2008年
03月19日
(水曜日)
少年が見つめる先
少年が見つめる先
大正初め、十三の堤防で撮影された写真を見つけました。新淀川が出来たのは明治末期です。まだ新しい新淀川の堤防に兄弟で散歩に来たのでしょうか。
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「おおさか100年」より
当時の堤防は高台になっており見晴らしが良く、遠くまで見渡せたそうです。十三から対岸の方を見ると煙突があちこちにたくさん見えたはずです。大阪は商業の街から工業都市に変わろうとしてました。煙突からは黒煙が風に流され、同じ方角に流れています。大阪の空が煙たそうです。その周りは平屋が連なり、その向こうに大阪駅の屋根が少し見えたかもしれません。大阪駅は2代目の立派な駅舎です。蒸気機関車が東から西へ、西から東へ、煙を吐きながら走っていました。近くに大きな建物はまだ見えません。おそらく、十三に住む少年にとって堤防から眺める大阪方面の風景は、夢や希望が渦巻く場所だったのかもしれませんね。

「明治大正図誌」より 大正3年の大阪市内
十三から見た眺めではないですが、大阪の街は煙突だらけでした。そして大阪の空を黒々と覆う煤煙を、工業都市大阪の発展のシンボルとして謳歌するものだったようです。市民も大阪を「東洋のマンチェスター」と自称して、「煙の都」と呼ばれることを誇りとしていたようです。
(関連ページ)
昭和一桁の十三(じうさう)5 摩天楼を望む
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「おおさか100年」より
当時の堤防は高台になっており見晴らしが良く、遠くまで見渡せたそうです。十三から対岸の方を見ると煙突があちこちにたくさん見えたはずです。大阪は商業の街から工業都市に変わろうとしてました。煙突からは黒煙が風に流され、同じ方角に流れています。大阪の空が煙たそうです。その周りは平屋が連なり、その向こうに大阪駅の屋根が少し見えたかもしれません。大阪駅は2代目の立派な駅舎です。蒸気機関車が東から西へ、西から東へ、煙を吐きながら走っていました。近くに大きな建物はまだ見えません。おそらく、十三に住む少年にとって堤防から眺める大阪方面の風景は、夢や希望が渦巻く場所だったのかもしれませんね。

「明治大正図誌」より 大正3年の大阪市内
十三から見た眺めではないですが、大阪の街は煙突だらけでした。そして大阪の空を黒々と覆う煤煙を、工業都市大阪の発展のシンボルとして謳歌するものだったようです。市民も大阪を「東洋のマンチェスター」と自称して、「煙の都」と呼ばれることを誇りとしていたようです。
(関連ページ)
昭和一桁の十三(じうさう)5 摩天楼を望む
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コメント
こんにちは
偶然、中津側在住のユメタロウさんから対岸を見た写真が昨日届きステレオ写真に加工しところでした。
現在はなかなか素晴らしい景観ですね。
http://www.flickr.com/photos/pinboke/sets/72157604163545487/detail/
地図の好きな方は、国土地理院の航空写真などを立体視できるスコープを持っている人もおられるそうですが如何でしょうか?
赤青メガネは100円ほどで市販されていますが、100円ショップのセロハン?で簡単に自作できるそうですが・・・
少年の着物や、のちにネオン付き広告塔代わりになった近辺の煙突については、別の機会に。。
偶然、中津側在住のユメタロウさんから対岸を見た写真が昨日届きステレオ写真に加工しところでした。
現在はなかなか素晴らしい景観ですね。
http://www.flickr.com/photos/pinboke/sets/72157604163545487/detail/
地図の好きな方は、国土地理院の航空写真などを立体視できるスコープを持っている人もおられるそうですが如何でしょうか?
