2009年02月16日 07:00
さよなら今里屋久兵衛

創業享保十二年(1727年)、あの今里屋久兵衛の本店が
3月をもって移転することになりました。しかしなくなる訳ではありません。
約280年続いている味と暖簾を守るための移転です。
では今里屋久兵衛とは
一体どういうお店なのでしょうか。
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この地に現在の淀川が完成したのは明治43年(1910年)、
来年でちょうど100年になります。それまでは中津川がこの地を流れており、
交通の要所でもあったこの場所は、絶え間なく人々が往来していました。
そこに初めて橋が架けられたのは明治11年(1878年)、
それまでは北岸と南岸を十三の渡しが結び、
その渡しを待つ人々が茶店に腰をかけ、
渋茶をすすって焼き餅を食べたのが「十三焼」の起こりです。
当時は南岸の渡し場が十三で北岸の渡し場は村から離れた場所にありました。
北岸の今里村に住む久兵衛がその渡し場の畔で茶店を開いたのが今から約280年前です。
長い年月の中で世の中は大きく変わってしまいました。
しかし同じ場所で何も変わらない味がここに残ったのです。
それが「十三焼」。ある意味、ひとつの味が280年間も続いているというのは奇跡に近い。
今里屋久兵衛とは、そんなお店なのです。

明治18年測量の地図です。中津川に架かる橋は明治11年に架橋された十三橋です。
その北詰に民家が見えますが、おそらくここが当時の今里屋久兵衛。
今里村は現在の十三元今里の辺りになります。
小嶋村に神社が見えますが、ここが現在の神津神社です。
(関連記事) 『元の十三の場所』

「花の下影 幕末浪花のくいだおれ」より
江戸時代末期に描かれたものです。2人づれの旅人が店に入ろうとしているのでしょうか。
店の中ではあんをくるんでいる人と焼いている人が描かれています。
お餅も白と緑が描かれていますね。十三の渡しが奥に見えます。
本には十二代当主の今本フクさんのコメントが書かれていました。
「皮は米の薄いダンゴ。中にあずきのアンコがいっぱい詰まってまして、ひと口で食べられる。
あっさりした味は今も昔も変わりません。
ただ、昔は直径2センチぐらいやったが、今は3センチほどに大きゅうなった」

「中津町史」より
大正時代の写真だと思われます。
昔の今里屋久兵衛の面影を見ることが出来る貴重な写真です。
現在の十三大橋(昭和7年完成)ができる前です。
この頃は橋を渡る人が多かったので、店も繁盛していたようですね。
(関連記事)
『十三あん焼と十三焼餅』
『十三焼きは十三の歴史そのもの』
『十三大橋の渡り初め』

「米朝ばなし」より
昭和50年代の写真でしょうか。
お餅を焼いておられる方は古くから今里屋久兵衛で働いておられた方で、
現在の十三代目の良子(たかこ)さんも作り方を教わった方のようです。

お店で良子さんにお話をいろいろ伺いました。とても気さくでお話好きなお母さんです。
お母さんがまだ小さかった頃、店の前に立派な車が止まり、
背の低い人が後ろから降りてきて、10個入りの焼餅を買って行ったそうです。
後で聞くと小林一三さんだったとか。
またある日、店の奥からのぞくと着物を着た綺麗な女性が店内で焼餅を食べていました。
その方は当時松竹新喜劇の看板女優だった浪花千栄子さんだったそうです。
桂米朝さんはあまり甘いものは召し上がらなかったようですが、
ここの焼餅だけはお好きで食べておられたとか…。
「おかあさん、楽しいお話ありがとうございました^^」

「思い出の十三 イラストマップ(部分拡大)」より
戦前の十三駅周辺です。駅前に「今里あんやき」の文字が見えます。
ある時期は十三駅構内でも売っていたそうです。
構内で売れるようになったのは、お母さんのおばあさんにあたる先々代が
小林一三さんに直接申し入れたそうです。すごいなぁ。

現在は十三駅西口改札を出た場所にお店があります。
こちらはずっと営業していますので、「十三焼」を食べたことがない方はぜひどうぞ。
ちなみに10個入り630円です。
もちろん昔と作り方が同じなので余分なものが入っていません。
当日中に食べてくださいね。
オーブントースターで軽くチンすると めっさ美味しい!

