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毛馬の重要文化財

2008年09月17日 07:20

毛馬洗堰と毛馬第一閘門

平成20年6月、毛馬洗堰(けまあらいぜき)と毛馬第一閘門(こうもん)が国の重要文化財に指定されました。知ってるようで以外と知らないこれらの施設を簡単に紹介します。

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DSC03653.jpg
これは毛馬第一閘門です。明治40年に完成しました。堰によって締め切られた新淀川と大川の間に、船を通すための水位差をコントロールする施設です。

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実際に見るとかなりでかいです。

P1030650.jpg
これは毛馬洗堰です。明治43年に完成。角材を落とし込むことによって流水量を調節していたそうです。

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位置関係を空撮で見てみましょう。でも今は公園になっているのでわかりにくいですよね。

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昭和4年の地図です。左が新淀川、右が大川、下を流れるのが中津運河(長柄運河)です。洗堰って淀川から大川に流れる水量を調節するための施設で、大阪の中心部を水害から守るためでもあります。

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「大阪市100年」より
昭和4年頃の写真です。洗堰、第一閘門、眼鏡橋が確認できます。

kema_003.jpg
もっと引いてみるとこんな感じ。川幅が今とぜんぜん違いますね。

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「歴史のなかの淀川」より
明治43年の洗堰完成当時の写真です。左が洗堰、右が第一閘門です。

DSC03754.jpg
当時は10個の水通しがありましたが、現在はそのうちの3つが保存されています。

kema_005.jpg
「歴史のなかの淀川」より
昭和初期の第一閘門です。奥に淀川改修紀功碑が見えます。

P1030671.jpg
ほぼ同じ角度ですが、淀川改修紀功碑は木に隠れて見えません。

kema_006.jpg
「歴史のなかの淀川」より
大正4年頃の眼鏡橋です。中津運河(長柄運河)に架かっていました。この運河は改修工事の不要土砂を運搬するため、長柄から海老江までの淀川沿いに開削されました。この写真にも淀川改修紀功碑が写っていますね。

P1030726.jpg
同じアングルで撮りたかったんだけど…。

kema_007.jpg
「歴史のなかの淀川」より
大正3年に設けられた長柄起伏堰。長柄橋の下流に設けられた堰で、全幅109メートル、堰板(ゲート)を83枚ならべてあり、これを倒すことで水量を調節していました。当時は手作業だったらしいですよ。上の全体地図の長柄橋の下流に確認できます。

P1030776.jpg
対岸の柴島から現在の淀川大堰をみたところです。ここで淡水と海水(汽水域)に分かれます。シーバス釣りのポイントとしても有名ですね。1メートルクラスのスズキが釣れます。

P1030768.jpg
魚道もあります。春には稚鮎がのぼっていきます。

P1030670.jpg
明治43年の淀川改修工事の完成時に建てられた淀川改修紀功碑。

P1030746.jpg
その下にある地蔵尊。改修工事の時に掘り出されたそうです。

DSC03701.jpg
残念石も転がっていました。大坂城築城時に運ばれる途中、川に沈んだ石が改修工事の時に多数掘り出されました。


(おまけ)
P1030622.jpg
毛馬を歩いていたらめっちゃエエ感じの銭湯がありました。

P1030623.jpg
淀川温泉!松の木がエエでしょ。

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(追記)
『淀川・大川・毛馬 私のテリトリー』というブログに
洗堰の現役時代のカラー写真がありました。かなり貴重です。
「懐しい風景 毛馬の洗い堰 1972」
http://hanada.de-blog.jp/yodogawa/2006/04/post_0730.html


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コメント

  1. pinboke_planet | URL | nJ6t.gCE

    毛馬といえば

    これまた懐かしい!!

     ほとんど忘れていましたが、昭和40年代に協力加工場として新築開設から業態変更までの10年くらい、私が大阪を離れてからも、最低月に一度は訪れた場所です。

     まあ、長柄橋のそばということで、地元といえば地元ですが、交通の便が悪かったので、いつも実家へ立ち寄り車を借りて行っていましたが、いまグーグルストリートビューで見ると、地図ではモータープールとなっていました。
     奥にたぶん工場だった建物が見えて、すでに別の事業で一応の成功をしていた社長の出身地、高知県のある町(村かも)から呼び寄せた純朴な従業員たちの顔が思い出され、懐かしくて感涙にむせびそうです。

