十三のいま昔を歩こう

梅田の街と十三(じゅうそう)の町を中心に、大阪の近代史を歩く歴史ブログです。

2008年

05月19日

(月曜日)

阪急梅田駅の歴史 3

阪急梅田駅の歴史 3

昭和9年に行われた省線(現JR)との高架切替工事の後も、阪急梅田駅は時代と共にどんどん拡張されていきます。それと同時に昭和4年に誕生した阪急百貨店も日本初のターミナルデパートとして発展していくことになります。

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第五期 [ 昭和9(1934)年頃〜昭和34(1959)年頃 ]
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昭和9年(1934)、省線との高架切替工事により、梅田駅は再び地上駅になります。昭和18年(1943)、京阪電鉄と合併し、京阪神急行電鉄になり、それにより昭和19年(1944)、京都線が十三から宝塚線を利用することで梅田駅に直接乗り入れが可能になりました。終戦後の昭和24年(1949)北野線は廃止されることになります。

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昭和9年の切替工事直前の写真です。第2代大阪駅は翌年の昭和10年に取り壊されることになります。横に仮駅舎が完成していますね。当時から、阪急百貨店の建物は存在感がありますね。

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ちなみに当時の阪急百貨店は3期に分けて増築されたものです。第1期ビルは昭和4年に完成し、第2期ビルは旧阪急ビルを取り壊して昭和6年に完成、第3期ビルは昭和7年に完成しています。

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昭和9年頃の改札前コンコース 「私鉄駅物語」より
ここが第1期ビルにあったコンコースです。左の表示板に「切符うりば」と「のりば」の文字が確認できました。

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昭和9年頃の梅田駅プラットホーム 「鉄道ピクトリアル」より
ひとつ上の写真のコンコースの左側にこのホームがあったのですね。なんかピンときません。ここはまだ建替え工事が行われていない阪急グランドビル前の通路の辺りです。

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昭和11年頃 「ふるさとの想い出 写真集 大阪」より
正面から見た写真です。右奥に第4期ビルが完成しています。高架ホームを取り壊して第2期ビルに増築されました。この第4期ビルはその後、半分削られて、阪急グランドビルができています。


第六期[ 昭和34(1959)年頃〜昭和42(1967)年頃 ]
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昭和34年に3複線が完成し、9面9線ホームになります。3複線とは宝塚線と神戸線、京都線がそれぞれ上下2線で梅田まで繋がっていることです。全国的にもかなり珍しいそうです。

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昭和34年頃 「昭和の鉄道情景1」より
手前の高架線が国鉄(現JR)、その下を3複線になった阪急電車が通っています。3台の阪急電車が見えますね。一番右の真新しい線が京都線です。国鉄の高架の向こうに現在の阪急梅田駅が出来ます。マツダランプの看板の辺りが新阪急ホテルの場所じゃないかな。ちなみに、写っていませんが右手前の白い建物の向かいに梅田コマ劇場があります。

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昭和34年頃 「昭和の大阪」より
地下鉄の工事が行われています。写っている自動車がエエ感じです。

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昭和34年頃 「阪急電車駅めぐり」より
朝の8時20分、通勤ラッシュの写真ですね。全ての人が阪急百貨店の下を通るわけですね。


第七期 [ 昭和42(1967)年頃〜]
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旧ホームでは車両の長さに限界があり、ホームを移動することになります。昭和42年、移転第1期工事で神戸線が移動します。昭和44年宝塚線が、昭和46年京都線が移設。昭和47年には阪急ターミナルビルが竣功します。

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昭和43年頃 「阪急電車駅めぐり」より
上から見るとターミナルデパートって感じがしますね。向こうに新しいホームが見えます。

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阪急百貨店はその後、真ん中のホームがなくなり、更なる増築(第7期、第8期)が行われます。昭和52年に完成した阪急グランドビルが第9期になるわけです。それで、ほぼ完成?です。



関連ブログ
『梅田阪急ビル 現在過去未来』 ゴリモンな日々

『さようなら 旧梅田駅コンコース』 デジカメ散歩日記

旧阪急梅田駅コンコースを残したい…



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★テーマ:大阪 - ☆ジャンル:地域情報

コメント

毎日の通学に阪急梅田駅を利用していた頃

4枚目の写真の和服のおじさんの左手やや後方にあったと思われるエレベーターの、三歳頃の、前後のシーンが全く分からない数秒間の断片的フラッシュバックは別にして、私が通学に毎日利用していたのは、第五期の後半・昭和28(1953)年〜昭和36(1961)年春ですから、まさにこの記事の後半部の時代になります。

