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昭和20年代の阪急百貨店屋上と新日本放送と

2009年06月17日 07:00

阪急百貨店屋上と新日本放送

chiisana.jpg

「屋上の小さな放送局」という本を読みました。
著者の庄野さんは、昭和27年に
開局間もない新日本放送(現毎日放送)に入り
番組の制作に携わっておられた方です。

この本は阪急百貨店の屋上に開局した
ラジオ放送局での出来事(昭和27~29年)を
著者が記憶をたどりながら書き綴っており、
個性豊かな人たちがたくさん登場します。
面白いのは、出てくる人達がすべて実名であること。
大学生だった藤本義一さんや
俳優の金田龍之介は同僚として登場します。
記録としても面白い本です。

その中で、屋上の描写を探してみたのですが、
こんな一節がありました。

「翌日、藤野と百貨店の食堂で昼飯のあと、屋上に出た。いつものベンチに座った。
いい天気なので、僕は少々風邪気味なのだが、あまり寒くはない。
閑古鳥が鳴いている屋上遊園には、相も変わらず『カモメの水兵さん』が流れている。」
(庄野至、『屋上の小さな放送局』、編集工房ノア、1998。)

kibo_008.jpg
この写真はきーぼーさんから提供いただいた、昭和27年頃の阪急百貨店です。
庄野さんが入社された頃の写真ですね。

okujo_05.jpg
屋上に目を移すと、新日本放送の看板が見えます。
手前の大きなアンテナからラジオ放送が配信されていました。

okujo_06.jpg
その横に目を移すと屋上遊園が見えます。

当時の屋上はどのような場所だったのでしょうか。

今回はきーぼーさんから昭和29年頃の
阪急百貨店屋上の写真を提供いただきました。
きーぼーさん、今回も感謝です!
それに承諾いだたいたお祖母さん、ありがとうございます。


hankyuokujo_01.jpg
おっ、左から2人目の笑顔の方は前回の写真にも
写っていたきーぼーさんのお祖母さんですね。

ここは何かののりば前のようですね。

hankyuokujo_03.jpg
なるほど、ボートが回転しながら進んで行くアレですね。
みなさん童心に返って乗ったのかな…^^

hankyuokujo_02.jpg
奥の看板に「こどもの…」という文字がみえますね。
年史の資料を見ると当時は「屋上こどもの国」と呼ばれていたみたいです。

hankyuokujo_05.jpg
こちらはロケットっぽいものが見えます。
これもやはり回転していたのでしょうね。

tossy_004_2.jpg
この写真は以前も紹介した、TOSSYさんからお借りした
阪急百貨店の屋上です。ほぼ同時期です。

当時は大型の乗り物が多かったようですね。
まるでプチ遊園地です。

hankyu_06.jpg
「毎日放送の40年」より
昭和27年頃と思われる写真を見つけました。
とても存在感のある建物です。
屋上の様子が微妙に見えないな。
もう少しアングルが高いと屋上の乗り物が
見えたのですが…

hankyu_07.jpg
「阪急百貨店50年史」より
昭和32年頃と思われる写真です。
一番奥に先ほどのロケットの乗り物らしきものが見えます。
右手前に見える円形の中心に塔がある所はボートかな?

どっちにしろわかりにくいですね。
ごめんなさい^^;

hankyuokujo_04.jpg
これは8階の大食堂のようです。
これも貴重な写真です。
何を食べておられるんでしょう?
巻き寿司が見えるな^^
年史の資料の中に大食堂の献立があって
「にぎりずし」もあったのですがそれかも。
ちなみに昭和34年の値段をみると100円になってました。
昭和29年だともう少し安かったかもしれませんね。

百貨店内をブラブラ見てまわり、お買い物。
屋上で子供を遊ばせて、
大食堂で食事や喫茶店でお3時。
とてもいい時代の百貨店の過ごし方ですね。

百貨店はやっぱりこうでなくっちゃ!


