2009年09月03日 08:00
祝ブログ2周年記念・秘蔵写真公開
僕も20世紀少年?

これ買いました。CasaBRUTUS・浦沢直樹読本。
その中で浦沢さんがこんなことを言ってました。
「東京オリンピックと万博の記憶があるのが
最強の世代なんだよ」って。

万博は転換点だとも…。
確かにあの大阪万博というのは
ある世代の人達にとってはエポックメイキングな出来事でしたね。

改めて、日本万国博覧会とは何だったのか。
いろいろ読んでみました。
☆ ☆ ☆
これが日本万国博覧会の全景です。
「EXPO'70 驚愕!大阪万国博覧会のすべて」より

大阪万博とは1970年に開催された国家を挙げての大事業でした。
訪れた全ての人には、この場所がキラキラ輝いて見えていたのだと思います。

会場内は、まるで未来都市。こんなロープウェイやチューブ状の歩道橋がありました。
少年の胸に付けているのが迷子ワッペン。
これには6桁の番号が付いていて、
迷子になってもコンピュターで親を照合できたみたい。

小学生の頃にこんな未来都市を見せられたら、人生観が変わると思います。
ここで、ちょっとだけパビリオンのご紹介…

この背の高いのはブリティッシュコロンビア州のモミの木館です。
かなり目立っていた建物です。
階段状の部分は途中まで登れたそうですよ。

手前はスイス連邦の光の木。夜が特に美しい建物でした。

正面の建物は、ガスパビリオン。
正面から見ると、大きな口を開けたハクション大魔王の壷のような建物です。

奥の赤い建物は、ソビエト社会主義共和国連邦のパビリオン。
かなり巨大な建物でした。

『20世紀少年』のケンヂくんは当時小学5年生。浦沢直樹さんと同い年です。
小学生の時に、この万博を経験した人が少しうらやましい。
僕はちょっと幼すぎました^^

でも、ギリギリで万博に間に合ったので、
それはそれでうれしい。
年下の人達、ごめんね^^;
浦沢さんが言ってましたが、東京オリンピックをも知ってる昭和30年生まれの人達が
最強の世代なのだそうです。早すぎても遅くてもダメなんだって^^
戦後文化が芽吹いて、高度経済成長の波に乗って花開き、
バブルの崩壊までの全過程を生で体験できている世代です。
他の世代に比べると絶対に優位なんだそうです。
確かにそうかもしれない…
でも、バブルも経験していない世代は
元気のない日本しか知らないのかもしれないな。
それはそれで問題だ。
さて、

今も万博公園に行くと、当時のモノがいくつか残されています。

日本庭園では当時のビデオを見ることが出来ます。
太陽の塔の内部の映像も観れますよ。ちゃんと大きなマンモスがいました^^

こんな写真も飾られていました。
フジパン・ロボット館の手塚治虫さんプロデュースのロボットです。
たぶん僕も見てると思います。

こんなマンホールもありました♪
先日万博公園に行ったとき、
若い人達は太陽の塔を見ながら「20世紀少年」の話をしてました。
太陽の塔は僕らにとっては高度経済成長の象徴です。
でも彼らにとっては、とてつもなく巨大でちょっと変な構造物なのですね。
彼らの後ろ姿を見ながら、もうあの時代のような日本は
こないのだろうかと、ふと思いました。
彼らにも元気な日本を体験してもらいたい。
これからも3周年に向けてがんばっていきますよ~。
ポチッと、応援お願いします。

僕も20世紀少年?

これ買いました。CasaBRUTUS・浦沢直樹読本。
その中で浦沢さんがこんなことを言ってました。
「東京オリンピックと万博の記憶があるのが
最強の世代なんだよ」って。

万博は転換点だとも…。
確かにあの大阪万博というのは
ある世代の人達にとってはエポックメイキングな出来事でしたね。

改めて、日本万国博覧会とは何だったのか。
いろいろ読んでみました。
☆ ☆ ☆
これが日本万国博覧会の全景です。
「EXPO'70 驚愕!大阪万国博覧会のすべて」より

大阪万博とは1970年に開催された国家を挙げての大事業でした。
訪れた全ての人には、この場所がキラキラ輝いて見えていたのだと思います。

会場内は、まるで未来都市。こんなロープウェイやチューブ状の歩道橋がありました。
少年の胸に付けているのが迷子ワッペン。
これには6桁の番号が付いていて、
迷子になってもコンピュターで親を照合できたみたい。

