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人が作った河川、淀川

2007年09月24日 02:39

淀川が作られてなくなったもの。

昔から旧中津川は曲折し、下流域一帯は洪水が多く、放水路が必要だった。明治29年、河川法の制定により淀川改良工事が可決、新しい淀川の開削が始まり、明治43年度に全工事が竣工した。

元々、十三は成小路(なるしょうじ)村の一集落にすぎなかったらしい。明治22年、町村制の実施により、成小路村を含む5つの村が合わさって中津村となる。しかし淀川改良工事により、中津村の北端であった成小路は新しい淀川の右岸側になってしまった。
大正14年、大阪市域拡張時に新淀川の左岸側の地域が中津の名前を引き継ぎ、引き離されたは成小路は十三南之町というの地名に変わった(現在は新北野)。成小路という歴史ある名はこの時になくなってしまったのだ。

十三付近に成小路の名を残すものが唯一ある。昭和53年に成小路神社が地元住民の熱い思いで再建された。新北野の住民に愛される神社として、成小路という名を後世に残す場所として…

淀川改良工事
明治19年の地図

マップ明治42年
淀川改良工事後の明治42年の地図

淀川
現在の淀川、右は十三バイパス、左はNTTの通信専用橋

成小路神社
新北野にある成小路神社。鳥居と玉垣は中津の富島神社のお旅所に建立されていた時のものです。昭和20年6月の空襲でお旅所が焼けてしまった後、鳥居と玉垣は大切に保管されていました。

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コメント

  1. Empizzo | URL | X/aoCwEI

    都会では三日月湖は短命に終わるのでしょう

    石狩川には蛇行跡の三日月湖がたくさんあって有名ですよね。
    ただ、中津川が改修され(というか完全新開削され)、
    当初は三日月湖的な河川形状の湖水面が塚本村に残っていますね。
    石狩川は原野も多いのでそうした三日月湖が残りやすかったのでしょうけれど、
    大阪のここらあたりでは、【埋め立て必常】の運命にあったんですね。
    なんと新淀川の開削担当者が石狩川の直通工事にもその後、
    関わっておられると知りました。
    へえっ、という感じでした。
    この近くでは、戸ノ内の北、東園田町と豊中の利倉の間を流れていた
    旧猪名川の残痕池が園田競馬場の東に残っています。
    かつて猪名川自然林と言われていましたが、
    ご多分にもれず、周囲がますます住宅地化され、
    【三日月湖】なるとらえ方で元の川に想いをはせたり、
    残された地形形状から、なんらかの地誌的な興味を満たれる
    住民さんは少ないのではと思います。
    塚本自動車教習所は旧中津川の上にあると言ってもいいでしょうし、
    その後の三日月湖の上に、と言ってもいいのではないでしょうか。

    それにしても新淀川は中津川の川幅の3倍以上の規模ですから、
    最大流量のキャパも俄然違っていったと思います。

  2. 新之介 | URL | sDz630us

    Empizzoさん

    旧猪名川の残痕池の辺りは、私の次のターゲットです ^^
    もう少し涼しくなったら行く予定。
    神崎川も以前調べましたが、
    川の跡はとても興味があります。

    http://atamatote.blog119.fc2.com/blog-entry-358.html

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