2009年03月09日 07:30
ダイビルの歴史

ダイビル解体のカウントダウンはすでに始まっています。市民の反対の声は結局企業のトップには届かなかったのでしょうか。もう少しで取り壊されてしまう大阪の近代名建築「ダイビル」とはいったいどんな歴史をたどってきたのでしょうか。
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ダイビルの始まりは大阪商船(現商船三井、大阪商船は住友系)の本社社屋の新築計画が発端です。大正7年に現在の地をビル建築用地として購入。ちょうどその頃、神戸支店の社屋も平行して建築することになり、大正9年に起工、大正11年に完工しています。それが現在も残る商船ビルヂング(設計:渡辺節)です。
大阪商船の本社社屋は単に本社のオフィスを充てるだけでなく、できるかぎり大きなビルを建築し、余ったスペースを賃貸するという貸室兼業を考えていました。しかしそれを自力で行うにはリスクが伴います。そこで他社にも事業の参画を呼びかけました。それが宇治川電気と日本電力で、大正12年、大阪商船150万円、宇治川電気100万円、日本電力50万円の出資で、株式会社大阪ビルヂングが設立されたのです。(当時の宇治川電気社長と日本電力社長は大阪商船の出身者でした。)
こうして大正13年4月に起工、大正14年(1925)9月17日、地上8階、地下1階、高さ31メートル、延床面積3万2231�と西日本随一の大阪ビルジング(昭和64年1月1日、ダイビルと改称)は完成したのです。

「大阪市パノラマ地図」より
大正12年頃の田蓑橋南詰めのダイビルの場所には倉庫が描かれています。浪華倉庫といい、そこから土地を購入しています。その前は鳥取藩の蔵屋敷でここにもその名残である「船入」が描かれています。

「ふるさとの想い出写真集 大阪」より
完工当時の写真と思われます。大正14年完工というと、まさに大大阪の幕開けと同じタイミングです。当時はアールの部分にも入口があったようです。左奥には朝日会館が見えます。

「ダイビル七十五年史」より
当時としては最先端の耐震耐火構造を採用し、内部の主要壁体はすべて強固な耐震壁にしています。設計者の渡辺節氏は「ダイビルは大阪で最初の耐震構造を有する建築物である」と語っています。
この写真、田蓑橋が真新しいですね。昭和4年に鉄筋コンクリート造に架け替えられていますのでその頃の写真でしょうか。

ネオロマネスク様式のダイビルは正面入口の装飾が特に印象的です。半円アーチの上に飾られている少女の像は大国貞蔵作の「鷲と少女の像」、建物の格調を高めています。

軒蛇腹(のきじゃばら)と、窓台にはテラコッタが使われており、渡辺節氏のすすめで大阪陶業が研究し製造に成功したもので、国産テラコッタの始まりなのだそうです。

1階に並んだ彫刻が刻まれている円柱や角柱などは、播磨の竜山石が使われています。ダイビルの建築資材は全て国産品でそろえられていました。今の時代ではほぼ不可能な仕様ではないでしょうか。

「ダイビル七十五年史」より
完工当時の玄関ホールです。内装も格調高く出来ています。

現在も当時とほぼ同じ雰囲気が味わえます。(この写真は2階から)

「ダイビル七十五年史」より
大正15年には、最上階の西側半分に在館者のための社交場が出来ています。この写真は大ビル倶楽部社交室。天井や床、壁の装飾がすごいです。この他に読書室や休憩室、娯楽室、食堂、ビリヤード、理髪店なのが配され、英国中世の優雅な雰囲気を醸し出していました。

「ダイビル七十五年史」より 大ビル倶楽部特別食堂の写真。
左壁面の装飾がすごく気になります。1階の彫刻と関連があるのでしょうか。

「ダイビル七十五年史」より 大ビル倶楽部休憩室の写真。
このアールの窓を外から見つけることが出来ませんでした。どこの場所だったんだろう。
(追記)

