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上新庄と下新庄

2009年03月19日 11:30

上新庄と下新庄

阪急電鉄の連続立体交差事業によって、下新庄駅は高架化されることが決まっています。下新庄駅って降りたことがないんですよね。で、上新庄と下新庄がどんな町なのか歩いてみました。

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新庄村が上下にわかれたのは元禄十三年(1700)だそうです。中川清兵衛という人が出城を築いたところから起こったようで、新庄とは新城の転じたものであると「東淀川区史」には書かれています。この地は地理的に亀岡街道がちょうど真ん中を通っています。昔から人の往来が多かった地域だったのですね。

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明治18年頃の測量地図です。黄色い線が亀岡街道です。上新庄村と下新庄村が亀岡街道で左右に分かれているのがわかります。下新庄村を分断するように鉄道らしきものが通っていますね。阪急電鉄の前身のひとつ北大阪電気鉄道と思ったのですが、それが開業するのは大正10年です。この線はどうもJRの前身である官営鉄道の線路のようです。大阪と京都を結ぶ線路は当初こんな所を通っていたのですね。どこかの時代にルート変更をおこなったのでしょうが、もしかしたらJR下新庄駅ができていたかもしれんませんね。そうそう、この時代は電車がまだ発明されていませんので、蒸気機関車ですよ。

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昭和4年の地図です。この時代には下新庄駅が出来ていますね。これは京阪電気鉄道の駅です。京阪電気鉄道とは阪急電鉄の前身のひとつ。京阪電気鉄道の上新庄駅もできていますね。ここは昭和3年に開業しています。おそらくこの時代、田園風景が広がる中を一両編成の電車が行き来していたのでしょう。近くに2つも駅があるこの地域はとても便利な町だったのだと思います。

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で、現在の街です。○が付いている場所は神社仏閣と道標があった場所です。ちょっとうろうろしてみましょう。


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ここは上新庄駅の近く、春日神社です。上新庄、下新庄ともこの神社の氏子になっています。

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あれ、なんか洗濯もんがいっぱい干していますよ。

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ん?こんなポスターも貼ってある…。

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もうわかったでしょ。ここに相撲部屋が来ていたんです^^

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部屋は中村部屋。元関脇の富士桜さんの部屋です。

参考ホームページ
『中村部屋のゆかいな仲間たち』

P1130151.jpg
まだ幕内の力士はいないようですが、地元にお相撲さんが来ると応援したくなりますね。
「大阪場所頑張ってくださいね^^」
この地域が人がうらやましいな。

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ちなみに境内はこんな感じです。とても古い神社だそうですよ。

P1130159.jpg
春日神社の近くに立派なお寺がありました。浄土真宗本願寺派の信覚寺。創建は元禄年間だそうです。こちらも古いお寺ですね。下新庄にもお寺が2つありますが、共に浄土真宗本願寺派です。

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町を歩いていると大きなお屋敷が目立ちます。昔は村のまわりに田園が広がっていたので庄屋さんも多かったのではないでしょうか。下新庄にもお屋敷がいくつも残っています。

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ところどころで、茅葺き屋根であったであろう民家が、きれいにリーフォームされていました。

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こちらもリフォームなのかな?新築みたい…

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階段の上の道は上新庄と下新庄を繋ぐ川沿いだった道で亀岡街道でもあります。

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おそらく堤防の跡だと思うのですが、かなり高低差がありました。

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で、下新庄の入り口(?)に地蔵尊があります。グーグルマップにも載っている平和地蔵堂。地図でいうとちょうど真ん中にある○です。

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ここは亀岡街道でもあります。下新庄も古いものが残っているところです。それは次回に…。


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コメント

  1. 柏里のゆりか | URL | ERst3ncA

    シモシン!

    お邪魔します。
    シモシン、カミシン懐かしいです。大学時代(関大)によくウロウロしてました。
    シモシンは駅前は何もなくて、学生向けのワンルームマンションがいっぱいあったなぁ…とゆうイメージです。確かシモシンの近所にも大学ありましたよね?(経済大学だったかな…失念)
    カミシンは車でよく通ったのですが、シモシンより街ってイメージでした(車で通ったからかもしれない)。
    けど古い町並みも残っているんですね。

    学生の頃の漫才師目指してた友達がいて、

    ボケ『阪急の発展のために俺が社長なら新路線をひくな~これ絶対儲かるで』
    ツッコミ『どこどこ?』
    ボケ『上新庄から下新庄!』
    ツッコミ『短っ!てか、いらんし!』

    とかゆう超ローカルなネタをやってたのをふと思い出しました。。。

  2. √5 | URL | -

    北大阪電気鉄道は。。。

    >この線はどうもJRの前身である官営鉄道の線路のようです。

    というくだりは、省線の東海道本線ということでしょう。
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E5%A4%A7%E9%98%AA%E9%9B%BB%E6%B0%97%E9%89%84%E9%81%93
    に載っています。

    ボクにとって面白いのは、省線が最初は、今の阪急京都線ー千里線を走っていたということですね。

    このルートのほうが敷設が容易だったんでしょうか?