    毛馬町あたり(三栄モータープール)
    http://maps.google.com/maps?f=q&hl=JP&geocode=&q=%E9%83%BD%E5%B3%B6%E5%8C%BA%E6%AF%9B%E9%A6%AC%E7%94%BA&sll=35.688498,139.50727&sspn=0.015825,0.0315&ie=UTF8&ll=34.724245,135.52022&spn=0.001001,0.001969&z=19&layer=c&cbll=34.723516,135.519644&panoid=jEBdTf82vEvPJk_2OtLFLg&cbp=1,193.167711239473,,0,35.67524115755628

     蕪村の句碑があると、事務の方(社長一族?)に教えてもらって散策したこともありましたが、そういえば大堰のカタチは加古川大堰と同じようで魚道も良く似ているようですね。
     家の近くの水田は加古川大堰より標高が高いのに、江戸時代の工事(今里伝兵衛)で加古川大堰近くから来ている水路(一応農地もあるので、ウチも年に2回ほど掃除に行きます)もあり驚いたことがあります(いまでも驚いていますが・・サイフォンの原理?)。

     魚道を撮影される方は極めて珍しいと思いますが・・息子が数年前、魚道の視察にノルーウェーへ行ったことがあります。日本の鮎などの繊細な魚と違うサケ用の魚道はあまり参考にならないとか言っていました。




  2. カオス | URL | -

    ニアミスでした

    この付近はついこの間、北大阪周遊自転車道で通りましたが毛馬洗堰のほうには行かなかったです。
    というより、こんな風に残っているとは知らなかった。
    毛馬第一閘門は迫力満点ですね。

    毛馬の閘門は小学生の頃に習った記憶がありますねえ。
    あのころは「こうもん」という響きにみんな敏感に反応していたなあ...

  3. ゆかり | URL | -

    私には、未知の世界!>ですが、参考になりますね。
    こんなんやったんや~って。(笑)

  4. 新之介 | URL | u6i4c2k.

    温泉で汗を流したのかな

    pinboke_planetさん

    きっと社長さんが地元から呼び寄せたという従業員の方々も淀川温泉で汗を流したのではないでしょうか。工場のすぐ近くですね。

    蕪村の句碑は撮影しましたが、また次の機会にと考えています。ちゃんと調べていませんが蕪村の生誕地である毛馬村は淀川改修工事でほとんどが沈んでしまっています。私が紹介する場合は、その地理的な変貌がメインかもしれません。

    加古川大堰は確かによく似ていますね。空撮でみると、敷地内の六角形のパターンもそっくり。

    私は鮎師(鮎歴20年)なので魚道には大変関心があります。こういう流れの変化のある所は魚が集まってくるので、見ていてあきません(笑)。

  5. 新之介 | URL | u6i4c2k.

    面白い被写体

    カオスさんの『混沌写真』
    「北大阪周遊自転車道(2)(3)」
    http://chaos08.blog17.fc2.com/blog-entry-122.html
    http://chaos08.blog17.fc2.com/blog-entry-123.html
    で、毛馬をさらっと通り過ぎたのが気になって
    毛馬に行ってきたのです(笑)。
    前からいくつもりだったのですが、きっかけがなくて…。

    撮影の被写体としても面白いのではないでしょうか。また機会があったら撮影してみてください。ワイドレンズがいりますね。ここは。

  6. 新之介 | URL | u6i4c2k.

    気持ちのいい場所

    ゆかりさん

    確かに一般の人には未知の世界かもね。
    でも、とっても気持ちのいい場所ですよ。
    「ニキニキ日記」も外にビールをもって
    アウトドアバージョンはいかがでしょう(笑)。

  7. kotaro | URL | 8nGiSIKA

    淀川温泉

    絵になりますね。
    新聞社のイラストとか投稿にならなかったのが
    不思議なくらい。
    今度探して行ってみたいと思います。
    いよいよ水回りの話題。
    高見フローラルタウンあたりの昔のこととか
    調べられてみてください。
    びっくりしますよ。

  8. たんばの人 | URL | USldnCAg

    いいですね~

    不思議な味わいがある。

    なにか宿っていそうな
    温泉とマツですね。

    マツ枯れしないように
    しないといけませんね。

    丹波のマツは松くい虫で
    ほとんど死滅しつつあります。

  9. pinboke_planet | URL | nJ6t.gCE

    追記:毛馬で作っていたのは新型車のシートクッション

    思い出しました!

