2011年10月31日 08:00
2011年10月28日 08:00
You say goodbye and I say hello♪
Hello♪ Hello♪

ラバーダックが中之島に戻ってきましたね。

10月30日(日)まで「水都大阪フェス2011・水辺のまちあそび」が開催中。

かなり大きな規模のイベントです。

そのなかで、ラバーダックもイベント参加しています。

「ラバーダック」震災チャリティ展示ということで
関連グッズの売り上げの一部は被災地支援のために寄付されるようです。

それにしても相変わらず人気モンですね。
人がたくさん集まっていました。

やっぱり正面からがいちばんかわゆい。

この場所は以前ドラゴンが停泊していた場所ですね。

久しぶりに…
「ドラゴンがアヒルに怒った」 2009.09.19

もう2年前なんですね…

すっかり大阪の顔になってしまったかもしれない。

顔といえば微妙に似ているアヒルの車があった。
嘘でもいいからライトを黄色にすればよかったのに…

アヒルの視線の先には中之島フェスティバルタワーが。
来年秋にオープン予定です。
来年もラバーダックに会えるといいんだけどな。
イベントは30日(日)までですよ~

ポチッと、応援よろしく♪
Hello♪ Hello♪

ラバーダックが中之島に戻ってきましたね。

10月30日(日)まで「水都大阪フェス2011・水辺のまちあそび」が開催中。

かなり大きな規模のイベントです。

そのなかで、ラバーダックもイベント参加しています。

「ラバーダック」震災チャリティ展示ということで
関連グッズの売り上げの一部は被災地支援のために寄付されるようです。

それにしても相変わらず人気モンですね。
人がたくさん集まっていました。

やっぱり正面からがいちばんかわゆい。

この場所は以前ドラゴンが停泊していた場所ですね。

久しぶりに…
「ドラゴンがアヒルに怒った」 2009.09.19

もう2年前なんですね…

すっかり大阪の顔になってしまったかもしれない。

顔といえば微妙に似ているアヒルの車があった。
嘘でもいいからライトを黄色にすればよかったのに…

アヒルの視線の先には中之島フェスティバルタワーが。
来年秋にオープン予定です。
来年もラバーダックに会えるといいんだけどな。
イベントは30日(日)までですよ~

ポチッと、応援よろしく♪

2011年10月26日 08:00
京街道を歩く(13)
木屋・鞆呂岐神社

明治19年測量の地図です。
京街道と木屋(こや)村の間に大きな池がある。

現在の地図と重ねると

このようになる。

旧木屋村の東端です。

水路が多い町です。
水路沿いを歩いてみます。

水路がTの字に交わる場所。

ここに馬場前橋の石碑があった。裏には明治44年7月架設とある。
そこから水路に沿って北に向かうと

鳥居が見えてきた。

水路に沿って参道が続く。

脇道に古い建物が。

普通の納屋だがちょっと懐かしい感じがする。

水路の突き当たりに神社がある。

その手前にある蔵。ちょっとええ感じ。

鞆呂岐(ともろぎ)神社です。こちらも読みが難しい。

こちらが拝殿。

その前の石灯籠に水をかけている方がいた。
何をしているんだろう?

なんと、石の割れ目にカエルが2匹。
なんでもこの中に10匹くらいいるそうで、毎日水をかけてあげているのだとか。

本殿の横に鳥居がある。

この鳥居は「寄進の鳥居」と呼ばれています。

赤穂浪士の一人、村松喜兵衛秀直の子孫が寄進したものだそうです。

鳥居の奥の森の中に社がある。若宮八幡です。

その横に「茨田蛇の池跡」の石碑。

「茨田蛇の池は昔は赤井堤防まで一帯に大きな池であった昭和五十一年二月に境内整備のため氏子四百六拾数名の浄財で石垣工事を施工そのとき残っていた池を埋立てたので後世に伝へるためにこの碑を建立す 昭和五十一年十月」
どの程度の大きさの池が残っていたかはわかりませんが昭和51年まで池が残っていたようです。

