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弾丸列車と満鉄あじあ号

2012年06月27日 01:30

弾丸列車から新幹線へ(2)
弾丸列車と満鉄あじあ号

戦前、東京ー下関間を高速鉄道で結ぶ「弾丸列車計画」という構想がありました。東京ー大阪間を4時間半、東京ー下関間を9時間で運行する長距離高速鉄道は、線路を立体交差にし踏切はなく線路幅も1435ミリメートルの広軌を採用。この計画は昭和15年2月に国会で審議され、昭和15年度から昭和29年度までの15カ年計画で着工されました。将来的には、下関ー釜山間に海底トンネルを通し、朝鮮半島から満州の奉天(瀋陽)をへて北京まで、総延長3692.7キロメートルを3日間で結ぶというものでした。

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日本は日中戦争のさなかで、満州と内地を往来する人員と貨物が飛躍的に増えていました。国内の輸送力は逼迫が目前で、その増強は急務だったと思われます。

『弾丸列車』より
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東京ー大阪間を4時間半で結ぶという事は、最高速度を150キロにする必要がありました。新型車両は蒸気機関車と電気機関車の両方が検討されており、この図面はその中の代表的なもので、蒸気機関車のHD53と電気機関車のHEH50。HEH50は最高時速210キロの世界最高を狙っていたようです。

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しかし、当時の日本は発電所や送電施設などの基礎整備が行き届いておらず、軍からも変電所が爆撃されたら動かなくなると猛反対を受け、蒸気機関車で最高速度150キロを目指す事になったようです。

新型車両の開発にあたって参考にしたのが南満州鉄道(以下「満鉄」という)の特急「あじあ」号。当時、最高速度130キロを記録していました。


「あじあ」号とは

『満鉄「あじあ」へ、仮想超特急の旅路・昭和十年の鉄道旅行』より
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満州国が誕生したのは昭和7年。同国の鉄道経営は満鉄に委託され、日本の鉄道省から約4000名がその運営にあたりました。

『満鉄「あじあ」へ、仮想超特急の旅路・昭和十年の鉄道旅行』より
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その中で当時の技術の粋を集めて昭和9年11月に誕生したのがパシナ型機関車・特急「あじあ」号です。最初は大連ー新京間を、その後ハルビンまで延長して運行していました。

『満鉄「あじあ号」とハルピンの思い出』より
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列車の編成は機関車の他に、手荷物郵便車、3等客車2両、食堂車、2等車、最後尾の展望1等車を連結していました。

『満鉄「あじあ号」とハルピンの思い出』より
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展望1等車の外観は曲線が美しくエレガント。最後尾のマークは亜細亜の亜を図案化しているのだとか。

『満鉄特急あじあ号』より
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展望室の内部もなんとも豪華。

『満鉄特急あじあ号』より
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こちらは食堂車。落ち着いたインテリア。

『満鉄「あじあ号」とハルピンの思い出』より
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食事は和洋定食と一品料理で、奥の厨房で調理されていたそうです。ウエイトレスは金髪のロシアの若い女性だったとか。

『満鉄「あじあ」へ、仮想超特急の旅路・昭和十年の鉄道旅行』より
dangan_203.jpg
当時の世界の列車のスピードはというと、

【アメリカ】
20th century limited(蒸気機関車)が 87.21km/h
broadway limited(蒸気機関車)が 82.36km/h
union pacific(ディーゼル・エレクトリック)が 144km/h
【ドイツ】
fliegender hamburger(ディーゼル・エレクトリック)が 124.7km/h
【日本】
つばめ(蒸気機関車)が 66.8km/h
【満州】
あじあ(蒸気機関車)
大連ー新京間8時間半の場合 82.5km/h
大連ー新京間8時間の場合 87.72km/h
大連ー新京間7時間の場合 100.25km/h

「あじあ」号が世界のトップクラスでありながら、更に大連ー新京間を8時間から7時間に短縮する計画を持っていたそうです。

『弾丸列車』より
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この車両は迫力がある。カスタマイズしているのだろうか。

『満鉄特急あじあ号』より
dangan_101.png
これはパシナ型機関車の設計図。動輪直径が2000ミリメートルとかなり大きい。特急「つばめ」の動輪の直径は1750ミリメートル、それでもかなり大型のものだったようです。

dangan_102.png
弾丸列車は、動輪直径を2300ミリメートルに、回転数も毎分約400回転(パシナは320回転)まで上げることで時速150キロを狙うことになります。
動輪の数もパシナ型機関車の6枚に対して弾丸列車は8枚、重心位置が高くなる分、全体の車高が高くならないようにパシナ型機関車と同じ高さにしています。車幅もほぼ同じ。