赤青メガネは100円ほどで市販されていますが、100円ショップのセロハン?で簡単に自作できるそうですが・・・
少年の着物や、のちにネオン付き広告塔代わりになった近辺の煙突については、別の機会に。。
TOSSY
昔は子沢山で 上の子は弟や妹をいつも背中に背負っておいたのですね
このままの格好で学校にも行っていたとか聞きますね
写真のお兄ちゃんは 私の父と同世代でしょう
どんな人生を歩んだのでしょうね
背中の子は 母ぐらいかな
pinbokeさんの十三大橋のステレオ 赤青めがねで見たのですが すばらしいですよ
私もあの場所から写していますが立体にすると格別です
田川 陸橋を降り切った所に キューポラが有りました
今はもうどこにもキューポラはありませんね
加島から田川 キューポラのある町でした 煙の都大阪だったのです
私のところにも小さなキューポラがありました
中学のころは 私もよく咳が出ていましたが 空気が悪かったからですね
そのころに較べると今はずいぶん空気もきれいになったようですが 町にも子供にも活気がなくなったようにも思います
このままの格好で学校にも行っていたとか聞きますね
写真のお兄ちゃんは 私の父と同世代でしょう
どんな人生を歩んだのでしょうね
背中の子は 母ぐらいかな
pinbokeさんの十三大橋のステレオ 赤青めがねで見たのですが すばらしいですよ
私もあの場所から写していますが立体にすると格別です
田川 陸橋を降り切った所に キューポラが有りました
今はもうどこにもキューポラはありませんね
加島から田川 キューポラのある町でした 煙の都大阪だったのです
私のところにも小さなキューポラがありました
中学のころは 私もよく咳が出ていましたが 空気が悪かったからですね
そのころに較べると今はずいぶん空気もきれいになったようですが 町にも子供にも活気がなくなったようにも思います
光化学スモッグ注意報
政則様
私たちが小学校の頃は、よく光化学スモッグ注意報が発令されていましたね。放課後の校庭に赤や黄色の旗を立てて警報か注意報かを知らせていたように記憶しています(塚本小学校の場合)。旗がある日は校庭で遊ばず、公園に遊びに行っていました(笑)。
竹本電機の前に滝ですか?まったく知らないです。田川小学校の前の道が、昔は水路だったという事を最近知りました。竹本電機の前の道と繋がっていますよね。
銭湯でいうと、田川1丁目の菊水湯の場所はさら地になりましたね。寂しいです。金川温泉はずっとがんばってもらいたいと思います。
これからもよろしくお願いします。
私たちが小学校の頃は、よく光化学スモッグ注意報が発令されていましたね。放課後の校庭に赤や黄色の旗を立てて警報か注意報かを知らせていたように記憶しています(塚本小学校の場合)。旗がある日は校庭で遊ばず、公園に遊びに行っていました(笑)。
竹本電機の前に滝ですか?まったく知らないです。田川小学校の前の道が、昔は水路だったという事を最近知りました。竹本電機の前の道と繋がっていますよね。
銭湯でいうと、田川1丁目の菊水湯の場所はさら地になりましたね。寂しいです。金川温泉はずっとがんばってもらいたいと思います。
これからもよろしくお願いします。
立体スコープ
pinboke_planet様
素朴な疑問として前から思っていたんです。やはり、赤青メガネで見ればよかったんですね。
恥ずかしくて聞くに聞けずにいました(笑) こんど探してみます。
素朴な疑問として前から思っていたんです。やはり、赤青メガネで見ればよかったんですね。
恥ずかしくて聞くに聞けずにいました(笑) こんど探してみます。
今どきの子ども
TOSSY様
大正から昭和にかけて煙突から出る煙の色は、写真を見るかぎりほとんどが黒色のイメージです。しかし、私たちが子供の頃の煙の色は白いイメージです。それも化学物質?の匂いなのか変な匂いだったように思います。昭和40年代は空気が悪かったですね。でも、結構外でばかり遊んでいました。
今は外で遊ぶ子供が少なくなったかもしれませんね。家で遊んでいます。外で遊ぶのが危ないというのも少しあります。変な人が多くなったと聞きます。ちょっとした事件が近くであるとお母さんの携帯連絡網で一斉に流れます。そういうのもあって、外で遊ばしにくくなっているのもあるようです。
赤青めがね、買います!(笑)
大正から昭和にかけて煙突から出る煙の色は、写真を見るかぎりほとんどが黒色のイメージです。しかし、私たちが子供の頃の煙の色は白いイメージです。それも化学物質?の匂いなのか変な匂いだったように思います。昭和40年代は空気が悪かったですね。でも、結構外でばかり遊んでいました。
今は外で遊ぶ子供が少なくなったかもしれませんね。家で遊んでいます。外で遊ぶのが危ないというのも少しあります。変な人が多くなったと聞きます。ちょっとした事件が近くであるとお母さんの携帯連絡網で一斉に流れます。そういうのもあって、外で遊ばしにくくなっているのもあるようです。
赤青めがね、買います!(笑)
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今回の記事で、つい懐かしくなりお便りさせていただきます。
僕は、昭和40年生まれの田川で生まれ育ち今、十三元今里で住み一歩もこの地を離れていません。
今回の記事は昭和一桁のころのようですが、僕の小学校時代〈もちろん田川小学校)は、かなりの日数で光化学スモッグ注意報、警報が出ていて校庭で遊べなかった気がします。まだ竹本電機の前に大きな滝があったり、小さいどぶ川が残っていたりで、油くさい街だったような記憶があります。
それでも子供達は、集団登校前や下校後外でたくましく遊びまわっていました。お風呂もない家がまだ多くみんなで銭湯に通っていた日が懐かしいです。みんなどうしているかなぁ。
これからも、淀川区の今昔を楽しませてください。よろしくお願いします。
追伸 木蓮の公園こと十三公園の花々が春を伝えようと一斉に咲き始めました。木蓮はもちろん沈丁花、椿(?)、桜のつぼみも膨らんできています。