昔はこの田んぼすべてが池でした。

さて、鞆呂岐神社を出て西に向かいます。

この水路、旧地図にも記されていますね。
この先で池とつながっていたみたい。

旧村の場所は現在の地名で元町が後に付くことが多いように思います。ここも木屋元町なんですね。

古い家が現れてきた。

筋を左に入った所に寺があった。善明寺。
気づかずに通りすぎてしまいそうな寺だ。

再び水路沿いの道に戻る。奥に寺が見えてきた。

法華宗 本信寺。池の先端にあった寺です。

昭和9年の室戸台風で本堂が大きな被害を受けたそうですが、梅田新道にあった藤井寺が豊中に移転することになり、その本堂を譲り受け再建されたのだとか。

いまも裏手は田んぼが広がっている。
なんとなく池があった頃が想像できます。
いつの日かここも住宅地に変わってしまうのでしょうか。

さて、堤防に向かいます。
そこに大きな石碑がありました。

二十箇用水樋の記念碑だそうです。
文禄堤の築堤によって淀川からの取水ができなくなった友呂岐6ヶ村が、淀川に設けた農業用水が後に20ヶ村の用水路となったことからこの名称がついたそうです。用水路は昭和3年に廃止されました。

少し歩くとまた石碑が建っていました。赤井堤記念碑。この碑は明治18年の淀川大洪水の翌年に建てられたもののようです。そこには洪水時の状況が克明に記録されている。
『明治十八年夏強雨の中、淀川の水かさが一挙に増し、十七日には茨田郡伊賀村の堤防八十歩余が決壊し、茨田、讃良、東成の三郡はことごとく浸水、民家は水没、そのため父子、老人は号叫し、初めは堤防の決壊したことも知らなかった。府知事建野君が土木課員を率いて直ちに視察に赴き、親しく住民を励まし、奔走指揮した。二十九日に雨は又激しく降り、七月一日には風益々強くなり、そのため防御することもならず、決壊箇所は四十歩余に及んだ。その後、氾濫は河内、若江、渋川、住吉の諸郡にまで波及し、家屋の浸水は大阪にまで波及した。夜になってから風雨は益々強くなり、水かさは増して、人、家畜の悲鳴が加わり、これ以上の惨状はなかった。役人は船を出して漂流、衰弱している被災者を救助し、仮設住居を設定して食糧を給付した。その状況を知られた天皇から金五千円を賜った。神商(教養・品位を備えた一流の商人)は急遽金銭と穀物の寄付を行い、人々を救済した。府知事は大々的に人夫を募り、堤防の修理を行うが完成までに三ヶ月間がかかった。木屋村の北に赤井堤という堤防があるが壊滅し、二百歩以上が流出、家屋三十五を消失し、良田は土砂流入により壊滅した。』「淀の流れ」より
(おまけ)

この靴、落とし物だと思う。
拾った方が雨にぬれないようにビニールに包んで置いたのでしょう。
ちょっとだけ幸せな気分になれました…
より大きな地図で 新之介の京街道 を表示
(守口~京橋~高麗橋)
42.京街道を歩く・高麗橋
41.京街道を歩く・京橋
40.京街道を歩く・関目・野江
39.京街道を歩く・土居・今市・森小路
38.京街道を歩く・守口~京橋の地図
(守口~京へ)
1.京街道を歩く・守口の文禄堤
2.京街道を歩く・難宗寺・盛泉寺
3.京街道を歩く・一里塚・専教寺・正迎寺
4.京街道を歩く・八坂瓊神社・大庭七番
5.京街道を歩く・大日村
6.京街道を歩く・大庭五番・大庭二番村
7.京街道を歩く・大庭一番・佐太天神宮
8.京街道を歩く・来迎寺と松
9.京街道を歩く・仁和寺村
10.京街道を歩く・点野・茨田樋遺跡
11.京街道を歩く・太間・茨田堤の碑
12.京街道を歩く・河内名所図絵
13.京街道を歩く・木屋・鞆呂岐神社
14.京街道を歩く・出口
15.京街道を歩く・出口・光善寺
16.京街道を歩く・枚方宿
17.京街道を歩く・枚方宿・鍵屋
18.京街道を歩く・枚方宿・万年寺跡
19.京街道を歩く・淀川両岸一覧・枚方駅
20.京街道を歩く・枚方宿・岡・岡新町
21.京街道を歩く・天ノ川・磯島
22.京街道を歩く・渚の院・御殿山神社
23.京街道を歩く・三栗・阪・片埜神社
24.京街道を歩く・下島・上島・樋之上
25.京街道を歩く・樟葉
26.京街道を歩く・樟葉宮旧跡・交野天神社
27.京街道を歩く・樟葉台場跡・久修園院
28.京街道を歩く・橋本
29.京街道を歩く・橋本~御幸橋
30.京街道を歩く・石清水八幡宮
31.京街道を歩く・美豆・淀
32.京街道を歩く・淀城跡・淀納所
33.京街道を歩く・富森・横大路
34.京街道を歩く・下鳥羽・月の桂
35.京街道を歩く・鳥羽伏見の戦いと下鳥羽
36.京街道を歩く・上鳥羽
37.京街道を歩く・東寺
ポチッと、応援よろしく♪
木屋・鞆呂岐神社

