このエントリーをはてなブックマークに追加

天空の城ラピュタを探しに友ケ島へ

2014年06月18日 07:30

戦争遺構巡りというより
リアルラピュタを探しに


和歌山市沖にある友ケ島が若者に人気です。島に残された戦争遺構である砲台跡が、宮崎駿監督の「天空の城ラピュタ」に出てくる空に浮かぶ島とイメージが重なるからのようです。私が行くキッカケも娘が行きたいからという単純な理由。どうせ行くなら小難しいことは置いといて「リアルラピュタ」を楽しむぞというモードに切り替えて行く事にしました。

tomomap_001.jpg
友ヶ島と言ってもそのような名前の島があるわけでなく、紀淡海峡に浮かぶ沖の島、地の島、虎島、神島の4つの島を総称して友ヶ島と呼んでいます。そのうち、多くの人が訪れるのが沖の島です。

tomomap_002.jpg
今回歩いたルートをグーグルアースで表示してみました。一番人気の第3砲台跡は山の頂上付近にあり、高低差がかなりあるので、歩きやすい靴で出かける事をお勧めします。

tomomap_003.jpg
歩いたルートは、フェリーが到着する野奈浦桟橋から海岸線を通って第2砲台跡へ向かい、そこから燈台周辺にある第1砲台跡に行き、孝助松の海岸横を通って第3砲台跡をめざし、再び桟橋にもどってくるというコース。

7D2_0020.jpg
加太港の友ヶ島フェリー乗り場です。

7D2_0002_2014061522495782d.jpg
乗船券はこちらで。普段は出発便の30分前くらいからチケット発売が始まります。

7D2_0014.jpg
運賃は大人が往復2000円。火曜日、水曜日は運休。季節や天候によって運航日や運航時間が変わりますので気をつけてください。

7D2_0027_2014061522502361e.jpg
船内から前回訪れた深山方面をみたところ。中央の谷の下辺りに魚雷の発射機がありましたね。

7D2_0525.jpg
さて、沖の島に上陸です。

7D2_0045.jpg
島の全体です。

7D2_0509_20140615225026d5b.jpg
今回歩くのは島の西側。ここから海岸沿いを反時計回りで歩いていきます。

7D2_0049.jpg
今回のルートの途中にトイレがないのでここで済ませておきましょう。

7D2_0072.jpg
海岸線を15分ほど歩くと、先端部に何やら構造物が見えてきました。

7D2_0115.jpg
ここが第2砲台跡です。

7D2_0095.jpg
柵内は立ち入り禁止。

7D2_0098.jpg
この辺りはそれほど崩れていないのですが、

7D2_0083.jpg
ここは危険な状態。

7D2_0089.jpg
レンガ壁がずれています。奥の高台に行ってみましょう。

7D2_0107.jpg
このコンクリートの構造物も気になる。後方には人工的な洞穴が続いていました。

7D2_0114.jpg
海側には芝生が広がっています。ロープが張られていたのでそこに行くのはやめました。

7D2_0125.jpg
ロープが張られていた頭上にはこのような不安定な倒木があったりします。気をつけてください。

7D2_0130.jpg
第2砲台跡から移動の途中にあった洞穴。こういう場所は他でも見かけました。戦時中のものなのでしょうか。

7D2_0133.jpg
第1砲台跡に向かう坂道。

7D2_0137.jpg
正面が第1砲台跡のトンネル。坂を上がると灯台です。

7D2_0141.jpg
柵の中に入れるといいんだけど。

7D2_0140.jpg
友ヶ島灯台は明治5年に竣工点灯したようです。

7D2_0183.jpg
これが友ヶ島灯台。いい形をしてます。

7D2_0158.jpg
近代化産業遺産のプレートと上のプレートは面白い書体で書かれていますね。

明治五季六月廿七日初點燈於舊臺
明治廿弎季八月五日再點燈於新臺

なのかな…

7D2_0169.jpg
素敵なデザインです。

7D2_0173.jpg
淡路島がよく見える。

7D2_0194_2014061522540120c.jpg
ここに階段があるのですが立入禁止になっていました。残念。

7D2_0231.jpg
上からのぞくとこんな場所です。

7D2_0234.jpg
第1砲台跡は木々に覆われていて場所がよくわかりませんでしたが、迷いながらもこんな場所にたどり着きました。周辺は柵が設置されていて入れなかったのですが、

