2013年06月29日 17:30
飛鳥アースダイバー
飛鳥の石造物
人頭石・二面石・猿石・石人像・須弥山石・マラ石・弥勒石

近鉄「飛鳥」駅から自転車で約15分、隣駅の「壺阪山」駅から徒歩約5分のところに光永寺があります。

こちらに「人頭石」があるというので訪れたのですが、境内を見渡してもそれらしき石が見当たりません。実は、寺の山門奥の境内ではなく、写真左の垣根の中の中庭にあります。勝手には入れなかったのでお声をかけて中に入らせていただきました。

こちらが「人頭石」。あきらかに日本人の顔には見えない。
いや、こんな顔の方もいらっしゃるかもしれないが…

正面から見るとこうなる。
同じように顔が掘られている石で、ひとつの石にふたつの顔が彫られている「二面石」というのがある。

こちらが橘寺の境内になる「二面石」。こちらの顔は「人頭石」とはかなり人相が違う。

右が善面。

左が悪面というそうで、我々の心の持ち方を現したものと書かれている。

解釈はいろいろあると思うが、私はこの顔が悪面には見えなかった。悲しそうな顔に見える。
顔が彫られた石で有名なのが、一回目の記事でも取り上げた「猿石」があります。

吉備姫王墓(きびひめのみこのはか)の墓域内にある4体の石造物ですが、こちらは全身像ですね。この2体は体育座りをしているように手が前で組まれている。

この2体、奥の石造はあぐらをかいているように見えるし、手前の石造(山王権現)は膝をついて座っているように見える。

4体のうち3体(僧以外)は裏にも顔が刻まれています。

実物の裏側は見えないので、飛鳥資料館にあるレプリカの裏側を見ると、

こんな物が刻まれている。
獅子っぽい…
リロ&スティッチのスティッチに見えるのは私だけだろうか…

上の4体の石造は発見された当初は5体でした。残りのひとつが高取城に残っています。これはそのレプリカ。これがいちばん猿っぽい。
さて、
飛鳥で顔が彫られた石像で最大の物が飛鳥資料館に展示されています。

これが重要文化財でもある「石人像」の現物です。

男女が絡みあった姿をしていて口から水が噴き出す仕組みになっています。

横から見るとこんなカタチ。

飛鳥時代の庭園で噴水として使われていたようです。

ちなみに敷地内にレプリカが展示されている。

石人像と同じ時に石神遺跡から発見された「須弥山石」(しゅみせんせき)。こちらも重要文化財です。

石人像と同じように噴水として使われていたようです。実際は3つの石ではなく4つの石で構成されていました。

敷地内にあるレプリカです。

いちばん下の石の四方から水が吹き出るようになっています。

さて、次はちょっと異質な石造です。

いわゆるアレです。

「マラ石」。

飛鳥の石造物で必ず紹介される有名な石です。

こちらは飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ)。陰陽石が数多く祀られていたり、奇祭として知られるおんだ祭で有名な神社です。

ここにも顔が彫られた石がありました。
さて、
先ほど、顔が彫られた石像で最大の物が「石人像」だと書きましたが、これを忘れていました。

飛鳥橋の袂の川沿いの道の向こうに

祠があります。

右は休憩小屋。

祠の中に大きな石像が。

「弥勒石」(みろくいし)です。

下半身の病気が治るといういい伝えがあり信仰を集めているそうです。

お顔にはわずかに目と口がみられる程度の細工しかされていません。

お体も寸胴。

祠にたくさんの草鞋が。

ちょっと怖そうな風貌ですが、心はやさしいのでしょう。
だからこれだけの信仰を集めているのかもしれません。
私も数多くの石仏を見てきましたが、この弥勒石に強く心惹かれるものを感じました。

飛鳥に行った時、必ず立ち寄りたい場所がひとつできた。
これらは飛鳥の石造物のほんの一部だが、渡来人や海人がもたらした物かもしれない。難波を経由して飛鳥に人が集まり、さまざまな思想と文化が混在していた時代。ここから日本の国家統一が始まっていくと思うとなかなか興味深い。飛鳥を知れば知るほど当時の難波の姿が見えてくる気がする。
より大きな地図で 飛鳥アースダイバー を表示
【 飛鳥アースダイバーシリーズ 】
1. 猿石・鬼の俎・鬼の雪隠・檜隈坂合陵・檜隈大内陵
2. 益田岩船
3. 亀石
4. 人頭石・二面石・猿石・石人像・須弥山石・マラ石・弥勒石
5. 岩屋山古墳・石舞台古墳
6. 飛鳥寺、蘇我入鹿首塚、飛鳥坐神社、水落遺跡、石神遺跡
7. 豊浦宮跡、小墾田宮跡、飛鳥板蓋宮跡、飛鳥稲淵宮殿跡
8. 亀形石造物、酒船石、高松塚古墳
9. 橘寺、川原寺跡
10. 稲淵棚田、飛び石、甘樫丘展望台
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飛鳥の石造物
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近鉄「飛鳥」駅から自転車で約15分、隣駅の「壺阪山」駅から徒歩約5分のところに光永寺があります。

