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姫島と大和田街道

2008年10月05日 08:00

姫島と大和田街道

現在姫島(ひめじま)と呼ばれている地域は、大正14年に大阪市に編入するまでは、稗嶋(ひえじま)と呼ばれていました。ただ元々「ひめじま」と呼ばれていたようで、「ひめ」が訛って「ひえ」になったといわれています。

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明治18年測量の地図です。黄色の線は大和田街道。難波橋北詰から海老江を通り、中津川を渡り、姫島(稗嶋)、大和田を通り、尼崎の大物まで達する街道です。

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最初の地図はこのエリア(緑色)です。姫島(稗嶋村)は他と規模を比べると、大きな村だったことがわかります。

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姫島(稗嶋村)と海老江の間を新淀川は開削されました。

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昭和4年測量の地図です。真ん中を走る阪神電車が開通したのは明治38年、その上流の阪神国道線が開通したのは昭和2年です。阪神「姫島」駅は現在の場所より川沿いで、「稗島駅」になっていました。下流に稗島渡の文字が確認できます。

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「Googleマップ」より

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位置的には、昔渡し場があった場所ですが、淀川開削後の渡しはここより下流にありました。

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堤防から見た大和田街道です。

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姫島通りから堤防の方角を見ています。

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街道沿いのところどころに道標が設置されています。

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姫嶋神社です。「稗島」と呼ばれていた時代から、「姫嶋」だったのでしょうね。

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拝殿です。

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難波八十島の比売島(ひめじま)の産土神(うぶすながみ)を祀ったのだそうです。

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境内に背の高い大きなクスノキがあります。一本の木ではなく、まだ若い複数の木です。

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戦前まで樹齢900年ともいわれていたクスノキがありました。残念なことに空襲で焼けてしまったのだそうです。

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万葉集に姫島が詠まれています。「妹(いも)が名は 千代に流れん 姫島の 小松がうれにこけむすまでに」 河辺宮人(かわべのみやひと)

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街道沿いに緑で覆われた古い家がありました。接骨医のようですが、次から次と人が出入りしてました。人気の接骨医かもしれません。

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街道沿いの遍満寺の壁にこんなものが。何だろう?タヌキかな?


(おまけ)
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こんな表札を見つけました。どう読むんだろう。「じゅうそう」さんかな?「じゅうさん」さんかな?「とみ」さんかな?。

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こんな落書きも。このせんをたどればつくそうです。矢印にそって歩くと、家の玄関まで続いていました(笑)

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コメント

  1. 夢一番! | URL | YfUKWipc

    地元の記事です~!

    いやいや。。。 よく知っている道です。

    大和田には城跡(大和田小学校内)もあります。

    地盤の低い土地なんですが。。。 

    歴史は結構古いのに驚かされます。。。

  2. 新之介 | URL | sDz630us

    大和田

    夢一番!さん

    大和田は古い町ですね。
    でも、古いものがあまり残っていません。
    昭和20年の空襲で町のほとんどが
    焼けてしまったようです。
    残念ですね。

  3. | |

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