新本店は4月頃、近くの場所に開店予定です。そのときにまた紹介します。
今里屋久兵衛がこの場所を去ることを「寂しくなる」とは書きません。
ありがとうございます。
伝統の味を守り続けてくれて。
…でもやっぱりちょっと寂しい
----------------------------------------------
新本店が2009年6月にオープンしました。
おめでとうございます♪

より大きな地図で 今里屋久兵衛 新本店 を表示
(関連記事)
『今里屋久兵衛の十三焼』
『さよなら今里屋久兵衛旧本店』
『さよなら今里屋久兵衛』
『十三あん焼と十三焼餅』
『「十三焼」食わずして十三を語るなかれ』
『十三大橋の渡り初め』
『元の十三の場所』
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創業享保十二年(1727年)、あの今里屋久兵衛の本店が
3月をもって移転することになりました。しかしなくなる訳ではありません。
約280年続いている味と暖簾を守るための移転です。
では今里屋久兵衛とは
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この地に現在の淀川が完成したのは明治43年(1910年)、
来年でちょうど100年になります。それまでは中津川がこの地を流れており、
交通の要所でもあったこの場所は、絶え間なく人々が往来していました。
そこに初めて橋が架けられたのは明治11年(1878年)、
それまでは北岸と南岸を十三の渡しが結び、
その渡しを待つ人々が茶店に腰をかけ、
渋茶をすすって焼き餅を食べたのが「十三焼」の起こりです。
当時は南岸の渡し場が十三で北岸の渡し場は村から離れた場所にありました。
北岸の今里村に住む久兵衛がその渡し場の畔で茶店を開いたのが今から約280年前です。
長い年月の中で世の中は大きく変わってしまいました。
しかし同じ場所で何も変わらない味がここに残ったのです。
それが「十三焼」。ある意味、ひとつの味が280年間も続いているというのは奇跡に近い。
今里屋久兵衛とは、そんなお店なのです。

明治18年測量の地図です。中津川に架かる橋は明治11年に架橋された十三橋です。
その北詰に民家が見えますが、おそらくここが当時の今里屋久兵衛。
今里村は現在の十三元今里の辺りになります。
小嶋村に神社が見えますが、ここが現在の神津神社です。
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江戸時代末期に描かれたものです。2人づれの旅人が店に入ろうとしているのでしょうか。
店の中ではあんをくるんでいる人と焼いている人が描かれています。
お餅も白と緑が描かれていますね。十三の渡しが奥に見えます。
本には十二代当主の今本フクさんのコメントが書かれていました。
「皮は米の薄いダンゴ。中にあずきのアンコがいっぱい詰まってまして、ひと口で食べられる。
あっさりした味は今も昔も変わりません。
ただ、昔は直径2センチぐらいやったが、今は3センチほどに大きゅうなった」

「中津町史」より
大正時代の写真だと思われます。
昔の今里屋久兵衛の面影を見ることが出来る貴重な写真です。
現在の十三大橋(昭和7年完成)ができる前です。
この頃は橋を渡る人が多かったので、店も繁盛していたようですね。
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『十三あん焼と十三焼餅』
『十三焼きは十三の歴史そのもの』
『十三大橋の渡り初め』

「米朝ばなし」より
昭和50年代の写真でしょうか。
お餅を焼いておられる方は古くから今里屋久兵衛で働いておられた方で、
現在の十三代目の良子(たかこ)さんも作り方を教わった方のようです。

お店で良子さんにお話をいろいろ伺いました。とても気さくでお話好きなお母さんです。
お母さんがまだ小さかった頃、店の前に立派な車が止まり、
背の低い人が後ろから降りてきて、10個入りの焼餅を買って行ったそうです。
後で聞くと小林一三さんだったとか。
またある日、店の奥からのぞくと着物を着た綺麗な女性が店内で焼餅を食べていました。
その方は当時松竹新喜劇の看板女優だった浪花千栄子さんだったそうです。
桂米朝さんはあまり甘いものは召し上がらなかったようですが、
ここの焼餅だけはお好きで食べておられたとか…。
「おかあさん、楽しいお話ありがとうございました^^」

「思い出の十三 イラストマップ(部分拡大)」より
戦前の十三駅周辺です。駅前に「今里あんやき」の文字が見えます。
ある時期は十三駅構内でも売っていたそうです。
構内で売れるようになったのは、お母さんのおばあさんにあたる先々代が
小林一三さんに直接申し入れたそうです。すごいなぁ。

現在は十三駅西口改札を出た場所にお店があります。
こちらはずっと営業していますので、「十三焼」を食べたことがない方はぜひどうぞ。
ちなみに10個入り630円です。
もちろん昔と作り方が同じなので余分なものが入っていません。
当日中に食べてくださいね。
オーブントースターで軽くチンすると めっさ美味しい!

