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2つの吉本家

2008年07月12日 00:00

大阪駅前の歴史(3) 吉本家篇

梅田の大地主、吉本家は元々曽根崎洲の豪農でした。明治5年頃、梅田に鉄道の駅(梅田停車場)が作られることになり、広大な土地を一反歩(300坪)55円で売ることになります。しかし、そのかわりに駅の西側一帯の土地を手に入れたのです。それを手掛けたのが九代目吉本五郎右衛門という方で、不動産の利殖を知っておられた方のようです。

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九代目吉本五郎右衛門は、絶家していた清右衛門家の再興をはかります。そしてそのあとを継いだのが息子の吉本彦太郎という方です。それが「東吉本家」のはじまりで、同時に本家を「西吉本家」としました。

「大日本ドケチ教」の教組として有名な吉本晴彦氏は、「東吉本家」になります。晴彦氏は祖父吉本彦太郎氏からみっちりと人生観をたたきこまれました。というのも、晴彦氏の父親は3歳の時に、母親は11歳の時に亡くなられているのです。そして13歳の時に祖父の彦太郎氏も亡くなります。

戦後、両吉本家は梅田の一等地をめぐってトラブルに巻き込まれていくことになります。中でも晴彦氏が巻き込まれた「梅田村事件」は、その後の法律をも変えてしまう歴史的な事件になりました。

yoshimoto.jpg
「どケチ人生・吉本晴彦/サンケイ新聞社出版局」
出版が昭和47年です。この本が一世を風靡しました。テレビにもよく出ておられたと思います。かすかに覚えています。お若いですね。

yoshimoto_03.jpg
「どケチ人生の勧め」より
昭和44年頃の旧吉本ビル前です。このビルは「どケチ人生」の中にも出てきますが、ダイヤモンド地区内の梅田繊維街にあったビルで、昭和27年に建てられた木造3階建。このボロボロのビルは「ケチ」を語る象徴としてよく出てきます。ダンス教室の看板がエエですね。

marubiru.jpg
左がヒルトンホテル、右が大阪マルビル。本家と分家ですね。梅田を代表する顔です。


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コメント

  1. TOSSY | URL | mXJ0wlpU

    本家と分家

    すごい本家と分家ですね

    私のおさななじみの○○チャンの御影のおじいちゃんは 「大阪駅前の土地をみんな持ってはる」と聞いていましたが たぶん 西家だったのですね
    ○○チャンのところは 分家ですから梅田から離れた十三のあたりにもっていたと聞いています

    春彦氏がTVに良く出ておられた頃 見ていました
    確か ドケチ教教祖で サントリーの佐治さん(?) 船場の西岡さんが大阪の3ケチだったと覚えています


  2. 新之介 | URL | u6i4c2k.

    駅ビルって面白い

    pinboke_planetさん

    戦後の闇市時代はリアルに知らないですが、吉本晴彦さんの「これでやっと、梅田の戦後が終わった」という言葉には重みを感じます。

    板垣氏の「最近、シャッターを閉じた店が目立つ」という言葉は寂しさを感じますね。

    最近、駅ビルをうろうろしてますが、あの雑多な感じがいいのだと改めて思っています。結構駅ビルって「おもろいやん!」と思う人が増えるといいですね。

  3. 新之介 | URL | u6i4c2k.

    大阪の三ケチ

    TOSSYさん

    「どケチ人生」に書かれている「大阪の三ケチ」は、サントリーの鳥井道夫さんと仁丹の森下泰さんでした。ただ、この方々が後に「どケチ教」に入られたかは不明です(笑)。その他にも、ケチ精神を持つ人を何人か上げておられますが、その中に大和ハウスの石橋信夫さんも出てきます。今から思うと何か縁があたのでしょうか。現在、大阪マルビルの親会社ですね。

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