7D2_0237.jpg
なぜか離れたところから入れる場所を見つけてしまった。ロープもなかったので入ってみました。

7D2_0252.jpg
これがさっきの構造物。扉は開いています。

7D2_0245.jpg
中はこんな感じ。

7D2_0249_20140615225509e31.jpg
かなりいい感じです。ただ、蚊っぽい虫が多かったのでそそくさと退出しました。かゆい…

7D2_0281.jpg
さて、ここは池尻広場。向こうの池は蛇ヶ池です。

7D2_0265.jpg
反対側は孝助松の海岸。三角形の岩が面白い。

7D2_0259.jpg
ここから第3砲台跡まで山登りです。ゆっくり歩きましたが約20分以上坂道を歩きました。結構きついです。

7D2_0285.jpg
で、第3砲台跡に到着です。

7D2_0288.jpg
土木学会選奨土木遺産のプレート。

7D2_0290.jpg
第3砲台跡の解説板。この後ろの壁の向こうに砲座が4区画あり、各区画はトンネルで繋がっています。

7D2_0295_20140615225622612.jpg
これは一番手前の区画。丸い砲座に水が溜まっていました。

7D2_0299.jpg
下に行ってみましょう。

7D2_0315.jpg
お〜、なんかいい感じ。
トンボが飛んでいたので、昆虫好きの私と娘はおもわずヤゴを探してしまった…

7D2_0324.jpg
反対側から見たところ。向こうの砲座の奥にトンネルがあります。

7D2_0334.jpg
これがそのトンネル。

7D2_0302.jpg
行ってみましょう。

7D2_0337_20140615225641312.jpg
足下はじゅくじゅくでした。滑らないように気をつけてください。

7D2_0350.jpg
途中、左側に横穴がありました。この写真は反対側から撮っているので右側になっています。

IMG_2785.jpg
中は階段になっていて下に地下道のようなものがあります。ただし真っ暗なので下りるには懐中電灯が必要。

7D2_0348.jpg
2つめの区画です。

7D2_0354.jpg
水は溜まっていませんでしたが、緑がレンガの構造物を覆っている感じがラピュタっぽい。

7D2_0369.jpg
3つ目の区画です。ここも緑に覆われている。

7D2_0378.jpg
ちょっと上から。

7D2_0381.jpg
最後のトンネルです。

7D2_0399.jpg
4つめの区画です。ここが一番植物に浸食されていました。もうほとんど森です。

7D2_0413.jpg
通路にもどってきました。このような階段が3ヶ所あるのですが、この中に入って行くと、先ほどのトンネルの中にあった地下道と繋がります。

7D2_0419.jpg
このスロープを下りたところがよく写真で見る有名な場所。

7D2_0427_20140615225808ae4.jpg
ここは弾薬支庫。数メートル下がった場所にあるので地下にいるような不思議な感覚になっています。

7D2_0439.jpg
ここは特別な感じがする。

7D2_0473.jpg
実物はいいです。

7D2_0493.jpg
弾薬庫の中はこのようになっています。

7D2_0455.jpg
日本じゃないみたい。

7D2_0450.jpg
後ずさりしながらトンネルを抜けます。

7D2_0444.jpg
このトンネルの内と外では空気感がガラリと変わります。

7D2_0442.jpg
監守衛舎跡と発電所跡の建物。

いやぁ、よかった。
リアルラピュタを探しに行くぞ!といいながら、もうそれどころじゃない。レンガ造りの空間に圧倒されてしまいました。貴重なものが残っています。

7D2_0515.jpg
桟橋の近くにある砲弾のモニュメント。これを見ると凄い砲台があったのだと実感できます。この島は砲台跡だけでなく修験道の修行の場としても有名なのだそうです。またいつか訪れてみたい。


より大きな地図で 友ヶ島 を表示


(関連記事)
加太砲台跡(深山第一砲台・男良谷砲台・由良水雷隊兵舎)2014.05.05
天空の城ラピュタを探しに友ケ島へ2014.06.18


ポチッと、応援よろしく♪
bahiru_wink3.gif
スポンサーサイト
このエントリーをはてなブックマークに追加

大阪新美術館・中之島の新美術館整備方針(案)について 

2014年06月13日 07:30

世界に誇れる美術館を!