ここかも。

「ふるさとの想い出写真集 大阪」より
本館と同時に2階建ての西館も建設されています。一階はタクシーの車庫として太平均一タクシーに賃貸し、2階は大ビル西食堂として副業を行っていました。しかし営業不振ですぐに他に営業委託をしましたがうまくいかず、昭和12年には閉鎖されています。

「ダイビル七十五年史」より 大ビル食堂の写真。
本館8階にも食堂がありました。こちらは昭和19年12月に解散しています。
(戦時中なので実質それ前に営業ができなくなっていたのではないでしょうか)

「ダイビル七十五年史」より
ダイビル新館は昭和10年に起工し、昭和12年に完工しています。日本は世界恐慌以降低迷していた不況から脱出し、賃貸需要が増加していた時代です。

「ダイビル七十五年史」より
大阪大空襲を免れ終戦。昭和26年からオイルスタンドを経営していたこともあったようです。モービル石油を販売していましたが昭和39年直営を廃止、その後も譲渡先が昭和62年まで営業を続けていました。写真にはアメ車らしき車が見えます。

「ダイビル七十五年史」より
昭和30年頃の写真です。この頃になると周りには同規模のビルがたくさん建設されています。ちょっと目立たない存在になっていたのでしょうか。

しかし、ダイビルが完工して約85年、周りの建物がどんどん超高層ビルに建て変わっていく中で、ひときわ存在感を増してきているように感じます。本当にこれを壊しちゃうの?

ビルの中も今のうちに見納めしておかないと…

この売店もなくなっちゃうんですね。結構好きだったのに…。

一階の大阪名品喫茶「大大阪」も4月11日(土)で閉店だそうです。

こんな夜景はもう見れなくなるんですね。隣と同じようなビルになってしまうのか…

こんな名建築はもう二度と出てこないのでしょうね。
(追記)
「なにわ今昔」より(昭和20年6月1日の大阪大空襲の写真)

戦時中の大空襲で大阪市内は壊滅的な被害を受けました。昭和20年3月13の大空襲ではダイビルにも100発以上の焼夷弾が屋上や建物付近に投下されています。直ちに大ビル特設防護団員が出動して、多数のホースで消火活動を行い火災を喰い止めました。
ダイビルが残ったのは奇跡に近い。
(関連記事)
『中之島ダイビルのファサード』 2009.01.24
『ダイビルの歴史』 2009.03.09
『クイズ!ダイビルの動物探し』 2009.10.14
『出た!中之島ダイビル・ウエスト』 2009.10.27
『ダイビル解体』 2010.01.27
『ダイビル解体2』 2010.03.23
『さよならダイビル』 2010.05.02
『ダイビル解体3』 2010.06.24
『ダイビル解体4』 2010.07.01
『中之島ダイビル・ウエストに大林組』 2010.10.30
『携帯百景 tag ダイビル解体』
『ダイビル本館工事進捗状況』 2011.07.07
『ダイビル本館が出現!』 2012.01.12
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大阪商船の本社社屋は単に本社のオフィスを充てるだけでなく、できるかぎり大きなビルを建築し、余ったスペースを賃貸するという貸室兼業を考えていました。しかしそれを自力で行うにはリスクが伴います。そこで他社にも事業の参画を呼びかけました。それが宇治川電気と日本電力で、大正12年、大阪商船150万円、宇治川電気100万円、日本電力50万円の出資で、株式会社大阪ビルヂングが設立されたのです。(当時の宇治川電気社長と日本電力社長は大阪商船の出身者でした。)
こうして大正13年4月に起工、大正14年(1925)9月17日、地上8階、地下1階、高さ31メートル、延床面積3万2231�と西日本随一の大阪ビルジング(昭和64年1月1日、ダイビルと改称)は完成したのです。

「大阪市パノラマ地図」より
大正12年頃の田蓑橋南詰めのダイビルの場所には倉庫が描かれています。浪華倉庫といい、そこから土地を購入しています。その前は鳥取藩の蔵屋敷でここにもその名残である「船入」が描かれています。

