2010年01月20日 10:00
吹田街道をゆく(4)
榎坂郷(えさかごう)
聞いた事あるけどよく知りませんでした…
昔から榎坂郷という名前は何となくは知っていましたがよく知りませんでした。知ってるようで知らない榎坂郷について、サクッと調べてみました。
明治18年測量の地図です。

榎坂郷には垂水村、榎坂村、小曽根村、穂積村の四ヵ村が含まれます。
「郷」って今でいう「市町村」みたいなもんです。この地域では大きい順に、摂津国・豊島郡・榎坂郷・○○村となります。
「大阪府の歴史(山川出版)」より

この図は耕地の範囲がわかるので「郷」のイメージがつかみやすい。
もうひとつ、荘園についてもサクッと。
荘園とは平安時代から太閤検地が行われるまで続いた制度での、農地の呼び方です。墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいのほう)が制定されると、自分で耕した土地は自分のものに出来るようになりました。しかしその土地は自分たちで守らないと強い者に奪われてしまう。そこでその土地を貴族や社寺に寄進することにしたのです。
この地域では、奈良・春日神社(現春日大社)や京都・東寺が有力な領主でした。領主はこの地域だけでも大小合わせて25もあったそうで、その中でも最大の領主が春日神社でした。東寺の倍ほどあったようです。
その春日神社には南郷と北郷、若宮という三方座というのがあって、榎坂郷は南郷に属します。その春日神社南郷の目代(もくだい)、大庄屋の今西家の屋敷が現在も残っています。

この細い旧道の向こうに立派な門が見えます。

こちらが今西家。石碑には南郷春日神社とありますが、
こちら春日神社末社が勧請(かんじょう)されています。

もうひとつの石碑には史跡春日大社南郷目代今西氏屋敷とあります。現在もお住まいになられており、一般公開はしていませんのでご注意を。

明治18年測量の地図です。真ん中にある古墳みたいな場所がこの地域。資料をみると昔は内堀と外堀で囲まれていたそうです。
(追記)

「わが町の歴史 豊中」より
今西家土居屋敷図です。堀を二重にめぐらしているのがわかります。図の右上に神社の配置も記されています。

南側から見ています。今でも森に囲まれていて昔の佇まいが残っています。
私が立っている辺りに外堀があったようです。

建物の近くには近寄れません。でもそこがいい。そういう場所なのかもしれない。
さて、

旧濱村地区に入りました。

道は昔ながらの細い道です。

天竺川の堤防に上がると立派な日本家屋がいくつかありました。

こちらは松林寺。

敷地内に特別に囲まれた墓地がありますが、もしかすると今西家の墓地かもしれません。

この道は吹田街道。右手の堤防は天竺川、奥に見えるのは松林寺です。
より大きな地図で 吹田街道 を表示

この橋を渡ると向こうには旧穂積村や旧服部村があります。
今回は、この地域全体の話をしておきたかったので旧小曽根村を通り越しちゃってます。
なので次回は旧小曽根村へ。
(関連記事)
『 1. 吹田街道をゆく 吹田の渡し 』 2009.12.30
『 2. 吹田街道をゆく 垂水町 』 2010.01.04
『 3. 吹田街道をゆく 江坂 』 2010.01.08
『 4. 榎坂郷と荘園と今西家 』 2010.01.20
『 5. 消えた地名、蔵人 』 2010.01.23
『 6. 吹田街道をゆく 小曽根 』 2010.01.26
『 7. 足の神様・服部天神宮 』 2010.02.01
『 8. 旧穂積村を歩く 』 2010.02.08
『 1. 旧吹田村を歩こう・吹田駅と高浜神社 』 2009.12.10
『 2. 旧吹田村を歩こう・重要文化財・旧西尾家住宅 』 2009.12.11
『 3. 旧吹田村を歩こう・古い町並みと大の木 』 2009.12.15
『 住吉神社と豊国神社 』 2009.01.18
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榎坂郷(えさかごう)
聞いた事あるけどよく知りませんでした…
昔から榎坂郷という名前は何となくは知っていましたがよく知りませんでした。知ってるようで知らない榎坂郷について、サクッと調べてみました。
明治18年測量の地図です。

