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大阪高低差学会結成

2013年03月28日 00:00

大阪の地形は素敵だ!
大阪高低差学会 結成

osakakoteisa_01.jpg
東京と大阪の地形を比べてみたら
どちらもかなり変わってる。

東京はフラクタル状の深い谷が連続しており、
大阪は平坦な地形に上町台地が半島のように存在している。

世界中探してもこんな変わった地形の都市は
そうないのではないでしょうか。

osakakoteisa_03.jpg
それに比べて、奈良や京都はとっても普通。
逆にそれが都を置く場所としては最適だったのかもしれない。

osakakoteisa_02.jpg

大阪は見れば見るほど不思議なカタチをしている。

あそこの地形はどうなっているのだろう。
もっと知りたい。
もっと歩きまわりたい。
もっと語り合いたい。


ということで、
大阪の地形の変化を楽しむ人達が集まって
大阪高低差学会を結成しました。

osakakoteisa_04.jpg
現在は、上町台地を中心に
Facebookページとブログで情報を発信しています。
Facebookページは管理人数名で運営していますので、
関心のある方は、ぜひ「いいね!」を押して下さい。

Facebookページ【大阪高低差学会】


ブログ【大阪高低差学会】


さぁ、大阪の高低差を
一緒に楽しみませんか!




※地形図は国土地理院の数値地図5mメッシュ(標高)と10mメッシュ(標高)をカシミール3Dで制作しています。(数値地図5mメッシュで欠けている部分を数値地図10mメッシュで補っています。)

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上町台地の高低差を歩く・難波宮跡

2013年03月24日 21:00

大阪アースダイバー
上町台地の高低差を歩こう!
20. 難波宮跡周辺を歩く

大化の改新により飛鳥から都を遷した場所が難波です。
大阪人でも、知ってるようであまりよく知らないのが難波宮(なにわのみや)ではないでしょうか。特に年表がややこしい。できるだけ完結にわかりやすくまとめようと思いますが、ややこしさは拭えないかも…

naniwa_01_20130323155447.jpg
難波宮があった場所は大阪城公園の南側一帯です。ここにわが国初の本格的な宮殿、前期難波宮とそれが焼失した後に後期難波宮が置かれました。

naniwa_02.jpg
地形的にはa-b間が面白い場所なので後でご紹介します。

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史跡 難波宮跡です。

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難波宮は永い間、所在地に関する手がかりが少なく「幻の都」とされてきました。

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ここで発掘調査が行われるようになったのは昭和29年(1954)からで、山根徳太郎氏らが後期・難波宮の大極殿跡を発見したのは昭和36年(1961)のことです。

EOS_8036.jpg
史跡 難波宮跡
大化改新(645年)にともなう難波遷都以来8世紀末まで約150年間、難波宮は日本の首都として、また副都として、日本の古代史上に大きな役割を果たした。昭和29年(1954年)以降長年にわたる発掘調査の結果、前期・後期二時期の難波宮跡が、中央区法円坂一帯の地に残っていることが明らかになった。
現在内裏・朝堂院部分90,677㎡が、国の史跡に指定されている。

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遺跡の概要
発掘調査により、難波宮跡は大きく分けて前・後2回の宮殿遺跡とそれ以前の建物跡があることが明らかにされてきた。

EOS_8046.jpg
前期難波宮跡はすべての建物が掘立柱(ほったてばしら)で、屋根に瓦を葺かない建物であった。7世紀の中頃、飛鳥で蘇我氏が亡されて後、都が難波に遷されてつくられた難波長柄豊碕宮(なにわながらとよさきのみや)がこれにあたると考えられている。天武天皇朱鳥(しゅちょう)元年(686年)に、火災で全焼するまでつづいたと考えられる。この宮殿は最初の本格的な中国風の都といわれる大和の藤原宮に先行するもので、古代国家の成立期の貴重な遺構である。

後期難波宮は、奈良時代の神亀(じんき)3年(726年)聖武天皇の時に造営された宮殿である。大極殿や朝堂院の中心建物には礎石が用いられ、屋根には蓮華文(れんげもん)・唐草文(からくさもん)・重圏文軒瓦(じゅうけんもんのきがわら)などの瓦が葺かれていた。天平16年(744年)にはここ難波宮が首都と定められたが、翌年再び平城京へと遷された。