新美術館整備方針(案)について 大阪市 2014.05.30

ずっと凍結されていた近代美術館構想(大阪市立近代美術館)の計画が、平松前市長の時に動き出したのですが、橋下市長に変わって一旦白紙にもどりました。その計画が再び動き出し広く市民の意見を求めています。その「新美術館整備方針(案)」を読んでみて思った事をちょこっと書きたいと思います。

まず何が変わったのか数字で比べてみました。

(平松前市長の時の計画)
延べ床面積:16,000平方メートル
建設費:122億円
用地取得時の借金と利子を含めた総事業費:290億円
コレクション:4400点

(今回の案)
延べ床面積:15,000平方メートル
施設整備費:121億円
用地取得時の借金と利子を含めた総事業費:?億円
コレクション:4700点

規模はほとんど同じでコンセプト等も特に変わった印象はありませんでした。いろいろ検討した結果だと思うのでこれに関しての異論はありません。総事業費も知りたいところですがここではやめておきます。ただ残念だったのは、期待していた大阪府との連携がまったくないこと。橋下市長が府知事時代に「まとめてやったらいいじゃないの」って言っていたのでかなり期待していたのですが無理だったのでしょうか。大阪府立現代美術センター(2012年閉館)のコレクションは約7800点。現在、大阪府立江之子島文化芸術創造センターが作品を管理していますが、そのほとんどは倉庫に眠ったままです。一部は府内の数カ所に貸し出されて展示されているものの、大阪府として美術コレクションをまとめて展示する場所がないという、とても残念な状態が続いています。大阪府は新たに美術館を作る予定がないのでこの状態はずっと続くかもしれません。

下記は2011年の橋下氏のツイート。
hashimoto2.jpg
「僕は美術館が要らないと言っているわけではありません。こんな290億円の事業をまた大阪市が単独でやるの?これこそかつて誤ってきた2重行政の典型例なんです。大阪府は現代美術品を抱え込んで、現代美術センターを作りたい。そしたら大阪全体のことはまとめてやったらいいじゃないの。」

大阪市と大阪府のコレクションが合わされば世界に誇れるコレクションになるはず。それが新美術館の柱にもなります。この私の想いはしっかりと市民の意見として伝えたいし、橋下市長、松井知事の英断に期待したいところです。ややこしい問題はあると思いますが、強引にやっても反対する人は少ないのではないでしょうか。大阪都構想とは関係なく実現して欲しい。これは未来の大阪のためであり、次世代の人たちのためでもあります。


大阪市は、新美術館に関して幅広く市民の意見を求めていますので、関心のある方は大阪市へ意見を伝えてはいかがでしょうか。大阪市のホームページに「新美術館整備方針(案)について」のデータと意見の応募用紙等があります。データを見やすいようにキャプチャーを貼っておきます。

shinbiplan_01.gif
shinbiplan_02.gif
shinbiplan_03.gif
shinbiplan_04.gif
shinbiplan_05.gif
shinbiplan_06.gif
shinbiplan_07.gif
shinbiplan_08.gif
shinbiplan_09.gif
shinbiplan_10.gif
shinbiplan_11.gif

新美術館整備方針(案)について 大阪市 2014.05.30

(関連記事)
新美術館整備の具体化で開発が加速か/カギを握る京阪電鉄・大林組/中之島4丁目開発 建設ニュース 2014.05.23
中之島の新美術館、2020年度までに開設 大阪市朝日新聞 2014.04.23 (capture)
大阪市立近代美術館は必要か? 2011.02.03


ポチッと、応援よろしく♪
bahiru_wink3.gif
このエントリーをはてなブックマークに追加

近つ飛鳥・王陵の谷

2014年06月03日 21:00

竹内街道を歩く 4
王家が眠る谷

※カシミール3Dで作成した地形図です。
chikatsu_02.jpg
古事記にはふたつの「飛鳥」が出てきます。履中(りちゅう)天皇の同母弟(後の反正天皇)が、難波から大和の石上神宮に向かう途中で二泊した土地を、難波から近い方を「近つ飛鳥」、遠い方を「遠つ飛鳥」と名付けました。近つ飛鳥は、渡来人が多く住む渡来文化の先進地域で、古代国家形成の過程において重要な場所だったと思われます。

