2007年09月29日 21:20
大阪一美しい橋、十三大橋
大阪、梅田と十三を結ぶ十三大橋。
この地に初めて橋が架けられたのは明治11年。まだ中津川が流れていた時代です。木造で民営の有料橋でした。それまで中津川には橋はなく、すべて渡し舟だったそうです。
明治29年から43年にかけて淀川改良工事が行われました。守口の辺りから、大阪湾にいたるまでの河積を拡げ、堤防を強化する大国家事業です。明治35年、その新しい河川に木造の十三橋が架設。ただこの橋は仮橋で明治42年鉄橋が完成しました。
昭和5年、道路の拡張整備にともなって橋も架け替え、現在の十三大橋が完成しました。橋幅は20メートルあり、中央部は市電の軌道敷として設計されていたらしいです。鋼タイドアーチが5つ続く美しいシルエット。まさに十三のシンボルです。
よーく見ると細部に装飾がほどこされています。設計者のこだわりなのではないでしょうか。

明治43年頃、右手に阪急の鉄橋が見えます。





←ブログランキングに参加しています。クリックして頂ければランキングが上がります。ポチッとお願いします。
大阪、梅田と十三を結ぶ十三大橋。
この地に初めて橋が架けられたのは明治11年。まだ中津川が流れていた時代です。木造で民営の有料橋でした。それまで中津川には橋はなく、すべて渡し舟だったそうです。
明治29年から43年にかけて淀川改良工事が行われました。守口の辺りから、大阪湾にいたるまでの河積を拡げ、堤防を強化する大国家事業です。明治35年、その新しい河川に木造の十三橋が架設。ただこの橋は仮橋で明治42年鉄橋が完成しました。
昭和5年、道路の拡張整備にともなって橋も架け替え、現在の十三大橋が完成しました。橋幅は20メートルあり、中央部は市電の軌道敷として設計されていたらしいです。鋼タイドアーチが5つ続く美しいシルエット。まさに十三のシンボルです。
よーく見ると細部に装飾がほどこされています。設計者のこだわりなのではないでしょうか。

明治43年頃、右手に阪急の鉄橋が見えます。







スポンサーサイト
コメント
ユメタロウ | URL | -
昔の橋の橋脚跡が
干潮時に、十三橋の上から、左岸(大阪駅側)の海側本流の流れの30mくらい沖に、昔の橋の丸い橋脚が2箇所、右岸側も一箇所、今も見ることが出来ます。
昭和15年ころ、東海道線(大阪駅と塚本駅)の淀川鉄橋の上流70mくらいのところに、浦江(今の大淀町中)と塚本間に伝馬船の渡し船があったように記憶しているのですが・・。
( 2008年03月08日 02:11 )
新之介 | URL | u6i4c2k.
ユメタロウ様
ユメタロウ様も気づかれましたか。実は私も、昨年このブログで教えていただき確認しました。
こちらにその時のコメントがあります。
http://atamatote.blog119.fc2.com/blog-entry-69.html
塚本に渡し船はあったようですね。
覚えてらっしゃるとはすごいですね。
東淀川区史で読んだことがあります。
明治時代の地図に渡しが記されています。
http://atamatote.blog119.fc2.com/blog-entry-59.html
昭和の15年頃まで渡しがあったのは知りませんでした。
ユメタロウ様は昔のことをよくご存知ですね。
これからもいろいろ教えていただければうれしいです。これからもよろしくお願いいたします。
( 2008年03月09日 00:13 [Edit] )
コメントの投稿