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大阪中央郵便局重要文化財指定義務付裁判について

2012年08月18日 04:20

みんなモヤモヤしている
この裁判をわかりやすく解説


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報告会会場

2012年8月17日、「重要文化財指定処分義務付請求事件」第1回弁論期日が大阪地方裁判所で行われました。私も傍聴しましたが、この日は提出書類の確認と次回期日を決めるだけで約10分ほどで終わり、その後、近くの大阪市中央公会堂で報告会が開催されました。私は8月11日に行われた「裁判の目的・意義を理解するための集会」にも参加しており裁判のおおよそのことはわかってきましたが、まわりの人に聞くと「この裁判はよくわからない」「なんかモヤモヤしていて、そのモヤモヤが何なのかもわからない」という声を聞きましたので、ここで整理をしたいと思います。
※私は裁判の素人ですので間違っていましたらご指摘いただければと思います。


モヤモヤ(1)
なんで今ごろ?

大阪中央郵便局庁舎の取り壊し問題は最近の話ではなく、最初に取り壊し計画の話が出たのを受けて、2006年5月に日本建築学会が日本郵政に対して「東京中央郵便局庁舎・大阪中央郵便局庁舎保存要望書」という要望書を出しています。
しかしその後目立った保存運動はなかったように記憶していて、私自身も跡地にディズニーが来るかもと喜んだ記憶はありますが、この建物が重要な建物だという認識はまったくありませんでした。

解体準備の工事が始まってからなぜ裁判を起こしたのか?
なぜもっと早くしなかったのか?


聞く所によると、原告側も裁判が起こせるという認識が直前までなかったようです。ところが、弁護士と相談している中で原告になれる可能性があることがわかり、最後の手段として裁判を起こしたようです。

でも、モヤモヤは残る。

「大阪中央郵便局を守る会」は2012年に入ってからシンポジウム等を積極的に開催して著名人も含めて大きく動き出しましたが、その時点で既に「なんで今ごろ?」と思った人は多かったと思います。それについての明確な答えが得られていないので、今でもモヤモヤしている方が多いのではないかと思っています。私も含めてですが。


モヤモヤ(2)
解体が始まっているのに
なぜ裁判をしているのか?


裁判はとにかく時間がかかる。今回の重要文化財指定義務付け訴訟の申し立てをしたのが6月18日です。で、第1回の弁論期日が2ヶ月後の8月17日で書類の確認をしただけ。第2回の弁論期日は10月24日になりましたが、この時点ではすでに解体が終わっている可能性があるので、そこで裁判は終わってしまうかもしれない。このモヤモヤは残念ながらぬぐうことができない。


モヤモヤ(3)
いまどうなってるの?

報告会で配布された資料を載せています。
(※公開していい資料だと思いますが削除要望はあれば削除いたします)

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なんと、3つの手続きが同時進行で動いています。
(第1手続)は当初のもの。ただし、この審理に時間がかかるので(第2手続)を起こしています。これは仮でいいので重要文化財指定を行うよう求める手続きで敏速に行われるようです。さらに(第3手続)の証拠保全のために内部を検証させろという手続きも申し立てています。


3つの争点で争います。
1、原告適格
2、国に重要文化財の指定すべき義務があるのか。
3、証拠保全について



1の原告適格についてはそもそも論ですが、建築の専門家が原告として的確なのかを争います。この判例は今後の同じような案件に影響が出ると思われます。
2の国に義務があるのかは本件の一番重要な部分なのでしっかり審理してもらいたい。
3は裁判官にも現地で実際に見て欲しいという意味もあるようです。


いかがでしょうか。
少しはモヤモヤがなくなったでしょうか。

どちらにしろ、建物の解体は進んでいます。
建物がなくなってしまうと裁判もなくなってしまうようなので
それが一番モヤモヤする部分かもしれませんね。

原告の方々や関係者は「これは意義のある裁判である」と主張されています。
正直私にはそこがピンときていないのです。ごめんなさい。
「工事を止めるための裁判」から「意義のある裁判」に主張が変わったの?
そこが私のモヤモヤです。
ただ意義のある裁判には違いはありませんので、
みなさんにもこの裁判に関心をもっていただけるとうれしいです。


