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十三の渡しの起源は?

2007年10月09日 00:56

十三の渡しの起源は?

十三の渡しがいつからあるのかを調べると、江戸時代に刊行された『摂陽群談(せつようぐんだん)』に行き着きます。『摂陽群談』とは、1701年元禄14年に刊行された摂津国の地誌です。その中に『十三濟 同郡新田村より、堀村に渉る處也。本庄濟の下の渉とも云へり』と書かれています。『西成郡新田村から堀村に渡る所である。本庄済の下の渡ともいう』と読めます。新田村とは小島新田村のことと思われます。本庄済とは長柄の渡しの下流の本庄村の渡しのことです。元禄4年の古地図には十三の渡しの絵が描かれています。ただ、この地図には十三の文字はありませんでした。十三という地名は元々成小路村の一集落だといわれています。地名の起源は不明ですが、名前の由来はいくつかの説があります。(9/21のブログを参照ください)

1691
元禄4年(1691)新撰増補大坂大絵図

1691アップ
新撰増補大坂大絵図の拡大

1885
明治19年(1885)参考地図

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コメント

  1. 塚本が。。。

    中津川の対岸に塚本があったとは。。。驚きです。
    今、自転車道路公園になっている、
    大野川あたりが、中津川なのですね!

  2. 新之介 | URL | -

    コメントありがとうございます

    実は、違うのですよ。大野川は埋め立てられて自転車専用道路になったのですが、中津川は埋め立てられて、その上に家が建ち並んでいます。某住宅メーカーは古地図をデータベースに入れて、顧客の土地が以前どういう土地であったかを調べて、家を建てるときの参考資料にしています。自分の家の土地が昔、川だったら不安になりますよね。

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