小学生の頃にこんな未来都市を見せられたら、人生観が変わると思います。
ここで、ちょっとだけパビリオンのご紹介…

この背の高いのはブリティッシュコロンビア州のモミの木館です。
かなり目立っていた建物です。
階段状の部分は途中まで登れたそうですよ。

手前はスイス連邦の光の木。夜が特に美しい建物でした。

正面の建物は、ガスパビリオン。
正面から見ると、大きな口を開けたハクション大魔王の壷のような建物です。

奥の赤い建物は、ソビエト社会主義共和国連邦のパビリオン。
かなり巨大な建物でした。

『20世紀少年』のケンヂくんは当時小学5年生。浦沢直樹さんと同い年です。
小学生の時に、この万博を経験した人が少しうらやましい。
僕はちょっと幼すぎました^^

でも、ギリギリで万博に間に合ったので、
それはそれでうれしい。
年下の人達、ごめんね^^;
浦沢さんが言ってましたが、東京オリンピックをも知ってる昭和30年生まれの人達が
最強の世代なのだそうです。早すぎても遅くてもダメなんだって^^
戦後文化が芽吹いて、高度経済成長の波に乗って花開き、
バブルの崩壊までの全過程を生で体験できている世代です。
他の世代に比べると絶対に優位なんだそうです。
確かにそうかもしれない…
でも、バブルも経験していない世代は
元気のない日本しか知らないのかもしれないな。
それはそれで問題だ。
さて、