「ふるさとの想い出写真集 大阪」より
完工当時の写真と思われます。大正14年完工というと、まさに大大阪の幕開けと同じタイミングです。当時はアールの部分にも入口があったようです。左奥には朝日会館が見えます。

「ダイビル七十五年史」より
当時としては最先端の耐震耐火構造を採用し、内部の主要壁体はすべて強固な耐震壁にしています。設計者の渡辺節氏は「ダイビルは大阪で最初の耐震構造を有する建築物である」と語っています。
この写真、田蓑橋が真新しいですね。昭和4年に鉄筋コンクリート造に架け替えられていますのでその頃の写真でしょうか。

ネオロマネスク様式のダイビルは正面入口の装飾が特に印象的です。半円アーチの上に飾られている少女の像は大国貞蔵作の「鷲と少女の像」、建物の格調を高めています。

軒蛇腹(のきじゃばら)と、窓台にはテラコッタが使われており、渡辺節氏のすすめで大阪陶業が研究し製造に成功したもので、国産テラコッタの始まりなのだそうです。

1階に並んだ彫刻が刻まれている円柱や角柱などは、播磨の竜山石が使われています。ダイビルの建築資材は全て国産品でそろえられていました。今の時代ではほぼ不可能な仕様ではないでしょうか。

「ダイビル七十五年史」より
完工当時の玄関ホールです。内装も格調高く出来ています。

現在も当時とほぼ同じ雰囲気が味わえます。(この写真は2階から)

「ダイビル七十五年史」より
大正15年には、最上階の西側半分に在館者のための社交場が出来ています。この写真は大ビル倶楽部社交室。天井や床、壁の装飾がすごいです。この他に読書室や休憩室、娯楽室、食堂、ビリヤード、理髪店なのが配され、英国中世の優雅な雰囲気を醸し出していました。

「ダイビル七十五年史」より 大ビル倶楽部特別食堂の写真。
左壁面の装飾がすごく気になります。1階の彫刻と関連があるのでしょうか。

「ダイビル七十五年史」より 大ビル倶楽部休憩室の写真。
このアールの窓を外から見つけることが出来ませんでした。どこの場所だったんだろう。
(追記)

ここかも。

「ふるさとの想い出写真集 大阪」より
本館と同時に2階建ての西館も建設されています。一階はタクシーの車庫として太平均一タクシーに賃貸し、2階は大ビル西食堂として副業を行っていました。しかし営業不振ですぐに他に営業委託をしましたがうまくいかず、昭和12年には閉鎖されています。

「ダイビル七十五年史」より 大ビル食堂の写真。
本館8階にも食堂がありました。こちらは昭和19年12月に解散しています。
(戦時中なので実質それ前に営業ができなくなっていたのではないでしょうか)

「ダイビル七十五年史」より
ダイビル新館は昭和10年に起工し、昭和12年に完工しています。日本は世界恐慌以降低迷していた不況から脱出し、賃貸需要が増加していた時代です。

「ダイビル七十五年史」より
大阪大空襲を免れ終戦。昭和26年からオイルスタンドを経営していたこともあったようです。モービル石油を販売していましたが昭和39年直営を廃止、その後も譲渡先が昭和62年まで営業を続けていました。写真にはアメ車らしき車が見えます。

「ダイビル七十五年史」より
昭和30年頃の写真です。この頃になると周りには同規模のビルがたくさん建設されています。ちょっと目立たない存在になっていたのでしょうか。

しかし、ダイビルが完工して約85年、周りの建物がどんどん超高層ビルに建て変わっていく中で、ひときわ存在感を増してきているように感じます。本当にこれを壊しちゃうの?