前後2時期の難波宮の遺跡のほか、それ以前の大規模な建物跡もほぼ全域で発見されている。港をひかえた難波の地は、5世紀以降外交・文化・経済・政治の要衝として栄えていたことがしのばれる。

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大極殿があった場所には大極殿の基壇が復元されています。

EOS_8055.jpg
この日は何かの撮影をしていました。

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大阪歴史博物館で展示していたパネルです。前期難波宮と後期難波宮の重なりがよくわかる。年表が複雑ですが、前期難波宮の宮殿は白雉(はくち)3年〈652〉に完成し、朱鳥(しゅちょう)元年〈686〉まで存在していました。首都として機能したのは孝徳天皇が大郡宮(おおごおりのみや)から遷った白雉2年〈651〉〜逝去される白雉5年〈654〉までと、複都制により天武12年〈683〉〜焼失した朱鳥元年〈686年〉まで。後期難波宮は天平16年〈744年〉に一時的に首都になっています。

(難波宮のまとめ)
645 大化の改新にともない都が難波へ遷される
650 孝徳天皇により難波長柄豊碕宮造営開始
652 難波長柄豊碕宮(前期難波宮)完成
654 孝徳天皇逝去
686 火災により難波宮焼失
726 聖武天皇により、難波宮造営開始(後期難波宮)
744 難波宮、一時的に首都となる
784 長岡京遷都により難波宮の宮殿の建物は解体移築される

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前期難波宮〈652-686〉復元模型(大阪歴史博物館)と、

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後期難波宮〈726-784〉復元模型(大阪歴史博物館)。

ここまでが難波宮の簡単なまとめです。
首都の期間が短く、複都制や一年だけの首都という事なども絡んで、難波宮をわかりにくくしているのかもしれませんね。でも、知れば知るほど大阪には凄い宮殿があったのだと誇りに思うようになってきました。

で、
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上町台地と難波宮の位置関係がわかるパネルです。難波宮周辺には多くの谷がありました。宮殿はそのなかで標高が高く、平坦な場所に建てられています。

出典:「東アジアにおける難波宮と古代難波の国際的性格に関する総合研究」50頁。
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谷をさらにわかりやすくした地形図です。「難波宮周辺の地形と整地の時期(寺井2007加筆)」を元に色を付け加えました。

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バックに国土地理院の地図を入れると位置関係がよりよくわかる。

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(c)大極殿基壇と(d)大阪歴史博物館・NHK大阪放送会館。

EOS_6394_1.jpg
(d)の場所は法円坂遺跡でもあり、5世紀後半の16棟の大型建物跡が見つかっています。難波宮が出来る前、倭王権が物資集散の拠点に建てた倉庫群と考えられています。

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東方面です。右が難波宮跡公園、左が大阪城公園。高速道路の下には天皇の私的区域であった内裏(だいり)があった場所の一部にあたります。地形も真っ平らですね。

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西方面です。左に地形を削った断面が見える。

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明らかに道路を作る時に削っていますね。

EOS_8101.jpg
南方面はもっこり隆起している。

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ここが(a)の地点です。

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隆起した場所から南方面を見ると地形がラクダのコブのように見えます。

EOS_8106.jpg
これを大阪高低差学会では「こぶ地形」と呼んでいて、ここはいわゆる「ふたこぶ」と呼んでいる場所です。

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手前の窪地も奥の窪地も「龍造寺谷」と呼ばれる谷筋にあたります。

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反対側から見た所。横は銅座公園です。

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現在も銅座公園をぐるりと囲むように谷筋が残っています。クレーンが見える場所はマンションが建設中ですが数m下がっています。

P1220492_2.jpg
ちなみに2010年に撮った写真ですが、高低差がよくわかる。

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公園の南側はゆるい坂になっている。公園の向かいは幼稚園です。

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右が銅座公園、左が幼稚園。

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高低差は3mくらいでしょうか。

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ここから少し上り坂に。

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反対側から見るとゆるい窪地になっている。

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「ふたこぶ」の奥の窪地です。左は幼稚園。

EOS_8180.jpg
幼稚園南側の壁を見るとその高低差がわかる。

EOS_8172_20130323155832.jpg
この窪地が(b)の場所です。

EOS_8179_20130323160048.jpg
この坂を登りきった辻は熊野街道と暗越奈良街道が分かれる場所。東西が暗越奈良街道で、熊野街道はここから南下します。