(追記)
hankyuokujo_11.jpg
昭和30年1月の屋上のベンチです。木のベンチですね。

hankyuokujo_08.jpg
「日本電車発達史」より ←amazonにリンクしてます。
これもきーぼーさんから送っていただいた写真です。
昭和29年のカラー写真です。これは貴重だ。
屋上がわずかに見えていますね。

hankyuokujo_09.jpg
「大阪・京都・神戸 私鉄駅物語」よりamazonにリンクしてます。
きーぼーさんに教えていただいたのですが、こんな写真がありました。
昭和29年頃の写真です。手前が阪急百貨店、向かいに阪神百貨店と第一生命ビルです。
このアングルからの写真は始めて見ました。

hankyuokujo_10.jpg
「大阪・京都・神戸 私鉄駅物語」よりamazonにリンクしてます。
アップにしてみました。やはり中央にあるのはボートの乗り物です。
奥の傾いた円形はムーンロケットでしょうか。
手前の屋根の所に機関車があったのかな。
それにしても貴重な写真だ!


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コメント

  1. pinboke_planet | URL | nJ6t.gCE

    新日本放送

     小中学生の頃は、かなり頻繁に阪急百貨店へ行っていましたので、懐かしい当時の写真ですね。
     特に遊具で遊ぶわけではありませんが、屋上も必ず訪れていたので、新日本放送の建屋工事も見ていましたが、とても小さな建物だったと思います。

     8枚目の写真の遊具はたぶん「ムーンロケット」という名前だったと思います。

     10年後くらいに、阪急百貨店も屋上ビアガーデンを一時やっていましたが、あまり広くもなく、なんとなく落ち着かない雰囲気でしたので一度行ったくらいだったと思います。

  2. TOSSY | URL | mXJ0wlpU

    とってもなつかしい

    > まるでプチ遊園地です

    そうです 
    父親は 買物に行くわけでもなく 宝塚遊園地に行くよりも近いので阪急の屋上に遊びに連れて行ってくれていました

    母の買物にもついていったと思うのですが 母は写真を写せなかったので 写真はないのです
    「わたしにも写せます」の時代になるのはまだ先でした

    ですから きーぼ-さんのおばあさまたちのお写真はとっても貴重ですね
    特に大食堂内
    当時のfilmでは フラッシュをたかないと写らなかったのではないでしょうか
    もちろん パラポラアンテナのようなのをつけて豆電球のようなのが ボッと光るあれですね

    大食堂で食べさせてもらえるフルーツパフェについている薄い薄い一切れのメロン
    どんなにもっと沢山食べたいと思ったことでしょう
    今もメロンが大好きなのはこのころの影響です

    子供達には パフェや蜜マメを食べさせて 母はザルソバを食べていました

  3. きーぼー | URL | kNOGdEho

    日記より

    掲載ありがとうございます。昭和29年頃というか、まさに29年ですよ。

    昭和29年9月8日の祖母の日記には、
    「大阪で○○さんと○○さんと(略)五人久し振りに阪急で おすしを食べて屋上で○○さんのご主人に沢山冩眞をうつして頂いて、思い切りおしゃべりして来た。」とあり、誰が撮ったかの謎が解けました。

    今や大阪の百貨店の屋上遊園地は阪神百貨店だけになってしまいましたねえ。それももうあまり長くない…

    毎日フォトバンク
    http://photobank.mainichi.co.jp/

    「阪急百貨店 屋上」で検索すると、屋上の写真が数枚出てきます。祖母の写真と同じボート、TOSSYさんの写真の列車(「梅田駅」)もありますよ。大金を払わないと大きなサイズで見られないのが惜しいですが、貴重な写真だらけです。

    よみうり写真館
    http://www.yomiuri.co.jp/shashinkan/

    ↑同様に、pinboke_planetさんのコメントに出ている屋上ビアガーデンの写真もあります。

  4. 新之介 | URL | sDz630us

    pinboke_planetさん

    ムーンロケットですか。
    よく覚えておられますね^^

    ビアガーデンはおそらく現在も残っている
    第五期館の屋上だと思います。
    昭和30年代にはゴルフ練習場もあったようです。
    第五期館屋上は大人が楽しめる場所だったのかな。

  5. 新之介 | URL | sDz630us

    TOSSYさん

    確かに私達の頃も
    メロンは薄いものでした。
    皮のぎりぎりまで食べてました^^

    昭和29年頃の屋上の写真を追記しました。
    かなり詳細に屋上の様子がわかりますよ。

  6. 新之介 | URL | sDz630us

    きーぼーさん

    いろいろありがとうございます。

    「毎日フォトバンク」と「よみうり写真館」は
    さすが貴重な写真が見れますね。
    新聞社のライブラリには
    もっとたくさんの貴重な写真が
    埋もれているのでしょうね。
    発掘に行きたい気分です。
    もっとたくさん閲覧できるようなれば
    いいんですけど…。

