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囲まれた柴島

2008年09月21日 10:30

周りを囲まれた柴島

西と北は柴島(くにじま)浄水場、東と南を淀川の堤防で囲まれ、地理的に取り残されたような地域の柴島。昔は綿花の栽培が盛んな地域だったようで、現在でも懐かしい風景が残っています。

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どこか懐かしさが漂う地域です。まずは柴島神社に行ってみました。

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夕方の西日をあびてエエ感じ。

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これは何だろう?「皇太子殿下御降誕記念」と刻まれています。裏を見ると昭和10年に建てたようです。今の天皇陛下のご誕生記念でしょうか。

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神社の境内に「柴島晒(さらし)ゆかりの地」の碑がありました。

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江戸時代、柴島地域は綿花の栽培が盛んで、淀川の流れを利用して木綿を洗い、それを干して乾燥させ、陽にあてることで白く加工する晒(さらし)業が営まれていたそうです。

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柴島神社の本殿です。

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由緒はかなり古そう。鎌倉時代の1232年までさかのぼります。

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境内に柴島地域の歴史がわかりやすく解説されていました。

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柴嶋城があったようですね。十河一存(そごうかずまさ)が築いた城のようです。昔の柴島神社の写真と古地図もあって歴史好きにはうれしいですね。

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淀川改修工事の為に神社を移築したことなどが書かれています。この神社は明治32年にこの地に移築されたようですね。

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これが移築前の旧柴島神社です。

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明治18年測量の地図に神社の記号が確認できます。おそらくここが旧柴島神社があった場所だと思います。萬福寺は昔からあるお寺です。参考までに現在の柴島神社の位置も入れました。

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昭和4年測量の地図です。旧柴島神社は河川敷によってなくなってしまいました。柴島浄水場は1914年(大正3年)に完成しています。それにより柴島地域は周りを囲まれてしまいました。

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ちなみに現在はこんな感じ。

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ここは昔から柴島にある萬福寺。

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曹洞宗法華寺。この寺は淀川改修工事でこの地に移ってきたました。「摂津国分尼寺伝承地」の碑がありました。こちらも由緒あるお寺です。

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旧薬師堂村の薬師如来です。薬師堂村は淀川改修工事でなくなってしまいました。その時にこの地に移されたのだと思います。旧薬師堂村の人たちもこの地域にも移住したのでしょうか。

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町を歩いていると古いものがいろいろ残っています。十一面観音菩薩と子安地蔵尊が祀られています。

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これも古そうな地蔵尊です。

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柴島神社に説明が書かれていましたが、ここが柴島城址だそうです。普通の住宅地でした。

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ちょっとエエ感じの民家。

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こんな旧家も残っていました。ただ周りの家が壊され駐車場に囲まれていました。

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柴島湯です。最近の私の記事にはなぜか銭湯がよくでてきます。


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コメント

  1. TOSSY | URL | mXJ0wlpU

    知らない街

    柴島って 阪急電車に乗ったら 淡路の手前?に水道局のレンガの建物がありますね
    あのあたりでしたか?
    何度も何度も電車の窓からは眺めていますが 降りたことはありません
    サクラのころにでも行ってみたいなぁと思っていますが・・

    私の家の近くにも 小さな小さな公園があり 「薬師公園」となっています
    お堂も何も無いのですが きっと昔はそこに薬師さんが祭られていたのでしょうね
    以前に お寺のご住職にそんなことを聞いたことがあるのですが 忘れてしまいました

  2. 新之介 | URL | -

    知らない人は多いと思います。

    TOSSYさん

    レンガ造りの建物は水道記念館ですね。国の登録有形文化財にも登録されています。中は家族連れにも楽しめる施設になっていて休日は賑わってますよ。柴島浄水場の桜も有名ですね。とても綺麗です。

    おっしゃるように柴島はあまり知られていません。また、まとまった開発が行われていないので、道路幅が狭く、車では入りにくい地域です。私もほとんど行かなかった地域なのですが、昔の雰囲気が残っている地域でもあります。お城もあったようなので、歴史好きの方には面白い地域かもしれませんね。
    また法華寺は長柄の国分寺と関係がありそうです。詳しいことはわかりませんが…(笑)。

  3. kotaro | URL | 8nGiSIKA

    柴島の由来

    柴島はなんで「くに」って読むか、
    愚問かなあ(笑)
    今回のコースとほぼ一緒の区間を歩いたことがあります。
    終点は淡路駅でしたが、あの周辺も面白い。
    レトロな喫茶店が残ってましたよ。

  4. 新之介 | URL | sDz630us

    なんで「くに」って読むの?

    kotaroさん

    >柴島はなんで「くに」って読むか

    「淀川図会」ブログに詳しい解説がありました。
    http://blogs.yahoo.co.jp/yuichiazuma1123/349251.html
    「クヌギ」の木と関係があるようですね。
    余談ですが、去年公園で拾ったクヌギのドングリをベランダにうめたら、春に芽が出てだんだん大きくなっています。7~80センチはあるでしょうか。「どうしよ」と悩んでおります(笑)。