ビルの中も今のうちに見納めしておかないと…

この売店もなくなっちゃうんですね。結構好きだったのに…。

一階の大阪名品喫茶「大大阪」も4月11日(土)で閉店だそうです。

こんな夜景はもう見れなくなるんですね。隣と同じようなビルになってしまうのか…

こんな名建築はもう二度と出てこないのでしょうね。
(追記)
「なにわ今昔」より(昭和20年6月1日の大阪大空襲の写真)

戦時中の大空襲で大阪市内は壊滅的な被害を受けました。昭和20年3月13の大空襲ではダイビルにも100発以上の焼夷弾が屋上や建物付近に投下されています。直ちに大ビル特設防護団員が出動して、多数のホースで消火活動を行い火災を喰い止めました。
ダイビルが残ったのは奇跡に近い。
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『ダイビル解体2』 2010.03.23
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『ダイビル解体3』 2010.06.24
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『ダイビル本館が出現!』 2012.01.12
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コメント
pinboke_planet | URL | EBUSheBA
対岸の「グリーンハウス」から
稲田悦子さんと歌舞伎座のスケートリンクの件など、新之介さんの調査能力や古い写真の管理能力には改めて脱帽ですね。
今回も素晴らしい内容です!!
この建物ばかりは本当に惜しいと思います。保存のためならみんなで定額給付金を寄付しても良いくらい・・・
1960年代の土曜日の午後、対岸の「グリーンハウス」からもこの美しい建物を時々見たはずですが、同僚の美人OLや友人との会話が弾んだのか、当時の印象はあまり残っていません。いまでは陳腐な、新朝日ビルのアルミカーテンウオールの強烈なインパクトがむしろ鮮明でした。
しかし、本当に惜しいです。
http://blog.livedoor.jp/enethan_fan/archives/51108529.html
( 2009年03月09日 09:22 [Edit] )
pinboke_planet | URL | EBUSheBA
追記:17枚目の写真
>>「ダイビル七十五年史」より
昭和30年頃の写真です
もう少し拡大できると、当時の勤務先の「船町ビル」(1037~?)も確認できそうですね。
新朝日ビルはまだ見えないようなので、1950年代の写真ですね。田蓑橋北詰の建物らしきものが「グリーンハウス」かも知れませんが・・・
( 2009年03月09日 09:43 [Edit] )
pinboke_planet | URL | nJ6t.gCE
すんません・・・
「船町ビル」は (1937~)でした・・・最近ベッドで使いはじめたDELL100円パソコンのキーボードと文字がチッチャくてタイプミスしました、ごめんなさい。
念のため年号確認中に、こんな記事がありました。
【アートな大阪・魅力の明治建築物語】大正時代の雰囲気伝える名建築 (産経ニュース 2008.9.14)
>>余り知られていないが、重要文化財クラスの旧大阪ビルディング(大正14年、渡辺節設計)が米軍女性将校宿舎だったという証言も貴重である。
http://sankei.jp.msn.com/photos/culture/arts/080914/art0809141041002-p10.htm
( 2009年03月09日 12:03 [Edit] )
Osakan Hiro | URL | -
残念です
先日、取り壊されるダイビルを惜しんで館内を撮影していたら、警備員さんから「不法侵入になるので、このビルに関係ない人は出て下さい」って言われちゃいました。
2階からエレベーター付近やエントランスを写していたんですが(人は写してません)、他の人も注意されていました。管理人さんは大丈夫でしたか?
派遣社員だった頃、ダイビル7階でNTTコミュニケーションズの営業として働いたこともあり、このビルには思い入れがあったのですが、「不法侵入」とまで言われるなんて残念な気がしました。
( 2009年03月09日 18:46 )