明治19年測量の地図です。
京街道と木屋(こや)村の間に大きな池がある。

現在の地図と重ねると

このようになる。

旧木屋村の東端です。

水路が多い町です。
水路沿いを歩いてみます。

水路がTの字に交わる場所。

ここに馬場前橋の石碑があった。裏には明治44年7月架設とある。
そこから水路に沿って北に向かうと

鳥居が見えてきた。

水路に沿って参道が続く。

脇道に古い建物が。

普通の納屋だがちょっと懐かしい感じがする。

水路の突き当たりに神社がある。

その手前にある蔵。ちょっとええ感じ。

鞆呂岐(ともろぎ)神社です。こちらも読みが難しい。

こちらが拝殿。

その前の石灯籠に水をかけている方がいた。
何をしているんだろう?

なんと、石の割れ目にカエルが2匹。
なんでもこの中に10匹くらいいるそうで、毎日水をかけてあげているのだとか。

本殿の横に鳥居がある。

この鳥居は「寄進の鳥居」と呼ばれています。

赤穂浪士の一人、村松喜兵衛秀直の子孫が寄進したものだそうです。

鳥居の奥の森の中に社がある。若宮八幡です。

その横に「茨田蛇の池跡」の石碑。

「茨田蛇の池は昔は赤井堤防まで一帯に大きな池であった昭和五十一年二月に境内整備のため氏子四百六拾数名の浄財で石垣工事を施工そのとき残っていた池を埋立てたので後世に伝へるためにこの碑を建立す 昭和五十一年十月」
どの程度の大きさの池が残っていたかはわかりませんが昭和51年まで池が残っていたようです。

昔はこの田んぼすべてが池でした。

さて、鞆呂岐神社を出て西に向かいます。

この水路、旧地図にも記されていますね。
この先で池とつながっていたみたい。

旧村の場所は現在の地名で元町が後に付くことが多いように思います。ここも木屋元町なんですね。

古い家が現れてきた。

筋を左に入った所に寺があった。善明寺。
気づかずに通りすぎてしまいそうな寺だ。

再び水路沿いの道に戻る。奥に寺が見えてきた。

法華宗 本信寺。池の先端にあった寺です。

昭和9年の室戸台風で本堂が大きな被害を受けたそうですが、梅田新道にあった藤井寺が豊中に移転することになり、その本堂を譲り受け再建されたのだとか。

いまも裏手は田んぼが広がっている。
なんとなく池があった頃が想像できます。
いつの日かここも住宅地に変わってしまうのでしょうか。

さて、堤防に向かいます。
そこに大きな石碑がありました。

二十箇用水樋の記念碑だそうです。
文禄堤の築堤によって淀川からの取水ができなくなった友呂岐6ヶ村が、淀川に設けた農業用水が後に20ヶ村の用水路となったことからこの名称がついたそうです。用水路は昭和3年に廃止されました。