     道路が狭くて2トントラックしか入れなかった、その工場で作っていたのは・・・
     日本で初めてファストバックスタイルを採用、1965年に発売の三菱コルト800の、やはり当時日本でも最新デザインのスポーティーなバケットシート型のフロントシートクッションや、三菱360やミニカなど軽4輪車のシートクッションなどでした。

     コルト600やコルト800は、イタリアのフィアット車風のデザインでなかなか好感の持てるクルマでしたが、淀川温泉の近くの小さな町工場でシートクッション(ウレタンフォーム製の座席の中味)を作れるほどの販売台数だったのですね。



  10. 新之介 | URL | sDz630us

    昔の高見フローラルタウンの辺り

    kotaroさん

    昔の高見フローラルタウンの辺り、ある程度知っていましたが、ちゃんと地図を見ていませんでした。なるほど、おっしゃってることがわかりました!中津運河と旧中津川のなごりが繋がっていますね。面白い。十三、塚本、野里地区は中津川がすぐに埋められたのに。

    >いよいよ水回りの話題。
    するどいご指摘です。先日「淀川百年史(1800ページもあります…)」を借りてきました。淀川改修工事を取り上げる予定です。ただちょっと時間がかかるかもしれません。気長ににお待ちください(笑)。

  11. 新之介 | URL | u6i4c2k.

    マツ枯れ

    たんばの人さん

    『丹波のことは?』で松枯れや立ち枯れの記事を見てぞっとした記憶があります。

    大阪市内はある意味カミキリなどの虫が少ないので、松枯れは少ないかもしれませんが、公害で枯れることが心配です。特に、市内に残る巨木の近くに新しい道路が出来たりしています。

    間違いなく巨木周辺の環境が変わります。
    市内にまだ大きい道路が必要なのかな?

    http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&msa=0&msid=111096047225868102996.0004572cdb3a9464c2501&ll=34.73992,135.506036&spn=0.01497,0.012724&t=k&z=16

  12. 新之介 | URL | u6i4c2k.

    小さな力持ち

    pinboke_planetさん

    すごいですね。
    三菱コルト600やコルト800は
    私でも知っている名車ですよね。
    京都工場で組み立てていたのかな?

    私はパジェロとデリカを乗り継いでいる三菱派です。
    不祥事の時も応援してました。

  13. pinboke_planet | URL | nJ6t.gCE

    コルト800

     シートクッションは倉敷市児島のシートアセンブリーメーカー(もと学生服の金ボタンを作っていた会社・当初は小さな木造2階建ての事務所→まもなくモータリゼーションの波とともに見違えるような近代工場に変貌)に納入していました、車体の生産ラインは三菱水島製作所ですね。

     当方も自動車用のシートクッションは、神奈川・愛知・兵庫などの工場に金型で一体生産するライン(広島駅のもみじ饅頭屋さんの店頭にある自動ラインにそっくりです)を新設し、激増する需要に対応しましたが、毛馬で作っていた品目は岡山市内に自社加工場を新規開設対応し、こちらの方も担当していました。

     パジェロ用は、なぜかサンバイザーの中味のみ永年受注していたので、生産台数は把握していましたね。新之介の愛車は、塚本のS氏に関するコメントのとき、ランクルかパジェロかなと思っていましたよ。
     倅がパジェロの名の付いた廉価版にまだ乗っています。

     そういえば、三菱はじめ360ccの軽4輪は殆どが2サイクルエンジンで白いケムリ?を吐いて走っていましたね。コルト800も2サイクル3気筒じゃなかったでしょうか?(昭和30年代後半、実家が初代ダットラの後コルト1000のバンを使っていて、同僚と琵琶湖へキャンプへ行くとき拝借したりしました)


     

     

  14. pinboke_planet | URL | nJ6t.gCE

    ごめんなさい

    >>新之介の愛車は
    すみません・・送信前に読み直したはずなのに呼び捨てになっていました、ごめんなさい。
     なお、ボクの見た蕪村の句碑は先代のようで、その後立派な碑が再建されたみたいですね。

  15. TOSSY | URL | mXJ0wlpU

    ちょっとごぶさた

    している間に すごく盛り上がっていますね

    毛馬の洗い堰 閘門 言葉と大体の場所は知っていましたが 見たことはありません

    私も 敏感に反応して 口に出して言うのがはばかられた部類です

    公園化されているのですね
    なかなか いいかんじですね
    大阪城から 船に乗って 川めぐりをしたときにこのあたりも行っているとおもいます

    この方面 ほとんど足を踏み入れたことの無い地域です

  16. 新之介 | URL | u6i4c2k.

