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さよなら木津川御幸橋

2009年10月07日 07:30

さよなら木津川 御幸橋

「十三」の名前の由来は、淀から数えて13番目の渡しがあったからという説があります。最初の渡しと思われる山崎の渡し(橋本の渡し)と淀との間には現在、御幸橋(ごこうばし)が宇治川と木津川に架かっています。宇治川に架かる御幸橋は既に新しくなっており、残る木津川御幸橋が現在架け替え工事中です。


より大きな地図で 三川合流 を表示
ここは桂川、宇治川、木津川が合流する場所、
現在のように3つの川が合流するようになったのは、
明治後期に行われた淀川改良工事によってです。

『100年前の淀川改良工事』

DSC01408.jpg
この橋が木津川御幸橋。昭和5年に架設されました。
私は長岡京市に住んでいた事があるのでとても馴染みのある橋です。
向こうに見えるのが男山。石清水八幡宮が鎮座しています。

DSC01388.jpg
この下を流れる木津川は淀川改良工事の前、明治3年に付け替えられたものです。
それまではもっと上流の淀城の辺りで、宇治川、桂川と合流していました。

DSC01384.jpg
現在の橋の上流側に新しい橋が出来ています。

DSC01385.jpg
ただ何かを待っているかのようにずっとこのままです。

DSC01412.jpg
立派な親柱。昭和五年七月竣功となっています。

DSC01379.jpg
この親柱は新橋が開通する時にはその場所に移設されると思います。

DSC01415.jpg
橋を渡った突き当たりに、こんなのがあります。
左はやはた、右は大阪。

DSC01418_20091006023817.jpg
よく見るとガラス玉が埋め込まれていますね。反射板みたいなもんでしょうか。

DSC01426.jpg
その横に「京阪国道改修記念」の碑がありました。

DSC01421.jpg
その裏にもガラス玉が埋め込まれたものが。

DSC01406.jpg
橋から山崎方面の眺めです。右中央の山が天王山。
左端にサントリーの山崎蒸留所が見えます。

さて、
kawaezu1000.jpg
これは寛政九年(1797年)に作成された河絵図に
「摂陽郡談(せつようぐんだん)(1701年)」に書かれている渡しを入れたものです。
一番上流の山崎の渡し(橋本の渡し)が抜けていますが、
「摂陽郡談」には書かれていませんでした。おそらく摂津国の地誌なので、
山城国の渡しのことが記されていなかったのだと思います。

『十三の由来3 摂陽郡談篇』

DSC01752.jpg
これは京阪「橋本」駅の横にある橋本渡舟場の道標です。

DSC01689.jpg
堤防近くの橋の袂にも道標がありました。

DSC01686.jpg
山ざき あたご わたし場。

この渡し場は、京街道沿いで石清水八幡宮の最寄の渡舟場でもあることからか、
人の往来が多く、いつしか遊郭街となりました。

DSC01766.jpg
今でも昔の町並みが残る歴史的にも貴重な地域です。


[おまけ]
DSC01708.jpg
旧街道沿いに橋本湯という銭湯を見つけました。
めっちゃエエ感じでしょ。


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コメント

  1. jack77betty | URL | -

    橋本旧遊郭

     「御幸橋」結構長いですね。チャリンコで何度かわたったことがあります。

     以前参加していた別のとぴで「橋本の旧遊郭」の街並み、今のうちに見ておかないとなくなってしまうかも、と街並み通の方に教えていただきその前にと昨年見てきました。大阪にも旧遊郭は各所にありますが、これだけ昭和レトロの雰囲気を良く残している所はないと思います。(橋本は正確には大阪ではなく京都府ですが)。
     予想に反して実際に更地(歯抜け)になってる所はほとんどなくちょっと安心しましたが、もとの商売と関連のある旅館や料亭として営業している所は少なく、居宅として使っているとことがほとんどのようで、その家屋も古いものが多く立替となればわざわざ持ち主が旧の風情を残してくれるとは限りません。
     まだなかったと思いますが数軒マンションにでも建替えれば、残念ですがドミノ式に街並みが消えて行くかも知れませんね。 
     「橋本湯」、大阪側からの入り口(町の西端)にありましたね。良く覚えています。