sunshine-works | URL | OXsDfJtI
ダイビルと大阪商船ビル
はじめまして。リンクをいただきましてありがとうございます。神戸の大阪商船ビルとダイビルには深いつながりがあったのですね。同じ設計者によるそれぞれの街を代表する建物ですが、大阪商船ビルは震災の傷を修復して海岸通りのランドマークになっています。対してダイビルは、まだ永らえさせる事も出来たのに解体の道が選ばれてしまいました。神戸と大阪の置かれている立場の違いなのでしょうか。
昔のダイビルの貴重な写真をありがとうございます。
つくづく写真映えのするすばらしい建物だと思います。
( 2009年03月09日 19:18 [Edit] )
pinboke_planet | URL | nJ6t.gCE
ふたたび17枚目の写真
17枚目の写真は空撮だと思いますが、たまたま今日3D化した、GORIMON氏2月4日撮影の空撮写真とほぼ同じアングルなので、当時をよく知る身としては周囲の街並みの変化がとても興味深いです。
GORIMON's [3D-OSAKA] anaglyph(赤青メガネ用)-high resolution version_090204_175
http://www.flickr.com/photos/pinboke/3339810987/
交差法 large size
http://www.flickr.com/photos/pinboke/3340640164/sizes/l/in/photostream/
( 2009年03月09日 20:23 [Edit] )
新之介 | URL | sDz630us
pinboke_planetさん
「グリーンハウス」の写真はなかなか見つけれません。
いつも気にしてるんですけどね…
私も意地になってきてます ^^
空撮を見るとダイビルがすごくちっぽけに見えますね。
おっリンクが貼られている。
ありがとうございます♪
( 2009年03月09日 23:40 [Edit] )
新之介 | URL | sDz630us
Osakan Hiroさん
すごくわかります、その気持ち。
警備員さんもそれが仕事なのでわかるのですが
言い方がありますよね。
私は念のため警備室に声をかけました。
私「このビル内は撮影していいんですか?」
警「いちお、本社に聞いていただけますか。6階にありますよ」
私「本社にいけば撮影許可がもらえるのですか?」
警「それはわかりません」
私「…そ、そうですか…すみませんでした(笑顔)」
という感じでした。
エレベーターで本社に行こうとしたのですが、
だれもいなかったので…
後で知ったのですが、
許可をもらって撮影されている方がいらっしゃいます。
http://eos1d3.exblog.jp/10952223/
私もちゃんと許可をもらって
見納めをしに行こうかと思っています。
( 2009年03月10日 00:01 [Edit] )
新之介 | URL | sDz630us
sunshine-worksさん
検索していて「旧大阪商船神戸支店(商船三井ビル)」の
ページを見たとき、インパクトありました。
「めっちゃかっこええ!」
私は建築の詳しいことはわかりませんが、
渡辺節氏が設計したこの2つの建築物の良さは
素人ながらわかります。
「近代ビルの双璧」と書かれていましたが
まさにそんな感じがしますね。
ダイビルが解体されるのは本当に残念。
商船三井ビルがうらやましく思いました。
( 2009年03月10日 00:23 [Edit] )
ゴリモン | URL | CFnWuolQ
丁寧な解説をありがとうございます。
アール部分にも入口があったって初めて知りました^^;
建物内の写真は許可を得て撮影可能なんですね。自分で撮るのは諦めていたのでナイスな情報に感謝です♪
( 2009年03月10日 00:47 [Edit] )
カオス | URL | -
さすがです!
新之介さんの調査力にはいつも脱帽です。
とても僕にはできません(笑)。
「ダイビル七十五年史」なんて本をよく見つけましたねえ。
当時の様子がよくわかる貴重な写真ばかりですね。
最近は土曜も仕事なのでなかなか図書館に行けなくて・・・
大大阪の閉店日は知らなかった!もいっかい行っときます。
( 2009年03月10日 01:39 )
pinboke_planet | URL | nJ6t.gCE
追記の写真
