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大阪駅「大阪ステーションシティ」の屋上

2011年07月30日 08:00

今更ですが、
大阪ステーションシティの屋上に
初めて上りました。


IMG_9740_3.jpg
大阪駅の時空の広場です。

IMG_9746_3.jpg
この日はワイドレンズを付けていたのでここに来てみました。
ワイド側が11mmなのですが全体が入らなかった。

IMG_9767_3.jpg
今の時期はミスト散布しているのですね。

IMG_9761_3.jpg
ちょっと涼しいような気がした。

IMG_9784_3.jpg
エスカレーターで屋上まで上がれるのですが
実は今までこの上に行ったことがなかったのです。
恥ずかしながら初屋上です。

IMG_9782_3.jpg
後ろを振り返ると壮観だ。

IMG_9810_3.jpg
さすがにオープン時と比べると人がまばらですね。

IMG_9820_3.jpg
この日はめちゃくちゃ天気がよかったのですが
おもいっきり西日で眩しかった。

IMG_9845_3_20110729225625.jpg
ここからは梅北もよく見える。
とても気持ちがいい場所ですね。

IMG_9877_3.jpg
ちょうど六甲山に夕日が沈んでいきましたが
スカイラインがとても綺麗だった。

微速度撮影のロケハンも兼ねていたのですが
なかなか面白そうな場所かもですね。


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大坂七墓・沖向地蔵尊

2011年07月28日 08:00

大阪七墓・葭原墓地の
沖向地蔵尊


大坂七墓のひとつ、葭原(よしわら)墓地があった場所に
住民の信仰を集める地蔵尊が今も残っています。

yoshi001.jpg
明治18年測量の地図です。
この時代、まだ葭原墓地が残っています。
大阪七墓のひとつ南浜墓地との位置関係もこれでよくわかりますね。

yoshi002.jpg
現在の地図と重ねると、

yoshi003.jpg
こうなる。丸いエリアの中の赤い印の場所に沖向地蔵尊があります。

IMG_5840_3.jpg
ここがその場所。

IMG_5844_3.jpg
こちらが地蔵尊です。

IMG_5839_2.jpg
説明プレートにはこのように書かれている。

西暦645年大化の改新が行われ、都が難波長柄豊崎に移され、色々の改革が着々と進んでいた頃、行基菩薩 (668-749)は大阪の南から北にかけて七カ所の墓地を作り、大阪七墓と称された。そのうちの1つが天満葭原のこの地の墓地であった。こののち法然(1133-1212)によって開かれた浄土宗ではこの墓地を守るため西の坊というお寺を建立した。その当時この付近は大阪湾の海岸線に近く、葭(葦)の生い茂る地帯で、この通りも昭和の末期(1980-1990)までは葭原(吉原)通りと呼ばれていた。このお寺にこの地蔵尊 阿弥陀如来、勢至菩薩が併祀された。その後海岸線は土砂も堆積し、近代は盛んに埋め立てもされ、建物も多く建って、現在ではとても海は見えないが、当時はお地蔵様の正面、西の方に海を見渡すことが出来たので、沖向地蔵尊と呼ばれるようになった由である。

なんと、昔のこの地は海岸線に近く、西の海を見渡せたので沖向と名が付いたそうです。ということで、以前アースダイバーの記事の時に作った地図に場所をプロットしてみた。

yoshi004.jpg
上町台地が中心にありますが、その西側に予想の海岸線を書いてみました。この辺りは堆積層で湿地帯と書いた部分には葦が生い茂っていたのかもしれません。海岸線は遠浅の海で所々に葦が茂る島があったのでしょう。

IMG_5846_3.jpg
こちらにお参りする人は多いです。私がいた数分間だけでも2~3人の方が来られてました。地域の人に親しまれているお地蔵さんなんですね。


(おまけ)
すぐ近くにある栄温泉。
IMG_5852_3.jpg
2011年6月30日をもって廃業されたようです。

IMG_5857_3.jpg
今年に入って廃業された銭湯は何件目だろう。
すごい勢いで無くなっているように感じるなぁ。

(参考サイト)
栄温泉と昭和温泉まちかど逍遥


(関連記事)
大阪駅ができる前は墓地があった 2008.03.01
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大坂七墓 蒲生墓地 2008.10.16
大坂七墓巡り1 2008.10.22
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大坂七墓巡り 千日墓地 2008.10.27
さよなら千日前・竹林寺 2009.02.09
大阪七墓・梅田墓地・飛田墓地の跡のあと 2010.07.26
大阪七墓・葭原墓地の沖向地蔵尊 2010.07.28


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梅田墓地・飛田墓地の跡のあと

2011年07月26日 08:00

大阪七墓・梅田墓地と
飛田墓地の跡が跡形もなく…


今回はちょっとマニアックな情報です。
5月末頃に今津っ子さんからメールで梅田墓地の移転の情報を教えていただいたのですが、かなり遅れての記事になってしまった。すみません ^^;

今津いまむかし物語今津っ子さんのブログです♪

umeda1.jpg
なんと!梅北(梅田北ヤード)の片隅にあった梅田墓地の墓石等が昨年(平成22年8月)に移転していたそうですよ。まったく知らなかった。

umeda2.jpg
地蔵尊は四天王寺の地蔵堂、
供養塔と墓石は川西市の稱名寺、
遺骨は天王寺の一心寺、
そして池にいた鯉は堂島川へ放流ということです。

P1060038_3.jpg
記録として以前撮影した写真を再度アップします。

P1060021_3.jpg
左が地蔵尊、右が供養塔です。

P1060011_3.jpg
ちなみに供養塔の裏。

P1060007_3.jpg
墓石群です。人骨も埋まっていたのですね。
この周辺の地面の下にはまだ墓石などが埋まっていると思われるので、梅北の第2期開発ではその辺りの配慮を願いたいです。

P1060022_3.jpg
浅い池だったのですが鯉がいたのか。

P1060001_3.jpg
ちなみに撮影したのは2008年です。

それと別の問い合わせで調べて知ったのですが、
飛田墓地跡にあった太子地蔵尊があった場所が更地になっているそうです。地蔵尊等がどうなったのかの情報がわかりませんので、ご存じの方は教えていただければ嬉しいです。

P1040973_3.jpg
こちらも2008年に撮影した写真です。
柵で囲われていますが個人所有の土地のようでした。

P1040975_3.jpg
太子地蔵尊。

P1040965_3.jpg
右手に何か持っておられたのでしょう。

P1040966_3.jpg
こちらは首なし地蔵尊。

P1040964_3.jpg
無縁塔と石碑。

P1040967_3.jpg
こちらにもお花が供えられていた。

P1040968_3.jpg
現在のこの場所はまったく何も無い更地になっているようです。
大坂七墓の内、2ヶ所も何も無い状態になってしまいました。
知らず知らずのうちに歴史の痕跡がどんどん無くなっていきますね。


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