十三のいま昔を歩こう

梅田の街と十三(じゅうそう)の町を中心に、大阪の近代史を歩く歴史ブログです。

2008年

04月12日

(土曜日)

曽根崎遊郭と林歌子

曽根崎遊郭と林歌子

明治42年7月31日から8月1日にかけてのキタの大火で、曽根崎遊郭は全て焼けてしまいました。その数日後、遊郭を再び再建してはいけないと立ち上がった女性がいました。数年前から廃娼運動や遊郭反対運動を行ってきた大阪矯風会林歌子です。

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大火から2週間後、土佐堀青年会館で第一回曽根崎遊郭廃止市民大会が開催されました。歌子は、約千人の聴衆の前で売春の非人間性と遊郭業者の非道ぶりを訴え共鳴を得ました。そしてその10日後、今度は中之島中央公会堂中之島の公会堂で第二回市民大会を開き、約二千人を集め大盛況に終わったそうです。その後、遊郭再興反対の陳情書を当時の内務大臣に差し出しました。歌子のこれらの活動により、ついに当時の大阪府知事高峰親章は、「人間の性欲上、醜業婦の生ずるのを目下防止することは出来ぬが、しかしこれは公許すべきものでなく、隠密に附すべきである」といって、9月1日、「曽根崎貸座敷公許地ハ之ヲ廃止ス」という公示を出し、廃娼運動は成功したのです。キタの大火から一ヶ月後のことでした。

歌子は失業した公娼たちを婦人ホームに収容し、親切に保護し職業指導をし、すべてちゃんとした職業をもたせて更正させたそうです。林歌子とは、十三の博愛社の社母として、その発展に心血をそそいだ人でもあります。

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林 歌子 68歳の肖像(1931年撮影) 「貴方は誰れ?」より 
前から気になっていた十三の偉人 林歌子さん。今回伝記を読んで、改めて凄い方だなぁと思いました。

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晩年の林歌子さん(中央)と小橋かつえさん(右) 
「博愛社創立百年記念誌」より

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博愛社の聖贖主教会礼拝堂
ヴォーリズの設計としても有名なようですね。

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博愛社の正門。

DSC00605_20080411232515.jpg
敷地内にある社母・林歌子の像
遊郭の関係者には怖いおばはんと思われていたようですが、この像はやさしい表情をされています。孤児の子供達にはやさしいお母さんでした。

(林歌子の関連書)
「福祉に生きる 林歌子」 佐々木恭子著/大空社
「林歌子の生涯 涙とともに蒔くものは」 高見澤潤子/主婦の友社

(追記)
博愛社創立百年記念誌をみると若干異なったことが書かれていますので追記します。
『中之島の公会堂では演説会が開催された。19500人の反対署名も集まり、8月25日には市民大会も開かれた。9月10日「大阪市北区曽根崎新地貸座敷免許地は明治四十三年三月末日限り之を廃止す」という大阪府公示第315号が出され、運動は功を奏した。』

(追記)
コメントの中で豊国神社の話題が出てきましたので写真を追記します。
toyokuni.jpg
豊国神社 「大阪市の100年」より
昭和9年頃撮影された写真です。奥に府立図書館が見えます。

tosyo.jpg
府立図書館 「なにわ今昔」より
明治時代に撮影された写真です。太閤さんの像が見えます。この像は戦時中、物資供出のため失われたのだそうです。現在の中之島図書館は両サイドが増築されているんですね。


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コメント

中央公会堂

北の大火は 明治42年なのですね

< そしてその10日後、今度は中之島中央公会堂で第二回市民大会を開き、約二千人を集め大盛況に終わったそうです

まだ 現存している中之島中央公会堂は 建設されていなかったっはずです
大正7年竣工だったと記憶しています

今の公会堂の前にも中央公会堂があったのでしょうか?

博愛社 写真を写しに行ってますが 小橋夫妻の像は写していますが 林女史の像は 気がつかなかったですね

廃娼運動は山田わか女が有名ですが 大阪にも女傑がいたのですね
見たところ小さなおばさんですね

林歌子さんのお住まい?

昔は幼稚園に行く子は経済的にゆとりのある家庭であったと思います。私も幼稚園には行っていませんし、子供心にそれ程関心がなかったように思います。小学校に入るまでは、近所の友達と夜暗くなるまで色々はしゃぎまわり、随分身体を動かしていました。所が小学校を卒業し、北野中学(私は入っていませんが)から西へ200メートルくらいの元今里南通二丁目に転宅した時に、(比較的綺麗な4軒長屋でした)3軒隣に林さんという小柄で上品なお婆さんがお住まいでした。博愛社の偉い方だという事を両親や近所の人から聞き、初めて博愛社の名前が強く心に焼き付き、幼稚園の事も知りました。ひょっとして林歌子さんではなかったかと今も思っているのですが、確かめた事はありません。新之介様だったらお教え頂けるかとの思いのコメントです。

中央公会堂

TOSSY様

ご指摘どおり、中央公会堂の竣工は大正7年ですね。
参考にした本の間違いかもしれません。確認します。

廃娼運動に関しては、この時代全国的に多くの運動があったと思います。その中で、日本キリスト教婦人矯風会はもっとも古い婦人団体だと言われています。全国規模の団体で、林歌子さんはその大阪支部の代表でした。ただ今の時代、林歌子さんの地名度はそれほど高くないと思います。個人的にはもっと認知されてもいい方ではないかなぁと思っているんです。十三に縁のある方ですから…。