このB29は、モロにボクの実家の真上ですね。
たぶんこの日の空襲で実家一帯は消失しましたが、近接のかなりの地域がまだ長屋と路地のまちとして健在です。(最近の航空写真でも屋根が真っ黒く見える一帯)
戦後、家を新築したとき、わずか数メートル横の隣地に、どこかの工場の巨大な煙突のみが残っていて、「ローマ字のHが三つの下にクツクリーム」(もちろん縦書き)の赤いネオン広告塔として、たぶん高校生頃まで大阪駅からも、「ピアス化粧品」のやはり煙突利用ネオン広告塔とともに良く見えました。
人に、家の場所を説明するときは「サンHクツクリームの煙突の真下」と言えば良かったので路地のまちの住人としては随分助かりました。(ネットで見たら、この煙突に書いてあった会社も健在のようです)
( 2009年03月10日 11:50 [Edit] )
新之介 | URL | sDz630us
ゴリモンさん
中央郵便局の新展開で
世論の近代建築への関心が
高まっていますね。
ダイビルの解体も大逆転があってほしいな。
( 2009年03月10日 22:38 [Edit] )
新之介 | URL | sDz630us
カオスさん
図書館は宝の山です。
ネットで検索しても古いものは
なかなか出てきませんよね。
学生の頃より今が一番図書館に通っています^^;
( 2009年03月10日 22:43 [Edit] )
新之介 | URL | sDz630us
pinboke_planetさん
この写真は大阪人にとっては
衝撃的な写真ですね。
6月1日は豊崎周辺も被害にあっていますね。
http://www.geocities.jp/jouhoku21/heiwa/o-kuusyuu2.html
サンエッチは健在でしたね。
クツクリームってあまり買わないのですが
買うときはサンエッチにしようかな^^
( 2009年03月10日 23:13 [Edit] )
新之介 | URL | sDz630us
pinboke_planetさん
「エッチ」が禁止ワードに登録されていました.
「サンエッチ」がコメントできませんでしたね。
ごめんなさい。
禁止ワードから外しました^^
( 2009年03月10日 23:17 [Edit] )
カオス | URL | -
ダイビルのプチ情報
ダイビルのコーナー1階の窓の上には4箇所の修復跡があるのを知ってました?
じつはこんな看板があったんですよ。
http://chaos08.blog17.fc2.com/blog-entry-65.html
昔は結構無茶してたんですね。
( 2009年03月11日 01:24 )
新之介 | URL | -
カオスさん
「大・阪・銀・行」ですか…。
目が点になりました^^
でもこのアールの部分はなぜが気になる。
オリジナルのデザインから変わってしまったので
その違和感が少しあるのかな?
( 2009年03月11日 11:14 )
きさんじ | URL | XKtckMjk
ポスト
喫茶「大大阪」は、一時期よく通いましたっ
そうですねぇ~ そろそろですねぇ~ ほんと淋しいですっ
私も近いうちに寄ってみます・・・
ダイビルはファサードや、エントランスホールはもちろんですが、
シュート式のポストや、
都会のど真ん中で、真四角に切り取られたようにmy空が楽しめる
パティオも大きな魅力ですねっ)))
先日、土佐堀新築ダイビルの方に行ってみました。
そこに旧ダイビルのファサードの面影が残されてはいましたが、
やっぱり年月が築きあげた風合いまではねぇ・・・って感じですっ
後は、柱が旧と比較すると異常に長いのが
やや「間延び」した感があり・・・ちょっとっ
でも立派なたてものです!
( 2009年03月12日 01:28 [Edit] )
Osakan Hiro | URL | -
情報ありがとうございました。
新之介さん
ちゃんと許可制だったんですね。警備員さんも教えてくれればよかったのに・・。
館内を見ていて、「このビルは絶対壊すべきではない!」という思いが一層強くなりました。平日の日中には屋上に上ることもできるので、また今度行ってきます。ダイビルで働いていた時は、営業から帰っても直接事務所には戻らず、屋上に寄って腕立て伏せとかやってました(笑)。
ここ数年のうちで、北浜の西田三郎商店ビルや旧阪急梅田駅コンコースなどが次々と無くなって、今度はダイビル・・・。
切ないですね。
( 2009年03月12日 02:44 )
