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阪急梅田駅の歴史 1

2008年05月12日 00:00

阪急梅田駅の歴史 1

阪急電鉄の歴史を語る上で、梅田駅の変貌を抜きに語ることはできません。明治43年の開業以来、約100年の間に数々の変化がありました。その中には鉄道史でも有名な国鉄との高架線切換工事などもあります。私なりに阪急梅田駅の歴史を追っていきたいと思います。

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第一期(1910年頃~1914年頃)
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明治43年(1910)、開業時の初代梅田駅です。
梅田駅変貌の図面は「阪急電車 駅めぐり」と「私鉄駅物語」の2つに掲載されているのですが、微妙に違うので、「私鉄駅物語」の方を参考に書き起こしました。この当時は国鉄ではなく、官設鉄道で地上に線路がありました。当時の箕面有馬電気軌道は官設鉄道の上を高架で渡っていました。

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(A) 初代梅田駅ビル 「電鉄時代の幕開け」より
木造の二階建てです。左の低い屋根の部分がホームです。当時の梅田駅は発着線が一本で、到着した電車が折返し発車しないと次の電車が入線できず、不便だったようです。

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(B) 明治43年頃の写真です。 「古写真なにわ風景」より
左の建物が梅田駅の駅舎です。正面に見えるのが大阪市電の車庫です。現在と区画が変わっていますが富国生命ビルの辺りになります。この写真、雪が降った後のようですね。屋根や地面にうっすらと雪が残っています。

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(B) 大正2年頃の梅田駅 「鉄道ピクトリアル」より
駅舎の屋根に「日本一の箕面動物園」の看板を掲げています。左の人が集まっている所は切符売り場でしょうか。


第二期(1914年頃~1920年頃)
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大正3年(1914)、複線ホームに拡張。駅舎も長くなっています。降車と乗車を分離し、ホームの中間に渡り線を設けて同時発着を可能にしました。当時の写真が無いのですが、上の写真に増築した感じではないかと想像しています。

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大正3年頃の大阪市内詳細図
官設鉄道の線路を高架で越えた場所に梅田駅を設けたのは、今から考えると大正解ですね。この場所は大阪市とかなり交渉を重ねてようやく許可された経緯があります。



第三期(1920年頃~1926年頃)
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大正9年(1920)、神戸線開通に伴い、4線ホームに拡張しています。

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(C) 第3期時代の梅田駅 「阪急電車 駅めぐり」より
大正9年11月に5階建てのビルが開業しています。一階を白木屋に貸し、売店で雑誌、雑貨、食料品等を販売していました。2階には直営の食堂があり、その上の階は事務所として使用していました。ちなみに大正7年に社名を阪神急行電鉄と改称しています。

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阪急マーケットを開設 「阪急電車のすべて」より
大正14年6月、白木屋との賃貸契約が満了したため、1階を新たに停留所の出入口に使用し、2階3階を直営のマーケットとして開業、2階にあった食堂は4階、5階に拡張しました。

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大正12年頃 「大阪市パノラマ地図」より
2代目大阪駅との乗り継ぎが便利な場所にあることがわかりますね。高架部分もよくわかりますね。市電の車庫がこんな場所にあったんですね。

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大正10年頃 「阪急電車 駅めぐり」より
秋の行楽客で賑わう梅田駅の写真だそうです。奥に2代目の大阪駅が見えます。



第四期(1926年頃~1934年頃)
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大正15年(1926)、大阪市内高架線化により梅田駅も高架化することになります。

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(D) 大正14年10月頃の高架ホーム工事の様子 「阪急電車のすべて」より
奥に見える線路は省線です。右の車両が高架を上っていこうとしていますね(帰ってきたのかな?)。まだ高架ホームが完成する前ですので、北野線ではありません。大正15年に地上に残った線を利用して北野線が開通します。

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(E) 大正14年11月頃の高架ホーム 「阪急電車のすべて」より

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(F) 3代目にあたる梅田駅阪急ビル 「鉄道ビクトリアル」より
ホームの高架工事後、梅田ビルは建て替えられます。昭和2年11月に起工、地上8階、地下2階のビルディングが昭和4年3月28日に竣功しました。やっと見覚えのある建物が出てきましたね。4月15日阪急百貨店として大阪の百貨店界に颯爽と姿を現すことになりました。

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「古写真なにわ風景」より
この写真も昭和4年頃でしょうか。ちょうど大阪駅の前の辺りから撮影されています。大阪市電の車庫の建物は無くなっていますね。


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(関連記事)
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コメント

  1. コンちゃん | URL | mzMb781o

    初めまして

    こんなに阪急梅田駅を
    ブログで語る人は
    あんまりいてなかったので
    見てて歴史を感じます!
    素晴らしいブログですね

  2. TOSSY | URL | mXJ0wlpU

    出てきましたね

    あの角の丸い旧館と呼んでいた第一期の阪急百貨店 懐かしい
    最初は あの部分だけだったのですね
    螺旋階段が大好きでした
    怖いもの見たさにあ 一番上から覗いていました
    途中に安全ネットが張ってありました

    螺旋階段を降りきったB2は 事務室(経理)でした
    学生時代 夏休みにアルバイトでレジをしていましたので そこでつり銭を毎朝受け取リ 閉店後には B2までもっていきました

