2009年01月18日 14:55
住吉神社と豊国神社
天竺川を歩いている時にいくつかの神社にも立ち寄りました。点と点が繋がるという事はこういうことなのでしょうか。服部にある住吉神社でちょっと面白いものを見つけました。
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天竺川沿いにある住吉神社。

ここは立派な松が長い参道を作っていました。

山門脇の大きな大木を横目に見ながらくぐると、

立派な拝殿が見えてきます。

天竺川沿いには、長島住吉神社とこの住吉神社、そして長興寺住吉神社と3つの住吉神社に立ち寄りました。この辺りは住吉信仰と深い関わりのある地域なのかなぁ。

裏手にお稲荷さんも祀られています。

で、鳥居をくぐっている途中にこんなものを見つけました。「桐の紋」です。
なんで?

実はこの社殿は、旧大阪市庁舎の横にあった豊国(ほうこく)神社の社殿を移築したものなのだそうです。

先日ちょうど豊国神社に行ってきたのでびっくり。

昭和22年に本殿が火災で焼失し、しばらく仮社殿だったそうです。その後、大阪市庁舎の建て替えにより、豊国神社が大阪城内に移転。その時に豊国神社の社殿を拝譲したのだそうです。

「大阪市廳舎新築記念帖」より
大正10年当時の旧大阪市庁舎の竣工写真です。裏手に豊国神社がありました。右端に移っているのが社殿でしょうか。
旧市庁舎の裏からの写真は珍しいです。いただいた『☆大阪百科☆ニュース』の管理人nakano-shimaさんに感謝です。nakano-shimaさんはこの貴重な資料をお持ちなのです。すごい!
→『☆大阪百科☆ニュース』

「ふるさとの想い出写真集 大阪」より
この写真は明治30年代と思われます。後ろに見える建物は市立公会堂ではないかと思います。現在の中央公会堂ができる前の建物です。府立図書館はその奥にできます。
といことは、この場所は中之島の剣先の辺りになりますね。

明治18年測量の地図を見ると場所が中之島の先の方であったことがわかります。豊国神社も中之島の中で移築しているようですね。

「ふるさとの想い出写真集 大阪」より
豊国神社の境内にあった豊臣秀吉の銅像と大砲です。この大砲は写真集では戦利品であると書かれていました。といことは日露戦争が明治37,38年ですので、その後の写真でしょうか。

大阪城内にある豊国神社です。豊臣秀吉の銅像は平成19年(2007)に再建されました。
下調べをせずに歩く楽しさはこんなプチ発見と出会えることだと思います。知らない町をうろうろする楽しさを改めて感じることができた1日でした。
(追記)

「大阪 歴史の散歩」より
大砲の鮮明な写真が出てきました。この本にもやはり日露戦争の戦利品と書かれています。この大砲も太閤像も昭和18年に供出されました。

「大阪 歴史の散歩」より
この写真もかなり鮮明ですね。当時の太閤像はこんなお顔でした。後ろに見える建物は旧大阪市庁舎のようですね。
(関連記事)
『 1. 吹田街道をゆく 吹田の渡し 』 2009.12.30
『 2. 吹田街道をゆく 垂水町 』 2010.01.04
『 3. 吹田街道をゆく 江坂 』 2010.01.08
『 4. 榎坂郷と荘園と今西家 』 2010.01.20
『 5. 消えた地名、蔵人 』 2010.01.23
『 6. 吹田街道をゆく 小曽根 』 2010.01.26
『 7. 足の神様・服部天神宮 』 2010.02.01
『 8. 旧穂積村を歩く 』 2010.02.08
『 1. 旧吹田村を歩こう・吹田駅と高浜神社 』 2009.12.10
『 2. 旧吹田村を歩こう・重要文化財・旧西尾家住宅 』 2009.12.11
『 3. 旧吹田村を歩こう・古い町並みと大の木 』 2009.12.15
『 住吉神社と豊国神社 』 2009.01.18
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ここは立派な松が長い参道を作っていました。

山門脇の大きな大木を横目に見ながらくぐると、

立派な拝殿が見えてきます。

天竺川沿いには、長島住吉神社とこの住吉神社、そして長興寺住吉神社と3つの住吉神社に立ち寄りました。この辺りは住吉信仰と深い関わりのある地域なのかなぁ。

裏手にお稲荷さんも祀られています。

で、鳥居をくぐっている途中にこんなものを見つけました。「桐の紋」です。
なんで?