  2. 新之介 | URL | sDz630us

    橋本の町

    jack77bettyさん

    さすがによくご存知ですね^^

    堤防沿いの道はよく通っていて、古い建物が残っているので
    ずっと気になっていた場所でした。

    実はこの日、何の前知識もなく橋本の町に入り込みました。
    地元のおばちゃん達が世間話をしてる中で「遊郭」という言葉が
    聞こえてきて、もう一度歩いて理解したんです。

    今はまだ昔の町並みが残っていますが
    空き地や新築の家が増えてきてますね。

    京街道沿いに道標もいくつか残っていて
    とても風情のある場所だと思いました。

  3. jack77betty | URL | -

    旧遊郭探訪趣味

     新之介さん。おはようございます。RESありがとうございました。
     以前枚方の天然記念物椋の木やその近くの森繁久弥氏の生家について触れた折、枚方市が京街道(別名東海道57次)の宣伝に力を入れていると書きましたが、その同市発行の京街道パンフレットには(勿論枚方市だけでなく他の地域も同等に扱っている総合パンフレットですが)、この街道を通しても有数の見所であろうと思われる「橋本旧遊郭街並み」については絵地図から欠け落ちており、関連する記事もまったく見当たりません。かろうじて渡舟場の道標だけは記載されていますが。
     上記の例をみるまでもなく旧遊郭というのはある意味観光資源としては一般的には遺棄或は敬遠されているかと思います。
     話は戻りますが
    >実はこの日、何の前知識もなく橋本の町に入り込みました。
    >地元のおばちゃん達が世間話をしてる中で「遊郭」という言葉が聞こえてきて、もう一度歩いて理解したんです。( 新之介さん)
     橋本の街は明るくオープンな感じがして、予備知識がなければそれと気付かない可能性もありますね。人影も結構多いです。ここならデジカメのシャッターを切りながら街歩きするにもためらいがないかと思います。今の季節良く見かける時間をかけてのスケッチでも大丈夫かもしれません。
     旧遊郭、場所によっては写真機を持ってうろうろするのをはばかるような感じの所もありますね。というよりむしろそういういう所のほうが多いかもしれません。

  4. 新之介 | URL | sDz630us

    jack77bettyさん

    >…旧遊郭というのはある意味観光資源としては一般的には遺棄或は敬遠されているかと思います。

    なるほど。
    確かにそうかもしれないですね。

    大阪でもある地域を歩いていると不思議な感覚が沸いてきます。
    何なんでしょうあれ。
    カメラで撮ってはいけない雰囲気が町中に漂っている…

    僕は赤線を知らない世代ですし十三という歓楽街で育ってるので
    ホテル街や風○街を歩いていても特別な感情は沸きませんが
    それとは明らかに違う空気がありますね。
    それが残っているのがもしかしていいのかな…

    橋本にはその空気がまったくありませんでした。
    なので、観光地化してもいいのかもしれませんが、
    住人の方々がそれを望んでいないのかな…

    ※ ○は禁止ワードのようです

  5. 点と点 | URL | xfWPEvlw

    よく見つけましたね!

    橋で検索しました。
     御幸橋  大きな欄干ですね!
      その先に案内板があるとは
     2009年春、2010年春 背割の桜を見に行きましたが
     橋のたもとの この大きな案内 気づきませんでした。

     来年の春に桜を見に行くと思います。その時に撮って来たいとおもいます。

     西国街道順調のようですね! どこかでお会いするかもしれませんね!

  6. 新之介 | URL | sDz630us

    点と点さん

    御幸橋はしばらく行っていませんが、古い橋はもう解体されたのかもしれませんね。
    今度は京街道も歩く予定ですが、最初はこの辺りから歩こうかと思っています。
    やはり男山と天王山の周りがいちばん興味深い。
    でもこれから夏にかけて歩くのはキツいかもですね。
    秋口かな…

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