    淡路駅の辺りも面白そうですね。
    いつか行ってみます。

  5. kotaro | URL | 8nGiSIKA

    くぬぎと柴

    お早うございます。朝夕かなり涼しくなりましたね。
    くぬぎ島=くにじま
    これが由来の半分で、残りの解説は
    柴の字を分解すると此と木になります。
    此の木=くぬぎと転じた当て字ではないかという
    この間、判じ文の墓名碑の話題を出したばかりですが、これが私の説なんですが、いかがでしょうか。
    参考文献は柳田国男の地名の話などからです。

  6. 新之介 | URL | sDz630us

    此の木

    kotaroさん

    「此の木」の説はネットの片隅で読んでいました。もしかしてkotaroさんの記事かな?その記事(冊子のスキャンデータ)にはこんなことが書いています。

    …ある日、「柴」の文字を眺めていて、「アッそうや!」とひらめいたのです。「柴」の字を上下に分解すると「此木=このき」で「くき・くぬき・くにき」に近い!(中略)きっと、「柴」の一字で「くき・くぬき・くにき」と読ませたのでしょう。…

    面白い説だなとおもって読んでいました。昔、この地域にはクヌギ林があり、綿花の畑が広がっていたのかなぁとイメージが広がっていきます。


  7. ゆい | URL | 9XE9RkIo

    懐かしい・・・・・・・・・。

    新之介さん、こんにちは。
    写真を眺めながら、とても懐かしい気持ちで一杯になりました。
    3年ほど前まで7年間ほど、柴島で暮らしていました。
    昔、柴島は「泥棒が逃げ込んだら絶対つかまえられない」と言われてたそうで・・・どういう意味なのか詳しくはわからないのですが・・・。またおばあちゃんに聞いておきます。

    「萬福寺」は昔、幼稚園をされていて私はそこの卒園生です。
    「法華寺」の住職さんの奥様はお友達です。
    「柴島湯」もしょっちゅうお世話になりました♪

    柴島神社の「節分祭」はなかなか楽しめると思います。
    祭りのクライマックスになると、壇上からお餅を投げるんです。
    (あ、神社の人がです)
    それを拝観?に来た人たちで取り合うのですが、
    私はチビなので、なかなか厳しいものがあります^_^;
    それでも2個、ゲットしました!

    今は離れましたが、近いと言えど、柴島へ足を向ける事はほとんどありません。
    でも、なんだか懐かしくなったので、今度のお休みの日にでも
    ゆっくり散歩がてら行ってみようと思います(*^_^*)

  8. 新之介 | URL | sDz630us

    ゆいさん

    懐かしいと思っていただけるのが
    一番うれしいです。
    阪急の高架工事が始まれば
    柴島地域もかなり変わると思います。
    小さい時にお住まいだったのなら
    是非見納めしておいてください。

    懐かしいものを写真に残しておくと
    数年後に宝物になりますよ。
    きっと。

  9. どぼん | URL | Xpl7Y40w

    淀川への通り道

    昭和42年秋に淡路に越して来た私は、よくここらへんを通って淀川に魚を獲りに行ってました。
    淀川ゴルフの近くに有ったわんどに行く時は、柴島神社付近を通ってました。
    長柄の爆弾池(今は無い)に行くときは、阪急電車の高架沿いを通ってました。
    この間、久しぶりに歩いたら高架沿いの民家や高架下の工場がなくなっていたので少し哀愁を感じました。
    更にビックリしたのは、柴島駅前にキリスト教病院が建てられて、駅と歩道橋で渡れるようになると言う事です。
    となると淡路にあるキリスト教病院はどうなるの?なくなるの?まさかねぇ。

  10. 新之介 | URL | sDz630us

    どぼんさん

    キリスト教病院は完全にこちらに移るのだと思っています。
    かなり便利になりますよね。
    高架駅になると駅直結になるのかも。

  11. 大橋勇一 | URL | qRE2mams

    懐かしい

    グーグルアースとストリートビューで昔住んでいた町を検索していたら、柴島の町に入り込みました。現在52歳、千葉県に住んでいます。私が柴島の文化住宅(長屋)に住んでいたのは幼少(昭和40年〜42年)の頃です。よく近くの柴島湯に通い、長屋の狭間の路地を遊び場にし、駄菓子屋でふ菓子や紙ガムを食べて。。。確か、お寺の中にあった幼稚園に通っていた記憶がかすかにあります。タイムスリップしました。昔の長屋はアパートや駐車場に変わり、私の記憶の中の風景と現在の町の姿とが重なります。ただ、柴島湯だけは昔の姿をほぼそのまま残しているのですね。でも、昨年の10月で廃業されたとか。その後(昭和42年に)、南千里の千里ニュータウンに引っ越して行きました。そうそう、その頃浜町(今の柴島1丁目?)に従兄の家族が住んでいて、それが阪急電車の高架下に作られた住宅だったと記憶しています。近くに川の堤防があったと思います。だから、電車が通るたびにカタンゴトンとしょっちゅう音と振動が響いていました。今では信じられないところに住んでいたと思うのですが、その後従兄は、当時の国鉄に入社するほど、鉄道好きな人でした。

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