実はこの社殿は、旧大阪市庁舎の横にあった豊国(ほうこく)神社の社殿を移築したものなのだそうです。

先日ちょうど豊国神社に行ってきたのでびっくり。

昭和22年に本殿が火災で焼失し、しばらく仮社殿だったそうです。その後、大阪市庁舎の建て替えにより、豊国神社が大阪城内に移転。その時に豊国神社の社殿を拝譲したのだそうです。

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「ふるさとの想い出写真集 大阪」より
この写真は明治30年代と思われます。後ろに見える建物は市立公会堂ではないかと思います。現在の中央公会堂ができる前の建物です。府立図書館はその奥にできます。
といことは、この場所は中之島の剣先の辺りになりますね。

明治18年測量の地図を見ると場所が中之島の先の方であったことがわかります。豊国神社も中之島の中で移築しているようですね。

「ふるさとの想い出写真集 大阪」より
豊国神社の境内にあった豊臣秀吉の銅像と大砲です。この大砲は写真集では戦利品であると書かれていました。といことは日露戦争が明治37,38年ですので、その後の写真でしょうか。

大阪城内にある豊国神社です。豊臣秀吉の銅像は平成19年(2007)に再建されました。
下調べをせずに歩く楽しさはこんなプチ発見と出会えることだと思います。知らない町をうろうろする楽しさを改めて感じることができた1日でした。
(追記)