これらが弾丸列車の概略です。
弾丸列車計画はその後、太平洋戦争の激化で中止せざるを得なくなりますが、昭和17年に着工された新丹那トンネル、東山トンネル、日本坂トンネルのうち、東山、日本坂は完成。工事途中だった新丹那トンネルはその後、改修完成されて東海道新幹線に、日本坂トンネルも東海道新幹線に利用されています。用地買収もこの時代かなり強引に行われたようで、東海道新幹線のルートはほぼこの弾丸列車計画のルートが使われています。

で、
弾丸列車の車両は結局作られていないので設計図を元に色を付けてみました。

dangan_308.jpg
動輪が4つ並んでかなり長い車体です。
新幹線と同じ白とブルーにしてみました。

dangan_311.jpg
それだけではもの足りず、「あじあ」号の車体を利用してフォトショップで「弾丸列車」を作ってみました。なかなかの迫力。車高、車幅はほぼ同じですが全長がなかり長いです。

正面図がないのであくまでもイメージです。
細かい細部も私の想像なのでご了承ください… ^ ^;

dangan_310.jpg
色も付けてみました。
なかなかカッコいい。
これが煙をはいて走っているところを見てみたい…


(関連記事)
1. 弾丸列車と新大阪駅2012.06.22
2. 弾丸列車と満鉄あじあ号2012.06.27
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4. 弾丸列車の新大阪駅と東海道新幹線の新大阪駅2012.07.05
瓦屋根の東淀川駅と中島惣社と崇禅寺2012.07.21


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弾丸列車と新大阪駅

2012年06月22日 07:45

弾丸列車から新幹線へ(1)
弾丸列車計画と新大阪駅

昭和31年発行の東淀川区史にとても興味深いことが書かれています。
戦前に計画・着工されていた東京・下関間を高速列車で結ぶ「広軌新幹線」、通称「弾丸列車」のことです。

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弾丸鉄道について

戦時中鉄道省において弾丸鉄道の計画があり、この実現をみていたら確かに本区の様相も一変していたことと思われる。いまこの計画のあらましを述べると昭和十三年鉄道省企画委員会において、輸送力の拡充ならびに内地・大陸間の交通幹線として、東京・下関間に「広軌新幹線」の敷設が具体化し、昭和十五年の第七十五議会で工費約五億六千万円、十五年度以降十五ヵ年計画として可決された。

本計画による大阪附近の状況を示すと、まず現京都駅より東海道線に沿って南下、大山崎附近より東海道線と淀川の間を淀川沿いに南西進、三島郡鳥飼村を経て当区井高野町に入り、江口町より大道町に至り西転、上新庄・國次町を経て現東淀川駅北側に新大阪駅を設置、さらに三國町・十八條町を横断豊中市庄内町を西へ抜け塚口町の南方を経て六甲山をトンネルで抜け、神戸市の西北平野方面に新神戸駅を設置以下西へ下関に至ることとなっていた。

これによって東京・大阪間の所要時間は四時間三十分、東京・下関間は九時間となる予定であった。しかし戦争の激化に伴い折角の計画も実現を見ぬまま今日に至っているが、最近また本計画が再検討されつつある。
(東淀川区史より)


いかがでしょう。なかなか面白いでしょ。
「最近また本計画が再検討されつつある。」というのは東海道新幹線のことです。
この文章の中で私が特に気になったのは新大阪駅の場所。
東淀川駅の北側ってどのあたりなんでしょう?

で、いろいろ調べていて
偶然見つけてしまいました!

dangan_003.png
国立公文書館の「大阪都市計画街路中追加変更ノ件」という書類の中の1ページ。昭和18年のものです。

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都市計画図の中に新幹線鉄道と計画道路が書き足されている。
中心の四角い部分は新大阪駅前広場、右側の菱形に塗られた部分は新幹線貨物駅と思われます。

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凡例です。原本はカラーなのでしょう。

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新大阪駅前広場の下に東淀川駅が確認できます。
新幹線鉄道の左側にあるバツ印は、その下に記されていた大道庄内線の廃止を意味しています。

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現在の地図に落とし込むとこの辺りでしょうか。

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昭和14年の地図に落とし込んでみました。
周辺に住宅地がまだ少なかった事がわかる。

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さらに、昭和17年の地図にも落とし込んでみました。
戦時中だからでしょうか、宮原操車場が記されていません。