※カシミール3Dで作成した地形図です。
chikatsu_01.jpg
この「近つ飛鳥」には、王陵の谷と呼ばれる場所があり、ある時代の大王(おおきみ)の陵墓が集まっています。敏達天皇(第30代)、用明天皇(第31代)、用明天皇の第二皇子・厩戸皇子(聖徳太子)、推古天皇(第33代)、孝徳天皇(第36代)がそれらです。

※カシミール3Dで作成した地形図です。
chikatsu_06.jpg
俯瞰で見るとこのような位置関係。二上山麓の小高い丘に陵墓があります。

chikatsu_03.jpg
この地域は河内名所図絵にも描かれています。
それらがどのような場所なのか、実際に見てきました。

7D2_3041.jpg
聖徳皇太子磯長御廟(しながごびょう)の碑。
※本記事では、「厩戸皇子」ではなく「聖徳太子」で統一します。

7D2_3043.jpg
磯長山 叡福寺 (しながさん えいふくじ)です。
聖徳太子の御廟を守るため建立された寺院で、上の太子の名でも呼ばれています。

7D2_3046.jpg
山門をくぐると、

7D2_3158.jpg
正面に陵墓の山。

7D2_3059.jpg
詳しい解説はこちらを。

7D2_3055.jpg
他の陵墓とは明らかに雰囲気が違いますね。

7D2_3069.jpg
近づくと奥に三段の屋根が見えてきました。

7D2_3078.jpg
こちらが聖徳太子廟。

7D2_3086.jpg
斜めから見るとこんもりとした円墳であることがわかる。

IMG_4767.jpg
近つ飛鳥博物館に展示されているパネルです。円墳の背後は磯長山で、廟は山の丘陵を利用して造られていることがわかります。内部には棺が3基あり、聖徳太子と妃の膳部菩岐々美郎女(かしわでのほききみのいらつめ)、母の穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)が葬られているとされています。


大きな地図で見る
Googleマップで近つ飛鳥博物館の館内が見れます。

chikatsu_04.jpg
河内名所図絵にも描かれています。当時は円墳のまわりを歩けたようですね。

7D2_3124.jpg
河内絵図にも描かれている多宝塔。

7D2_3138.jpg
ここから二上山がよく見えます。

7D2_3148.jpg
うつくしい。

7D2_3185.jpg
さて、聖徳太子の飛び出し坊やがなかなかかわいいですが、
聖徳太子廟から歩いて数分の所に用明(ようめい)天皇陵の碑があります。

7D2_3192.jpg
ゆるやかな上り坂に現れた陵墓の森。

7D2_3200.jpg
角をまわった向こうに

7D2_3202.jpg
鳥居があります。

7D2_3208.jpg
用明天皇 河内磯長原陵。陵墓の形は方墳になります。

7D2_3210.jpg
用明天皇(31代)は聖徳太子の父です。
さらに、用明天皇の妹は推古天皇(33代)で、敏達(びだつ)天皇(30代)は異母兄弟になります。もっとやこしいことをいうと、敏達天皇と推古天皇は夫婦でもあります。

