2009年11月22日 08:00
旧神崎川をさがせ!
大阪北部や阪神間にお住まいの方はよくご存知の神崎川。
この川が明治初期に大規模な付替え工事をしていたのをご存知でしょうか。
今回は、旧神崎川がどのように流れていたのかを探ってみたいと思います。
(今回、記事のヒントをくれたゼクさん、ありがとう。
タイトルは椋さんの 『猫間川をさがせ』 のパクリです。ごめんなさい ^^; )

これは『東淀川区史』に載っている「神埼川付替略図」です。
右端の太い河川が淀川、旧神崎川は江口の辺りで大きく北に蛇行していました。
そのことにより、毎年のように洪水が起こり、下流域にも大きな被害を与えていました。
それが明治11年、東から西へ直線で抜ける新河川に付替えられたのです。

これは、明治18年測量の地図です。
残念ながらこの時代ではすでに旧神崎川が埋め立てられていました。
ちなみに、赤い印は今の地図との位置合わせをするための目印です。

今の地図と合わせると、ピッタリ!
もちろん、縦横数%のズレは修正しましたが、旧道もほぼ合っています。
この地図の精度がいかに高かったかの証拠です。
この大きさではわかりにくいですが、左端の亀岡街道もしっかり合っています。

その地図に、「神埼川付替略図」を重ねてみました。
手書きの地図なので、少しずれていますが、かなり正確な地図であると思いました。

「神埼川付替略図」を参考にしながら旧河川を描きこみました。

それを今の地図に重ねるとこのように。

さらに拡大。
この河川の跡はまだ歩いていませんが、
もしかすると高低差のある旧堤防跡が残っているかもしれません。
地図には旧河川の土囲が記されています。一度歩いてみようかな…。
ご近所の方は散歩がてらちょっと気にしながら歩くと
面白い発見があるかもしれませんよ。
より大きな地図で 江口の里 を表示
黄色い線は旧土囲沿いの道と当時から残る旧道です。散歩するご参考に…
今春に神崎川を撮影していました。

ここが淀川と神崎川をつなぐ一津屋樋門。

一直線でいかにも人工的な河川ですね。

古くからの墓地も残っています。
旧道の細さは昔の面影を感じます。

近くのダイキン工場前に道標がありました。
右 一ツや とりかへ (一津屋 鳥飼)
左 へふ○したい○らき (別府? 味舌? 茨木)
左が読みにくいけど、旧地図をみるとこうかな?

神崎川はブラックバスの釣りのポイントとしても有名な場所。
この子達は釣れたのかな?
(関連記事)
『続・旧神崎川をさがせ!』
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タイトルは椋さんの 『猫間川をさがせ』 のパクリです。ごめんなさい ^^; )

これは『東淀川区史』に載っている「神埼川付替略図」です。
右端の太い河川が淀川、旧神崎川は江口の辺りで大きく北に蛇行していました。
そのことにより、毎年のように洪水が起こり、下流域にも大きな被害を与えていました。
それが明治11年、東から西へ直線で抜ける新河川に付替えられたのです。

これは、明治18年測量の地図です。
残念ながらこの時代ではすでに旧神崎川が埋め立てられていました。
ちなみに、赤い印は今の地図との位置合わせをするための目印です。

今の地図と合わせると、ピッタリ!
もちろん、縦横数%のズレは修正しましたが、旧道もほぼ合っています。
この地図の精度がいかに高かったかの証拠です。
この大きさではわかりにくいですが、左端の亀岡街道もしっかり合っています。

その地図に、「神埼川付替略図」を重ねてみました。
手書きの地図なので、少しずれていますが、かなり正確な地図であると思いました。

「神埼川付替略図」を参考にしながら旧河川を描きこみました。

それを今の地図に重ねるとこのように。

さらに拡大。
この河川の跡はまだ歩いていませんが、
もしかすると高低差のある旧堤防跡が残っているかもしれません。
地図には旧河川の土囲が記されています。一度歩いてみようかな…。
ご近所の方は散歩がてらちょっと気にしながら歩くと
面白い発見があるかもしれませんよ。
より大きな地図で 江口の里 を表示
黄色い線は旧土囲沿いの道と当時から残る旧道です。散歩するご参考に…
今春に神崎川を撮影していました。

ここが淀川と神崎川をつなぐ一津屋樋門。

一直線でいかにも人工的な河川ですね。

古くからの墓地も残っています。
旧道の細さは昔の面影を感じます。

近くのダイキン工場前に道標がありました。
右 一ツや とりかへ (一津屋 鳥飼)
左 へふ○したい○らき (別府? 味舌? 茨木)
左が読みにくいけど、旧地図をみるとこうかな?