  7. ゆきひろ | URL | -

    とても貴重な写真をありがとうございます。
    私が記憶しているのは昭和40年代前半、小さなケーブルカーのような乗り物があり、いつも(と言っても年に数回)乗せてもらっていました。前に進んで行くとビルから落っこちてしまうんじゃないか、というスリル感がとても楽しかったです。
    そして大食堂で福神漬けが添えられたカレーライスを食べ、おもちゃ売り場で遊び(もちろん何も買えません)、正装したハレの一日を存分に楽しんだものです。
    そうそう、今ではレストランと言わず街の食堂でも込んでいたら入り口で待っているものですが、当時はそろそろあの席は食べ終わるな、と目星を付けた席の後ろに立って待ってました。早い者勝ちです。みんなパワフルで厚かましくて活気ありましたねえ。

  8. pinboke_planet | URL | nJ6t.gCE

    食堂の写真など

     当時のフィルム事情を思い出しますね。
    FUJIFILMがネオパンS、SSシリーズに続きコダックのトライXに対抗してSSSシリーズを発売した時代ですね。

     この写真はSSで撮ったのかな? SSSやトライXは使ったことがありますが、とても粒子が粗かったのでフツーの写真には使いませんでした。

     ちょうど同じ頃の明るい昼間の東宝テレビ喫茶でも、カメラをテーブルの上においてB(バルブ)で写したことを思い出しましたが、たぶんフィルムはS(ASA50)だったのでしょう。
     その後、SSを使うようになってからは、明るい教室などでは問題なく写るようになりました。

     TOSSYさん説明のフラッシュバルブは、後に現在のPanasonicグループに入った、天六近くのウエスト電気の製品が折りたたみ反射傘タイプでは有名で、使ったことがあります。

     昭和29年頃にはスライド用のカラーフィルムをぼく達もごく稀に使うようになりましたが、たぶんASA10くらいだったので、室内ではブルーのフラッシュバルブが必需品だったのです。しかし旧型カメラにはシンクロ接点が無いものもありましたので、まだまだ写真は晴天の屋外で【f8 1/100】で・・・といった時代だったように思います。


  9. 元沿線住人 | URL | p2P9ZKxc

    のりもの券

    阪急の屋上遊園地が「いきつけ」だった世代です。
    実家に母のたんすには、おそらくまだ当時の“のりもの券”が残っていると思います。

    記憶があるのは、写真よりも10年後ですね。でもあまり変わっていない気がします。ボートは覚えていません。

  10. きーぼー | URL | kNOGdEho

    フラッシュ

    大阪・京都・神戸 私鉄駅物語の写真見つかりましたか(笑)
    食堂の写真、フラッシュを焚いているようには見えませんね。シャッタースピードが気になります。

    この前年に屋上から撮られた写真を見付けました。つい最近アップされた物です。

    阿房列車ピクトリアル
    昭和28年の大阪駅前風景①
    http://fuzzyphoto.blog120.fc2.com/blog-entry-868.html
    昭和28年の大阪駅前風景②
    http://fuzzyphoto.blog120.fc2.com/blog-entry-869.html

     世界で一番弱い人 40年前の阪神・阪急百貨店屋上遊戯コーナー (大阪梅田)
    http://nitioku.blog49.fc2.com/blog-entry-236.html
    出典が書いてありませんが、これは万博の頃の写真でしょうか。

    阪急百貨店の屋上遊園地の写真は近年の写真さえネット上にはほとんど見当たりませんね。

  11. pinboke_planet | URL | nJ6t.gCE

    >>これは万博の頃の写真でしょうか。

    まさしく万博期間・万国旗で満艦飾の阪神百貨店のようですね。

    「家族」より・1970年の梅田と太陽の塔
    http://picasaweb.google.com/PINBOKE/1970#

  12. きーぼー | URL | kNOGdEho

    >pinboke_planetさん
    40年前なら69年かと思ったんですが、阪神百貨店の飾り付けはやはりそれですよね。まだ低い建物が多いなあ

  13. 新之介 | URL | sDz630us

    ゆきひろさん

    そうですよね。
    百貨店って子供にとっても
    特別な場所でしたね。

    >そろそろあの席は食べ終わるな、と目星を付けた席の後ろに立って待ってました。

    わかります^^
    そんな時代でしたね。
    それだけ大食堂は混んでいたんですね。

  14. 新之介 | URL | sDz630us

    元沿線住人さん

    のりもの券が残っているのはすごいですね。
    40年以上前でしょうか。
    将来プレミアが付くかも…^^




  15. 新之介 | URL | sDz630us

    pinboke_planetさん

    先日実家で見つけた阪神百貨店を撮影した
    フィルムを見るとkodakTXでした。
    近いうちにアップする予定ですが
    ざらざらした粒子感が結構好きかも。

