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洲本バスターミナル~洲本港

2009年05月08日 09:15

おもひでぽろぽろ
洲本バスターミナル~洲本港


僕の初めての一人旅は淡路島でした。中1だったかな。神戸港から洲本港まで高速艇に乗ってそこからバスで…。当時は田舎の家に着くのに待ち時間も合わせて5~6時間かかったと思います。しかし、いつしかフェリーで行くようになり、洲本港にはほとんど行かなくなりました。
あの懐かしい場所はどうなっているんだろう?
洲本バスターミナルから洲本港まで約30年ぶりに歩いてみました。

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ここは旧洲本バスターミナル。
まだあってよかった。(TmT)ウゥゥ・・・

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でも、中は真っ暗。

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バスターミナルとしては、もう利用されていないようです。

DSC07313.jpg
でも、残っていてうれしい。
(T△T)

DSC07318.jpg
物心ついた頃から、夏休みは必ずここでバスが来るのを待っていました。

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おおっ、のりば案内も残っていた。いつも湊行きに乗っていたのです。

DSC07324.jpg
当時バスは1時間に1本あるかないかだったと思います。
ここで1時間くらい待つのが普通でした。
今でもよく覚えているのは、バスの中で1人出発を待っていた時、
FMラジオが流れていて、ビリージョエルのストレンジャーがかかったんです。
「この曲、ええな」
それが僕が洋楽にはまっていくきっかけでした。
「ダイアトーン ポップスベストテン」だったかな。
今でもその時の情景をよく覚えています。


音楽オンリーです。音質良好。



DSC07360.jpg
ところで、淡路島に電車が走っていたことをご存知ですか?
淡路交通の前身は淡路鉄道なんです。

『淡路交通・島の電車』
 淡路交通
『消えた島の鉄道』
『淡路交通 消えた唯一の島の鉄道』

DSC07334.jpg
ここは洲本駅の跡なんですね。
昭和41年に鉄道がなくなりました。もちろん私も知らない時代です。

DSC07326.jpg
で、ここでバスを待っている時に、向いにレンガ塀があって何か大きな工場があったのをよく覚えています。

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当時は塀の向こうで見えなかったのですが、カネボウ紡績工場がここにあったのです。今はレンガの建物を利用して、「淡路ごちそう館」「洲本市図書館」などに衣替えをしています。

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ターミナル前もずいぶん寂れてしまいました。さみしいな。

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覚えてないけど、この建物は当時のまんまですよね。

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古い地図を見ると、この辺りが一番賑やかだった頃が想像できます。

DSC07369.jpg
港の方に歩いてみました。閉まってる店が多いな。GWだからかな。
この辺に母親が高校時代に下宿していた家があったんだけど、なくなっちゃったかな。

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なんか、メッチャ懐かしいお店。この前の道は子供の頃から何十回と通っているので、きっとそのときからあったお店です。覚えていないけどうれしい。(T△T)

DSC07393.jpg
ここは覚えてる!
この釣り具屋の前もいつも通っていました。子供の頃から釣りは好きだったので、よく覚えてる!

でも、この辺りはえらい変わってしまった。
なんか無性に寂しくなってしまいました。

これって年齢のせい?… (T_T)

DSC07400.jpg
ここは洲本港。

( ̄Д ̄;) ガーン

全然違う!

まったく違う!


ヨットハーバーになってしもてる…。

DSC07402.jpg
まぁ30年も経てば、そらいろいろ変わりますよね。
懐かしさ半分、寂しさ半分の場所でした。


懐かしい場所に行ってみようかな と思われた方はクリック!
 ↓ ↓ ↓ 
banner_22.gif


(追記)
sumotoko.jpg
大学の頃に撮った写真が出てきました。
1986~7年頃の洲本港です。
なぜか白黒フィルムで撮っています。
ネガからスキャンしました。
カメラはおそらくミノルタα9000。中古で買ったカメラです。
レンズがたぶんシグマの24ミリ。
オートフォーカスでなく、フォーカスエイドです。
この頃からだんだん淡路島に行かなくなりました。

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コメント

  1. kotaro | URL | 8nGiSIKA

    22年前の記憶

    少しお久しぶりでした。
    淡路交通のことはまだ電車の走っていた時代に
    旅行しているのですが、幼くて電車は憶えていません。
    昭和62年に会社の慰安旅行で洲本に泊まり翌日は団体行動
    を避けて洲本から歩き始めました。
    当時島内は高速道路の建設が始まり、洲本のカネボウ工場
    付近も騒然としていました。
    ですが宇山に着くと車庫の跡地は整備が始まっていて残っていた
    電車庫を取り壊すところでした。
    見学を申し入れ「あの~これは電車時代の車庫ですよね」と言うと「おお兄ちゃん、ようしっとるな」みたいに話が通じ「中を見せてください」ともぐりこみ。
    構内照明に電車のライトが残っているのを発見。
    おそるおそる「あれどうするのですか」「処分するやろうね」
    「いただけませんか」「いいよ、いま危ないから昼休みになったら自分で作業しなさい。工具は貸すから」
    天にも昇る気持ちで鉄道マニア暦何十年の中で一番の僥倖を感じました。
    しかしその後が大変でした。カッターシャツを捲くり上げ、悪戦苦闘、埃と汗まみれ。でも根性で梯子の上で外して、しまいには線路の一部まで溶断してもらい、旧いバス停などと山のような戦利品が。これ、どうやって持って帰ろうか。
    「宅急便で送ってあげるよ」の助言もありましたが
    結局西宮に住む先輩にとんでもないことになってしまったので
    迎えに来てください、と電話しました。