榎坂郷には垂水村、榎坂村、小曽根村、穂積村の四ヵ村が含まれます。
「郷」って今でいう「市町村」みたいなもんです。この地域では大きい順に、摂津国・豊島郡・榎坂郷・○○村となります。
「大阪府の歴史(山川出版)」より

この図は耕地の範囲がわかるので「郷」のイメージがつかみやすい。
もうひとつ、荘園についてもサクッと。
荘園とは平安時代から太閤検地が行われるまで続いた制度での、農地の呼び方です。墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいのほう)が制定されると、自分で耕した土地は自分のものに出来るようになりました。しかしその土地は自分たちで守らないと強い者に奪われてしまう。そこでその土地を貴族や社寺に寄進することにしたのです。
この地域では、奈良・春日神社(現春日大社)や京都・東寺が有力な領主でした。領主はこの地域だけでも大小合わせて25もあったそうで、その中でも最大の領主が春日神社でした。東寺の倍ほどあったようです。
その春日神社には南郷と北郷、若宮という三方座というのがあって、榎坂郷は南郷に属します。その春日神社南郷の目代(もくだい)、大庄屋の今西家の屋敷が現在も残っています。

この細い旧道の向こうに立派な門が見えます。

こちらが今西家。石碑には南郷春日神社とありますが、
こちら春日神社末社が勧請(かんじょう)されています。

もうひとつの石碑には史跡春日大社南郷目代今西氏屋敷とあります。現在もお住まいになられており、一般公開はしていませんのでご注意を。

明治18年測量の地図です。真ん中にある古墳みたいな場所がこの地域。資料をみると昔は内堀と外堀で囲まれていたそうです。
(追記)

