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西行と江口の君堂

2009年11月05日 08:00

西行と江口の君堂

江口の君堂に行ったのは今年の春です。

DSC05579.jpg
それが今日までなぜ記事にしなかったかというと、
この話しが平安時代と、めちゃ古いこともあって、簡単に説明しにくかったからです。
本題に入る前に、時代背景と西行法師の説明を簡単にしておきます。

DSC05618.jpg
この 江口の君堂 こと 寂光寺 が有名になったのは
西行法師 遊女 との歌問答が有名になったからです。

DSC03524.jpg
西行(1118~1190)は、出家僧でありながら諸国を渡り歩いた歌人でもあります。
新古今和歌集に94首も載っている大歌人で、家柄もよく、
祖先は藤原鎌足という武士の家系、頭がよく、武士としての技量も一流で、
なおかつ容姿端麗だったとか。
しかし、22歳という若さで妻子を捨てて出家の道に進みました。

DSC05599.jpg
ちなみにこの時代、まだ大阪という名前がありません。
渡辺綱(わたなべのつな)が渡辺氏を起こし、
その子孫が「渡辺党」という水軍も兼ねた武士集団を結成し、
大阪湾岸や淀川を勢力圏として仕切っていた時代です。
( この辺がややこしい…^^; )

kawae.jpg
そんな時代の 江口 はというと、
淀川本流と神崎川とが分かれる場所に位置していたことから、
水上交通の要衝としてかなり賑わっていたそうで、
神崎(尼崎)、蟹島(加島)と並ぶ歓楽街、 遊女の里 として栄えました。


さて、ここからやっと本題です ^^;
DSC05632.jpg
時は1167年の平安時代末期、西行法師は天王寺へ参詣する途中、この地を訪れます。
しかし、あいにくの雨。
次第に雨脚が激しくなり、とある粗末な家の戸をたたきました。

DSC05583.jpg

中から出てきた女性は、西行の姿を見て家の中に入れようとしませんでした。

世の中をいとふまでこそ
かたからめ 
仮のやどりをおしむ君かな


( ※ この世の執着を捨てることはあなたにとって難しいでしょうが、
雨宿りもだめだとはあなたは意地悪な人だ )

それに対し、女性のほほえんで

世をいとふ人としきけば 
仮のやどに 
心とむなとおもばかりぞ


( ※ あなたはこの世の執着を捨て出家された方、
一時的であれこんな粗末な家に心とどめるようなことを
なさいませんようにと思ったのです )

※新之介解釈
※歌は東淀川区史より。
ネットで見ると同じ歌が漢字のありなしでいろいろ出てきますね。
ひらがなが読みやすいのでこれにしました。


DSC05604.jpg

この女性は西行に対して、出家したことへの厳しさや覚悟を改めて認識させたのです。
女性は 遊女妙(ゆうじょたえ)として「新古今和歌集」にも出ています。
当時、江口の遊女は都の公卿や貴族と接する機会が多かったようで、
文化レベルの高い人が多かったのかもしれませんね。

DSC05609.jpg
その後、彼女は出家し80歳という高齢で亡くなりました。

DSC05588.jpg
弟子の尼僧たちが、寺の名前を宝林山 寂光寺 と命名しますが戦乱期に消失、
その後、正徳年間(1711~1716)に再興され現在にいたります。

DSC05578.jpg
本堂はその頃のものでしょうか。こちらは代々尼僧が住持されているそうです。

DSC05572.jpg
境内に古い石造が集められていました。

DSC05638.jpg
とても歴史を感じるお寺です。
でも、840年も前のお話なのでいまいちピンとこないですよね。

今の時代だと 「玄関の前でいったい何やっとんねん!」 って
突っ込みたくなりますが、まあ、何かで 西行 が出てきたら
江口の里のことを少しだけ思い出してもらえるとうれしいです。


より大きな地図で 江口の里 を表示


追伸
最後まで読んでくれてありがとう。
今回の記事に関心も持ってもらえる方は少ないかもしれないな…
でも、とても有名な話なので、できるだけわかりやすくしたつもりです。
新古今和歌集がちょっとだけ身近に感じれたらいいんだけど… ^^


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コメント

  1. TOSSY | URL | mXJ0wlpU

    好きなテーマ

    私には好きなテーマですね
    西行は北面の武士で 若き日の平の清盛と同僚だった人ですが このあたりを書いた小説を昔読みました
    「西行と清盛」 嵐山光三郎です
    面白かったですよ

    江口の君堂は行ったことがありませんが 瑞光のあたりなのですね
    平安時代は京都からは水行でしたから神崎流域にはいろいろとこういった逸話が残っていますね

  2. こぶたもち | URL | -

    白州正子が江口の君堂を見にわざわざ来たようで、
    その時の手記はこの地域のことさんざん見下して
    書いてました(怒)。殺風景な工場地帯をぬけて、
    住宅街(どうもびんぼくさいと言いたかったらしい)のなかに君堂があった、だの、入口の由来の時代背景がまちがってるとか、かなりな文章。
     でもこの地域、川端康成が一時期豊里に身を寄せていたり、いろいろ面白い話のある場所なんですけど・・・。

  3. 新之介 | URL | sDz630us

    TOSSYさん

    平清盛と同僚ってすごい人ですよね。
    僕も今回、西行を少しだけ知りましたが、
    なかなか興味深い人です。
    でも、あまりに古い人なので
    どこまで本当でどこまで脚色なのかが
    わからない…。
    その辺りが、とっつきにくいとこかも。


    こぶたもちさん

    白州正子さんの手記は興味深いです。
    殺風景な場所はその通りですし、由来はよくわかりませんが、
    全国的に有名な場所にしては周りの整備が普通の住宅地のままです。
    ここは観光地にできる可能性を秘めたお寺ですが、
    行政はそのことにあまり力を入れなかったのでしょうね。
    なので、目の肥えた方がここを訪れるとがっかりするのはわかります。
    町全体で君堂を考えていれば、
    白州正子さんもガッカリしなかったかもしれません。

  4. kotaro | URL | 8nGiSIKA

    神崎川の記事より

    戻って改めて読みました。
    江口の君については北尾鐐之助も触れていないか
    「近代大阪」を読み返しましたが、出ていませんね。
    昭和初期で、既に遠くなっていたのかもしれません。

    これと比較してですが、戦国の武将、木村重成の人気が
    昔にくらべ完璧に忘れられたのが寂しい。
    若江岩田といえば戦前は、一種の名跡でした。(そうな)
    戦国バサラや「花の慶次」で真田幸村の人気が若い人にも
    復活しているなら、大阪人なら戦国のイケメン、若き武将で
    奮戦の末に散った木村のことを知っておいて欲しいです。

    私も古いですね。(苦笑)

  5. 新之介 | URL | sDz630us

    kotaroさん

    戦国の武将木村重成。
    恥ずかしながら私もよく知りませんでした…^^;

    今や「歴女」が流行語大賞に入る時代ですから
    木村重成のブームがいつ来てもおかしくない!  

    かも…^^;

  6. mkikuya2000 | URL | -

    私は南江口で小・中・高と育ったのでとても懐かしいです

  7. 新之介 | URL | -

    mkikuya2000さん

    江口周辺は懐かしい風景が残っていますね。
    好きな場所です。

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