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コメント
Brooklyn93 | URL | -
こんにちは。ちょこちょこお邪魔させてもらって楽しく拝見させていただいております。
今回は、大発見といいますか、何十年も不思議に思っていた答えが分かりました!あの突起になった地形は旧神崎川があったからだったんですね!
大経大の摂津グランドから井高野ゴルフ場に向けて急カーブで小高い地形は、おそらく昔、川が流れていたのでは、、と思ってましたが、やはりそうだったんですね~。いやいや感動です^^
別府の、屋敷がならんで小高くなった場所が旧道だったと分かったことも、感動です。
新之介さんのお陰です!ありがとうございます!
わたくし、新北野生まれの塚本3丁目育ちで、17で今の摂津・別府に越してから、今回の道がずっと気になっていましたんで、本当に感激しています!
( 2009年11月22日 10:58 )
ゼク | URL | q1cvaNjE
お見事です!!しかも分かりやすいです!
僕もこの辺りにずっと長く住んでいますが、おそらく江口橋から
真っ直ぐ行けば府道高槻線で斜め左に入ればこの明治からある旧道
に繋がります。今は右手に大阪経済大学グランドでさらに先に
行けば井高野ゴルフセンターがありますが、おそらくこの道自体が
旧神崎川の堤防だったんじゃないかと思っています。
途中に大隅神社のお旅所もありますし、実はこの道は昭和61年に
改修されるまでは本当に狭いクルマが1台走れるだけの道でした。
そしてその道は経大のグランドに向かって堤防のようになっていました。
間違いなくあの道は堤防そのものだった気がします。
( 2009年11月22日 14:11 [Edit] )
Shutan | URL | eRxyZ0ZU
既にコメントされているお二方と同じように,経大グランドと道との間の段差に疑問を感じ,旧河道じゃないかと思い.図書館でいろいろ調べたことが懐かしい.(まだパソコン通信のころ)
そして10年前まで,現神崎川南側の旧堤防上の会社に勤めてましたよ.
( 2009年11月22日 15:04 [Edit] )
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( 2009年11月23日 18:48 )
新之介 | URL | sDz630us
Brooklyn93さん
グーグルマップで見ました。
本当だ!
http://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&ie=UTF8&ll=34.763659,135.551795&spn=0,359.994528&t=h&z=18&brcurrent=3,0x6000e3b9a656c41d:0xe84b1e07829d55b8,1,0x6000e3b90ccd2cf9:0xbdbdc96d1d774e1f&layer=c&cbll=34.763569,135.550894&panoid=wxAPUrAqG9G7Yugz4Qnkaw&cbp=12,164.91,,0,11.62
まさに堤防の跡ですね。
僕もうれしい!
塚本と新北野ですか、
まさに私と同じ ^^
近い内に井高野をうろうろしようと思います。
ゼクさん
大阪経済大学グランド周辺はまだ歩いた事がないのですが
グーグルマップで見る限り堤防のようですね。
大隅神社のお旅所もあるんですね。
それは面白そう。
ぜひ歩いてみたいと思います。
Shutanさん
すでにご存知だったんですね。
なかなか面白そうな地域です。
特に旧別府旧村がとても気になりました。
近い内にうろうろしたいと思います。
何か面白い発見があるかな…
( 2009年11月23日 21:31 [Edit] )
びんみん | URL | j549y3BY
分かりやすい!
いつもながら、丁寧な作業に感心いたしました。
そんな旧河道があったんですね。
先日、松山神社には行きましたが、そんなふうになっているとは思いませんでした。
( 2009年11月24日 01:36 [Edit] )
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このコメントは管理人のみ閲覧できます
( 2009年11月24日 14:07 )
新之介 | URL | sDz630us
びんみんさん
ありがとう。
分かりやすいが一番のほめ言葉です。
うれしい。
松山神社はまだ行ってないな。
東淀川区はまだまだ行ってない場所が多いです。
行かなくっちゃ。
( 2009年11月25日 08:33 [Edit] )
今津っ子 | URL | 4nygY/.M
ご無沙汰しております。
今津っ子です。
旧神崎川の経路は気になっていましたが、みごとに検証されましたね。
私の方は街道歩きがメインですので、吹田の渡し南岸から上新庄附近までの亀岡街道の 経路が気になります。
明治18年の地形図は新神崎川開削後のため、それ以前の亀岡街道は消滅していますので、江戸時代の絵図から推定するしかありませんが、なかなか絵図の捜索が進みません。
「中之島の中の島」で紹介されている「拾箇国絵図」は初めて見ました。
いつもながら新之介さんの資料収集の努力には感服します。
他の街道調査の参考にしたいのですが、見つけられません。
支障のない範囲で、出所を教えていただけませんでしょうか。
よろしくお願いいたします。
( 2009年11月29日 04:55 [Edit] )
新之介 | URL | sDz630us
今津っ子さん
「拾箇国絵図」の掲載誌ですが、
筑摩書房の「江戸時代図誌 畿内二」です。
もしかしたらご存知の本ではないでしょうか。
ただ、印刷物では細かいところまで見えません。
巻末を見ると南波松太郎氏個人所有の地図のようです。
もしかしたら、博物館に寄贈している可能性もあるかもしれませんね。
かなり正確な地図のようなので
街道の研究にはとても役立ちそうです。
( 2009年11月29日 22:18 [Edit] )
今津っ子 | URL | -
江戸時代図誌は見落としていました。
情報ありがとうございます。
南波松太郎氏個人所有の文書は、神戸市立博物館に多数寄贈されていますので、あたってみます。
( 2009年12月01日 20:58 )
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