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初代大阪駅の計画地

2008年04月22日 00:00

初代大阪駅の計画地

初代大阪駅は当初堂島に作られる予定でしたが、堂島周辺から反対運動がおこり、田園地帯であった曽根崎村字天童に計画地が移されたと一般的に言われています。しかし、他にも理由があったようです。

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当初の計画では、堂島の駅は終端駅(ターミナル型)だったようです。神戸~大阪間の開通後、すぐに大阪~京都間を開通させる予定で進んでいました。しかし、時の井上鉄道長官は、日本の将来の鉄道網を考えると、大阪停車場は終端駅(ターミナル型)にするのではなくて通過駅形式にした方がよいとの結論に達していました。そうなると、京都方面へ向かうには、堂島の市街地や曽根崎村、北野村を通り抜けなくてはなりません。しかし、鉄道側には土地買収の財政的な余裕も時間的な余裕もありませんでした。折りしも堂島の鉄道反対運動もあり、堂島の停車場をあきらめ、安価に土地買収ができる曽根崎村に変更したいうことです。

明治5年map2
地図は明治5年の「大阪圖」です。まだ開業前の梅田停車場がすでに記されています。当初の停車場予定地は北大組第15区3丁目。鉄道掛大阪出張所はその隣の敷地にすでありました。緑の路線はターミナル型の場合です。青はこの場所で通過駅形式にした場合です。あくまでも私の想像ですので参考程度に見てください。ただ、中津川の橋梁の位置はほぼ決まっていたので、終端駅の場合の進入路はこんな感じだろうと思います。通過駅形式は自信がありません。この場所ではかなり無理があります。(※正確な計画図が出てきましたら書き直します)

P1070130.jpg
堂島の停車場予定地は現在のNTTテレパーク堂島です。

P1070164.jpg
田蓑橋から見たNTTテレパーク堂島


大きな地図で見る

P1070194.jpg
鉄道掛大阪出張所があった場所は、現在大阪高等検察庁(真ん中の高層ビル)で、そのとなりが「ほたるまち」ですね。

P1070170.jpg
ほたるまち

初代03
初代大阪駅構内 「写された大阪-近代100年のあゆみ」より
長期的にみると通過駅形式が正解だったのでしょう。東京の新橋駅は当初終端駅だったようですが、時代の流れで新たな場所に移動し、元の駅が汐留貨物駅になったのだそうです。

初代01
初代大阪駅 「写された大阪-近代100年のあゆみ」より
左にあるのは茶屋です。右側にも茶屋がありました。正面に大きな木があったんですね。

初代02
明治8年頃の大阪駅 「大阪市の100年」より
駅周辺は草が生い茂る場所でした。右端にある小屋は何なんでしょう。

初代04
「大阪駅の歴史」より
レンガ造りですので外観の色はオレンジ色でした。東京駅の画像を見ながらこの写真を見るとイメージが広がります。

ステンショ絵
大阪府鉄道寮ステン所之図 「写された大阪-近代100年のあゆみ」より
「長谷川小信」作です。赤い札には十三川(中津川)、尼ステン所、西の宮、あしや川、住吉川、かぶと山などの文字が見えます。


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コメント

  1. pinboke_planet | URL | EBUSheBA

    田蓑橋の思い出

    田蓑橋あたりが大阪の玄関口で、中心部だったのですね。ふたたび「水都大阪」の景観を代表する中心部になってきそうです。

    50年前の田蓑橋の思い出です。(内容は重複しますが・・・)

    田蓑橋の思い出 1950s
    http://www.flickr.com/photos/pinboke/2216090533/

  2. 新之介 | URL | -

    青春時代

    pinboke_planet様

    田蓑橋周辺はpinboke_planet様の青春時代がつまった場所なんですね。「グリーンハウス」の写真を見つけたくなりました。見つけたら報告します。

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