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阪神電車ができた頃 2

2008年05月03日 00:30

阪神電車ができた頃 2

大阪側の終点を出入橋にした理由は、官鉄の初代大阪駅が出入橋近くにあったからです。しかし、明治35年に2代目の大阪駅が完成し、約200メートル東に移動してしました。明治36年に念願の神戸ー大阪出入橋間の開通を果たした阪神電気鉄道は、早速延長申請を出すことになります。

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この延長申請は出入橋から梅田(現中央郵便局前)までの延長だけではなく、大胆にも堂島地区を循環するルートでした。大阪駅から大江橋、渡辺橋を渡って梅田運河東岸を通って出入橋に戻るルート。しかし、大阪市の許可が得られず、出入橋ー梅田間のみ認められたのでした。

それからしばらくは、大阪の終点は梅田(現中央郵便局前)の地上駅でした。大正14年、大阪地下鉄御堂筋線のルートが決定します。阪神電気鉄道は、地下鉄梅田駅と地下の至近で連絡を図るべく、曽根崎までの約300メートルの延長申請を出します。昭和5年に許可は下りましたが、大阪市が別に進めている大阪駅前土地区画整理事業がはかどりません。そんな中、地下鉄御堂筋線は昭和9年に開通しました。昭和11年、やっと工事を着工、昭和14年3月21日に開通します。これが現在の阪神梅田駅になります。

hanshin09.jpg
大阪市内循環計画路線 「阪神電気鉄道八十年史」より

hanshin02.jpg
大正3年、梅田へ延長され新駅舎 「私鉄駅物語」より
現在のハービスエントの場所ですね。大屋根の下に改札口があるだけの簡単な建物だったようです。

hanshin01.jpg
新しい梅田停留所 「大阪市の100年」より
大正15年、2階建て駅舎に新築されました。2階には食堂があったそうです。

hanshin08.jpg
上の写真の拡大です。正面に広告でしょうか。日本一鳴尾いちごがりと書かれていますね。

hanshin04.jpg
昭和10年頃です。 「私鉄駅物語」より
真ん中を走るのは大阪市電です。右端に阪神梅田駅が見えますね。昭和11年から延長工事が始まりますので、この民家や商店との区画整理の交渉は終わっているのかもしれませんね。右の塔は広告塔なのでしょうか。グリコとあります。

hanshin05.jpg
「私鉄駅物語」より
地下の延伸工事が始まろうとしています。ということは昭和11年頃でしょうか。阪神百貨店の場所のようですね。右奥に見える杭打ち工事は中央郵便局の新築工事のようです。

hanshin03.jpg
「大阪市100年」より
昭和13年頃と書かれています。地下の延伸工事と同時に上部構造の百貨店(当時は阪神マート)の建築が始まっています。奥の中央郵便局もかなり建ちあがってきました。その右側は3代目の大阪駅です。高架化工事もこの時に行われました。地下では御堂筋線が開通しています。ちなみに、右側に阪急百貨店が写っているんですが、やむなくトリミングしてしまいました。

hanshin06.jpg
昭和14年、完成当時の地下改札口前の設けられた出札窓口。 「私鉄駅物語」より

hanshin07.jpg
完成当時の地下改札口付近。 「私鉄駅物語」より

P1070570.jpg
現在の地下改札口付近

P1070528.jpg
アクティ大阪から見た旧梅田駅の辺り


(追記)
panorama01_20080508003710.jpg
大正12年頃の梅田駅です。「大阪市パノラマ地図」より

panorama02.jpg
大正12年頃の出入橋です。「大阪市パノラマ地図」より


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コメント

  1. pinboke_planet | URL | EBUSheBA

    中央郵便局と阪神マート

    6枚目、中央郵便局と阪神マートの写真ははじめて見ました。
    ちょうどこの頃扇町の産院(後に関西留学生会館?)で生まれた某氏は、かなり感激しています。

    市電が走っているのは御堂筋ですか?

  2. pinboke_planet | URL | EBUSheBA

    中央郵便局と阪神マート:訂正

    すみません。7枚目でしたね。

  3. TOSSY | URL | mXJ0wlpU

    鳴尾のイチゴ狩り

    母が行ったと言っていました
    福島から 阪神電車に乗っていったのでしょうね

    鳴尾のイチゴ狩りは 「細雪」にも登場します

    母は 阪神百貨店のことをよく阪神マートって言っていました 
    「あれは百貨店ではない 市場のちょっと上等なだけや」が口癖でした
    母にとって 百貨店は やはり大丸のような店だったのでしょうね

  4. 新之介 | URL | -

    昭和13年の写真

    pinboke_planet 様

    この頃にかなり集中的に建築ラッシュが起こっていたのですね。
    地下鉄の梅田ー心斎橋が昭和8年開通して、昭和13年には天王寺までつながっています。地上では御堂筋が昭和12年の完成してます。駅前の土地区画整理が始まったのもこの頃ですし、大阪駅の高架工事もこの時代です。現在の大阪駅周辺の姿はこの時代の工事で形作られていたのですね。