    日の暮れる頃、白いクレスタが到着したときの嬉しかったこと。
    後日事務の人にお礼を送りました。もうふた昔以上前のことに
    なりますが、今でも少し複雑な心境です。決して入手方法に
    やましいところはないのですが、こういうものは個人で持つには
    大きすぎるし、飾るところもないのでずっとしまったままに
    なっています。

  2. 新之介 | URL | sDz630us

    kotaroさん

    すご~い。
    全然やましくないですよ。
    逆にスクラップになるはずのものの
    命を救ったのではないですか。
    とても貴重な資料ですよね。
    一度見てみたい。

    淡路交通の路線図のマップがありました。
    宇山ってこんなとこなんですね。
    今度線路沿いを車で走ってみようかな。

    http://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&ie=UTF8&q=http:%2F%2Fwaiwai.map.yahoo.co.jp%2Frss%2Fmap%2Findex.xml%3Fmid%3DNyvCOB7EmNT8LBkG.jYTlcBGX4jfH_Wd84Qy&ftid=119FCAC84A544CBC&ll=34.320755,134.827995&spn=0.165875,0.245819&z=12

  3. TOSSY | URL | mXJ0wlpU

    淡路島の電車

    私 もちろん乗ったことはありません
    でも いとこは淡路島生まれなのです
    何年か前の法事のときだったでしょうか 
    いとこが淡路にも電車があったんよって言ったのです
    小学校の遠足で乗りに行ったことがあると聞きました
    1966年まで走っていたのですね

    いとこは慶野松原でした
    海水浴にケイノに行くときは 明石から船に乗って後バスで行きましたね

    ストレンジャー
    大好きな曲です
    この歌を初めて聞いたとき 今までの歌と全然違うのでちょっとした衝撃を受けました

    あのころの曲では クリストファー・クロスの ニューヨーク・シティ・セレナーデもよく聞いていました
    http://www.youtube.com/watch?v=DL7hGAReJHw

  4. 新之介 | URL | sDz630us

    TOSSYさん

    慶野松原は今でも昔と同じ
    松並木が残っていますね。

    当時バスで行かれたのは
    おそらく岩屋から西海岸を通って
    行っていたのではないでしょうか。
    おそらく都志も通っていたんじゃないかな…

    クリストファー・クロスは
    私もよく聞いてました。
    デビューした頃は顔が一切公開されなかったので
    いろんな噂が流れていました。
    誰々が名前を変えて歌っているとか…

    初めて顔を見たときはちょっとビックリした^^
    あまりに歌声が美しかったので…

  5. ゆきひろ | URL | -

    20年程前の洲本港の写真は私も懐かしく思います。
    生まれも育ちも何の関係も無い淡路島なのですが大好きで、若い頃は原付で何度か日帰りで島内一周もしましたし、電車と播但連絡汽船を乗り継いで岩屋に渡り、港にある食堂で魚料理を食べたり。
    今でも年2回、慶野松原にある会社指定の保養所に行っております。行き帰りはたいていたこフェリー利用です。
    私のお気に入りは西岸のサンセットラインなんです。大阪・神戸からすごく近いのに(高速が空いていれば)海や港、船の景色が素晴らしく、精神疾患(パニック障害やうつ病)を患っている私としては、癒しの場、“心のふるさと”です。
    こちらのサイトの主旨から外れますでしょうが、今回のように時には淡路島の写真や思い出など掲載していただければとても嬉しく思います。
    ※モノクロ写真はいいですね。わたしもフィルムカメラはミノルタユニオマットやペンタックスSVなど60年代の生き証人のようなカメラを持っておりますので、趣味としてモノクロを始めようかな、と思っております。

  6. 新之介 | URL | sDz630us

    ゆきひろさん

    淡路島は私にとっても“心のふるさと”です。

    >今回のように時には淡路島の写真や思い出など掲載していただければとても嬉しく思います。

    そういっていただけるととても嬉しい^^
    たまには淡路島ネタもいいですよね。
    私も西側の海が好きです。

  7. 島のタヌキ | URL | -

    現在、淡路島内の唯一の公共交通機関である淡路交通のバスは青息吐息。風前の灯火です。
    大動脈の国道28号線の「縦貫線」の在来線は一時間に一本の各停バスのみとなってしまいました。
    神戸、大阪、徳島を結ぶ高速バス(殆ど直行便)が昔日の特急や急行のバスから置き換わった感が有ります。
    その他の支線路線は推して知るべしで、減便や相次いで廃止されなど寒い状況、
    昔日の全島をきめ細かく網羅しダイヤ運行していたバス路線ネットワークは崩壊したと言っても過言ではありません。
    ある意味花形であった観光バス事業も撤退。(貸しバスは継続)

    子ども達の通学の足は家人の自家用車による自家送迎や自治体等が運行するコミュニティーバス、チャーター便等に頼らざるを得ない惨憺たる状態。
    年寄り、クルマの運転が出来ない人達の交通の便は無いも等しい正に弱者切り捨ての憂慮すべき状況
    過疎化、少子化で小中学校も統廃合がすすみ旧町域に一校になる傾向。
    昔日の徒歩30分~小一時間圏からクルマで2~30分圏になりつつ有ります
    バス料金が全国トップクラスの高さ(ほぼ横綱)ゆえに自家用車の利用者が増え、利用者減で値上げ。更に利用者減の悪循環の蟻地獄の困ったサイクル。

  8. 新之介 | URL | sDz630us

    島のタヌキさん

    淡路交通はそんな状況だったのですか。
    タコフェリーも心配だが
    淡路交通も心配になってきた。
    僕にとって淡路交通のバスは
    思い出がいっぱいつまっています。

    ぜひとも頑張ってもらいたいです。

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