2013年04月21日 22:15
上町台地の高低差を歩こう!(番外編)
上町台地の大きな人工窪地
江戸時代、現在の空堀商店街の辺りは瓦を製造する場所だったようで、明治になるまで約二百数十年間、瓦土取場から土が取り、いまでもその跡が窪地として残っているという話を聞きました。その土取り場は「ノバク」と呼ばれていたようですが、それを調べるにも資料がほとんどありません。落語の「らくだ」の舞台にもなっている「ノバク」。大阪高低差学会の研究の一環としてちょっと調べてみました。
「新OSAKA漫歩」より

ノバク(野漠)について比較的詳しく書かれている資料です。
(前文略)その広さたるや、東側は谷町筋裏、西側は松屋町筋裏の南手、北側は安堂寺橋通坂下、南側は空堀の北より、少し南のあたりで面積にすると凡そ九町歩(甲子園球場2個分より少し大きめ)の面積がございます。勿論、3ヶ所合わせてのことでございますが。
この穴がどうしてできたのか、弥兵衛と五郎兵衛は小源太に聞いた。
実は寛永7年(1630)に徳川家御用瓦師寺嶋藤右衛門が大阪拝領地として、幕府から南瓦屋町の地を頂き、その地が瓦土取場になり、以来200年間瓦の製造 のために掘り続けた結果、擂り鉢の底のようなくぼんだ土地になりました。ですから、この場所は寺嶋藤右衛門請地で、坪数に直すと約27,000坪の広さがあっ たと云われております。
高ハラ(高原)
(前文略)それは上町の外れに位置し、高さは6.7m以上はある。五郎兵衛は案内人の小源太に尋ねた。小源太は風聞としながらも、こう答えた。
寺嶋藤右衛門の請地の範囲内にあることと、上町台地の形状から言っても、ここはなだらかな坂なのにこんな小高さがあるのは、瓦土以外の土と表面の土砂や砂利などは瓦土に適さないために、積年の間堆く積まれてこのような形状になったのでございましょう。高原の北は上町台地がもらたす坂となり、民家の屋根は屋根瓦のように形よく並んでおります。その中に小高い土地が存在しているのは奇異な光景でございます。
「摂津名所図絵」より

摂津名所図絵にも南瓦屋町の瓦職人が描かれています。
で、
古地図でその場所を探してみました。

文禄4年(1691)の「大名御屋敷新校正大坂大絵図(日文研)」です。
「瓦屋」と「瓦焼」の文字がいくつも確認できたので色を付けました。「高原」の文字も赤い場所に確認できます。個人的に気になった「野畠(ノバタ)」にも色をつけてみた。水色は現在もある大念寺と大福寺で、位置関係の目印です。
「ノバク」の語源が諸説あるようなのですが、
「ノバタ」と「ノバク」がとても似ているので気になっています。「新OSAKA漫歩」に載っている「浪華名所独案内」の地図にもカタカナで「ノバク」と書かれている。「野漠」という漢字はどこからでてきたもなのでしょう…

「天保新改攝州大阪全圖(日文研)」です。
こちらには「瓦土取場」の文字が確認できます。逆に「瓦屋」の文字がなくなったのですが、それがあった場所に色を付けてみました。瓦土取場は約200年の間に場所が変わっていったのかもしれません。「高原」の文字がここでも確認できる。

明治18年測量の地図にも色を付けてみました。

それを現在の地図に重ねると

このようになります。各ポイントを写真で見る前に、

この場所を地形図で見ると確かに大きな窪地がいくつも確認できますね。

それに色をつけるとこの場所です。
では、各ポイントの写真を一気に。
A


B

C


D


E




F


G



実際、どの場所を、どの時代に「ノバク」と呼んでいたのか、はっきりとした記録を見つけることができませんでした。これも大阪高低差学会の研究課題のひとつかもしれませんね。
(追記)

「浪華名所獨案内」の部分を拡大してみると「ノバク 」の文字が見えます。地名ではなく通称なんでしょう。
で、
大阪高低差学会の第1回フィールドワークではこのエリアも歩く予定です。
大阪高低差学会
第1回フィールドワークのご案内
開催日:4月28日(日)雨天決行(ただし悪天候の場合は中止)
集合場所:午後1時に天満橋駅前広場1階(地上階・スターバックス横の広場)
【申し込み方法】
下記のATNDで参加表明してください。おおよその人数を把握するためです。
http://atnd.org/events/38565
参加のキャンセルも簡単にできますのでお気軽に。
当日ドタキャンもOK。ゆるめです。
なお、大阪高低差学会の告知情報の配信のためにツイッターもはじめました。
https://twitter.com/osakakoteisa
当日の連絡事項はこちらで発信する予定です。
フォローをよろしくです。
------------------------------------------------------------------
【 上町台地の高低差を歩くシリーズ 】
上町台地高低差マップ一覧(Facebook)
1. 上町台地高低差マップ 2012.12.3
2. 住吉大社周辺を歩く 2012.12.4
3. 帝塚山古墳周辺を歩く 2012.12.6
4. 阿部野神社周辺を歩く 2012.12.8
5. 聖天山正圓寺・阿倍野墓地周辺を歩く 2012.12.11
6. 阿倍野周辺を歩く 2012.12.13
7. 天王寺公園周辺を歩く 2012.12.16
8. 安居神社・清水寺周辺を歩く 2012.12.19
9. 四天王寺周辺を歩く 2012.12.23
10. 愛染堂・大江神社周辺を歩く 2012.12.29
11. 生国魂神社周辺を歩く 2013.01.11
12. 空堀商店街周辺を歩く 2013.01.18
13. 松屋町筋・龍造寺町周辺を歩く 2013.01.22
14. 鶴橋・上本町周辺を歩く 2013.02.04
15. 真田山周辺を歩く 2013.02.11
16. 三光神社・旧真田山陸軍墓地周辺を歩く 2013.02.18
17. 玉造・森之宮周辺を歩く 2013.02.24
18. 大阪城周辺を歩く 2013.03.02
19. 八軒家浜周辺を歩く 2013.03.11
20. 難波宮跡周辺を歩く 2013.03.24
21. 天王寺〜桃谷周辺を歩く 2013.04.15
番外編:ノバク・野漠の窪地
番外編:空堀を探せ
【 大阪アースダイバーを歩くシリーズ 】
1. 宇宙船イワフネ号と磐船神社 2012.11.20
2. 太陽の女神と上町台地 2012.11.25
(関連記事)
『大阪アースダイバー出版・ようこそ中沢新一さん』 2012.10.13
『大阪アースダイバーへの道』 2010.04.25
『アースダイビング in 上町台地』 2010.04.11
『アースダイビング in 大阪城』 2010.04.30
『アースダイビング in 生國魂神社』 2009.04.16
『アースダイバー in 大阪』 2009.04.12
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上町台地の大きな人工窪地
江戸時代、現在の空堀商店街の辺りは瓦を製造する場所だったようで、明治になるまで約二百数十年間、瓦土取場から土が取り、いまでもその跡が窪地として残っているという話を聞きました。その土取り場は「ノバク」と呼ばれていたようですが、それを調べるにも資料がほとんどありません。落語の「らくだ」の舞台にもなっている「ノバク」。大阪高低差学会の研究の一環としてちょっと調べてみました。
「新OSAKA漫歩」より