    パジェロ

    pinboke_planetさん

    私も気付かずに読んでいました(笑)。

    生産ラインは三菱水島製作所なんですか。
    そういえば京都工場はエンジンを作る工場だった
    かもしれません。

    なるほど、私が乗っていたパジェロのサンバイザーを
    作っていたかもしれないのですね。
    こんな身近な工場で作っていたのが不思議な感じがします。

    白いケムリ?ですか。
    当時のエンジン性能はわかりませんが、
    私の乗っていたパジェロのディーゼルエンジンはいいエンジンでした。
    大阪でディーゼルが乗れなくなったので手放しましたが、
    もっと乗りたかったです。

    ディーゼルエンジンは最近また見直されているみたいですね。
    ディーゼルファンとしてはうれしい。


  17. 新之介 | URL | u6i4c2k.

    TOSSYさん

    ここは知ってるけどあまり知らないという方が
    多いのではないかと思います。
    交通の便も悪いのがその要因だと思います。
    j駐車場もありません。
    バスか歩きです。

    ただ、とても気持ちのいい場所ですし、
    桜の季節はとてもきれいです。
    気候がよくなったら散歩がてらにいかがでしょうか。

  18. pinboke_planet | URL | nJ6t.gCE

    ソカイドーロ

     中津から毛馬橋に至る道路も城北公園通りということを、もと地元ながら今回地図を見ていてはじめて確認しました。

     と、言うのは、ボクが住んでいたころは「そかいどうろ」と呼んでいて、ときどきどんな字だろう?と思っていました。結局、誰かに聞くことも調べることもせずに、なぜ「租界」だろうと思いつつ今日に至りましたが、夢にも「疎開」とは思いませんでした。

     このたび、この記事を読んだあと、他の地方に「疎開道路」があったことを知り、さては?と思った次第ですが、なにか資料はありますか?

  19. 新之介 | URL | sDz630us

    疎開道路

    pinboke_planetさん

    「疎開道路」は手元の資料には出てきませんでした。城北公園通りという名称がいつ頃から使われているのか。その前の名称は?ということがわかればヒントになるかも…。今度図書館に行ったときにみてみます。

    追伸、「秋間平安」は「あきまへん」とよむのですね(笑)まだ途中ですがなかなか面白いです。

  20. pinboke_planet | URL | nJ6t.gCE

    秋間平安=あきまへん

     脳梗塞でホンマに「あきまへん」状態になっているのは残念ですが、永年の共同通信勤務でスナックなど十三の街の描写も正確かな~と思っています。

     支局は、なんとなくもとの映画館通りあたりかなと想像したり・・・支局員のひとりにボクの実名(ファーストネーム)を使われています。

     なお、ついでと言ってはなんですが・・・ソカイドーロの突き当たりの中津の光徳寺(いま市立美術館で開催中の佐伯祐三展で思い出しました)について、新之介さんの目線での記事がいつか見られたら嬉しいですね。


     

  21. 新之介 | URL | sDz630us

    あきまへん

    pinboke_planetさん

    「漫才師殺人事件」の十三の描写は正確ですよ。
    そこも読んでて楽しい。

    佐伯祐三さんの記事はいつか書こうと思っています。光徳寺は私がちょこちょこ寄り道する富島神社の隣ということもありますし…


  22. pinboke_planet | URL | nJ6t.gCE

    若き日の秋間平安さん

    1955年の写真がありました↓

    http://www.flickr.com/photos/pinboke/326896285/

  23. 新之介 | URL | sDz630us

    青春時代が~♪

    pinboke_planetさん

    みなさんかっこいいですね。
    秋間平安さんはハンドボールの
    マネージャさんでしたか。
    pinboke_planetさんはここに
    写っているのですか?

