2008年10月16日 07:30
大坂七墓 蒲生墓地
このブログを始めて気付いたことがあります。「私はお墓が好きなんだ!」と。でも、あまり人に言えないので、ここだけの話にしておきます(笑)。で、大阪七墓(ななはか)巡りをしてみようと思ったのです。大阪七墓についての詳細は次回にするとして、JR京橋駅の東側にある蒲生(がもう)墓地と呼ばれている場所に行ってきました。

JR京橋駅から歩いて5分くらいの場所です。昔の地図を見るとこの道は水路沿いの道のようです。

入口は何ヶ所かありましたが、ここが正門?でしょうか。道から一段下がった場所に墓地があります。

「蒲生地蔵尊はここ」と書かれていました。

これ?でしょうか。頭がなくなっています。後ろにあるのもお地蔵さんのようですが、上半身がありませんでした。かわいそー。

こちらは六地蔵です。文化十三年と刻まれていました。約200年前ですね。

こちらも古そうな迎え仏です。六地蔵と同じ頃でしょうか。ちゃんと見とけばよかった…。

全景です。細長い敷地です。左の建物がぎりぎりまで迫ってきています。というより、はみ出してる感じでした。

かなりランダムに墓石が建っています。

隅っこに無縁墓が無造作に置いてありました。

この辺の墓石も無縁っぽいです。一部崩れているのもあります。

これなんかは完全に崩れてます。

墓石を覆うように、家が建てられています。

こちらも家にめり込んでいる感じ。

終戦後、この辺りは闇市が建ち、墓を壊したり墓石を礎石として飲食店が立ち並んだそうです。その名残でしょうか。

お墓には必ず猫がいます。なんでかな。

かわいい黒猫の子供が何匹かいました。
さて問題です。
『人 二 ハ 1 一』 なんと読むでしょう~か。

この墓石は結構有名なようです。
「たんぽぽの部屋へようこそ」を参考にさせていただきましたが、『金』と刻まれています。なんでも、「人には(芯棒)辛抱が一番」と掛け合わせているのだそうです。昔の人は粋ですね。
でも大阪検定には出ないかもね(笑)。
(関連記事)
『大阪駅ができる前は墓地があった』 2008.03.01
『初代大阪駅の場所』 2008.03.03
『大坂七墓 南浜墓地』 2008.09.08
『大坂七墓 蒲生墓地』 2008.10.16
『大坂七墓巡り1』 2008.10.22
『大坂七墓巡り2』 2008.10.24
『大坂七墓巡り 千日墓地』 2008.10.27
『さよなら千日前・竹林寺』 2009.02.09
『大阪七墓・梅田墓地・飛田墓地の跡のあと』 2010.07.26
『大阪七墓・葭原墓地の沖向地蔵尊』 2010.07.28
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入口は何ヶ所かありましたが、ここが正門?でしょうか。道から一段下がった場所に墓地があります。

