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明治前期・昭和前期 大阪都市地図

2009年11月18日 00:00

中の島の中の島

DSC04843.jpg
先日、古本屋さんでこの本を買いました。
明治前期・昭和前期 大阪都市地図 』
定価が2万円もするので、古本屋さんに出るのをずっと待っていました。
古本屋は好きなのでよく行ってましたが、
この手の本はなかなか出てくれないんですよね。
で、なにげなく阪神百貨店前の 萬字屋書店 に入って見つけました!
1年以上探していたのでうれしかった。
で、中の値札を見てまたうれしかった。
安い!! 即買いでした ^^

この地図の好きな所は、明治18年測量の地図がたくさん載っているところ。
大阪の中心地はかなり近代化していっていますが、少し離れると
幕末時代の大阪の様子がリアルに伝わってきます。

DSC04851.jpg
面白い地図をひとつご紹介。
明治18年頃には、中之島の難波橋と天神橋の間に中洲があったんですよ。
(でもこれって自然にできた島なのかな?)

DSC04850.jpg
これが昭和4年修正測図を見ると今とほとんど同じに。


大きな地図で見る

そうか!だから島が2つに分かれてるんだ。


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コメント

  1. Mijanpona | URL | XTAZKQms

    天神橋手前の中州

    初めてコメントさせていただきます。いつもなつかしく、ときに感動しつつ、拝見しています。
    天神橋手前の中州ですが、あれは砂が溜まって自然にできたものです。なぜわかるかというと、古写真があるんです。
    http://oldphoto.lb.nagasaki-u.ac.jp/jp/area.html
    の長崎大学の古写真のサイトから、1047番の「淀川難波橋から天神橋」をご覧ください。超高精細画像で最大に拡大して見てみてください。写真が珍しかったのか、難波橋の上の人が立ち止まってこちらを見ています。髷を結っているようですから、幕末か明治初年の撮影です。難波橋の下でふんどし姿で潮干狩りする人の背後に、水面すれすれに中州の砂地が見えます。その遠くに小さく八軒屋の浜の灯籠が見えます。いかにも自然に溜まった感じがします。

  2. ゼク | URL | q1cvaNjE

    いわぁ~~、僕もこの本欲しいです!
    明治18年の地図は中之島図書館で、昭和4年の地図は国土地理院
    でそれぞれ入手しましたが、この本は絶対欲しいです。
    僕も探します!

  3. ゼク | URL | q1cvaNjE

    連投すいません!!
    淀川から江口橋の手前で分岐する神崎川ですが、あれは確か
    明治11年に付け替え工事がされています。
    明治18年の地図では既に現在の川になっていますが、付け替わる
    前の正確な地図ってないでしょうか??
    井高野の方に北向きに流れていたようなんですが、絵でしか
    見たことがないんです(笑)

  4. こぶたもち | URL | -

    中州

    うろ覚えですみませんが、池田遥邨が昭和のはじめに
    雪の中之島風景を描いた日本画に、この中州に
    建てられていた料亭がおぼろげに描かれてます。
    100号くらいの絵ですが、当時の建物がこまかに
    描かれているので興味深い作品です。
    (確か題名が「雪の大阪」だったかと・・・)

  5. 新之介 | URL | sDz630us

    Mijanpona さん

    長崎大学の写真、見ました。
    確かに中洲らしいものが写っていますね。
    この写真はおそらく何かの写真集にも
    載っていとように記憶しています。
    見覚えのある写真ですが中洲までは気付かなかった^^

    時代は遡って、明治30年代に撮られた写真をアップしました。
    「写真で見る大阪市100年」からですが、これにも同じように中洲らしいものが写っています。
    おそらく、もっと潮が引いた日には、地図のように
    大きな砂地が現れたんでしょうね。

    http://blog-imgs-38.fc2.com/a/t/a/atamatote/nakasu.jpg

  6. 新之介 | URL | sDz630us

    ゼクさん

    旧神崎川は私もよくわかりません。
    ただ、仮説はたてられそうですよ。
    ↓これは拾箇国絵図の江口周辺です。

    http://blog-imgs-38.fc2.com/a/t/a/atamatote/eguchi_01.jpg

    確かに江口から川筋が北に向っていますね。
    で、別府村の下を川が流れています。
    あとは、地図を見ながらこの辺りかな…と想像してみました^^

    http://blog-imgs-38.fc2.com/a/t/a/atamatote/eguchi_02.jpg

    でも自信なし。
    ぜひ、ゼクさんなりの仮説をたててください。
    新しい発見があるかも^^

  7. 新之介 | URL | sDz630us

    こぶたもちさん

    この絵ですね。
    http://www.city.osaka.lg.jp/yutoritomidori/page/0000020952.html
    筑摩書房の「明治大正図誌 大阪」にも見開きで
    載っています。素敵な絵ですよね。
    http://blog-imgs-38.fc2.com/a/t/a/atamatote/youson.jpg
    僕も大好きです。
    奥に大阪城が描かれていますがまだ天守閣がありません。
    この絵を描いた3年後の昭和6年に完成します。
    大大阪の時代ですね。

  8. ゼク | URL | q1cvaNjE

    東淀川区史のP77を見ると神崎川の付け替え前の絵があります。
    この絵が江戸時代のこの辺りの絵図に出てくる川の感じだと思います。

    さらにさかのぼれば、750年くらいに元々淀川とは別系統の
    川だった安威川?を淀川につないだとありますのでこれが神崎川
    かと思っております。そして、その神崎川と淀川の江の部分に
    土砂がたまり中島が出来上がって東淀川区の基礎が出来たと勝手に
    想像しております。

  9. 新之介 | URL | sDz630us

    ゼクさん

    東淀川区史をみました。
    なるほど、こう流れていたんですね。
    面白そうなので、マップをレイヤーで重ねて
    今昔マップを作ってみましょう。
    記事に出来そうなネタですね。
    お楽しみに… ^^

  10. ゼク | URL | q1cvaNjE

    ありがとうございます!!
    楽しみに待っております!!
    しかし昔の地図を見れば本当によく分かりますね。
    現神崎川で分かれている井高野ですが氏神は大隅神社なんですよね
    それもそのはずで、江戸時代は神崎川は今の位置に流れていないで
    井高野の場所は大道村の土地だったんですからね。
    非常に面白いです!

  11. Empizzo | URL | X/aoCwEI

    Mijanponaさんがご紹介の写真、いいいですね。
    幕末→明治極初の写真はたいへん貴重だと思います。
    大阪の150年前。おそらく水の都と言われるに十分な
    「水辺の景色」が横溢していたことでしょう。
    今になって積み上げられている堤防の下の堤防、堤防の下の船着場、
    埋め立てられた道のカーブの延長線上にある現存河川、
    さがす気持ちとなにか発見した時の気持ちは
    ほぼタイムマシン乗船に匹敵といってもいいでしょうね。

    立地的にも歴史的にも中の島はデルタの王様でしょうか。
    街中にもかかわらず、その先端にあった干潟のような浅瀬ではシジミなどがいっぱいとれたのでしょうか。

  12. 新之介 | URL | sDz630us

    Empizzosann


    僕もこの時代の写真が大好き。
    大大阪時代もいいかもしれないけど
    幕末~明治初期の大阪に憧れます。
    その時代にタイムスリップしたい。

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