  3. 新之介 | URL | sDz630us

    柏里のゆりかさん

    シモシン、カミシンっていうんだ。
    知らんかった^^
    大阪経済大学はカミシンですね。
    上新庄駅ってすごく賑やかなんですね。
    何がびっくりしたかって、ファーストフードの店が
    全部あったのがビックリ!
    ミスドにロッテリアにケンタッキーにマクド。
    学生の町なんだと改めて思いました。
    駅の東側と西側が全然雰囲気が違いますね。
    その落差が面白いとおもいました。

    超ローカルネタは今だから笑えます^^

  4. 新之介 | URL | sDz630us

    √5さん

    私は鉄道の事があまりよくわかっていないので、間違っていたらゴメンナサイ。

    明治18年測量の地図の時代はまだ淀川が出来ていない時代、その当時の地図をみると、現在の阪急崇禅寺駅~淡路駅~下新庄駅のルートを官営鉄道(まだ鉄道省になっていないので…)が通っているように見えます。吹田駅以降は今と同じルートのような…。

    この事って、鉄道のことをあまり知らない私にとっては大発見でした^^;
    ちょうど阪急が高架化するルートなので、いつ頃ルートが変わったのかを調べるのも面白いかもしれません。

    ますます興味が湧いてきた地域です^^

  5. TOSSY | URL | mXJ0wlpU

    上と下

    いつもこんぐらかって 淡路駅で乗り換えるのかな そのままだったかなと迷っていました
    どちらにも友人の家があったのです

    公団住宅があったのはどっちだったかな
    古い団地で テラスハウスでした
    今から見るととっても小さな部屋の小さな家ですが 出来た当時は とってもモダンでうらやましかったものです
    座ってするトイレが珍しかった時代です
    もう立て替えられたかな

    上のほうだったか 友人の家がありましたが 入ったところに畳敷きの玄関の間があり屏風が立ててありました
    お屋敷と呼ぶほどの家でもなかったですが しっとりとした良い家でした
    あのあたりにはそういう家がいくつもあったのですね

  6. びんみん | URL | j549y3BY

    堤防跡(?)の道

    新之介さん、こんばんは。

    上新庄・下新庄っていい雰囲気の町ですね。
    紹介されているような小高い道を歩くのは空中回廊を歩くようで、なんだか楽しくて好きです。

  7. 新之介 | URL | sDz630us

    TOSSYさん

    上新庄も下新庄も地理的にとても便利なので
    高度成長時代には農地が住宅地として
    どんどん開発されていったのでしょうね。
    公団住宅はその時代の憧れの
    住宅だったのですね。

    車ではよく近くを通っていましたが
    大道路の奥にこんな風景が残っているなんで
    まったく知りませんでした。

  8. 新之介 | URL | sDz630us

    びんみんさん

    今回は古い地図で下調べをして歩いたんです。
    普通に歩いているとこの道が堤防だったなんて
    気付かないですよね。
    昔の風景を思い浮かべながら
    この小高い道を歩きました。

    ちょっと年寄りくさいかな…^^

  9. 今津っ子 | URL | sDz630us

    下新庄

    新之介様
    こんばんは。
    今津っ子です。

    下新庄と上新庄、楽しませていただきました。
    下新庄を通る線路のことで補足させていただきます。
    もしかしたら、既にだれかがコメントを付けておられるかも知れませんが、前にも書きましたように、私のPCでは、みなさんのコメントの本文を表示させるリンクスイッチが表示されず全く読めませんので、重複するかもしれませんがメールさせていただきました。

    あの線路は、鉄道開設時の官営鉄道(JR)です。後に線形改良のため現在の経路に変更され、廃線になっていた線路敷地を譲り受けて、千里線を敷設しました。元々緩いカーブを描いて吹田駅に達するようになっていたのを、今度は駅の手前で直角に交差するように無理やりねじ曲げましたので、未だに超低速での通行を余儀なくされる「恨み急カーブ」はこうして誕生しました。

    余談ですが、新京阪は、当時、環状線の高架化の結果不要となった天満~大阪間の旧地上線の線路跡を利用して梅田乗り入れの予定で、事実準備工事までしていたのですが、大阪市の抵抗に合って頓挫し、結局天六以南への延長は実現しませんでした。

    コメントとして投稿したいのですが、なにぶんコメント欄の利用ができませんので、今後もメールでコメントを送信させていただくと思います。ご容赦ください。


    (※今津っ子さんからメールでいただいたコメントをこちらに移させていただきました。新之介)

  10. 新之介 | URL | sDz630us

    今津っ子さん

    PCの件、再度調べ中です。
    ご迷惑おかけしています。

    さて、やはり官営鉄道でしたか。
    地図で千里駅の辺りを見ると
    阪急千里線の線路が2回急カーブしていますね。

    新京阪電鉄が梅田乗り入れを予定していたのも面白い話ですね。

  11. seemo | URL | -

    いまさらですが 少しだけ補足を
    官営鉄道が今のルートに変わったのは大正2年(1913年)10月だそうです 宮原地区(のちに新大阪駅が設置される場所)に車庫を設置したのも理由の一つだそうです

  12. 新之介 | URL | sDz630us

    seemoさん

    ありがとうございます。
    なんとなくそんな感じもしていました。
    でも調べるのが面倒で…^^;

    いつかはその辺りも調べようと思っています。
    またいろいろ教えてくださいね。

  13. babypink | URL | -

    下新庄の公団住宅

    生まれてから高校1年まで下新庄の公団住宅に住んでいました。
    今は、きれいに立て直されピンクの外壁の高層マンションのように
    なってしまっているのを電車の中から見ました。

    今は引っ越してしまいましたが 淡路・上新庄・下新庄の写真
    本当に懐かしく感動してしまいました。


  14. 新之介 | URL | sDz630us

    babypinkさん

    うれしいお言葉、
    ありがとうございます♪

    懐かしいと思える風景って
    人それぞれ全然違うと思いますが
    人が暮らしている普通の風景が
    一番懐かしかったりしますよね。

    これからもちょっとローカルな場所の
    懐かしい風景を探し歩きたいと思ています。

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