「大阪 歴史の散歩」より
大砲の鮮明な写真が出てきました。この本にもやはり日露戦争の戦利品と書かれています。この大砲も太閤像も昭和18年に供出されました。

「大阪 歴史の散歩」より
この写真もかなり鮮明ですね。当時の太閤像はこんなお顔でした。後ろに見える建物は旧大阪市庁舎のようですね。
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『 1. 吹田街道をゆく 吹田の渡し 』 2009.12.30
『 2. 吹田街道をゆく 垂水町 』 2010.01.04
『 3. 吹田街道をゆく 江坂 』 2010.01.08
『 4. 榎坂郷と荘園と今西家 』 2010.01.20
『 5. 消えた地名、蔵人 』 2010.01.23
『 6. 吹田街道をゆく 小曽根 』 2010.01.26
『 7. 足の神様・服部天神宮 』 2010.02.01
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『 住吉神社と豊国神社 』 2009.01.18
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コメント
TOSSY | URL | mXJ0wlpU
ヘェ~ヘェ~ヘェ~
中之島の豊国神社の社殿は こんなところにあったのですか
ぶらぶら散歩で 思いがけない発見ですね
犬も歩けば・・・ですね
大阪城内の豊国神社は 確か コンクリートの社殿でしたね
参集殿は中之島からの移築と聞いた覚えがあるのですが・・
豊国神社さんへは 以前に 仕事でよく出入りしていました
( 2009年01月18日 22:45 [Edit] )
新之介 | URL | sDz630us
犬も歩けば
TOSSYさん
良い棒に当たりました ^ ^
参集殿も中之島から移築されたものですか。
豊国神社の境内にはそれ以外にも
鳥居や灯篭も移築されているようです。
古写真と見比べながら中之島から
移築されたものを検証中です。
オタクですね ^^
( 2009年01月18日 23:26 [Edit] )
pinboke_planet | URL | nJ6t.gCE
大発~~~見!!・・・ですね
大発見ですね!!
昭和30~40年代に市庁訪問時に見ていた社殿は、こんなところに移築されていたのですね。
ちなみにウチの集落も住吉神社です。もともと100戸そこそこの集落だったと思うのですが、50年くらい前に農業用ため池の一部を住宅会社に売却、当時の法律では集落の財産区で使途を決められたので、ムラの神社とお寺を鉄筋コンクリートで新築・神社横に25mプールを併設、プールで水温を上げた地下水を、残った池に放流して農業用に使うようにしました。
今年の初詣の写真ですが、本来は無人なので元日などは、町内の輪番でお神酒などを振る舞いますが、2日は閑散としていました。
iPhone shot with iPhone App "panorama"
http://www.flickr.com/photos/pinboke/3158431377/
家内のおばあちゃんの実家も、明石市魚住町中尾の住吉神社ですが、こちらは珍しい能舞台もあって、鳥居が目の前の海に向かっているホンモノの住吉神社らしいたたずまいでかなり好きな場所です。(いまから明石へ行くので、今日も寄ってみます)
( 2009年01月19日 12:22 [Edit] )
新之介 | URL | sDz630us
住吉神社
pinboke_planet さん
明石市魚住町中尾の住吉神社は
Google Mapで見ましたが
いい感じですね。
海に面して高台になっているんですね。
淡路島がよく見えることだと思います。
十数年前、週末に釣りばかりしていた頃は
江井ヶ島や林崎の港に毎週のように
夜釣りをしに行っていましたので
この辺りの土地勘はあるのですが
住吉神社は知りませんでした。
気候がよくなってから
行ってみようかな。
眺めがよさそうですね。
( 2009年01月20日 01:40 [Edit] )
| |
承認待ちコメント
このコメントは管理者の承認待ちです
( 2009年01月20日 18:59 )
びんみん | URL | j549y3BY
Re: 住吉神社と豊国神社
こんばんは。
そんなところに豊国神社の社殿が残っていたのですか。
驚きました。こんな形で見つけるとうれしいものですね。
大阪天満宮の能舞台というのもちょっと気になります。
( 2009年01月21日 00:40 [Edit] )
新之介 | URL | sDz630us
東三国住人さんへ
東三国住人さん
コメントありがとうございます。
ちょっと内容にデリケートな部分があるので
公開を控えさせていただきます。ごめんなさい。
さて内容に関して、私も詳しいことはわかりませんが、
戦前は大阪へ出稼ぎに多くの方が来られています。
当時は差別的なこともあったと聞いたことがあります。
戦後の混乱で住むところ無くなった時に
同じ郷里の人達が集まるのは自然な姿ではないでしょうか。
私がここで書けるのはこれくらいまでです。
大阪の歴史を知る上で、陰の部分も知ることが大切ですね。
中途半端でごめんなさい。
( 2009年01月21日 01:19 [Edit] )
新之介 | URL | sDz630us
能舞台
びんみんさん
目のつけどころが違いますね ^^
この神社にはもうひとつ
面白いものがあるんですよね。
http://blog-imgs-41.fc2.com/a/t/a/atamatote/DSC08348.jpg
「大阪最古の能舞台」って
かなり興味があったんですけど
先を急いでいたので見ませんでした ^^;
能舞台に関心のある方は
必見かもしれませんね。
( 2009年01月21日 01:34 [Edit] )
点と点 | URL | xfWPEvlw
豊臣秀吉の銅像と大砲
最近見せてもらっています。
色々資料が豊富で、古い地図などが気に入っています。
明治18年の地図はきれいですね!
豊中の住吉神社の能舞台は見に行きました。
ところで、今回の中ノ島の豊臣秀吉の銅像と大砲
現在はありませんが、昔はあったのですね!
現在再建された豊臣秀吉の銅像は当時の物と違うようですね!
元の銅像はどうなったのでしょうか!
次の切り口を期待します。
( 2010年01月14日 22:48 [Edit] )
新之介 | URL | sDz630us
点と点さん
僕はこの記事の冒頭でたまたまですが
「点と点」って書いてましたね ^^
当時あった大砲も太閤像も
戦時中に供出されたようです。
新たな太閤像を作るにあたっては
下記のサイトをご参照いただければと…
http://www.apsara.ne.jp/houkoku/dozo.htm
能舞台はまだ見れていません。
もう少し能の事を知ってから
見に行きたいと思っています。
( 2010年01月15日 11:00 [Edit] )
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