7D2_3220.jpg
ここからも二上山がよく見えます。

7D2_3289.jpg
さて、推古天皇陵にきました。

7D2_3293.jpg
田園風景が広がるのどかな場所。

7D2_3300.jpg
こちらが推古天皇 磯長山田陵。陵墓の形は方墳です。

7D2_3303.jpg
敏達天皇との子、竹田皇子が合葬されています。

7D2_3311.jpg
見晴らしがいいです。

7D2_3325.jpg
田んぼに水が入った時期に来るときれいかも。

7D2_3359.jpg
木に覆われて形がわかりにくいですが、横からよく見るとこんもりと山になっています。

7D2_3316.jpg
さて、推古天皇陵のすぐ近くにもうひとつ古墳があります。

7D2_3369.jpg
こちらが二子塚古墳。

7D2_3373.jpg
方墳が2つならんだ双方墳という特異な形をしています。

7D2_3533.jpg
昭和31年に、当時の土地所有者が売りに出して世間が大騒ぎした古墳です。その後史跡に指定されました。

7D2_3383.jpg
訪れてびっくりしたのですが、あっちこっちに穴を掘った跡が残っています。

7D2_3477.jpg
大きな石が複数見えますね。

7D2_3467.jpg
石室がむきだしになっている。

7D2_3418.jpg
ここに穴があいてます。

7D2_3433.jpg
のぞくと石棺の蓋らしきものが。

7D2_3441.jpg
反対のこの穴からのぞくと

7D2_3446.jpg
こんな感じ。埋葬者が誰かは不明です。

7D2_3660.jpg
さて、敏達(びだつ)天皇陵です。

7D2_3662.jpg
ゆるやかな坂道を歩いて行くと

7D2_3664.jpg
森が現れ、

7D2_3667.jpg
鳥居が見えてきました。

7D2_3686.jpg
敏達天皇 河内磯長中尾陵。
欽明(きんめい)天皇皇后 石姫皇女(いしひめのひめみこ)が合葬されています。石姫皇女は欽明天皇(29代)の皇后で敏達天皇(30代)の母です。

7D2_3680.jpg
陵墓の形は前方後円墳になります。

7D2_0607.jpg
竹内街道沿いにある孝徳(こうとく)天皇陵です。

7D2_0613.jpg
ゆるやかな坂道を進むと

7D2_0627.jpg
木々の覆われた陵墓が見えてきました。

7D2_0619.jpg
孝徳天皇 大阪磯長陵。

7D2_0625.jpg
陵墓の形は円墳です。都を難波に遷し難波宮で崩御された大阪と縁の深い天皇です。敏達天皇の孫になります。

王陵の谷には遣隋使で有名な小野妹子の墓もあります。
7D2_3574.jpg
永遠に続く石段。

7D2_3576.jpg
道祖小野妹子墓、華道家元四十三世池坊専啓。
なぜ池坊がと思ったのですが、あとで調べると小野妹子は華道家元池坊の始祖ということらしいです。

7D2_3616.jpg
いちばん上にたどり着きました。

7D2_3588.jpg
こちらが小野妹子の墓。

7D2_3594.jpg
柵の中をみると塚のようにこんもりしている。

7D2_3599.jpg
太子町のHPを見ると池坊が墓を管理しているようです。

7D2_3604.jpg
6月30日には、道祖小野妹子墓前祭が執り行われ池坊の関係者が参拝に来られるそうです。

7D2_3623.jpg
石段の下にある科長(しなが)神社。

7D2_3627.jpg
由緒ある神社なのでお詣りを。

ichisuga_02.jpg
最後に、王陵の谷の南側の丘陵地にある一須賀(いちすか)古墳群の紹介です。

ichisuka_03.jpg
一須賀古墳群は、丘陵地の高低差を利用して260基あまりの古墳が密集している群集墳。古墳時代後半の6世紀中頃から7世紀前半にかけて築かれたようです。

IMG_4812.jpg
一帯は大阪府立近つ飛鳥博物館に隣接するエリアで、とくかく古墳がいっぱい。

IMG_4823.jpg
渡来系氏族と関係していると思われますが、豪族の下にあって成長してきた有力な家族層のものだと考えられているようです。

古墳ってなかなか面白い。本屋に行っても古墳関連の本を目にする事が増えました。古墳ブームがひそかに来ているようです。大阪や奈良は大型古墳が数多くあるとても恵まれた土地柄。今までは、それが逆に近くにあり過ぎてあまり関心がありませんでした。今後は大阪や奈良に点在する古墳を私なりにもっと調べてみようと思っています。きっと面白い発見があるに違いない。


(関連記事)
竹内街道を歩く 1 日本最古の官道」 2014.05.17
竹内街道を歩く 2 河内名所図絵の二上山」 2014.05.22
竹内街道を歩く 3 竹内峠、鴬の関跡、綿弓塚」 2014.05.27
竹内街道を歩く 4 王陵の谷」 2014.06.03


より大きな地図で 竹内街道 を表示


ポチッと、応援よろしく♪
bahiru_wink3.gif