    当時のカラーフィルムがASA10というのは
    びっくり。そんな時代だったんだ。

    「家族」は前もみましたが
    何回観ても貴重な資料ですね。
    倍賞さんの上の子供と私は
    たぶん同じくらいの年齢だと思います。
    万博を覚えているギリギリの世代です^^

  16. 新之介 | URL | sDz630us

    きーぼーさん

    「阿房列車ピクトリアル 」と
    「世界で一番弱い人」のサイトは
    私も検索してみていました。
    どちらのサイトも貴重な写真ですね。

    阪神百貨店の屋上の写真は
    私が学生時代に撮った写真が出てきましたので
    近い内にアップします。
    2回分くらいありますよ♪

  17. kotaro | URL | 8nGiSIKA

    庄野至さん

    大阪の民放というと朝日放送におられた庄野潤三さんの
    親戚の方でしょうか。
    阪田寛夫さん(大浦みずきのお父さん)とか、あと庄野の
    お兄さんの英二さんとか、このあたりそれこそ編集工房ノア
    あたりでつながりますね。
    庄野兄弟は帝塚山学院の一族ですが、関学ともゆかりが
    深いですよ。

  18. 新之介 | URL | sDz630us

    kotaroさん

    さすがよくご存知ですね。
    調べてみるとおっしゃる通りでした。
    庄野至さんは庄野潤三さんの弟になるようですね。
    著書のプロフィールには関学卒とありました。

    またひとつ、勉強になりました^^

  19. さくら | URL | -

    はじめまして。子供の頃、西淀川区御幣島に住んでいました。先日、ふと、加島の「香具波志神社」のことを思い出し、こちらのHPを発見しました。
    父母に連れられて、阪急、阪神百貨店へは良く出かけました。
    昭和53年生まれなのですが、ここのHPは昭和の香りがして懐かしいです。

  20. 新之介 | URL | sDz630us

    さくらさん

    御幣島ですか。
    御幣島はまだ記事にしていませんが
    生活圏なので昔からよくうろうろしていました。
    子供の頃は歌プーによく行ってました^^
    御幣周辺も変わりましたね。

    そういえば八丁温泉の角のタバコ屋さんが
    解体されましたね。
    ちょっとショックでした…
    見慣れた風景がまたなくなってしまった。
    http://blog-imgs-41.fc2.com/a/t/a/atamatote/P1180936.jpg

  21. さくら | URL | -

    歌プー、私もよく行ってました。
    プールサイドに掲げられた注意書きの「光化学スモッグ」ってなんだろう?と幼心に不思議でした。
    昭和の風景がどんどんなくなっていってしまうのは寂しいことですね。

  22. 新之介 | URL | sDz630us

    さくらさん

    歌プーは今年で廃止のようです。
    寂しいですね。
    今年はチビ達を連れて
    最後の歌プーを満喫しようと思っています。

  23. さくら | URL | -

    歌プー、今年で廃止ですか!?残念ですが、そのニュースを耳にできたというだけでもなんだか幸運なような気がします。
    お子さん達と楽しんできてくださいね(^^)

  24. 新之介 | URL | sDz630us

    さくらさん

    この夏は歌プーの記事も書くと思います。
    お楽しみに^^

  25. さくら | URL | -

    新之介さん

    ありがとうございます。心待ちにしております。

  26. よさみのみやけ | URL | IglfGgG2

    左側の空間

    昭和27年頃の阪急百貨店、左側が空いていますね。奥に見える屋根は阪急電車の梅田駅でしょう。さて、この左側の空間が何故、空いているのかと言うと、京阪梅田線の梅田駅の予定地だったのです。もし、完成していれば「2つの大手私鉄のターミナルが同じ位置に交差して設けられた、日本で唯一の駅」になっていたはずです。

  27. ぴょん | URL | -

    私の母が、新日本放送の1期でした。和文タイプの仕事だったそうです。
    時々 当時の話を聞きますが、とても充実して楽しく働いていた様子がうかがえます。

    この本は今でも手に入るでしょうか?
    母と一緒に読みたいと思っています。

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