より大きな地図で 上町台地の高低差を歩こう を表示


【 上町台地の高低差を歩くシリーズ 】
上町台地高低差マップ一覧(Facebook)
1. 上町台地高低差マップ 2012.12.3
2. 住吉大社周辺を歩く 2012.12.4
3. 帝塚山古墳周辺を歩く 2012.12.6
4. 阿部野神社周辺を歩く 2012.12.8
5. 聖天山正圓寺・阿倍野墓地周辺を歩く 2012.12.11
6. 阿倍野周辺を歩く 2012.12.13
7. 天王寺公園周辺を歩く 2012.12.16
8. 安居神社・清水寺周辺を歩く 2012.12.19
9. 四天王寺周辺を歩く 2012.12.23
10. 愛染堂・大江神社周辺を歩く 2012.12.29
11. 生国魂神社周辺を歩く 2013.01.11
12. 空堀商店街周辺を歩く 2013.01.18
13. 松屋町筋・龍造寺町周辺を歩く 2013.01.22
14. 鶴橋・上本町周辺を歩く 2013.02.04
15. 真田山周辺を歩く 2013.02.11
16. 三光神社・旧真田山陸軍墓地周辺を歩く 2013.02.18
17. 玉造・森之宮周辺を歩く 2013.02.24
18. 大阪城周辺を歩く 2013.03.02
19. 八軒家浜周辺を歩く 2013.03.11
20. 難波宮跡周辺を歩く 2013.03.24
21. 天王寺〜桃谷周辺を歩く 2013.04.15
番外編:ノバク・野漠の窪地
番外編:空堀を探せ

【 大阪アースダイバーを歩くシリーズ 】
1. 宇宙船イワフネ号と磐船神社 2012.11.20
2. 太陽の女神と上町台地 2012.11.25

(関連記事)
大阪アースダイバー出版・ようこそ中沢新一さん2012.10.13
大阪アースダイバーへの道2010.04.25
アースダイビング in 上町台地2010.04.11
アースダイビング in 大阪城2010.04.30
アースダイビング in 生國魂神社2009.04.16
アースダイバー in 大阪2009.04.12


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梅田貨物駅最後の日を微速度撮影

2013年03月19日 00:50

さよなら梅田貨物駅

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うめきた(梅田北ヤード)の梅田貨物駅の営業が3月15日をもって終了しました。当日は鉄道ファンも含め多くのカメラを持った人を見かけましたが、私も記録を残しておきたかったので、久しぶりに微速度撮影をしてきました。

撮影しているときはよく分からなかったのですが、微速度撮影動画にすると貨物列車の動きがよくわかる。記録としても面白い映像になったのではないかと思っています。ぜひHD画質で見てください。

EOS_6261_2.jpg
営業日最後の夜景です。
最終列車は見なかったですが、
多くの人が集まっていたようですね。

この日以降も何度か近くを歩きましたが、
動く物が何もなくて不思議な感じでした。
撤去作業が終了するまで見届けたいと思います。




http://youtu.be/bzD1X-cvUaA


(関連記事)
『さよなら梅田北ヤード』 2013.11.20
『大阪七墓・梅田墓地について』 2013.09.13
『さよなら梅田貨物駅』 2013.07.24
『梅田貨物駅最後の日を微速度撮影』 2013.03.19
『うめきた・梅北(梅田北ヤード)の歴史』 2011.02.21
『梅田北ヤードができる前 6 移転先篇』 2008.03.17
『梅田北ヤードができる前 5 金蘭女学篇』 2008.03.14
『梅田北ヤードができる前 4 梅田高女篇』 2008.03.12
『梅田北ヤードができる前 3 北野中学篇』 2008.03.09
『梅田北ヤードができる前 2 工業学校篇』 2008.03.06
『梅田北ヤードができる前 1 文教地区篇』 2008.03.05
『大坂七墓巡り(梅田・南浜・葭原)』 2008.10.22
『初代大阪駅の場所』 2008.03.03
『大阪駅ができる前は墓地があった』 2008.03.01


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