    市電が走っているのは御堂筋です。
    この写真はこの時代の象徴的な写真かもしれませんね。
    ちなみに、私の父親はこの翌年に生まれていますが、
    当時の十三から見ると、この大阪駅前の変貌は
    近未来都市といった感じではなかったかと想像します。

  5. 新之介 | URL | -

    阪神マート

    TOSSY様

    お母様がおっしゃっていた
    「あれは百貨店ではない 市場のちょっと上等なだけや」
    というのは、非常に興味深いです。

    上から7枚目の写真の左の建物に
    「阪神百貨店建築場」という看板が確認できます。
    阪神マートが阪神百貨店と改称したのが昭和26年とあるので、当時は世間からはどう思われていたのだろうと思っていたのですが、「市場のちょっと上等なだけや」というのが、世間の声だったのかもしれませんね。お母様がおっしゃっていたのはいつごろなんでしょう。

    鳴尾の「鳴尾苺」は調べるとかなり有名でした。
    明治末頃から武庫川河口部の砂地を利用したイチゴ栽培が盛んに行われていたようで、昭和初期頃は最も多く栽培されていたようです。また、東鳴尾町1丁目に約5千坪の広大な敷地の「鳴尾百花園」という庭園風の施設があったようで、苺狩りのシーズンには休憩所としても利用されていて、近場の行楽地として賑わっていたようです。

    谷崎潤一郎氏も沿線のお住までしたから、食べたことがあったかもしれませんね。

  6. pinboke_planet | URL | EBUSheBA

    阪神マートという名称

    昭和25年の夏休みに大阪へ(当初は園田)戻ってきたぼくが、阪神マートという名称をはっきり覚えているので、昭和26年以後も地階の食料品売り場などに使われていませんでしたか?

    昭和29年に高校へ入学すると早々に、個人情報云々の昨今と違って全校生徒の住所・氏名・電話番号(呼び出しも・・)・父兄の職業会社名など記載の名簿が配布されました。(=毎年)

    おなじクラスで運動部も同じ友達の父兄の職業欄に、阪神マート食料品売り場勤務と書いてあったので、別の友人と一度見に行ったことがありました。

    戦前はホテルかどこか、フランス料理のシェフだったそうですが、そのときは、あらかじめその友達本人から聞いていたように、トンカツを揚げておられました。
    こちらは制服制帽姿でしたので、遠くからでしたがお父さんには解ってしまったようでした。

    地階はもとより階上も、当初は百貨店という印象は無く、いろんなお店にテナント貸しをしているように見えましたが・・・(上等な市場の所以でしょうか?)

    本当に百貨店らしくなったのは、現在の大阪神ビルのかたちになった昭和30年代からのように思います。
    それでも、ある階は殆ど全フロアがナショナルのショールーム?とか、売り場面積もかなり小さく、いかにも中途半端な状態が永らく続いたのではないでしょうか。

  7. 新之介 | URL | -

    阪神マート

    pinboke_planet様

    面白いですね。
    阪神百貨店ができる前の雰囲気が伝わってきます。ありがとうございます。年史等の資料を読んでいても、実際のニュアンスはわかりませんから、すごく参考になります。阪神マートのこともいつか調べてみようと思います。

    阪神マートに見に行くエピソードは、学生の頃を思い出してしまいました。そういえば友達の店とか家とか見に行っていたような気がします。クラスの住所録とかも昔はありましたね。今は小学校も幼稚園も当然ありません。いいんだか、悪いんだか…

  8. TOSSY | URL | mXJ0wlpU

    阪神マート

    母は 昭和19年まで大阪市内に住み 20年から30年まで塚口 30年から淀川区に住みましたので 戦前の阪神マート印象が強かったのでしょうね
    阪急のことも食堂と食料品売り場は利用していましたが 金額の張るものは大丸でしたね

    デパートに関しては 阪急のソースライスのことも話していましたね
    それをしたのかどうかは知りませんが・・

    私の知っている阪神デパートも お店の集合体でしたね
    阪神の直営は少なかったと思います 専門大店のようでした

    確か 紳士服売り場に森繁久弥さんのお店 「ひさや」があって 父の還暦祝いか何かを姉妹がお金を出し合って買いに行ったことを覚えています

    大阪神ビルになってからですが 8階だったか9回だったか 洋裁学校がありまして 通っていました 窓から 建設中のプラザホテルが 見えました 
    お昼ごはんは 食堂街のレストラン・アラスカや 実々卯 で食べていた とんでもない学生でした

    今古本屋で見つけてきた 講談社現代新書「宝塚戦略」 小林一三の生活文化論 読んでいます
    なかなかおもしろいです

  9. 新之介 | URL | u6i4c2k.

    阪急のソースライス

    TOSSY様

    なるほど。ますます阪神マートに興味が湧いてきました(笑)。ソースライスって知りませんでした。ライスだけ注文して、ソースをかけて食べるんですね。そういえば、私の父親は何にでもソースをかけて食べていました。今でいうマヨラーみたいなもんかな。

    森繁久弥さんはいろいろやっていたんですね。

    私も現在、阪急の書物を読んでいます。「宝塚戦略」って面白そうですね。読んでばかりでなかなか更新できません(笑)


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