2007年
10月06日
(土曜日)
武田薬品は十三の自慢です。
武田薬品は十三の自慢です。
武田薬品の薬づくりは、十三の大阪工場からはじまりました。創設は大正4年(1915年)。今でも国内生産の65%をこの大阪工場で作っています。その出発は、大正3年に勃発した、第一次世界大戦でした。欧米からの薬の輸入が困難になり、薬の価格が暴騰、政府が薬の国内自給体制に力を注いだからです。5代目武田長兵衛が、これに応え十三の地に製造工場を建設しました。しかし、それが軌道に乗るまでには予想を遥かに超える出費が必要だったようです。「儲けは二の次、薬を商うて病人が癒えればそれでいい」とは武田長兵衛の言葉。ちなみにその頃作られていた薬のひとつは、整腸消化剤のビオフェルミンです。あなたの家にもあるのではないでしょうか。

思い出の十三地図・昭和10年〜20年ころ

昭和9年頃の大阪工場

十三の空にはいつもこの看板がありました
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武田薬品の薬づくりは、十三の大阪工場からはじまりました。創設は大正4年(1915年)。今でも国内生産の65%をこの大阪工場で作っています。その出発は、大正3年に勃発した、第一次世界大戦でした。欧米からの薬の輸入が困難になり、薬の価格が暴騰、政府が薬の国内自給体制に力を注いだからです。5代目武田長兵衛が、これに応え十三の地に製造工場を建設しました。しかし、それが軌道に乗るまでには予想を遥かに超える出費が必要だったようです。「儲けは二の次、薬を商うて病人が癒えればそれでいい」とは武田長兵衛の言葉。ちなみにその頃作られていた薬のひとつは、整腸消化剤のビオフェルミンです。あなたの家にもあるのではないでしょうか。

思い出の十三地図・昭和10年〜20年ころ

昭和9年頃の大阪工場

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武長の南西には博愛社が
思い出の十三地図昭和10〜20年頃は非常に興味深く拝見しました。この地図の左下すなわち南西側には博愛社がありました。当時は幼稚園に通う子供は少なく、お金持ちの家庭に限られていたように思います。博愛社は今でもあるようですが、元今里南通2丁目に住んでいた当時、3軒隣に林様という上品なお婆様が住んでおられ、博愛社の関係の方でした。最近博愛社のホームページで同社のあゆみを見ますと、社母の林歌子様ではなかったかと思います。少し東へ行くと十三公園(当時は木々も非常に小さくこじんまりした美しい公園でした。すぐ南には北野中学があり、付近は落ち着いた住宅地帯でした。
えっ!林歌子さんですか!
びっくりです。林歌子さんは私たちからすれば歴史上の人物です。このサイトを始めていろいろな資料を読みましたが、個人的には林歌子さんがされてきた功績はもっと評価されてもいいと思っています。それにしてもびっくり。
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