おそらく林歌子さん

西岡様

おそらく林歌子さんご本人だと思います。実は、林歌子さんに関する資料はいろいろ見ましたがどんな方であったかという肉声は少ないんです。
西岡様のコメントで
「小柄で上品なお婆さん」
「博愛社の偉い方だという事を両親や近所の人から聞いた」
というのが私には新鮮に聞こえます。
「地域ではみんなが知っていて
小柄で上品はおばあちゃん」というのは
どの資料を見てもでてこないですね。そんな林歌子さんのもう一つの一面が、廃娼運動等で戦う姿です。そのギャップとこのブログでは取り上げませんでしたが、波乱万丈な人生に、私は魅力を感じているのかもしれません。

中央公会堂は間違いでした。

TOSSY様

TOSSY様の指摘通り、中央公会堂ではありませんでした。正しくは中之島の市立公会堂です。中央公会堂の先代にあたります。ひとつ勉強になりました。

新北野中学のとき、同じ学年に博愛社から通学してくる生徒もおりましたので、名前はよく知っていましたが、沿革など詳しくはこのブログではじめて知りました。

小学生のころは、日本中がそうだったように、連続ラジオドラマ「鐘の鳴る丘」を聞きながら育った世代なので、戦災孤児などの収容されていた施設の存在はみんな知っていましたが、実際には園田中学2年のとき、「聖母の家」から通う、引揚げかなにかの原因で就学が何年か遅れた女生徒がクラスに編入してきました。
最初、もう立派なレディーの彼女の昼食前のお祈りに皆おどろいたみたいでしたが、アメリカからの援助物資らしい衣服のよく似合う明るく美人の彼女に関しては、いじめなど微塵もなく、すぐに何人かの女生徒と親しくなっていました。
人前では、孤児の影など微塵も見せなかった彼女は、きっとその後は幸せな人生を送っていることと思います。

博愛社の子

pinboke_planet様

私も新北野中学ですので、学年に数名の博愛社から通っている同級生がいました。同じクラスになったこともあります。私が博愛社のことを知ったのも中学のころでした。私が通っていた時も、特別何もなかったように思います。とうより、ほとんど気にすることなく接していました。博愛社は特別では存在ではなく、地域になじんだ存在になっているのだと思います。

公会堂

中の島に大阪市立公会堂と言うのがあったのですね
知りませんでした 私もひとつ賢くなりました

中央公会堂のところには 豊国神社があって 大阪城に移転したとか聞いています

豊国神社と新旧市庁舎

ぼくの記憶では、社会人になった昭和36年(1961年)、市庁の友人をたずねて昼休みによく訪れましたが(特に給料日まえ)、庁舎の裏手(東側)に豊国神社はまだあったと思います。
たぶん5年後くらいにクルマを買ったので、その頃はやはり工事中の庁舎の裏手に数台は駐車できましたが、神社は無かったように思います。
神社は現在の新庁舎の東部分あたりではなかったでしょうか?

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豊国神社

TOSSY様
pinboke_planet 様

豊国神社ってちゃんと調べたことがなかったのですが、豊臣秀吉と豊臣秀頼、豊臣秀長を祀っているんですね。知りませんでした。ホームページをみると昭和36年1月に大阪城内に奉遷したと書いてありました。場所は旧庁舎と現在の府立図書館の間のようですね。昔の府立図書館の写真を見ると、正面に太閤像が建っています。土台の高さが半端ではなく高いです。10メートル近くあるんじゃないでしょうか。像は大阪城に行けばあるのかな。

勘違い

豊国神社 2回移転しているのです
最初 公会堂建設のため 大正初めに近くの公園に それが多分pinnbokeさんの見られたところでしょうね
それから 31年に大阪城内です

以前仕事で城内の豊国神社にはよく行っていまして 神主さんから色々お聞きしていました

デジカメ散歩日記に簡単にあっぷしています
http://kannnon.blog11.fc2.com/blog-entry-221.html

太閤さんの像は こちら です

昨年5月に写していました
http://picasaweb.google.co.jp/tossyroom/kcfFn/photo?authkey=H60VchlAUZQ#5192624678679011650

http://picasaweb.google.co.jp/tossyroom/kcfFn/photo?authkey=H60VchlAUZQ#5192624682973978962

>>大正初めに近くの公園に それが多分pinnbokeさんの見られたところでしょうね

ぼくの見たのは旧庁舎裏、つまり新庁舎の東の部分だと思います。昭和2年に飛行機(たぶん複葉機)から撮影した写真と同じだと思います。すでにご神体?などは移転したあとだったかもわかりませんが、そこが大正初めの「近くの公園」だったのでしょうね。

太閤像

TOSSY様

リンクしてある「デジカメ散歩日記」にブログ内で
銅像の序幕式の話がりますね。昨年5月に撮影された太閤像は
再建されたものだったんですね。

http://www.apsara.ne.jp/houkoku/dozo.htm

林歌子さんの話から、まさか豊臣秀吉公につながっていくとは…
なかなか面白い。


豊国神社の写真

pinboke_planet 様

豊国神社の写真を追記しました。
昭和9年の写真ですので、少し昭和36年の頃とくらべると
だいぶん変わっているかもしれませんね。
中之島に神社があったということが写真を見ても
いまだにピンときません(笑)。
なんか不思議な写真です。

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新之介

Author:新之介
塚本と十三で育つ。
196X年生れ。大阪の歴史をわかりやすく伝える方法を研究中。
若い人達にも関心を持ってもらえるように、大阪の近代史を面白く伝えていきます。
目指すは『一分で読める歴史ブログ』。

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