「蒲生地蔵尊はここ」と書かれていました。

これ?でしょうか。頭がなくなっています。後ろにあるのもお地蔵さんのようですが、上半身がありませんでした。かわいそー。

こちらは六地蔵です。文化十三年と刻まれていました。約200年前ですね。

こちらも古そうな迎え仏です。六地蔵と同じ頃でしょうか。ちゃんと見とけばよかった…。

全景です。細長い敷地です。左の建物がぎりぎりまで迫ってきています。というより、はみ出してる感じでした。

かなりランダムに墓石が建っています。

隅っこに無縁墓が無造作に置いてありました。

この辺の墓石も無縁っぽいです。一部崩れているのもあります。

これなんかは完全に崩れてます。

墓石を覆うように、家が建てられています。

こちらも家にめり込んでいる感じ。

終戦後、この辺りは闇市が建ち、墓を壊したり墓石を礎石として飲食店が立ち並んだそうです。その名残でしょうか。

お墓には必ず猫がいます。なんでかな。

かわいい黒猫の子供が何匹かいました。
さて問題です。
『人 二 ハ 1 一』 なんと読むでしょう~か。

この墓石は結構有名なようです。
「たんぽぽの部屋へようこそ」を参考にさせていただきましたが、『金』と刻まれています。なんでも、「人には(芯棒)辛抱が一番」と掛け合わせているのだそうです。昔の人は粋ですね。
でも大阪検定には出ないかもね(笑)。
(関連記事)
『大阪駅ができる前は墓地があった』 2008.03.01
『初代大阪駅の場所』 2008.03.03
『大坂七墓 南浜墓地』 2008.09.08
『大坂七墓 蒲生墓地』 2008.10.16
『大坂七墓巡り1』 2008.10.22
『大坂七墓巡り2』 2008.10.24
『大坂七墓巡り 千日墓地』 2008.10.27
『さよなら千日前・竹林寺』 2009.02.09
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『大阪七墓・葭原墓地の沖向地蔵尊』 2010.07.28
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コメント
むくのきやすお | URL | k8.8F176
屋台と自転車
森之宮在住時代に何度となく前を通りましたが、足を踏み入れたことなかったです。興味津々で読みました。立ち入ったことがないのはなんか敷居が高い感じがするのでしょうか。
最初の写真に写っている屋台、有名らしいのですがそこも前を通り過ぎるばかりで、飲み食いしたことありません。屋台の向かいの列にある自転車やで通勤用に自転車を買い、チェーンがいかれてどうしようもなくなるまで大阪市内を乗り倒しました。
( 2008年10月17日 02:33 [Edit] )
新之介 | URL | sDz630us
居酒屋
むくのきやすおさん
お墓って確かにちょっと足を踏み入れにくい雰囲気がありますね。私もなれるまで?入るときに心の中で「失礼しまーす」って入ってました(笑)。
ここははじめての場所だったのですが、朝なのに準備をしている店?がありました。検索(京橋 居酒屋 墓)してみると、一発で出てきましたよ。
まぐろ屋台 居酒屋「とよ」というお店ですね。
めっちゃはやってるみたい。
( 2008年10月17日 11:12 [Edit] )
kotaro | URL | 8nGiSIKA
「とよ」と「金」
先に訪ねたのがとよで、東南アジアの中の大阪を意識させるヒドい(ほめ言葉で)屋台です。お行儀も作法もあったもんじゃありません。私の母は絶対寄り付かないエリアだなあ。(笑)
ブルースなのかロックなのか頭の中でガンガン鳴ります、きます。これがオーサカだと。
墓の判じ文、これを教えて下さったのが飲み屋で通り縋りの先生、西俣さんです。(柴島の項参照)
生と性、食と死、都会の悪所はすべてが隣り合わせで、強烈過ぎる印象でした。あの墓石の上まで建て増したバラック建築、暴力と前衛芸術は紙一重、赤瀬川原平さんに見せてあげたいデスネ。
( 2008年10月17日 12:22 [Edit] )
TOSSY | URL | mXJ0wlpU
墓地
我が家の墓は いわゆる墓地公園 明るくてきれいなところです
こういう古いお墓は 関係者以外立ち入り禁止と札が出ているみたいに感じて 踏み込めないですね
勇気ありますね
判じもん 面白いですね
大阪人らしいです
昔の大阪人って 駄洒落好きですものね
なんだかすっごく deepな場所のようですね
家に侵食され行く墓地 大阪ですね
( 2008年10月17日 21:51 [Edit] )
新之介 | URL | sDz630us
大阪案内人
kotaroさん
西俣 稔さんの活動は存じ上げております。
いろいろ調べ物をしている時に
お名前がでてきます。
>生と性、食と死、都会の悪所はすべてが隣り合わせ
深い言葉ですね。いちど西俣さんのツアーに
行ってお話を聞いてみたいな。
( 2008年10月18日 10:40 [Edit] )
新之介 | URL | sDz630us
墓フェチ
TOSSYさん
古いお墓だけでなく墓地自体、一般の人はあまり中に入らないですよね。ただ、私は古い墓地ほどひ引きつけられてしまいます。
墓地は火事や戦災の被害を受けることが少なかったし、人の手があまり入らないところなので、何か発見がありそうな空間なんです。
初めての墓地には小さな発見がいっぱいあります。(記事にするほどでもないものがほとんどですが…)200年前のお地蔵さんがさりげなく置かれているのもそのひとつです。
よっと変わってるかも(笑)。
( 2008年10月18日 13:52 [Edit] )
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承認待ちコメント
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( 2010年12月06日 13:10 )
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