今も万博公園に行くと、当時のモノがいくつか残されています。

日本庭園では当時のビデオを見ることが出来ます。
太陽の塔の内部の映像も観れますよ。ちゃんと大きなマンモスがいました^^

こんな写真も飾られていました。
フジパン・ロボット館の手塚治虫さんプロデュースのロボットです。
たぶん僕も見てると思います。

こんなマンホールもありました♪
先日万博公園に行ったとき、
若い人達は太陽の塔を見ながら「20世紀少年」の話をしてました。
太陽の塔は僕らにとっては高度経済成長の象徴です。
でも彼らにとっては、とてつもなく巨大でちょっと変な構造物なのですね。
彼らの後ろ姿を見ながら、もうあの時代のような日本は
こないのだろうかと、ふと思いました。
彼らにも元気な日本を体験してもらいたい。
これからも3周年に向けてがんばっていきますよ~。
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コメント
kotaro | URL | 8nGiSIKA
そのころはまだ
戦中戦後の貧しさも痕在していたことも
憶えていて欲しいです。
小学校の同級生にはバラックに住んでる人も居たし
子供が近寄ることを大人から禁じられた区域も残っていました。
そのコントラストが強かったからこそ、
人々は万博に熱狂出来たのだと思います。
また、
社会主義の延長線上(技術、科学分野)と
自由主義の延長線上(文化、芸術分野)を延ばして
いくとどこかで交差できると信じていました。
『人類の進歩と調和』
小5の私でも一生懸命スローガンに就いて
夏休みの終わりに理解を試みていました。
( 2009年09月03日 22:51 [Edit] )
きさんじ | URL | -
エキスポカフェ
天満橋のエキスポカフェには行かれたことがありますか?
世代には、たまりませんよぉ~♪
( 2009年09月03日 23:44 )
ゼク | URL | q1cvaNjE
僕も
残念ながら生まれたのは万博の後でした。
1971年生まれです。しかし花博は4回くらい行きましたよ!!
( 2009年09月04日 19:42 [Edit] )
久しぶりです。 | URL | H6hNXAII
万博で生まれて初めて食べた、
フランクフルトとアメリカンドックや
生のパイナップル(酸っぱかった)味は
衝撃的でした。
駅までの帰りのバスが無くなり親と一緒に
国鉄茨木駅までよく歩いて帰ったのを
思い出します。
( 2009年09月04日 20:33 [Edit] )
新之介 | URL | sDz630us
kotaroさん
ありがとうございます。
「光の時代」のようで実は「陰の時代」を
引きずっていた時代だと思います。
忘れてはいけないことですね。
そのことはこのブログでも先輩方に
いろいろ教えていただきました。
ありがたいことです。
( 2009年09月04日 22:56 [Edit] )
新之介 | URL | sDz630us
きさんじさん
行って来ました^^
知ってたんですけど行くのは初めて。
例の「エキスポ天国」は食べなかったですけど…
ゼクさん
花博4回ですか!
それはすごい!!
僕は行かなかったんですよね。
ちょっと屈折していた年頃だったからかも^^;
久しぶりです。さんは
十三のテンキッちゃんですね^^
フランクフルトにアメリカンドックに
生のパイナップル。
わかるわかる!
僕がそれらを初めて食べたのは
たぶん小学校の低学年。
特にアメリカンドックは衝撃的でした。
近所のコロッケ屋が売り始めて
よく買ってもらいました。
とうぜん晩御飯のおかずです^^
( 2009年09月04日 23:10 [Edit] )
pinboke_planet | URL | nJ6t.gCE
ナイター専門
当時の勤務先の終業時間が午後4時でしたので、近くの明石西インターから数回行きました。
なので、人気のアメリカ館やソ連館もあまり行列せずに楽しめましたね(1日1館ですが・・・)。
8枚目のスイス館は同行者の写真を、この前でよく撮ったので鮮明に覚えています。
夜キレイなのと、比較的人通りが少なくゆっくり写真が撮れたのです。
カメラはキャノネットQL1.7、車ははじめての、兄から譲ってもらった2代目ブルーバード2ドアスタンダード(ピニン・ファリーナデザイン)でした。
長男はまだ0歳で、「ジョリ-ジャンパー」で天井からぶら下がってピョンピョン跳んでいた頃ですが、結局一度も連れて行きませんでした。
( 2009年09月06日 10:37 [Edit] )
新之介 | URL | sDz630us
pinboke_planetさん
なるほどナイターだとあまり行列を
しなくてよかったんですね^^
僕はアメリカ館もソ連館も
まったく記憶にないのでとても残念です。
あと5年早く生まれてたら…
万博は2回行ったようなのですが
ほとんど記憶が残っていないのが
とても歯がゆいです。
( 2009年09月06日 22:49 [Edit] )
さくら | URL | -
こないだ太陽の塔を見に行って来ました。学生時代に行ったのが最後だったので、十年ぶりぐらいでした。いつ見ても圧倒されます。今、車のキーにつけているキーホルダーはちっちゃい太陽の塔です。
花博は小学生の頃に、父母と2回ほど行きました。エビフライがすごくおいしくて、夜の会場がキラキラしていて本当に素晴らしい博覧会だと思いました。それがきっかけとなり、愛知万博で働きました。
愛知万博は職場だったため100回は行きましたが、大阪万博の頃に生まれていたかったなぁと、行くことができた人をしみじみうらやましく思います。
( 2009年09月28日 22:19 )
新之介 | URL | sDz630us
さくらさん
愛知万博が職場だったってすごいね。
うらやましい。
僕は花博の頃は大学生だったし、
愛知万博は社会人だったので、
興味は他の所にあって行かなかった。
万博って小学生くらいの時に見るのがいいんだと思います。
ある意味、僕たち世代は中途半端だったのかもしれないな。
昭和50年代に万博があったら
絶対行ってたと思います^^
( 2009年09月29日 11:40 [Edit] )
さくら | URL | -
新之介さん
そうですね、「万博は小学生くらいの時に見るのがいい」まさにその通りだと思います。
大人になると良くも悪くも客観的にはなってしまって、小学生の頃のように一生を左右するような思い出としては残りにくいかもしれませんね。
私にとって、大阪万博は行けなかった分、本当に憧れの万博で、当時の資料などを見たりして妄想で楽しんでいます(笑)。
花博は、バブル期の博覧会らしく、とても華やかでした。
「日本ってすごい国なんだなぁ」としみじみ感動していました。今の経済状況や、風潮ではこういう博覧会は難しいでしょう・・・。
愛知万博で働いたときはすっかり大人になっていましたが、万博の舞台裏を見れるというのが嬉しく、お客さんがいなくなったあとの会場を走る清掃専用車などを見て、友人と大はしゃぎしていたのを覚えています。会期が終了してから、跡地に何度か行きました。それはそれで楽しいのですが、当然ながらお祭り気分がすっかり鎮まっているので寂しい気持ちにもなりました。
心から、大阪万博中の太陽の塔を見たかったと思います。
( 2009年09月30日 23:08 )
新之介 | URL | sDz630us
さくらさん
自分の子供が今は小学生です。
彼らは小学生時代に万博を体験できない世代なのかもしれないね。
今の子供達にも人生観が変わるような経験を
子供の時代にしてほしいと思います。
( 2009年10月02日 10:11 [Edit] )
さくら | URL | -
子供って、大人と同じような環境で暮らしていても大人が気づかないようなことに気づいたり、たった一日の日常からでも多くのことを学びますね。
そういう意味では一日一日が彼らにとっての万博なのかもしれないとも思います。
うらやましいです!
( 2009年10月04日 22:08 )
新之介 | URL | sDz630us
さくらさん
確かに一日が長いみたい^^
( 2009年10月06日 00:45 [Edit] )
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