2012年04月30日 08:00
新大阪駅正面広場と
宮原1丁目の町並み

JR新大阪駅です。新大阪阪急ビルが建設されたことにより風景が変わりましたね。

ただ、昔ながらの変わらない風景も残っている。
タクシー乗り場にあるこの看板、傷みで下の絵が現れてきてます。
下の絵は竣工時のものだろうか。

広場にあるこのポールライトも竣工時の昭和39年に設置されたもの。

なかなかカッコいいデザイン。円のようですが12角形ですね。

こちらは卵形のプランター。

これも竣工時のものかな。

暗くて殺風景な地上の柱群。

正面口なのにコンクリートむき出しなんですよね。ここ。
そこがいいのですが、この上が正面玄関ということなのでしょう。

この2灯のポールライト、

下に入口があります。
扉がかなりええ感じ。潜水艦っぽい。

高さは38メートルあるみたい。

もうひとつの方の扉はデザインが微妙に異なる。

夕方に再び立ち寄ると明かりが点いていました。

てっぺんには避雷針もある。カッコいいですよね。

こちらのライトは消えていました。
なぜがグリーンの明かりがひとつだけ。

さて、線路沿いの道を歩いて行きます。

この道は旧横関街道。
大阪と池田、箕面、勝尾寺方面を結ぶルートのひとつでした。

現在では土地区画整理等でかつての旧道はほとんど残っていません。

明治18年測量の地図と重ねるとこのようになります。

北宮原村と南宮原村、村の南側を流れる川は中島大水道です。

新大阪駅の下をくぐると向こうに古い民家が見える。

立派な門構え。

ビルに囲まれた中に蔵や

立派な家屋があります。ちょっと不思議な光景。

こちらには薬師如来と地蔵尊の祠。

旧南宮原村を分断するようにアンダーパスが出来ています。

向こうに見える家も旧南宮原村になります。

こんな森も残っている。

隣にあった建物の跡がええ感じです。
屋根の下に焼けたような跡があるなぁ。

こちらも立派な門ですね。

さて、土地区画整理によりできた南北に通る道。
この道により北宮原村も分断されました。

立派な門が残っています。

こちらも立派な門構えだ。

以前の北宮原村の豊かさがうかがえる。

横道に入った場所に道標がありました。

右 大坂道

左 ミの かちを寺 中山 池田 伊丹 道

明治4年に建てられたもののようです。
この道標、中途半端な場所にあるように見えますが、
旧地図と重ねると曲がり角にあったことがわかります。
周囲の環境が劇的に変わったにもかかわらず、かつての場所にそのままの向きで残っている珍しい例。この道標の存在は今津っ子さんのブログで知りました。こんな場所に道標が残っていたなんてビックリです。
(参考記事)
「宮原の横関街道道標」 今津っ子のてくてく日記

村は分断されましたが、古い家々がところどころに残っています。

こちらもいい感じの板塀ですね。

こんな建物も残っている。新大阪駅の裏側とは思えない。

旧村の外れに春日神社之址碑があった。
かつて南宮原村と北宮原村にそれぞれ春日神社がありましたが、明治41年、共に中島惣社に合祀されています。

昔の地蔵尊のものだろうか。

現在は稲荷社と地蔵尊と愛宕社が祀られています。

新大阪周辺にはまだ畑もぽつぽつ残っています。
ちょっと不思議な光景ですね。
(関連記事)
「新大阪駅のポールライトと北宮原村の道標」 2012.04.30
「新大阪駅のポールライトとさいの木神社」 2012.07.15
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宮原1丁目の町並み

JR新大阪駅です。新大阪阪急ビルが建設されたことにより風景が変わりましたね。

ただ、昔ながらの変わらない風景も残っている。
タクシー乗り場にあるこの看板、傷みで下の絵が現れてきてます。
下の絵は竣工時のものだろうか。

広場にあるこのポールライトも竣工時の昭和39年に設置されたもの。

なかなかカッコいいデザイン。円のようですが12角形ですね。

こちらは卵形のプランター。

これも竣工時のものかな。

暗くて殺風景な地上の柱群。

正面口なのにコンクリートむき出しなんですよね。ここ。
そこがいいのですが、この上が正面玄関ということなのでしょう。

この2灯のポールライト、

下に入口があります。
扉がかなりええ感じ。潜水艦っぽい。

高さは38メートルあるみたい。

もうひとつの方の扉はデザインが微妙に異なる。

夕方に再び立ち寄ると明かりが点いていました。

てっぺんには避雷針もある。カッコいいですよね。

こちらのライトは消えていました。
なぜがグリーンの明かりがひとつだけ。

さて、線路沿いの道を歩いて行きます。

この道は旧横関街道。
大阪と池田、箕面、勝尾寺方面を結ぶルートのひとつでした。

現在では土地区画整理等でかつての旧道はほとんど残っていません。

明治18年測量の地図と重ねるとこのようになります。

北宮原村と南宮原村、村の南側を流れる川は中島大水道です。

新大阪駅の下をくぐると向こうに古い民家が見える。

立派な門構え。

ビルに囲まれた中に蔵や

立派な家屋があります。ちょっと不思議な光景。

こちらには薬師如来と地蔵尊の祠。

旧南宮原村を分断するようにアンダーパスが出来ています。

向こうに見える家も旧南宮原村になります。

こんな森も残っている。

隣にあった建物の跡がええ感じです。
屋根の下に焼けたような跡があるなぁ。

こちらも立派な門ですね。

さて、土地区画整理によりできた南北に通る道。
この道により北宮原村も分断されました。

立派な門が残っています。

こちらも立派な門構えだ。

以前の北宮原村の豊かさがうかがえる。

横道に入った場所に道標がありました。

右 大坂道

左 ミの かちを寺 中山 池田 伊丹 道

明治4年に建てられたもののようです。
この道標、中途半端な場所にあるように見えますが、
旧地図と重ねると曲がり角にあったことがわかります。
周囲の環境が劇的に変わったにもかかわらず、かつての場所にそのままの向きで残っている珍しい例。この道標の存在は今津っ子さんのブログで知りました。こんな場所に道標が残っていたなんてビックリです。
(参考記事)
「宮原の横関街道道標」 今津っ子のてくてく日記

村は分断されましたが、古い家々がところどころに残っています。

こちらもいい感じの板塀ですね。

こんな建物も残っている。新大阪駅の裏側とは思えない。

旧村の外れに春日神社之址碑があった。
かつて南宮原村と北宮原村にそれぞれ春日神社がありましたが、明治41年、共に中島惣社に合祀されています。

昔の地蔵尊のものだろうか。

現在は稲荷社と地蔵尊と愛宕社が祀られています。

新大阪周辺にはまだ畑もぽつぽつ残っています。
ちょっと不思議な光景ですね。
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「新大阪駅のポールライトと北宮原村の道標」 2012.04.30
「新大阪駅のポールライトとさいの木神社」 2012.07.15
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