  3. 新之介 | URL | -

    ちゃん付けで

    コンちゃんへ

    さんはいらないとブログに書いてあったの
    コンちゃんのままにしますね。
    うれしいですね。私のブログはコンちゃんのような
    若い人達にもっと見てもらいたいと思っています。
    なので、そういう人からコメントをもらえるとうれしいんです。
    また、ちょこちょこのぞいてくださいね。

  4. 新之介 | URL | -

    祖父の時代

    pinboke_planet様

    私の祖父も淡路島から上阪して、
    米屋に丁稚奉公し、昭和初期に十三に店をかまえました。
    ちょうどこの時代です。
    私が戦前の大阪や十三にこだわるのは
    祖父の時代を知りたいからなのかもしれません。

    3歳の頃の記憶がまだ残っているというのはすごいですね。ぜひその頃の阪急百貨店の写真を探してみたいと思います。でも、あまり期待しないでくださいね(笑)本当はそこから見える風景の写真がみつかればいいんですけど…

  5. 新之介 | URL | -

    螺旋階段

    TOSSY様

    阪急百貨店でアルバイトをされていたんですか。
    思い出たっぷりの建物だったんですね。
    みんなが大好きだったコンコースもこの時に
    出来ています。当時のホームは高架でしたが
    この後、地上に降りてきます。

    螺旋階段はうっすらと覚えています。
    何度が降りたような気がします。
    ちゃんと写真を撮っておけばよかった!
    「のりみ通信」さんとこに写真があって
    懐かしかったです。

  6. TOSSY | URL | mXJ0wlpU

    のりみ通信

    のりみさんとは お友だちとまでいいませんが 知り合いです
    つい先日も トークリレーでお会いしました

    私がのりみさんに出会ったのは あのHPで阪急のことを書かれる少し前だったのですが そのときは見かけただけで さようなら阪急のときに のりみさんのHP 虫マップでコンコースのスケッチを見てメールさせていただいたのが最初でした

    おじい様 昭和初期に 縦走でお米屋さんを始められたのですか では 私の両親もひょっとして おじい様のところで買っていたのかも・・ですね
    S8年からS13年まで 十三南の町2丁目100です

  7. 新之介 | URL | -

    米は淡路屋

    TOSSY様

    「旧阪急梅田駅コンコースを残したい・・」で色々な人のブログを知りました。たくさんの想いが集まった場所ですね。

    十三の店は昭和14年まで、十三公設市場の並びにあったようです。ひょっとしたら、ご両親の家まで配達に行っていたかもしれませんね。

    しかし、昭和14年にこの辺りが大火事になりました。100世帯以上が焼けた火事で、その時に店も焼けてしまいました。その後、戦後に塚本に移ったのです。

    ※pinboke_planet様 へのコメントに間違いがありましたので、ここで書かせてください。
    祖父は淡路島出身ではなく、四国の徳島でした。祖母が淡路島でした。ちなみに十三時代の店の名前は淡路屋なんです。

  8. ゴリモン | URL | CFnWuolQ

    リンクさせていただきました。報告する前にコメントをいただいてしまって恐縮です^^;

    勉強になる記事をいつも有り難く拝見しているのですが、今回の「梅田駅の歴史」は特に勉強になっています。見覚えのある写真も何点かあるのですが丁寧整理していただいているので大感謝。特に線路関係の写真解説は解りやすかったです。
    梅田の歴史「3」も楽しみ~♪

  9. 新之介 | URL | u6i4c2k.

    解りやすい歴史ブログ

    ゴリモン様

    こちらこそリンクを貼っていただいて感謝です。

    今回は初めて鉄道系の本を読みました。以外と面白いんですよね。結構はまっています。ブログの内容は大人だけでなく、中学生ぐらいの人達にも読んでもらえるように意識しています。解りやすい歴史ブログを模索中です。

  10. Empizzo | URL | X/aoCwEI

    変形性発展=増築&移転&多層化・・

    Eの写真はしびれます。大正14年にしてすでにこれですか!!
    迫力のある後々の複線終点ターミナルの様相ですね。
    現在の梅田駅のおじいちゃんみたいなものでしょうか。
    ターミナルのDNAをこの時点で確立かというような・・。
    それに大正12年の絵地図でわかる国鉄をオーバーハングする阪急、
    そして昭和4年のビル完成のあたりの
    阪急の急進的発展が見て取れます。
    そして昭和13年ころには今度は国鉄が阪急をオーバーラップする
    立体化の時代、当時の人も日々驚きをもって梅田の変化に注目していたと想像されます。
    その後、阪急デパートの「コ」の字で囲まれた梅田駅が
    国鉄の北側に移る時代を生に感じた私の記憶が、
    このように詳細なひもときのアクティビティによって理解できる事実と
    つながってたいへんうれしいものがあります。
    阪急はまさに増殖の歴史をこの90年ほどの間にアグレッシブに展開している、と言わざるをえません。

  11. 新之介 | URL | sDz630us

    Empizzoさん

    >阪急はまさに増殖の歴史
    そうですね。その増殖感が良かったし、
    その増殖していく最初の建物が良かった。
    いまの建物はあまりにも普通過ぎてさびしい限りです。

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