少し歩くとまた石碑が建っていました。赤井堤記念碑。この碑は明治18年の淀川大洪水の翌年に建てられたもののようです。そこには洪水時の状況が克明に記録されている。
『明治十八年夏強雨の中、淀川の水かさが一挙に増し、十七日には茨田郡伊賀村の堤防八十歩余が決壊し、茨田、讃良、東成の三郡はことごとく浸水、民家は水没、そのため父子、老人は号叫し、初めは堤防の決壊したことも知らなかった。府知事建野君が土木課員を率いて直ちに視察に赴き、親しく住民を励まし、奔走指揮した。二十九日に雨は又激しく降り、七月一日には風益々強くなり、そのため防御することもならず、決壊箇所は四十歩余に及んだ。その後、氾濫は河内、若江、渋川、住吉の諸郡にまで波及し、家屋の浸水は大阪にまで波及した。夜になってから風雨は益々強くなり、水かさは増して、人、家畜の悲鳴が加わり、これ以上の惨状はなかった。役人は船を出して漂流、衰弱している被災者を救助し、仮設住居を設定して食糧を給付した。その状況を知られた天皇から金五千円を賜った。神商(教養・品位を備えた一流の商人)は急遽金銭と穀物の寄付を行い、人々を救済した。府知事は大々的に人夫を募り、堤防の修理を行うが完成までに三ヶ月間がかかった。木屋村の北に赤井堤という堤防があるが壊滅し、二百歩以上が流出、家屋三十五を消失し、良田は土砂流入により壊滅した。』「淀の流れ」より
(おまけ)

この靴、落とし物だと思う。
拾った方が雨にぬれないようにビニールに包んで置いたのでしょう。
ちょっとだけ幸せな気分になれました…
より大きな地図で 新之介の京街道 を表示
(守口~京橋~高麗橋)
42.京街道を歩く・高麗橋
41.京街道を歩く・京橋
40.京街道を歩く・関目・野江
39.京街道を歩く・土居・今市・森小路
38.京街道を歩く・守口~京橋の地図
(守口~京へ)
1.京街道を歩く・守口の文禄堤
2.京街道を歩く・難宗寺・盛泉寺
3.京街道を歩く・一里塚・専教寺・正迎寺
4.京街道を歩く・八坂瓊神社・大庭七番
5.京街道を歩く・大日村
6.京街道を歩く・大庭五番・大庭二番村
7.京街道を歩く・大庭一番・佐太天神宮
8.京街道を歩く・来迎寺と松
9.京街道を歩く・仁和寺村
10.京街道を歩く・点野・茨田樋遺跡
11.京街道を歩く・太間・茨田堤の碑
12.京街道を歩く・河内名所図絵
13.京街道を歩く・木屋・鞆呂岐神社
14.京街道を歩く・出口
15.京街道を歩く・出口・光善寺
16.京街道を歩く・枚方宿
17.京街道を歩く・枚方宿・鍵屋
18.京街道を歩く・枚方宿・万年寺跡
19.京街道を歩く・淀川両岸一覧・枚方駅
20.京街道を歩く・枚方宿・岡・岡新町
21.京街道を歩く・天ノ川・磯島
22.京街道を歩く・渚の院・御殿山神社
23.京街道を歩く・三栗・阪・片埜神社
24.京街道を歩く・下島・上島・樋之上
25.京街道を歩く・樟葉
26.京街道を歩く・樟葉宮旧跡・交野天神社
27.京街道を歩く・樟葉台場跡・久修園院
28.京街道を歩く・橋本
29.京街道を歩く・橋本~御幸橋
30.京街道を歩く・石清水八幡宮
31.京街道を歩く・美豆・淀
32.京街道を歩く・淀城跡・淀納所
33.京街道を歩く・富森・横大路
34.京街道を歩く・下鳥羽・月の桂
35.京街道を歩く・鳥羽伏見の戦いと下鳥羽
36.京街道を歩く・上鳥羽
37.京街道を歩く・東寺
ポチッと、応援よろしく♪