新之介 | URL | -
きさんじさん
>都会のど真ん中で、真四角に切り取られたようにmy空が楽しめるパティオも大きな魅力ですねっ)))
それを最近まで知らなかったんです。
このブログをみてビックリ!
http://fuzzyphoto.blog120.fc2.com/blog-entry-824.html
写真を見るとクラックが結構入っています。
この部分を見ると老朽化というのも
納得しちゃいます…
見えない所にもいろいろ問題が
出ているのかもしれませんね。
( 2009年03月12日 11:59 )
新之介 | URL | -
Osakan Hiroさん
ダイビルで働いていた方々にとっては
思い入れもひとしおですね。
中央郵便局のような一発逆転を
期待しちゃいますね^^
( 2009年03月12日 12:07 )
きさんじ | URL | -
おもむきありっ
先日「大阪中央郵便局舎をもっとよく知ろう!」って
シンポジウムに行ってきたのですが、
とてもおもしろい内容でした。
現場で、あらためて開閉式窓や、グレータイル、
黒い御影石のシンプルでいて落ち着いた風合いを
楽しみました。
残ってくれれば幸いなんですが。。。
そしてダイビルも!
スペシャル企画の「スナック大大阪」
建築物ウクレレ化保存計画の伊達さんが
マスターの夜に行かせてもらったんですが、
とっても優しい方で、お話も楽しかったです。。。
もいちど昼の「ダイビル」も拝みたいので、
「喫茶大大阪」の閉店までに、
足を運んでこよ~と思ってます。
無くなるのはしょうがないとして、
心には留めておきたいものですっ)))
( 2009年04月05日 22:45 )
新之介 | URL | sDz630us
きさんじさん
「スナック大大阪」にいかれたのですか。
私はまだいけていません。
今週の土曜日で閉店ですね。
最後の見納めをしておかないと…。
( 2009年04月06日 21:38 [Edit] )
piano | URL | -
見ておきたいです。
初めまして。
大阪人でありながら、あまり大阪の町を知らないわたしですが、ダイビルは見ておきたいです。
最寄の駅ってどこになりますか?
イタリアやフランスでは建物をこわさないのが当たり前なのに、日本はどうして壊してしまうのかなあ。国が買ってくれればいいのにね。世界に誇る近松門左衛門のお墓もビルの谷間にあるんですよ。
へんな話ですよね。
( 2009年04月12日 08:06 )
新之介 | URL | sDz630us
pianoさん
ダイビルは大阪駅からでも歩ける距離ですけど地下鉄四つ橋線の肥後橋駅で降りられると便利ですよ。
近松門左衛門のお墓って、ほんとだ、ビルの谷間なんですね。知りませんでした^^
http://www12.plala.or.jp/HOUJI/bunkajin-haka/newpage350.htm
( 2009年04月13日 21:27 [Edit] )
ゼク | URL | q1cvaNjE
ここのコメント欄にリンクしてもらっているゼクです。
僕も1回目に行った時に警備員に撮影を断られたのです。
と言いますのも僕のカメラは一眼レフでしかも2つを
肩と首から下げてどこからみてもカメラマンのような
カッコでしたので余計に断られました。
どうやったら撮影可能か聞くとやはり本社に許可を
もらって欲しいとのことでした。
僕は撮影の熱意を本社の担当の方にぶつけて、OKもらいました。
当日は警備員室に声をかけると腕章をもらい撮影をしました。
さすが腕章の効果は絶大ですれ違う人が会釈してくれました。
しかしこんなものを壊すなんて信じたくないですね!
一企業の財産なのでどうにも出来ないですが、
残念でしかたありません。
( 2009年06月19日 10:14 [Edit] )
新之介 | URL | sDz630us
ゼクさん
ダイビルのテナントは9月頃まで
入居があるようです。
解体は秋以降でしょうか。
会社がダイビルの近くなので
前をよく歩いています。
ダイビル関係者が外装の測量や調査を
しているのをよく見かけます。
もしかすると部分保存するのかもしれません。
どちらにしろ残念ですね。
しっかり見納めしてやろうと思います。
( 2009年06月20日 01:26 [Edit] )
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