9枚目の写真は最も懐かしい梅田の写真で、シネラマ前・阪急東口で市電を下車、阪急航空ビルと梅田劇場の間を通って阪急梅田駅神戸線のホームに向かいましたが、ちょうどフェスティバルホールでの成人式(抽選で選ばれた?)に出席した年の写真ですね。

>>昭和24年(1949)北野線は廃止
なるほど、田舎から大阪地区へ戻ってきたのが昭和25(1950)年の夏休みでしたので、記憶に無いはずです。前年の夏休みにも、大阪へ遊びにきたので、なんとなく線路の一部は見たかも知れません。

いまとなっては、阪急百貨店東面の高解像度カラー写真が無いという理由で、Google Earthの「ヴァーチャル大阪」の作者の阪急百貨店の3Dモデルが未完成のまま東京へ転勤されたのがとても残念でなりません。


TOSSY

[
「さようなら 阪急梅田駅コンコース」にリンクをつけてくださって ありがとうございます

あれ遺骸にもクリスマス自分に移したものとか いろいろ写真はあるのですが 整理が出来ていなくて アップできていません
まとめないとと思いながら つい日々の更新に追われています

なぜだか 先ほどから画像は表示されません
又 FC2の不具合だと思います

画像が見えてから また コメントさせていただきますが

若い頃勤めていたのは 東宝梅田会館の中で 阪急は大家さんでした
今はナビオになったビルです

毎日コンコースを突っ切って通っていました

柱には 宝塚と野球選手の大きな写真が飾ってありました

銀行があり 台車に袋に入ったつり銭を乗せて 2,3人でコンコースを横断して 会計課にはこんでいましたよ

双方が同じ時刻に通るので毎日出会いました 

今なら考えられないことですね

遠い日の話です 梅田阪急界隈は 私の青春でした

9枚目の写真

pinboke_planet様

9枚目の写真の右に写っているのが梅田劇場ですね。この辺りは「シネラマ前」と呼ばれていたんですか。イイひびきですね。三丁目の夕日の時代の梅田界隈ですね。
この辺り、我々の世代(196X年生まれ)はナビオとOS劇場のイメージが強いですね。ナビオの映画館はとにかくデカイ劇場でした。

フェスティバルホールで成人式とはすごい。
抽選はご謙遜で、選ばれたのではないですか?

「ヴァーチャル大阪」の未完成の阪急百貨店は確かに残念です。

東宝梅田会館

TOSSY様

ビルの名前が東宝梅田会館ですか。
梅田劇場や北野劇場など大劇場がたくさんあった時代ですね。ここにもTOSSYさんの青春が詰まっているんですね。

梅田界隈の昔の映画館をちょっと調べてみようかな。この時代が映画の全盛期ですね。一番おもしろい時代かもしれません。

東宝梅田会館

映画館のカタマリと思っていて、ビルの名前は知りませんでした。
十三の中学校へ通学していたとき、同級の友達二人(全員3年生から越境入学)と会館内「テレビ喫茶」へチョクチョク行きましたね。
ガラステーブルの上にカメラを置いてスローシャッターで写した写真が残っていました。ひとりは、阪急電車のブレーキシューを作っている会社の子でした。

阪急百貨店の3Dモデルがダウンロードできるようになったら、このように↓パソコン内に阪急百貨店と阪急航空ビル・東宝梅田会館・コマ劇場・OSミュージックホール・OSシネラマ・市電阪急東口など、青春の思い出の場所のヴァーチャルジオラマを作ろうと、1950年代の写真を気づいたときに集めていますが、9枚目はとても参考になります。・・・が、さて、いつできることやら・・・

The Festival Hall, Osaka 1959
http://www.flickr.com/photos/pinboke/2226964103/

以前の記事でも一度見た5枚目の写真は、たぶん1950年代と同じプラットホームだと思うのですが、どこから写したのかな?と少し興味を持っています。
確信は無いのですが、正面改札口のライン上に、プラットホームが見渡せる2階の窓がいくつか見えていたように思うのですが・・・