新本店は4月頃、近くの場所に開店予定です。そのときにまた紹介します。
今里屋久兵衛がこの場所を去ることを「寂しくなる」とは書きません。
ありがとうございます。
伝統の味を守り続けてくれて。
…でもやっぱりちょっと寂しい
----------------------------------------------
新本店が2009年6月にオープンしました。
おめでとうございます♪

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コメント
ゴリモン | URL | CFnWuolQ
十三焼き、好きです。餡が口の中でシュルンと溶けます。美味いです。思い出しただけでヨダレが‥‥
今回はいつにも増して古地図解説が楽しかったです^^
( 2009年02月16日 09:03 [Edit] )
新之介 | URL | -
いつにも増して…
今回は客観的に読んでみると
肩に力は入っていますね。
ちょっと熱くなってしまったかも…。
お母さんのお話を聞いた日に書いたのもあるし、
私の上の子供とお孫さんが幼稚園時代の
お友達ということがわかったり、
次男さんと私が中学生時代に同学年だったということもあって、
今里屋久兵衛を熱く語ってしまった…^^;
ゴリモンさんもお好きだとわかってうれしいです。
もっともっとみなさんに知ってもらいたい味です。
( 2009年02月16日 12:17 )
ばんぼー | URL | t/Klp7tQ
美味しそうですね・・・
美味しそうですね。しかも10個で630円。すばらしいです。
通勤で十三を通るのですが、回数券なので途中下車できないので、買いたいと思いながらも、今日は辞めときました。改札から大声でオーダーしたら届きそうかなとも思いましたが、やはり恥ずかしいですね^^;
ここ最近、会社では西口出て左曲がった元王将があった場所の中華屋さんで飲むのがブームです^^
PCの故障難儀ですね。
無事回復をお祈りします。
( 2009年02月16日 22:50 [Edit] )
新之介 | URL | sDz630us
ばんぼーさん
改札から手を伸ばせば
届きそうなんですけどね ^^
素朴な味でおいしいですよ。
あそこの中華屋さんはまだ行ってないなぁ。
チェックはしてるんですけどね。
PCは幸い軽症ですみそうです。
ご心配おかけました。
念のためデータのバックアップ作業を
ちゃんとしておこうと思っています。
もうしばらくお待ちください。
( 2009年02月17日 08:33 [Edit] )
よりき | URL | -
ゴリモンさんのところで知って以来、
いつも楽しみに拝見しています。
初コメントです。
阪急神戸線からチラリと窺える店構えに、
一度は行ってみたいと思っていたものの、
十三で降りる機会がなかなか無く……。
今の店構えのうちにも訪ねてみたいものです。
今里屋久兵衛もこちらのHPも、
さらなる発展のための、しばしの別れな訳ですね。
期待しています。
( 2009年02月18日 14:51 )
新之介 | URL | -
よりきさん
ゴリモンさんとこから
たくさんの方が見に来てきださるので
とてもうれしく思っています。
阪急電車からはよく見えますよね。
私は普段阪急ではないのですが
いつもあたりまえのように見えていたものが
なくなってしまうとさみしくなります。
歳のせいかな…^^
機会があればいちど食べてみてください。
280年続いた訳がわかるかもしれませんよ ^^
( 2009年02月19日 13:32 )
TOSSY | URL | mXJ0wlpU
十三焼き
ほのぼのとおいしいですね
昔 駅前の店でいつもおばあちゃんが焼いていました
先代さんでしょうね
あのお店なくなるのですね
さびしいですね
浪速千恵子さん
昔 一度お仕事でご一緒したことがありますが とってもお綺麗で偉ぶらない人でした
おろなみんの広告でいつも見ていましたがあんなにお綺麗だとは思わなかったです
柔らかい関西言葉もすてきでした
浪速さんは京都生まれなのですね
お付の人のことを「私のお友達で お世話をしてくださっている○○さんです」ときちんと紹介されたのが記憶に残っています
( 2009年02月21日 12:17 [Edit] )
新之介 | URL | sDz630us
オロナイン
TOSSYさん
浪花千栄子さんを画像検索すると
オロナインの看板がでてきますね ^^