「わが町の歴史 豊中」より
今西家土居屋敷図です。堀を二重にめぐらしているのがわかります。図の右上に神社の配置も記されています。

南側から見ています。今でも森に囲まれていて昔の佇まいが残っています。
私が立っている辺りに外堀があったようです。

建物の近くには近寄れません。でもそこがいい。そういう場所なのかもしれない。
さて、

旧濱村地区に入りました。

道は昔ながらの細い道です。

天竺川の堤防に上がると立派な日本家屋がいくつかありました。

こちらは松林寺。

敷地内に特別に囲まれた墓地がありますが、もしかすると今西家の墓地かもしれません。

この道は吹田街道。右手の堤防は天竺川、奥に見えるのは松林寺です。
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この橋を渡ると向こうには旧穂積村や旧服部村があります。
今回は、この地域全体の話をしておきたかったので旧小曽根村を通り越しちゃってます。
なので次回は旧小曽根村へ。
(関連記事)
『 1. 吹田街道をゆく 吹田の渡し 』 2009.12.30
『 2. 吹田街道をゆく 垂水町 』 2010.01.04
『 3. 吹田街道をゆく 江坂 』 2010.01.08
『 4. 榎坂郷と荘園と今西家 』 2010.01.20
『 5. 消えた地名、蔵人 』 2010.01.23
『 6. 吹田街道をゆく 小曽根 』 2010.01.26
『 7. 足の神様・服部天神宮 』 2010.02.01
『 8. 旧穂積村を歩く 』 2010.02.08
『 1. 旧吹田村を歩こう・吹田駅と高浜神社 』 2009.12.10
『 2. 旧吹田村を歩こう・重要文化財・旧西尾家住宅 』 2009.12.11
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『 住吉神社と豊国神社 』 2009.01.18
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コメント
TOSSY | URL | mXJ0wlpU
今西家
今西家といえば たぶん奈良の造り酒屋(春鹿)の今西家の流れでしょうね
奈良町に今西家書院があります
このあたりも面白そうですね
服部の近くですよね
( 2010年01月20日 13:28 [Edit] )
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管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
( 2010年01月20日 14:54 )
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管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
( 2010年01月21日 00:26 )
点と点 | URL | xfWPEvlw
おはようございます。 点と点です。
小曽根春日大社南郷目代今西氏屋敷の公開は年に一度秋に公開されます。 その様子は
http://wagamatiibennto.blogspot.com/2008/11/blog-post_230.html
お寺は新之介さんがおっしゃるとおり松林寺は「今西家の菩提寺」です。
最後の写真・堤防に上がる坂道に2つの地蔵があります。
私が気になっているのはこれです。
http://picasaweb.google.com/lh/photo/76vRpRoo9zIMCVSnlHdWOg?feat=directlink
http://katuozi.blogspot.com/2010/01/blog-post_03.html
( 2010年01月21日 03:13 [Edit] )
kotaro | URL | 8nGiSIKA
なるほど
服部の住吉神社のすぐ裏側に、天竺川があってその降りていったあたりが
浜という地名、昔はきっと名の通りの浜があったのでしょうか。
船の神様、住吉宮とのつながりも想像できます。
それから今年の初詣は偶然ですが奈良の春日大社に行きました。
大荘園領主であったのがこの北摂・豊中まで及んでいたのですね。
今西家のことは今回知りました。
ということは、大和、奈良文化の影響もあったでしょう。
前回の熊野田の話も面白かったです。
春鹿と言う酒の銘柄も知っていますが、池田や伊丹の酒造文化との
関連が知りたいです。
池田には呉服神社があり、渡来人の早くから住んだところと思われます。
奈良とのつながりは想像以上にありそうですね。
( 2010年01月23日 14:53 [Edit] )
新之介 | URL | sDz630us
TOSSYさん
なるほど、春鹿の会社の沿革を読むとそのようですね。
http://www.harushika.com/profile/company.php
そういう繋がりを知るとそのお酒が飲んでみたくなる。
あまり飲めないですが…^^;
点と点さん
一般公開していたんですね。知りませんでした。
ブログに社殿の写真が載っててうれしかったです。
坂道にある石像は私も気になって写真を撮っていましたが
今回はあまり触れませんでした。
古くからここに置かれているのでしょうか?
天竺川の堤防は昔からするとずいぶん高くなったのではないかと思います。
移設を何度も繰り返して今の場所にあるのかな?
誰が置いたんだろう? などなど謎だらけですね。
市は調べているのかな?
kotaroさん
浜の地名の由来は分かりませんが、
弥生時代はこの辺りまで海辺だったようですし、
天竺川だけでなく、水路もたくさんあったでしょうから
水辺の近くなので濱と付いた可能性はあると思います。
大和、奈良文化の影響もかなり受けているんでしょうね。
もっと勉強しないと… ^^;
( 2010年01月23日 22:40 [Edit] )
TOSSY | URL | mXJ0wlpU
春鹿
まだブームになる前になら町に行ったときに 書院に行きすぐ近くに酒蔵があって 覗いていたら日曜日だったのに中を案内してくださいました 一緒に行った義兄がお酒を買いましたが美味しかったそうですよ
伊丹の酒造と 尼崎の醤油は密接な関連があったようです
以前に本を読んだのですが 忘れました
川田正夫書「日本の醤油」と言う本です 子供時代の友人のお父上が書かれた本なのですが 無くしてしまいました
( 2010年01月24日 01:45 [Edit] )
新之介 | URL | sDz630us
TOSSYさん
なるほど。
伊丹の酒造や尼崎の醤油も気になるな。
それぞれが何らかの形で繋がっていそう。
点と点が繋がると面白さがそこにありそうですね。
( 2010年01月25日 10:30 [Edit] )
新之介 | URL | sDz630us
濱村
kotaroさん
今、ふっと思ったのですが、
旧濱村地区の村落は天竺川沿いに
並んでいますが、今でこそ天竺川は高い堤防に
なっているけど、中世の頃は船着き場だったのでは
ないでしょうか。それなら濱という地名が付いたのも
納得できます。そんな資料ってあるのかな?
( 2010年01月25日 10:35 [Edit] )
きりぴぃ | URL | 5GXgyets
送電線が都会の中の農村を保存?
江坂から服部までバス代が惜しくて歩いたことがありますが、あたり一面住宅化している地域のなかで、送電線の下だけ、昔の村の姿がそのまま残っているのでしょうか?それがなんともそれが皮肉に見えます。
( 2012年06月04日 14:33 [Edit] )
新之介 | URL | sDz630us
きりぴぃさん
なるほど、ここは送電線のルートなんですね。
住宅が建っていないのはそれもあるのか…
( 2012年06月24日 18:48 [Edit] )
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