(参考サイト)
「大阪中央郵便局を守る会」について


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千里丘陵を歩く・旧石連寺(石蓮寺)村・若宮住吉神社・興法寺

2012年08月16日 06:00

千里丘陵を歩く(3)
若宮住吉神社と旧石連寺村

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住吉神社の参道に大きな松の木がある。

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若宮 住吉神社。小曽根、北条などの地域の氏神です。
お隣の旧寺内村は素戔嗚尊神社(江坂神社)が氏神のようですね。

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こちらは「若宮」の冠を持つ神社で、地名を冠にする周辺の住吉神社とは一線を画しています。

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石段を上がるとさっきの一本松がそびえ立っている。

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由緒は古く、天平年間に行基が興した石連寺の跡に、平清盛が創祀した厳島神社が神社の起源といわれています。石連寺は広大な敷地を有する寺院でしたが、平清盛に攻められ廃寺になりました。

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御社(みやしろ)があった場所はこの神社の西隣だとされています。
由緒等はホームページに詳しく書かれています。

若宮と称えられた住吉神社
(※「石連寺」の表記について住吉神社のHPに合わせて『石蓮寺』ではなく「石連寺」に統一しました)

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この狛犬、地元では親子と狛犬と伝わっているそうです。

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左から摂社の水分神社(旧厳島神社)と八幡神社(旧正八幡宮)。

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力石ではないかと伝わる丸い石。

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高い場所ですね。昔は大阪湾まで見渡せたのではないでしょうか。

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さて、旧石連寺村を歩いて行きます。

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旧村の南東端の出入口にある地蔵尊。

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昔からここにあったのでしょうね。

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トタンでカバーされた茅葺き屋根。

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板塀がいい感じです。

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こちらも茅葺き屋根だったのでしょうか。
瓦葺きに替えられていますね。珍しいかも。

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こちらにも元茅葺き屋根の家が残っています。

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こちらのトタン屋根のデザインはちょっと変わってる。

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立派な蔵ですね。上半分は銅板で覆われているのかな。

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いい感じの門だ。

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こちらも立派な屋根。

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住宅地の真ん中に祠が現れました。

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愛宕神社です。

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その向かいには

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石仏がたくさん祀られている。

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その横の蔵も立派だ。

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こちらの祠には愛宕大神が祀られていました。

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こちらにも地蔵尊が。

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さて、立派な門が見えてきた。

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こちらは興法寺。

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興法寺の開基は摂州橘御園庄今福村に住む今福左右衛門源道悟だそうです。元は今福村にあったのが、戦国時代に消失し、慶長10年にこちらで再建されました。地図を見ると尼崎市今福に同じ興法寺という名の寺があります。

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興法寺の裏にこんな碑があった。
左 石蓮寺(白鳳)跡
右 大坂焔焇蔵場跡
焔焇蔵場とは火薬庫のようですね。どこにあったのだろう。

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旧石連寺村の西の端に

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緑に囲まれた若竹池がある。数年前までは釣り堀になっていましたね。

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釣り堀があったころからここにあった祠。
何が祀られているのでしょう。

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住宅地のまん中にポツンと残された竹やぶ。ここだけ時間が止まっている感じ。

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ということで、ふたたび旧道に戻り旧下新田村へ向かいます。


より大きな地図で 新之介の北摂を歩く を表示


(千里丘陵を歩くシリーズ)
1.千里丘陵丘陵を歩く・江坂
2.千里丘陵を歩く・旧寺内村・観音寺
3.千里丘陵を歩く・旧石連寺村・住吉神社・興法寺
4.千里丘陵を歩く・下新田
5.千里丘陵を歩く・下新田・春日神社
6.千里丘陵を歩く・上新田の町並み
7.千里丘陵を歩く・上新田天神社・鎮守の森と宅地開発
8.千里丘陵を歩く・上新田の道標
9.千里丘陵を歩く・山田の変遷
10.千里丘陵を歩く・山田の町並みと紫雲寺と圓照寺
11.千里丘陵を歩く・伊射奈岐神社と山田の町並み
12.千里丘陵を歩く・佐井寺1
13.千里丘陵を歩く・佐井寺2