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計画路線の下にはまっすぐな道路が記されていました。
ただ、この道路は当時できていないはずの大道庄内線のようです。
その他にも実際にはできていない計画中の道路がいくつも確認できる。
ちょっと不思議な地図です。

DSC04937.jpg
東淀川駅のホームから北側を見てみました。

DSC04939.jpg
信号の奥が新大阪駅の計画地の辺りでしょうか。

DSC04867.jpg
その下には大きな道路ができています。

DSC04859.jpg
庄内新庄線です。この先は地下鉄東三国駅。

DSC04818.jpg
地下鉄東三国駅の西の先で行き止まりになっている道路です。
これが旧大道庄内線なのではと思ったのですが、どうも違うみたい。
大道庄内線は蒲田神社の北側を走るのですが、この道路は南側。
この道路が弾丸列車の計画予定地だと思ったのですが違うようです。

dangan1948.jpg
最後に、国土地理院の昭和23年(1948)の空中写真に落とし込んでみました。
これが一番リアリティがある。

(追記)
現新大阪の東側のルートは水路(中嶋大水道)に沿ったルートになりましたが、この空撮をみて思ったのですが、新大阪駅の東側は空襲の被害が大きかった地域でもあります。この写真にもその傷跡が残っている。その中に新幹線の線路が敷かれています。そのこともこのルートに決まった理由のひとつかもしれない。


より大きな地図で 弾丸列車計画の新大阪駅 を表示


(関連記事)
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中之島図書館廃止報道と旧大阪中央郵便局の重文指定求め国を提訴の違い

2012年06月20日 00:50

民意が動く。

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在りし日の大阪中央郵便局

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解体工事が進んでいる大阪中央郵便局旧局舎について、
建築家や大学教授らが18日、国に対し重要文化財に指定するよう
求める訴訟を大阪地裁に起こしました。
このニュースは当日のテレビニュースでも取り上げられたし、
翌日の新聞も各紙が取り上げています。

で、何が起こっているか。

保存を訴えている方々と一般市民との間に
大きな温度差が発生しているのではないかということ。

提訴しているのは建築家や建築史の先生方等。
シンポジウムや署名運動など、勢力的に活動されていて
私もインターネット中継を何度か見ました。
皆さんかなり熱いです。

しかし、私も含め一般人はどうもその訴えについていけていない気がします。
この温度差、私が個人的に感じている感覚だと思っていたのですが
提訴を起こした後の記者会見以降のリアルタイム検索を見ても、
賛同しているのは建築に関わる関係者が多く、
一般市民のつぶやきがほとんど現れていないことからも、
そう的外れでないと思っています。

一方、19日に
「中之島図書館を廃止へ 橋下市長と松井知事」
という報道がありました。
その後のリアルタイム検索では、もの凄い数の市民の反応がありました。
基本的には反対の声が大勢だったと思います。

DSC05520.jpg

DSC05559.jpg

この2つには共通点がある。
中之島図書館廃止も旧大阪中央郵便局の解体も
その後に具体的なプランがないということ。
とりあえずやってしまえて的な所が似ている。
しかし、市民の反応が全く違っている。
一方は大反対、一方は静観。
これはいったい何なんだろうか?

大阪人は誰よりも大阪の文化を愛している。
と、私は思っている。
大阪の文化の象徴のひとつが中之島図書館ではないだろうか。
その図書館が廃止されるということで多くの人が憤っているのだ。
図書館から図書をなくしたらただの箱ではないか。

しかし、旧大阪中央郵便局にはその文化が見つけられない。
建築史から見てとても重要な建物だと言う事は分かる。
しかし、郵便局の機能を失った建物に私は価値を見いだす事はできなかった。

中之島図書館廃止の反対の声がこのままどんどん増えていけば
廃止の判断も変わるかもしれない。

大阪のことは民意が決めることができると思う。
今のリーダーの方々は民意を一番大切にしているのだから。


ところで、橋爪特別顧問は廃止を了承しているのだろうか?


(追記)
読売新聞より
yomiuri20120224.png
2月24日に「中之島図書館を美術館に」という報道がありましたが、橋爪特別顧問も同調していたということは、この時点で図書館廃止もやむなしと判断されていたのでしょうか。そうであれば残念です。

(追記2)
旧大阪中央郵便局の重文指定求め国を提訴について、
原告側の想定タイムスケジュールが知りたいです。
判決がいつごろ出ることを想定しているのか?
その時、解体現場はまだ解体中なのか?
それとも解体はすでに終わっているのか?
それって結構重要だと思うのですが。



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