ノバク(野漠)について比較的詳しく書かれている資料です。
(前文略)その広さたるや、東側は谷町筋裏、西側は松屋町筋裏の南手、北側は安堂寺橋通坂下、南側は空堀の北より、少し南のあたりで面積にすると凡そ九町歩(甲子園球場2個分より少し大きめ)の面積がございます。勿論、3ヶ所合わせてのことでございますが。
この穴がどうしてできたのか、弥兵衛と五郎兵衛は小源太に聞いた。
実は寛永7年(1630)に徳川家御用瓦師寺嶋藤右衛門が大阪拝領地として、幕府から南瓦屋町の地を頂き、その地が瓦土取場になり、以来200年間瓦の製造 のために掘り続けた結果、擂り鉢の底のようなくぼんだ土地になりました。ですから、この場所は寺嶋藤右衛門請地で、坪数に直すと約27,000坪の広さがあっ たと云われております。
高ハラ(高原)
(前文略)それは上町の外れに位置し、高さは6.7m以上はある。五郎兵衛は案内人の小源太に尋ねた。小源太は風聞としながらも、こう答えた。
寺嶋藤右衛門の請地の範囲内にあることと、上町台地の形状から言っても、ここはなだらかな坂なのにこんな小高さがあるのは、瓦土以外の土と表面の土砂や砂利などは瓦土に適さないために、積年の間堆く積まれてこのような形状になったのでございましょう。高原の北は上町台地がもらたす坂となり、民家の屋根は屋根瓦のように形よく並んでおります。その中に小高い土地が存在しているのは奇異な光景でございます。
「摂津名所図絵」より

摂津名所図絵にも南瓦屋町の瓦職人が描かれています。
で、
古地図でその場所を探してみました。

文禄4年(1691)の「大名御屋敷新校正大坂大絵図(日文研)」です。
「瓦屋」と「瓦焼」の文字がいくつも確認できたので色を付けました。「高原」の文字も赤い場所に確認できます。個人的に気になった「野畠(ノバタ)」にも色をつけてみた。水色は現在もある大念寺と大福寺で、位置関係の目印です。
「ノバク」の語源が諸説あるようなのですが、
「ノバタ」と「ノバク」がとても似ているので気になっています。「新OSAKA漫歩」に載っている「浪華名所独案内」の地図にもカタカナで「ノバク」と書かれている。「野漠」という漢字はどこからでてきたもなのでしょう…

「天保新改攝州大阪全圖(日文研)」です。
こちらには「瓦土取場」の文字が確認できます。逆に「瓦屋」の文字がなくなったのですが、それがあった場所に色を付けてみました。瓦土取場は約200年の間に場所が変わっていったのかもしれません。「高原」の文字がここでも確認できる。

明治18年測量の地図にも色を付けてみました。

それを現在の地図に重ねると

このようになります。各ポイントを写真で見る前に、

この場所を地形図で見ると確かに大きな窪地がいくつも確認できますね。

それに色をつけるとこの場所です。
では、各ポイントの写真を一気に。
A


B

C


D


E




F


G



実際、どの場所を、どの時代に「ノバク」と呼んでいたのか、はっきりとした記録を見つけることができませんでした。これも大阪高低差学会の研究課題のひとつかもしれませんね。
(追記)

「浪華名所獨案内」の部分を拡大してみると「ノバク 」の文字が見えます。地名ではなく通称なんでしょう。
で、
大阪高低差学会の第1回フィールドワークではこのエリアも歩く予定です。
大阪高低差学会
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開催日:4月28日(日)雨天決行(ただし悪天候の場合は中止)
集合場所:午後1時に天満橋駅前広場1階(地上階・スターバックス横の広場)
【申し込み方法】
下記のATNDで参加表明してください。おおよその人数を把握するためです。
http://atnd.org/events/38565
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1. 上町台地高低差マップ 2012.12.3
2. 住吉大社周辺を歩く 2012.12.4
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15. 真田山周辺を歩く 2013.02.11
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番外編:ノバク・野漠の窪地
番外編:空堀を探せ
【 大阪アースダイバーを歩くシリーズ 】
1. 宇宙船イワフネ号と磐船神社 2012.11.20
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