子供の頃は、虫に刺された時も、
デキもんができた時も、ヒビワレした時も、
いつでも何にでもオロナインを塗っていました。
オロナインと正露丸があればほぼ大丈夫でしたね。
浪花千栄子さんと
お仕事をされたことがあったのですか。
すごいな。
お若い時も綺麗でしたが、歳をとられてからも
上品で素敵な方だったんでしょうね。
( 2009年02月22日 22:43 [Edit] )
TOSSY | URL | mXJ0wlpU
オロナイン
そうでした 浪速千恵子さんは オロナイン軟膏でした
オロナミンは 大村昆ちゃん と 巨人軍でした
ところで なぜ 浪速千恵子さんがオロナイン軟膏のCMをしていたかご存知ですか?
本名が なんこう きくのっていうのだそうです
うそみたいな ほんまのことだそうで・・
軟膏 効くの で エンギがええと 決まったという話どこかで読みました
( 2009年02月22日 23:45 [Edit] )
新之介 | URL | sDz630us
なんこう きくの
「なんこう きくの」ですか。
よくできた話ですね
でもそれを提案をした広告制作者に拍手!
パチパチ ^^
( 2009年02月23日 22:41 [Edit] )
にら | URL | 8vDJ5yY6
楽しく拝見いたしました。
初めまして。良い感じのブログですね。ゆっくり拝読させていただきます。大阪地下の忘れられた看板、面白い!実は、十三焼き大好き人間です。あの味は、一度食べたら病みつきになりますね。最近買いに寄れなくて・・・。先日電車から何気なく外を見ていたら、本店のシャッターに何やら白い貼り紙。無論、遠くて内容は分りませんが、悪い予感・・・。で、このブログに行き当たり、最初に目に飛び込んできたのが「さようなら・・・」予感的中かと、びっくりしましたが、読んで安堵。ところで、どこに移転されたのでしょうか。検索しても分りません。ご存じでしたら、教えてください。よろしくお願いいたします。
( 2009年07月01日 22:39 [Edit] )
新之介 | URL | sDz630us
にらさん
新本店オープンの情報は
ずっとずっと気になっていた事で、
私が本店に立ち寄れなくて
お伝えするのがのびのびになっていました。
ごめんなさい。
追記という形で新本店の場所の地図をアップしました。
場所がおわかりになりますでしょうか。
もちろん本店だけでなく
十三駅の西口改札を出た
お好み焼きのじゃんぼ総本店の
お隣でも販売していますので
ぜひお立ち寄りください。
( 2009年07月01日 23:32 [Edit] )
にら | URL | 8vDJ5yY6
早速ありがとうございました。
新之介さん、早速ご回答くださり、ありがとうございました。場所は分りました。ちょっとしゃれたお店になりましたね。前の方が伝統を感じられて、良かったような気はするのですが。時代の流れでしょうか。場所も十三大橋を渡ったところというのが、これまた雰囲気があったのですが・・・。また、ウォーキングしてみます。
十三駅店は知っています。改札から出なくても「声をかけてください」で、時々買っていました。
( 2009年07月02日 07:03 [Edit] )
新之介 | URL | sDz630us
にらさん
>改札から出なくても「声をかけてください」で、時々買っていました。
そうとうな常連さんですね ^^
新本店の場所は縁があって
あの場所に決まったのではないかと思っています。
新本店の場所は淀川が開削される前の地図を見ると
中津川の南岸にあたる場所で
成小路村の旧十三地区のようです。
当時の今里屋久兵衛は中津川の北岸だったのが、こんどは南岸。
でも十三の渡しがあった場所の近くに違いはありません。
今里屋久兵衛があの場所に移転できたのも
縁なのだと感じています。
( 2009年07月03日 00:32 [Edit] )
にら | URL | 8vDJ5yY6
色々と教えていただいて、感謝!
新之介さん、再度ありがとうございます。流石、歴史にお詳しいですね。そう言えば、淀川は洪水対策で、流れを変えたのでしたね。本店移転も、やはり歴史を考慮して、場所を考えられていたのが良く分かりました。勉強になりました。
( 2009年07月03日 06:37 [Edit] )
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