訂正など

とても参考になる・・・は、12・13枚目でした。

9枚目については
>>昭和34年頃----写っている自動車がエエ感じです。

改めて運転免許証を確認すると、昭和35年9月10日になっていました。(1年前にスクーターの免許は取っていましたが、追加すると更新までの期間が短くなるので、これは無断廃棄しました=現在はコンピュータ管理で無理?)
なので、車種も少なかったし。当時のクルマの名前は大体分かります。

市内の貨物の輸送は、まだ2トン積みのマツダ・ダイハツなどのオート三輪が主力(後姿が2台ほど)。個人商店などの運搬用はスクーター・オートバイがまだ主力、スクーターは三菱シルバー・ピジョンか富士のラビット、写真はラビットでしょう。

こちら向きのミゼット(2代目丸ハンドル)の横に、前年発売のマツダ最初の2トン積み4輪トラック、ワイドな外観のトヨタスタウト小型(3人乗り)ピックアップトラック(1トン積み?)、後方に小さく白い(たぶん)日産がライセンス生産していたオースチン(ライセンス生産の2代目)が見えます。

運転免許は、現在のようなシステムの自動車学校利用は稀で、学科合格後、3回チャンスのある実地試験を城東区関目の試験場でイチカバチか受けるというスタイルだったと思います。
大阪府の小型四輪の試験車が、オースチンからやっと国産のダットサン1000ccに替ったのがこの年だったと思います。

家業の運搬用にダットラを買うと、当時の「日産塚本自動車教習所」のコース利用回数券をくれて、これで5回ー10回くらい走行して受験しましたが、自動車学校のクルマはまだオースチンでした。それで、運転席まわりは試験車と同じダットラで深夜の国道でも何回か練習しました。

その後4半世紀、月に一回、JR塚本で降りて田川の、たぶん現在氏家商店のあたりの建屋を借りて設立した小さな孫会社の会議にも出席するようになり、自動車教習所の前の道路を懐かしく通ったものです。
帰りは、若い従業員の人たちと塚本駅裏?の酒屋で立ち呑みビールなど、忘年会も十三の「がんこ」へ何回か参加しました。(つい、長文になりごめんなさい)









スゲー

pinboke_planet 様

中学生がテレビ喫茶ですか?
結構やんちゃ系だったんですね。

自動車の車種名はすごい。
三菱シルバー・ピジョン、富士ラビット、ミゼット、トヨタスタウト、日産オースチン…
改めて9枚目の写真を見ながらコメントを読みました。
写真が2倍楽しめました(笑)

運転免許の試験はイチカバチカだったのですか。
それもまた面白いですね。
私も塚本教習所で免許を取りましたが、当時は日産ローレルでした。
塚本駅裏の酒屋はだいたい見当がつきます。あそこですね。いつも賑わってます。
話題がローカルでいいですね(笑)

やっぱりこの阪急ビルは格好いいなー。

以前撮影した、増築の“継ぎ目”の写真がありました。
ブログの記事にしたんでトラバさせていただきますね。

継ぎ目

ゴリモンさん

またまたご紹介ありがとうございます。
感謝です。
阪急ビルっていいですよね。
ゴリモンさんの継ぎ目の写真はいい!
いろいろ想像して楽しめます。

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西方向から見た梅田阪急ビルです。パラペット(?)が取り付けられていました。現場で一から作るのでなく、こうやってパーツをドッキングさせていくのですね。後にガラスをはめ込んで丸窓っぽい仕上げになりそうな気... ゴリモンな日々【 2008/06/11 10:36 】
『阪急梅田駅の歴史 3』 十三のいま昔を歩こう新之介さんのブログを読んでいて、そういえば以前に阪急百貨店の“継ぎ目”の写真を撮っていたような?と気になっていました。週末に過去の写真を整理していたとこ... ゴリモンな日々【 2008/06/09 07:38 】

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 プロフィール 

新之介

Author:新之介
塚本と十三で育つ。
196X年生れ。大阪の歴史をわかりやすく伝える方法を研究中。
若い人達にも関心を持ってもらえるように、大阪の近代史を面白く伝えていきます。目指すは『一分で読める歴史ブログ』。

戦前、十三公設市場近くに淡路屋という米屋がありました。新之介のルーツがそこにあります。

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