奥に、不思議な不気味な集落跡?長屋群があり、行き止まりでした

    古い村や町並みは、祖父や博物館での旅行でも、好奇心を掻き立てられ、散策しましたが、ここの地域の町並みは、不可解で、不自然に思えました。
    村の表通りに面したところには、そこそこ立派な家が建ってますが、そこからずっと鰻の寝床のように突き当たりまでは、順々に小さく粗末な長屋が続き、途中、廃屋になってるように見受けられるのも多かったのですが、確かに、人の気配がある戸口もあり、怖いながらも、突き当たりまでは行ったときには、こんなところに、どんな境遇の人がどんな状況で住んだんだろう?済まされたんだろう?それはいつの頃に始まって、いつごろまで、当たり前にあったんだろう?ととってもとっても衝撃的でもあり、
    大体、こういった古びた長屋では、家の外でのんびりしていて、人恋しく話しかけてくるもんだけど、、反対に、屋内から私が一本筋に入り込んだのを息を凝らして見つめられてる緊張感があった。
    今、新しい地図ではそこがどこなのかわかりませんでした。
    また、取り上げてくださいね。
    本当に、不思議な、日本の集落らしくない道わり(細い道の両側に、ぐるぐる中心へ長屋を建ててってる) 少し離れたところには、新しいハイカラなスペイン風の住宅街新築され、対照的でした。

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