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千里丘陵を歩く・旧寺内村・観音寺

2012年08月12日 22:30

千里丘陵を歩く(2)
観音寺と旧寺内村

江坂方面から高川沿いを歩いてきました。
途中何カ所かにコンクリートの古い橋が架かっています。

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この橋は柵で渡れなくなっていましたが昔からあると思われる念仏橋。

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その先に観音寺がある。念仏橋は参道になるのかな。

(大正12年測量地図)
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中央の寺内(てらうち)の右にある寺が観音寺。その横にある橋が念仏橋だと思われます。

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行基菩薩の開創で多田満仲(ただのみつなか)公をご本尊として崇拝されていたのだとか。

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石段を上がって森の中に入って行きます。

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石仏が無造作に祀られている。

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こちらが本堂。住職はいらっしゃらないようです。

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左手には大東亜戦争戦没者の忠魂碑があった。

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これはなんだろう?擬宝珠のようだが…

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念仏井戸の碑とねんぶつばしの親柱だろうか。
何か由来があるのでしょうが分かれば追記しておきます。

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境内には祠がいくつかありますが、こちらは白蛇大明神が祀られている。

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こちらは稲荷大明神。

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さらに石段を上がって行きましょう。

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昔ながらの北摂の森がそのまま残っていますね。

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こちらの祠は吒枳尼尊天が祀られている。

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「だきにそんてん」って読むのかな?

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ここは新宮橋西交差点。右に見える森は服部緑地です。

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さっきの観音寺がある森。昔の丘陵地が今も残る数少ない地域のひとつです。

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新宮池の脇に地蔵尊がありました。

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石仏がたくさん祀られています。道路整備等でこちらに集められたものなのでしょうか。それとも昔からここにあったのかな…

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さて、ここから旧寺内地区に入って行きます。

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昔の風情を感じる事ができる地域です。

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水路がありました。季節なのでしょうか、水量が豊富。勢いよく流れていました。

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いい感じの門です。

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元茅葺き屋根。こういうのを見ると昔は茅葺き屋根の家が集まっていたのだ改めて実感します。

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板塀の古さ加減がよい。

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段蔵ではないのでしょうが微妙に段になっている。

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大きな屋根と蔵の屋根との連続感がよいな。

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上部が黒塗りの塀が渋いです。

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手入れが行き届いた大きな木。

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向こうの森が観音寺があった森です。

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立派なファサードだ。

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板塀とユニークなカタチの木がいい感じ。

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部分的に残された塀。

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地蔵尊を見つけました。よこに階段跡が残っている。

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地蔵尊は町並みが変わって行く中で取り残されたように残っているので好きです。

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畑と田んぼに出てきた。

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あの森は何でしょうね。
位置的には神社っぽいのですが、行ってみましょうか。



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(千里丘陵を歩くシリーズ)
1.千里丘陵丘陵を歩く・江坂
2.千里丘陵を歩く・旧寺内村・観音寺
3.千里丘陵を歩く・旧石連寺村・住吉神社・興法寺
4.千里丘陵を歩く・下新田
5.千里丘陵を歩く・下新田・春日神社
6.千里丘陵を歩く・上新田の町並み
7.千里丘陵を歩く・上新田天神社・鎮守の森と宅地開発
8.千里丘陵を歩く・上新田の道標
9.千里丘陵を歩く・山田の変遷
10.千里丘陵を歩く・山田の町並みと紫雲寺と圓照寺
11.千里丘陵を歩く・伊射奈岐神社と山田の町並み
12.千里丘陵を歩く・佐井寺1
13.千里丘陵を歩く・佐井寺2


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