  24. increscentmoon | URL | -

    テキサス大通

     先般麻田が蛍池に取って代わられたとalcoholicdrunkenさんが嘆いておられましたが、「疎開道路」の記事を読んで、昔呼ばれていた名前と言う事で、その蛍池にあった「テキサス大通」というのを思い出しました。
     蛍池の駅の北から伊丹空港へと続く広い道の事です。
     戦後、アメリカ軍が伊丹に進駐していた頃の呼び名で、今はもう使われていないとおもいます。
     基地進駐の影響で通りの界隈は当時非常にバタ臭いところだったようです。
     私がはじめてボーリング場なるものを見たのもこの基地内だったと思います。
     題ずれ失礼御容赦の程。

  25. 新之介 | URL | sDz630us

    テキサス大通

    increscentmoon さん

    テキサス大通とは面白い名前ですね。はじめて聞きました。記録としてもあまり残っていないのではないですか。貴重なコメントありがとうございます。

    題ずれなんてことはないですよ。本に載っていない記録がこのブログに残ることに価値があるのです。私の記事の内容より、皆さんが書いてくださるコメントに価値があるのだと思っています。

  26. pinboke_planet | URL | nJ6t.gCE

    テキサス大通

     正式な?名称は今日はじめて知りましたが、1950年代はじめは、正に映画で見る西部劇の町みたいでしたね。
     ただし、映画では飲み屋さんは1軒だけですが、蛍池駅前は殆どがそうだったんでしょうね。

     当時の伊丹飛行場の周囲は、基本的には田園地帯なので、忽然と現れた基地の町の看板のケバさは阪急電車からでも見えたとおもいます。
     まえにも書きましたが、1951年頃伊丹飛行場の有刺鉄線越しに米軍機を写していて、SPにカービン銃を突きつけられフィルムを没収されました。

  27. 新之介 | URL | sDz630us

    怖っ!

    pinboke_planet さん

    >1951年頃伊丹飛行場の有刺鉄線越しに米軍機を写していて、SPにカービン銃を突きつけられフィルムを没収されました。

    怖っ!
    1951年頃というと昭和26年頃。
    その頃ってまだ中学生くらいの頃ででしょうか。
    子供に銃を突きつけてフィルムを没収するとは
    厳しすぎのような気がします。
    まだ、そんな時代だったのかな…。

  28. pinboke_planet | URL | nJ6t.gCE

    日系のSP

     中学校の制服を着ていたので、日系らしいそのSPは、撮影禁止区域なので大人なら連行するが、責任者には黙っておくので目の前でフィルムを感光させなさいということで、正確には没収と違いましたね。
     
     こちらは自転車でしたので、カービン銃は逃走を防ぐために向けたのでしょうが(気づかないほど遠くからでしたので)、田舎から出てきて、明確に撮影禁止とは知りませんでしたが、一応上着の下からレンズだけ出して写していたので、多少は自覚していたし、怪しい振る舞いに違い無かったと思います。

     朝鮮戦争の最中で、チャンスボート・コルセア戦闘機という逆ガルウイングの艦載機が数機づつタッチアンドゴー訓練を一日中やっていて、園田の自宅の真上が進入コースでパイロットの顔が分かるほどの低空飛行は窓ガラスが震えるほどの猛烈な爆音でしたが、飛行機が大好きでしたので苦にはなりませんでした。

  29. 新之介 | URL | sDz630us

    朝鮮戦争

    pinboke_planetさん

    >上着の下からレンズだけ出して写していたので…

    完全に怪しいです(笑)

    そうか。1951年は朝鮮戦争の真っ只中ですね。
    歴史上、朝鮮戦争は朝鮮特需を
    もたらしたことでよく出てきますが
    伊丹飛行場で戦場へ行くであろう戦闘機が
    訓練をしていたんですね。
    身近なところにも朝鮮戦争があったのだと
    改めて感じました。

  30. せっつん | URL | -

    淀川温泉 4月に帰ったとき何十年かぶりで見て懐かしくて子供の頃の思い出が蘇りました
    何時までも残ってほしいです

  31. 新之介 | URL | sDz630us

    せっつんさん

    ここはこの松の木がとてもいいですね。
    また寄ってみようかな。

  32. まさお | URL | -

    うちの重鎮に聞いた話では疎開道路ではなく、そかい違いで、租界道路と呼ばれていたらしいです。
    今でも50歳以上の方はだいたい知っていらっしゃいますが・・・地域の複雑な事情がからんでいるようです。

  33. 新之介 | URL | sDz630us

    疎開道路ではなく租界道路

    まさお さん

    「租界」ですか。 なるほど…。
    おそらく、「疎開道路(生野区)」は記録として残っていますが
    「租界道路」はもしかしたら残っていない可能性があります。
    (いろいろ資料を探しましたが見つけられませんでした。)
    地元の方(寺院)がおっしゃっているのですから間違いないのでしょう。
    とても貴重なコメントだと思います。
    ありがとうございます。

  34. | |

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