こちらに「人頭石」があるというので訪れたのですが、境内を見渡してもそれらしき石が見当たりません。実は、寺の山門奥の境内ではなく、写真左の垣根の中の中庭にあります。勝手には入れなかったのでお声をかけて中に入らせていただきました。

こちらが「人頭石」。あきらかに日本人の顔には見えない。
いや、こんな顔の方もいらっしゃるかもしれないが…

正面から見るとこうなる。
同じように顔が掘られている石で、ひとつの石にふたつの顔が彫られている「二面石」というのがある。

こちらが橘寺の境内になる「二面石」。こちらの顔は「人頭石」とはかなり人相が違う。

右が善面。

左が悪面というそうで、我々の心の持ち方を現したものと書かれている。

解釈はいろいろあると思うが、私はこの顔が悪面には見えなかった。悲しそうな顔に見える。
顔が彫られた石で有名なのが、一回目の記事でも取り上げた「猿石」があります。

吉備姫王墓(きびひめのみこのはか)の墓域内にある4体の石造物ですが、こちらは全身像ですね。この2体は体育座りをしているように手が前で組まれている。

この2体、奥の石造はあぐらをかいているように見えるし、手前の石造(山王権現)は膝をついて座っているように見える。

4体のうち3体(僧以外)は裏にも顔が刻まれています。

実物の裏側は見えないので、飛鳥資料館にあるレプリカの裏側を見ると、

こんな物が刻まれている。
獅子っぽい…
リロ&スティッチのスティッチに見えるのは私だけだろうか…

上の4体の石造は発見された当初は5体でした。残りのひとつが高取城に残っています。これはそのレプリカ。これがいちばん猿っぽい。
さて、
飛鳥で顔が彫られた石像で最大の物が飛鳥資料館に展示されています。

これが重要文化財でもある「石人像」の現物です。

男女が絡みあった姿をしていて口から水が噴き出す仕組みになっています。

横から見るとこんなカタチ。

飛鳥時代の庭園で噴水として使われていたようです。

ちなみに敷地内にレプリカが展示されている。

石人像と同じ時に石神遺跡から発見された「須弥山石」(しゅみせんせき)。こちらも重要文化財です。

石人像と同じように噴水として使われていたようです。実際は3つの石ではなく4つの石で構成されていました。

敷地内にあるレプリカです。

いちばん下の石の四方から水が吹き出るようになっています。

さて、次はちょっと異質な石造です。

いわゆるアレです。

「マラ石」。

飛鳥の石造物で必ず紹介される有名な石です。

こちらは飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ)。陰陽石が数多く祀られていたり、奇祭として知られるおんだ祭で有名な神社です。

ここにも顔が彫られた石がありました。
さて、
先ほど、顔が彫られた石像で最大の物が「石人像」だと書きましたが、これを忘れていました。

飛鳥橋の袂の川沿いの道の向こうに

祠があります。

右は休憩小屋。

祠の中に大きな石像が。

「弥勒石」(みろくいし)です。

下半身の病気が治るといういい伝えがあり信仰を集めているそうです。

お顔にはわずかに目と口がみられる程度の細工しかされていません。

お体も寸胴。

祠にたくさんの草鞋が。

ちょっと怖そうな風貌ですが、心はやさしいのでしょう。
だからこれだけの信仰を集めているのかもしれません。
私も数多くの石仏を見てきましたが、この弥勒石に強く心惹かれるものを感じました。

飛鳥に行った時、必ず立ち寄りたい場所がひとつできた。
これらは飛鳥の石造物のほんの一部だが、渡来人や海人がもたらした物かもしれない。難波を経由して飛鳥に人が集まり、さまざまな思想と文化が混在していた時代。ここから日本の国家統一が始まっていくと思うとなかなか興味深い。飛鳥を知れば知るほど当時の難波の姿が見えてくる気がする。
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1. 猿石・鬼の俎・鬼の雪隠・檜隈坂合陵・檜隈大内陵
2. 益田岩船
3. 亀石
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5. 岩屋山古墳・石舞台古墳
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